多分、絶対、恋だった。



青い空に真っ白な入道雲。
ぎらぎらと照りつける太陽に肌を焼かれながら、わたしは徒歩十分の距離にある祖父母の家に向かっていた。

田んぼ道を抜けて、ぽつぽつと間隔をあけて家が建てられている住宅街に入る。
少し歩けば、瓦屋根の大きな日本家屋が見えてきた。

――リン、チリン、チリリン。
生ぬるい風に、風鈴が微かな音を立てている。

「おばあちゃーん、おじいちゃーん。きたよー!」
「おお、陽菜乃。ちょうど里佳子たちもきたところだ」
「え! 里佳子おばさんたち、もうきてたの!?」

庭にある畑で出迎えてくれた祖父の言葉に、わたしは慌てて家に駆けこむ。

「理子ちゃん! リョウちゃん!」
「わ、陽菜乃ちゃん! 会いたかったよ~!」
「陽菜乃は一年経っても、あんま成長してねーな」

理子ちゃんの優しいハグを受け入れながら、会って早々に心外なことを言うリョウちゃんに、ムッとした顔を向ける。

「そんなことないもん! わたし、昨年より五センチも伸びたんだよ!」
「ほんとか~?」

疑うような目つきで見てくるリョウちゃんが、わたしの頭に手をのせる。
そして思いきり撫でられた。

「わわ、ちょっとリョウちゃん!」
「んー、確かに背は伸びた気もするけど。この頭の丸さは変わんないな」
「もー、何それ」
「陽菜乃を撫でると、じいちゃん家にきたってやっと実感できるんだよな」

いたずらな顔で笑うリョウちゃんを見れば、わたしの心臓はドキドキうるさくなる。

――夏休みになると、東京に住んでいる親戚たちが祖父母の家に遊びにくるのが、恒例になっていた。

里佳子おばさんは、おじいちゃんの年の離れた妹だ。
そして里佳子おばさんの子どもである、大学一年生の理子ちゃんと、高校一年生の良平くん。良平くんのこと、わたしはリョウちゃんって呼んでた。

二人は、わたしの遊び相手になってくれた。いつも優しくしてくれた。

理子ちゃんは頭が良くて、夏休みの宿題を手伝ってくれた。優しくて美人な、私の憧れのお姉さんだ。

そして、リョウちゃんは……わたしの好きな人だった。

「陽菜乃、ほれ」
「わ、アイスだ! いいの?」
「おー。パピコは分け合うためのアイスだからな。陽菜乃はかわいいから、特別にやる」
「へへ、やった!」

リョウちゃんは、背がすらりと高くて、目鼻立ちが整っていた。
目つきが鋭くてちょっと怖そうな雰囲気もあったから、わたしもはじめの頃は、人見知りを発動していたっけ。
だけど、いつも飄々としていて掴みどころがない感じも、まだ幼かったわたしの乙女心を揺さぶった。
時々意地悪も言うけど、最後には優しくしてくれるところが、好きだった。

まだ小学生だったわたしが提案する遊びといえば、かくれんぼに、だるまさんがころんだ。トランプやお絵描きなどだ。
誘えば「めんどくさい」って言いながらも、リョウちゃんは絶対に付き合ってくれたし、近所の駄菓子屋に行けば、ママたちには内緒だからなって好きなお菓子を買ってくれる。

そんなリョウちゃんに唯一会える夏が、わたしは待ち遠しくて仕方なかった。

「ねぇ、リョウちゃん。プロフィール帳書いて!」
「プロフィール帳? 何だよそれ」
「これこれ! あのね、友達と書いて交換するのがはやってるんだよ」
「えー、めんどくせーんだけど」
「はい! 理子ちゃんも書いてくれる?」
「えー、かわいい~。もちろん書くよ。ほら、良平もさっさと書きな」
「へいへい」

リョウちゃんと理子ちゃんに、うさぎのイラストが描かれたプロフィール用紙を手渡す。
楽しそうに書いている理子ちゃんに対して、リョウちゃんはいつも通りの、気だるそうな顔をしている。

