朝顔の瞬き

「――転校生の涼ってやつ。
 今日、人足りねぇし……
 呼んできてくんね?」

「やだね。

 ――俺は声かけねぇ。
 お前らも、余計なことすんなよ。」


「快ーーっ!先生が職員室来いって!」

「おう!今行く!
 この話は終わり!じゃ、後でな。」

―――――

「失礼しました!」
お辞儀をすると、
俺は足早にグランドへ向かった。

「ったく、滑り込みセーフしすぎとか、
 うるさいっつーの。
 間に合ってるからいいじゃん。
 あーもー、親よりうるさい!」

ブツブツ言いながら、
グラウンドに出る。

フェンス裏の日陰で
念入りにストレッチ。

アップを済ませる。

「はぁっ……こんな程度で
 息上がるとか、嫌んなるね。」

ボールを足元で運ぶ。

「かーっ……眩しいっ。
 サッカー日和!頑張れ、俺!」

チームメイトたちが
ミニゲームをしている。

いつもの練習風景。

「んー、どこ入ろうかな。」
すっと見渡す。


「……え?」

目を凝らす。

見間違いか?
違う。

――あれは、涼だ。
しれっと練習に混ざってる。

遠目で分かる。
やはり、技術は数段上だ。

ボールが、足に吸い付く。

無駄がない。

力が抜けてるのに、速い。


「……アイツ。どういうつもりだ?」
眉をひそめたまま、
合流する。

すれ違いざま、
腕を掴んで引き寄せる。
「お前、何してんだよ。」
耳元で低く言う。
「ぶっ倒れるぞ?」

「大丈夫。」

涼はトンッと俺を押し返し、
そのまま走り出した。

「あっ、おい!」
舌打ちが出そうになる。

追うように、プレーに入る。

集中できない。
視線が外れない。
勝手に涼を辿っている。
動き。
呼吸。
間合い。

胸がざわつく。


「ヘイ!快っ!」

ボールが来る。
反応が遅れる。

うわ、外した――!
「……くっ!」

その瞬間。
横から、影が滑り込む。

カンッ!

奪われる。

「随分と余裕じゃん。」

――涼!

「ほら、遊ぼうぜ。」
挑発する流し目。

さっきまでと、
まるで別人みたいだ。


ギュン!

腹の奥から、
何かが一気にせり上がる。

頭まで、一瞬で熱くなる。


――スイッチが入る。


目が痛くなるほど
世界がクリアになる。


「てめぇ……待てコラ!」

反射で追う。
一歩、二歩。
距離が詰まる――かわされる。

涼のボールタッチ。
無駄がない。
逃げない。
受ける。
流す。


――涼が、笑ってる。
グイッと肩で汗を拭く。
ブルッと髪の汗を散らす。

チームメイトとアイコンタクト。
ニッと笑う。


アイツ……
こんな顔でサッカーしてきたのか。


もっと。

もっと見たい。

一緒に走りたい。


「首洗って待ってろ!」
涼に向かって、
指を突きつける。

さっきまでの不安なんて、
一切、消えていた。


ただ純粋に、――楽しい。


ぶつかる。
奪いにいく。
かわされる。
また詰める。

その全部が、気持ちいい。

もっとやりたい。
もっと――



そのとき。


視界が、揺れた。

いや、違う。
揺れたのは――

涼だ。

「……涼?」

足が、もつれる。
リズムが崩れる。
さっきまでの軽さが、ない。

目の焦点が、合ってない。

もしかして
自分で気づいてないのか?



