ノストラダムスとジュリエット

 成人式までずっと宙のことは引きずっていた。成人式で宙を見かけて、声をかけようとした。
「えー、岩崎の彼女めっちゃかわいくね? どこで出会ったの?」
「ダブルスクールで席が隣になって、同い年ってわかって」
 宙のスマホを見ながら男子と談笑していた。彼女、いるんじゃん。そう思うと、仲直りする気が急に消え失せた。喧嘩を売りたいわけではない。でも、謝りたくもない。
「岩崎くん!」
 わざとよそよそしい呼びかたで呼び掛けた。宙は私を見て驚いた顔をしたが、すぐによそ行きの表情に戻った。
「久しぶり。元気だった?」
 どうしてあんなことがあったのに、こんなに普通の反応ができるんだ。私にとっては一大事だったのに、宙にとっては大したことじゃなかったのか。
「絶好調、来週彼氏と旅行に行く予定」
 あてつけのように彼氏の話をした。当時彼氏がいたのは本当。婚前旅行なんて許されるわけがないので、旅行は嘘。彼氏は性懲りもなく、宙によく似た人だった。
「そういえば、あっちで元三年C組の集合写真撮るってさ」
「そうなんだ、今行く」
 その後も色々なグループで写真を撮った。エマは欠席だったけれど、それ以外の漫研メンバーで写真を撮った。写真は私のスマホで撮ったので、私がみんなに個別に送ることになった。ブロックを解除して、宙に写真を送った。宙が最初から私をブロックしていないのか、ブロックを解除したのかは知る由もないけれど、ちゃんと既読がついた。そのあと、当時はやっていた漫画のキャラのスタンプで「ありがとう」と送られてきた。宙とはそれっきりだった。
 成人式のすぐあと、世界中をパンデミックが襲った。世界が終わるんじゃないかと思ったこともあったが、杞憂だった。同窓会の類はその後いっさいなくなり、宙と会うきっかけがますますなくなった。
 エマが十年ぶりに日本に帰ってくると言うので、会う約束をしていた。その二日前に、急にお腹が痛くなって救急車で運ばれた。こんな世界なんて滅べばいいと思っていたけれど、いざ死ぬかもしれないと思うと未練があった。最期に宙と仲直りがしたかった。
 搬送先で手術を受けた。盲腸だった。死ぬかもしれないと思ったわりには、深刻な事態ではなかった。比較的よくある疾患だった。入院にはなったが、術後の経過は良好だ。私は死ぬことなく生きながらえた。
 元々約束していたエマがお見舞いに来てくれた。宙からもメッセージに返信があった。
「久しぶり。覚えてるよ。どうした?」
 何事もなかったかのような普通のメッセージだった。死ぬかもしれないと思って連絡をしてみたけれど、私は普通に生きている。急に恥ずかしくなってなんと返したらいいかわからずにいる。

「ねえ、宙に連絡とったんだよね? やっぱり美和っち、宙のこと好きだよね?」
 近況を報告し合う最中、エマが切り出した。宙はエマに連絡をとったようだ。もうごまかせない。私はすべてを打ち明けた。宙のことが好きだったこと、宙と喧嘩したこと、最期だと先走って宙に連絡を取ったこと。
「ごめんなさい」
 こんなの、十年来の親友に対する裏切りだ。本当に私は最低だ。
「ごめんね。言い出しにくかったよね。アメリカに帰った後も、もっと美和のこと気にかけるべきだったよね」
「違うよ、エマは何も悪くないよ。全部私が悪い」
 これは私の問題だ。
「美和っちだって何も悪くないよ。宙に返信しなよ。私のことは気にしなくていいよ。宙、心配してたよ」
 突然の連絡に驚いて、私の親友のエマに連絡を取った。盲腸で入院して手術をしたと聞いて、心配している。宙は本質的に優しいから、病人を心配するのは当たり前のことだ。
「死ぬかもしれないって勘違いして連絡して、実は大丈夫でしたって痛々しくない?」