「はい、陽菜乃ちゃん」
「ありがとう、理子ちゃん! ……理子ちゃんは、将来、美容師さんになりたいの?」
「うん、そうなの。夢が叶ったら、陽菜乃ちゃんの髪もかわいくさせてね」
「やったあ! 楽しみにしてるね!」

理子ちゃんが書いてくれたプロフィール用紙を見ながら、おしゃべりに花を咲かせる。

(……リョウちゃん、まだ書いてるのかな)

チラチラ見ているわたしに気づいた理子ちゃんが、リョウちゃんのプロフィール用紙を覗き込んだ。

「良平、まだ書いてるの? って、何だ、最後まで書き終わってるじゃない」
「んー、まぁこんなもんだろ」
「……ちょっと。アンタ、最低。何書いてんのよ!」
「いて! 何すんだよ暴力女」
「クズなお前に言われたくないわ!」
「いってぇ……!」

バシンッ!
理子ちゃんが、リョウちゃんの頭を思いきり叩いた。しかも二回も。
リョウちゃんは頭を抑えてうずくまっている。

「ねぇ理子ちゃん、わたしにも見せて」
「えー、でも、陽菜乃ちゃんはまだ小学生だし、教育上よろしくないから……」
「だいじょうぶだよ! わたし、もう五年生のお姉さんだから!」
「んー、そう?」

理子ちゃんが渋々渡してくれた、リョウちゃんのプロフィール用紙。
私は真っ先に【恋愛コーナー】と書かれた欄に目を通す。

【好きな人or恋人:いない】

(よし! そうだと思ってたけど、よかったぁ)

【好きなタイプ:ボイン】

(ん? ……何これ。ボインって……胸が大きい人が好きってこと?)

「もー、良平のアホ!」

うんうん首を傾げているわたしを見て、理子ちゃんはまた、リョウちゃんの頭を叩いた。

(……牛乳飲めば、胸もおっきくなるのかな)

自分のぺちゃんこな胸を見下ろしたわたしは、決意を固めた。
その後パソコンで調べて、胸を大きくするには豆乳に効果があると知ったわたしは、次の日から、毎朝かかさずにコップ一杯の豆乳を飲むようにした。
我ながら健気だと思うけど……残念なことに、成果はあまり見られなかった。


◇◇◇

「リョウちゃん!」
「おー、陽菜乃」

それから、あっという間に月日は流れ。
わたしは高校一年生になった。リョウちゃんは大学三年生だ。
リョウちゃんは頭が良くて、特に理数系が得意だったから、今は東京の国公立大学の理学部で、理工学やプログラミングなんかの勉強をしているらしい。

理子ちゃんは専門学校で勉強して、美容師になるって夢を叶えたんだ。
昨年には結婚もしていて、今はお腹に赤ちゃんがいるから、今年の夏はきていない。

リョウちゃんもこなかったらどうしようって、正直不安だった。
だから今年も会えて、すごく嬉しい。

「どう? 制服姿、似合ってるでしょ?」
「おお、似合ってる似合ってる」
「もー、全然気持ちがこもってない!」
「何でだよ。あー、でも、ちっと足は出し過ぎなんじゃねーの?」
「イマドキの女子高生はこれくらいが普通なんだよ」
「ふーん、そういうもんか?」

学校は休みだけど、リョウちゃんに見てもらいたいから、わざわざ制服を着て待っていたのに。反応はイマイチだ。

リョウちゃんは、恋する乙女心が全然分かってない。
だけど、もしわたしの気持ちがバレたら……今まで通りに話せなくなるかもしれない。
それが怖かった。
だから、これくらいがちょうどいい。
今はまだ、この気持ちを伝えるつもりはなかった。