――『アドレナリンってやつかな。』

主治医の顔を思い出す。

一気に現実に引き戻される。

「おい!!涼っ!!」

崩れる。
その瞬間、
腕を伸ばして、
――掴む。

力いっぱい、
――引き寄せる。

ポスッ……。

簡単に腕に収まる。
さっきまでのプレーが嘘みたいだ。

「だから言っただろ……!」
息が荒い。
怒りと焦りが混ざる。

「はぁっ……はぁっ……
 ……っ……大丈夫。自分で……立てる。」
涼が俺の腕を外す。

ふらつきながら、
ヘラッと笑う。

戸惑うチームメイトの視線。

「お前連れてきたの、アイツらか?」
低く、吐き出す。
「アイツら……余計なことを。」
踏み出そうとした、その瞬間。

ぐっ!
腕を掴まれる。

「待って、違うから。」
「あ?アイツら以外にいねぇだろ!」
「違うんだ。俺が……。
 はっ……はぁっ……はぁ……。」

俺を掴む拳が緩む。

膝から崩れ落ちる。

「……っ!」
倒れ込んできた体を、
反射で抱き止める。

「おい、涼!!」

反応がない。

「……チッ!」
膝の下に腕を差し入れ
抱え上げる。

思ったより、ずっと重い。
しっかりした体躯。

2度、3度、
揺すって抱え直す。



「なんだよ……お前……
 しっかりサッカー選手じゃねぇか。」


「どけ!」
短く言い捨てる。

俺は、涼を抱えて
保健室へ走り出した。

――迷いは、なかった。

―――――

慎重に、
涼をベッドにおろす。

涼はすぐに布団を引き寄せて
頭まで被った。

「……おい。」
返事がない。
隠しきれてないツムジが
微かに動く。

「顔、見せろ。」
手を伸ばす。

籠った小さな声が聞こえた。

「今は見せたくない。」

「あ?」

布団の中で、
涼が小さく息を吐く。

「……さっきさ。」

ぽつりと続ける。

「快が職員室から出てくるの、
 見かけたんだ。
 ウェア姿で急いでた。」

「――うん。」

「あ。復帰するんだって、思った。」

少しの沈黙。

布団の中で、くぐもった声。

「……だから、俺がなりたかった。」

「何に?」

――イラつく。

「……無理してまで、何に?」

布団越しに、
顔を寄せる。

小さく上下する、
涼が息をする気配。

布団の中で何かを決めたように。

バッ!!
――涼が顔を出した。

「快の、一番最初に走る相手!」

近い。
息が、かかる距離。

「チームメイトじゃなくて俺が……!
 俺が、一番最初になりたかった!」

精悍な眉が下がってる。
目には涙の跡。
砂埃にまみれた頬。

男前が台無しじゃないか。

ほんっと、なんなんだよ……。


「――お前、なんて顔してんだよ。」


「だから見せたくなかったんだ。」
少し掠れた声。
「俺、絶対変な顔してる。」

「……そうだな。」

「じゃぁ、見るなよ。」
涼が顔を背ける。

続きが聞きたい。
涼の頬に手を添える。

「顔見て話せよ。」

涼がゆっくりこっちを見る。

距離が、ゼロになる。

息がぶつかる。

「……ごめん、涼。」
「え?」

何かが、外れた。
「ごめん……なんか……俺も変だ。」

手が、勝手に動く。
涼の首筋に触れる。
びくっと、
小さく震えるのが分かった。

――やめろ
頭では分かってるのに。

指が、離れない。

「ちょ……快?
 これだと、話せないだろ?」

涼が焦っている。

鼻先と鼻先をくっつける。

「ちょっと、マジで、どうした!?」


「さっき、俺、
 ――すごく怖かった。」


「……え?」

声が、震える。
「お前真っ青で。
 ――なのに、何だよその顔」

「……快。」

涼の緊張が、
すうっと解けていく。

そっと頬に触れる。

ひんやり柔らかい。

ツ……と指を滑らせる。

唇に。

温かい吐息に。

触れる。

「……ごめん。」

「え?」

見開いた涼の目を見つめる。

――もう、無理だ。
俺の中で何かが崩れていく。

「……俺、なんか変だ。ごめん。」

今なら、まだ戻れる。

そしたら、
完全には壊れない。
このまま離れればいいんだ。

だけど、

「お前、一番最初って。
 なんだよ、それ……。」

離れる言葉が、見つからない。

顔色を確かめるように、
視線を頬に滑らせる。

指の腹で、
涼の唇を撫でる。

「お前、温かいな……。」

「……っ。」

距離が近づく。
吐息がかかる。

あと少しで、ゼロだ。

ダメだ。
俺、――止まれ。

今は、違う!


ギュゥッ……

涼の襟元にしがみつく。

シャツ越しの、やわらかな体温。
砂埃の香り。
涼の香り。

心臓の音が聴こえる。
トクトクと、
リズムを刻んでいる。


「……快?どうしたんだよ。」

耳に涼の声が響いてくる。

顔を上げる。

俺を見てる。

少し悪びれたように、
ゆらゆらと瞳が揺れている。

『心配させてごめん』って言ってるのか?


目線が、絡まる。

「涼……。」

絡まる目線はそのままに、

確かめるように、
間違えないように、

軽く――触れた。

離れる。

見つめ合う。

今度は
さっきより、深く。

でも、
壊さないように。

俺のできる限りで。
そっと。

温もりを、分け合う。

心臓が、踊ってる。
痛い。

呼吸の仕方が分からない。

涼が俺の襟元をつかむ。

その拳を包む。

握りしめる。

離れられない。

触れただけなのに。

本能に溺れていく。
――ヤバい。


ダメだ、止まれ!

抗いながら、唇を離す。

「……はっ……はっ……。」
息が、乱れる。

ズルッと身体を涼から離す。

「……俺、先帰る。
 廉に迎え頼んどく。」

涼は――何も言わない。

ただ、
瞬きもせずに、
こっちを見ていた。


―――――


俺の事情なんて関係なく
新しい今日はくる。

別れ際の涼の目が
頭の中を占領してる。

「あー、もう!わっかんねぇ……。」
机に突っ伏す。

賑やかな教室。
同じ空間。
涼を感じる。

振り返れない。


「日直ー。
 備品、準備室に片付けよろしくな。」

「俺じゃねーか。
 クソ忙しいのにめんどくせぇ。」



―――準備室。


薄暗く
ひんやりとした空気。

静かだ。

「頭冷やすのにちょうどいいかも。」

棚に備品を戻しながら、
適当に呟く。


パタン……

ドアの音。

「ん?」
振り返る。


「え……、涼?」

まっすぐ、こっちに来る。
歩幅を緩めない。

「おい、ちょっ――」
腕を掴まれる。
そのまま引かれて

トン……

背中が壁に当たる。
「なんだよ、危ないだろ。」

近い。
逃げ場がない。
涼は何も言わない。
ただ、まっすぐ見てくる。

「なんだよ?」
「ごまかすなよ。」
「ごまかしてねーよ。」

一歩、詰められる。
反射で身じろぐ。

その瞬間――

コツン……
棚に腕が当たる。

「っ、やべ……」

バランスが崩れる。

咄嗟に、引き寄せる。


ドサッ!


床に倒れ込む。

「……大丈夫か?」

「うん、快は?」

「平気。――どけよ、重い。」

温かい。
拍動が混ざり合う。

頼むから、
早く離れてくれ。

「どかない。」

「は?何言ってんだお前。」

「どかない。」

強い眼差しに――息を飲む。

―――――


ザワザワと声が響く廊下。

準備室のドアに伸びる手が
無造作に
【個別面談中】の貼り紙をする。

ヒラッ……
紙が風で揺れる

「おーい、廉、何してんの?」
「やばっ!」

パタパタパタ……