「連絡の理由には私のこと使っていいよ。エマが久々に日本に帰ってきたから漫研の男子と連絡とりたいって頼まれた、でも盲腸になっちゃった、おかしな話じゃない」
 話の筋は通っている。それなら不自然ではない。
「何でそこまでしてくれるの? エマは嫌じゃないの?」
「うーん、私はさ、確かに宙と付き合ってはいたけど宙の理解者にはなれなかったから。でも、美和っちは宙の人生に必要な人だったと思う」
 私にはそうは思えなかった。今の話を聞いて、別れてもなお宙に対する理解が深いのはエマの方だと思った。
「それに、未練あったら部活で普通になんて振る舞えないよ。美和っち、私たちが付き合ったことも別れたことも全然気づかなかったでしょ? その程度だったんだよ」
 エマはひとつひとつ、私が宙と復縁すべきだという理由を列挙する。でも、エマは知らない。それをするには遅すぎるということを。
「でも、今更だもん。宙、結婚しちゃったみたいだし」
 宙の結婚は本人から聞いたわけではない。三年前に漫研時代の同期が宙にSNSで「結婚おめでとう」とリプライをしているのを見ただけだ。もう私たちはその程度の関係だ。
「好きだって言わなくても、仲直りはした方がいいと思う。ずっと後悔してたんでしょ? 今、仲直りしなかったら一生後悔するよ」
 エマはいつもまっすぐだ。悔しいけれど、正論だ。
「高校時代の誰に聞いても、美和っちと宙はニコイチだったって言うと思う。美和っちにとって宙は恋云々の前に、理解者だったんでしょ?」
「うん、ありがと」
 いつの間にか涙声になっていた。私のスマホが震える。宙からのメッセージが来ていた。
「エマから聞いた。盲腸って本当? 大丈夫?」
 スマホのポップアップ通知はエマの目にも入った。
「じゃあ、私はおいとまするので文字じゃなくてちゃんと声で話した方がいいよ。お大事に。元気になったらお茶しよ」
 エマが私に手を振って病室を出ていく。エマに提案してもらった通りの言い訳をした後、勇気を出して通話を提案した。
「たぶんすぐ退院できると思うけど、入院めちゃくちゃ暇。時間大丈夫な時に少し話せる?」
 返信はすぐ来た。
「いいよ。今話せる」
 通話がかかってくる。反射的にタップしたが、まさかの普通の通話ではなくビデオ通話だった。眼鏡をかけているのと髪型以外はほとんどあの頃のままの宙がいた。すっぴんで入院着、髪もボサボサ。およそ初恋の人に見せる格好ではなかった。
「久しぶり。大丈夫?」
「うん、ごめんね余計な心配かけて。でもよかった、忘れられてるんじゃないかと思った」
「さすがに美和のことは忘れられねえわ」
 困ったように宙が笑った。
「今日平日だけど、お仕事大丈夫?」
「ちょうど今日在宅勤務の日だったんだよね。嫁は普通に仕事だから家に一人。あ、実は俺結婚してて……」
 少し気まずそうに宙が言う。知らなかったらショックを受けていただろうけれど、そんな段階は三年前に過ぎている。
「奥さん、絵描く人だったりする?」
 聞いたあとすぐに後悔した。もし、私以上に絵がうまい人だったら立ち直れないかもしれない。
「いや、俺以上に絵心無いよ。この間姪っ子にお絵描きしてって言われて描いた絵がやばかった」
 心底ほっとした。
「俺は一応無事税理士になって、まあ何とかやってるよ。美和は今何してんの」
 親に敷かれたレールに乗って、大手メーカーの一般職に就職した。幸いにもホワイト企業で、よっぽどのことがない限り転職することもないだろう。でも、この質問をされたらこう言うと決めていた。
「イラストレーターやってる」
 副業とも呼べない趣味の延長戦。SNSとクラウドソーシングサービスで依頼を受けて、絵を描いている。たまにしか依頼が入らないので、食べていくのは無理だ。フォロワー数だって多い方じゃない。でも、私の絵にお金払ってくれる人がいるんだよ。