――夜。
茶の間に長机を並べて、おじいちゃんたちが買ってきたお寿司やお惣菜を食べながら、大人たちはお酒を飲んで盛り上がっている。

「理子ちゃん、男の子か女の子かはもう分かってんのか?」
「女の子ですって」
「ほー、そりゃいいなぁ。理子ちゃん似の別嬪さんが生まれるんだろうなぁ」

わたしは少し離れた席に座って、大好きなサーモンのお寿司やカットフルーツを黙々と食べる。
あの近くにいると、絶対に話を振られちゃうから。
学校や勉強の話はまだしも、好き人や彼氏はいないのか、なんて。
リョウちゃんがいる前で絶対に聞かれたくないし。

ちなみに、ついさっきまで、わたしの隣にはリョウちゃんがいてくれたけど、今は大学の友達から電話がかかってきたと言って、外に行っている。

「そういえば、良平もね」

里佳子おばさんの口からリョウちゃんの話題が出た。つい聞き耳を立ててしまう。

「あの子、これまで浮いた話の一つもなかったのに、最近、彼女ができたみたいなの」
「おお、そりゃ本当か?」
「えー、あのリョウちゃんが!?」
「そうなのよ~、ね、良平。って、あら? あの子、どこに行ったのかしら。陽菜乃ちゃん、良平がどこに行ったか知らない?」
「……リョウちゃん、友達と電話してるみたい」
「あら、そうなのね」
「もしかしたら、彼女なんじゃねーの?」
「ふふ、そうかもね」

――おばさんたちの楽しそうな声が、遠くなっていく。
わたしは台所でおつまみを用意していたおばあちゃんに声をかけて、そのまま家に帰った。
帰り道、涙は出なかった。

家に帰って温かなお風呂に入って、ベッドに入る。
そこでようやく、じわじわとこみ上げてくるものがあって。

「う、うう……」

わたしは声を押し殺すようにして、泣いた。


◇◇◇

「陽菜乃」
「リョウちゃん。どうしたの?」
「どうしたのじゃねーよ。昨日、何で黙って帰ったんだよ」

お母さんに頼まれて、おじいちゃんに畑のトマトを分けてもらいにきた。
そしたら、仏頂面をしたリョウちゃんにつかまってしまった。

「んー、ちょっと食べ過ぎたみたいで、お腹の調子がよくなくてさ」
「マジかよ。もう大丈夫なのか?」
「うん、もう平気」
「でも、夜遅くに一人で帰るのは危ねーだろ」
「でも、こんな田舎で何か起こる心配もないだろうし。それにわたし、もう高校生だよ?」
「それでも、陽菜乃は女の子なんだから。何かあってからじゃ遅いだろ。次から絶対に声かけろよ」

リョウちゃんに頭を撫でられる。あの頃と同じ、少し荒っぽい撫で方で。
それが嬉しいはずなのに、ちっとも変わらない関係に、何だか泣きそうになってしまった。


◇◇◇

リョウちゃんたちは、明日には東京に帰ってしまう。
最終日には、広い庭でバーベキューをするのが毎年の恒例となっている。
そして、お肉を堪能してから、話に花を咲かせている大人たちの輪から抜けて、子どもだけで花火をするのもお決まりのことだ。

今年は理子ちゃんがいないから、花火はリョウちゃんとの二人きりになる。
三人での花火も好きだけど、好きな人と二人きりって状況には自然と胸が高鳴る。

だけど、昨日聞いたあの情報のことが気になって仕方ない。
だって、まだ事実とは限らない。もしかしたら、おばさんの勘違いかもしれない。
ソワソワと落ち着かない気持ちで、リョウちゃんから手持ち花火を受け取る。

「ほい、花火」
「ん、ありがとう」
「……どーした?」
「え、何が?」
「……もしかして、今日も食べ過ぎて腹が痛いのか?」
「だ、大丈夫だよ! ほら、早くやろう!」

リョウちゃんは、上部を切り取った空き缶の中にろうそくを立ててくれた。
ゆらゆらと揺れている炎に花火の先端を近づければ、シュッと音を立ててオレンジ色の火花が流れる。

「わあ、綺麗……!」
「よし、俺は二本持ちでやるか」
「え、リョウちゃん、それはだめだよ!」
「いいだろ、別に。陽菜乃も両手で持ってやればいいじゃん」

別にわたしは、花火を二本持ちでやりたいわけじゃない。
そんなに一気に消費したら、リョウちゃんとの二人きりの時間がすぐに終わっちゃうから。
それが嫌なだけだ。

(ねぇ、リョウちゃん。おばさんが言ってた話って、本当なの? いつの間に彼女なんて作ってたの?)