「マジかよ、すげえじゃん」
 宙が無邪気に私を褒める。十年前、あなたがそうやって私の絵を褒めたことが後生忘れられなかったんだよ。あなたと他愛もない話をしながら絵を描いていたあの季節が人生で一番きらきらしていて、あの日々を取り戻したくて創作の世界に戻ってきちゃったんだよ。イラストレーターとしての名前は鉄竹(てつたけ)まみ。「また見つけて」のアナグラム。こんな未練たらたらの名前使ってるんだよ。
「宙と漫画描いてた時、楽しかったから」
 あなたが私の人生の道を決めたんだよ。責任取ってよ。責任取らなくても、ちゃんと覚えててよ。
 今ならわかる。ずっと認めるのが怖かったけれど、当時の絵を見返すと随分と拙い。上手だと言っても、同級生の中ではうまい部類程度のものだ。宙に対しての評価もまた私の絵を褒めてくれた人が書いた作品だったからバイアスがかかっていた。それでも楽しかった。二人で作った作品を世界一の名作だと無邪気に信じていたあの頃が一番幸せだった。
「俺もあの頃が人生で一番楽しかったよ」
 宙が寂しげに笑った。
「もしもあの頃の自分に会ったら、美和と喧嘩するなって言いたい」
「私も、大嫌いなんて思ってもないこと言わなきゃよかった」
「それは実際結構傷ついたわ、あの後しばらく不眠症になったし飯食えなくなったし。いや、後悔するくらいなら謝れよって話なんだけど、連絡する勇気もなくてさ」
 違う。宙が仮に勇気を出してくれていても、私は宙のラインをブロックしていた。あの頃の私は弱かったから、これ以上傷つかないために拒絶を選ぶことしかできなかった。
 手の甲で涙を拭った。お互い謝ったわけではない。でも、お互いずっと後悔していた。それが分かったからもう十分だ。
「ちゃんと美和に謝れって昔の俺のことぶんなぐって、あの瞬間はいっぱいいっぱいだったけど、いつか心の余裕もできるって教える。だから、それまで色壁ホセは続けろって言う」
 二人で決めたその名前を宙がおぼえてくれていた。宙にとって、あの日々は黒歴史ではなく、ちゃんと楽しい思い出だった。これでようやく、綺麗な思い出にできる。
「不器用だったよね、私たち。不器用なりに必死だったよね」
 私たちは子供で、無力だった。大人には逆らえないし、しがらみでがんじがらめだった。
「そうだな、もし来世があるなら、もっとうまくやるわ」
「私も、来世は好きな人にはちゃんと好きって言う。親とか周りのこととか気にしないでさ」
 でも、現世では言わない。宙はもう既婚者の身だ。あの頃あなたのことが大好きでしたと伝えたら、二度と会えなくなってしまう気がするから。
「俺も、適当な恋愛はしないようにする。付き合った人数は結構いるけど、本気で好きになったのは……いや。やっぱなんでもない。忘れて」
 宙もまた、はっきりとは言葉にしなかった。だから、都合よく解釈することにした。宙はやっぱりずるい。でも、そういうところも好きだった。宙の全部を愛していた。                         
「ねえ、世界が滅ぶとき、生まれ変わってるかどうかは分からないけどさ。その時は会いに行ってもいいかな」
「うん、約束しただろ」
 地球最後の日になったら付き合う。実現するかすらわからないそれを宙は約束と呼んでくれた。
「だから世界が早く滅びますようにって祈っておくよ」
 私は、宙とさよならをしてもジュリエットみたいに死ねなかった。ノストラダムスの予言は現実にならなかった。
 世界が滅ばない限り、私は明日も生きていかなければならない。では、どうやって生きていくか。とりあえず、絵は続けようと思う。
「いてくれるだけでいい」
 そう言って宙が存在を肯定してくれたあの頃の私は、絵を描くことが好きな普通の女の子だったから。