真実が知りたい。だけど、知るのが怖い。
中々切り出せないまま、時間だけが過ぎていく。
気づけば残りは、線香花火だけになっていた。

「陽菜乃、ほら」
「……ありがと」
「……本当にどーしたんだよ。いつもより元気ないじゃん」

わたしの隣に屈みこんだリョウちゃんが、顔を覗き込んでくる。

リョウちゃんが心配してくれている。
それが嬉しいのに、今は少しだけ切ない。

線香花火の小さなきらめきを見つめながら、何でもないふりをして話を切り出す。

「リョウちゃんさ、彼女できたって本当?」
「……母さんだな」

リョウちゃんは肯定も否定もしないで、小さな溜息をもらした。

「ねぇ、本当なの?」
「……まぁ」
「……ふーん」

やっぱり、本当なんだ。きっとそうだろうなって、心のどこかでは分かってたけど。
でも、人づてに聞くのと本人から聞くのとじゃ、全然違う。
心が一気に、ずしんと重たくなった気がする。

あー、辛い。しんどい。彼女の話なんて聞きたくない。
そう思うけど、もう一つだけ、確認しておきたいことがある。

「リョウちゃんの彼女ってさ」
「……何だよ。恋バナなら、女友達とやれ…「胸、おっきい?」
「ぶっ、おま、何聞いて……」
「だってリョウちゃん、ボインが好きって言ってたじゃん」
「……よくそんな昔のこと覚えてんな」

わたしの質問が予想外だったみたいで、リョウちゃんはあからさまに動揺した。

「で、どうなの?」
「あー、まぁ……でかくはないな」
「なら、どうして付き合ったの?」
「どうしてって、それは……可愛かったから」
「顔だけ?」
「あとはまぁ……これからもずっと一緒にいたいと思ったから。……じゃねーの」

左隣を見れば、リョウちゃんは唇を少しだけ尖らせて、気まずそうな顔をしている。

わたしが見たことのない表情。
きっと、わたしじゃ、作り出せない表情だ。

(……ずるいなぁ)

わたしの方がずっと前から、リョウちゃんのことが好きだったのに。
わたしの方がずっとずっと、リョウちゃんのことが好きなのに。

――わたしじゃ、だめなんだね。

「ねぇ、リョウちゃん」
「……何だよ」
「あのね、好きだよ」
「……おー、俺も好き。陽菜乃は可愛い妹分だからな」
「……うん」

リョウちゃんは、わたしの“好き”を兄に対する好意として受け取ったのか。
それとも、気づいた上ではぐらかされたのか。

リョウちゃんの顔はいつも通りに戻っていたから、わたしには分からなかった。

だけど、分かったこともあった。
わたしの恋は、ここで完全に終わってしまったということ。
純粋に夏を待ち遠しく思う日々は、もう、やってこないということ。

ポトリ。

きらきらと弾けていた火花が落ちて、消えた。


◇◇◇

翌年の夏、リョウちゃんは祖父母の家にこなかった。
彼女さんのお腹に赤ちゃんができたらしい。

来年には東京で式を挙げるとのことで、招待状をもらった。
わたしは大学受験を理由に、東京には行かなかった。

お母さんから見せてもらったスマホには、笑顔が可愛らしい花嫁さんと、照れくさそうな顔で花嫁に寄り添うリョウちゃんが映っていた。


――青空。入道雲。蝉の声に風鈴の音。駄菓子屋。半分このアイス。手持ち花火。
夏を感じると、ふと、あの日々を思い出すことがある。

線香花火のように小さなきらめきで、けれど確かに灯っていて、最後にはポトリと落ちてしまった。

確かに恋をしていた、あの日々のことを。



Fin.