
「はぁ…何やってんだろ俺」
グランドに入る前から、
むしゃくしゃしてた。
そもそも歩いてるだけでも
脚に違和感。
俺、どうやって歩いてた?
走る時はどうしてた?
脚がもつれて転ぶだと?
競り合いでもなく、1人勝手に。
――全身が連動する感覚。
そんなもの俺にあっただろうか。
サッカーって
こんなに楽しくないものだっけ。
イライラする。
ひとしきり頭をぐしゃぐしゃすると、
俺は保健室のドアを開けた。
ガラッ……
――そこには涼がいた。
タオルで手を拭きながら
振り返る眼差しに
息を飲む。
ひょこっと、
足を庇いながら中に入る。
後ろ手でドアを閉め、
やっと言葉を絞り出した。
「お前、保健委員にしたの?」
「あぁ、快。――うん。
俺にとっても都合がいいから。
どうしたの?怪我?」
そう言うと涼は、
俺の脇を抱えて
椅子まで誘導した。
ふわっと消毒液の匂いがした。
揺れるカーテンから射す
やわらかい光。
感情が嘘のようにフラットになる。
「ほら、みせて。」
「いや別に大したことねぇって……」
「みせて。」
涼の真剣な眼差しに怯む。
そろっと足を出す。
涼は色んな角度から
注意深く、俺の足をみていた。
そして、
自分の膝に俺の脚を乗せ、
確かめるように
患部に手を当てた。
冷たくも、温かくもない、
――俺と同じ温度だ。
「……っ」
一瞬だけ俺の体が強ばる。
「テーピング切らしてたから
包帯で固定するね。」
湿布の上から、
軽く締めるように。
クルクルと
丁寧に包帯を巻いていく。
涼の触れ方が優しい。
俯いたまつ毛が、
ゆっくり上下している。
窓の外から、
吹奏楽部の音出しが聴こえる。
静かに涼の手元を眺める。
「……ねぇ。」
涼が足から目を離さずに口を開いた。
「……な、なんだよ。」
「視線がうるさいんだけど。」
「は?他に見るもんがねーんだよ。」
涼が何か言いたげに、
顔を上げた。
俺の目は、
かつてないほどの速さで
まばたきを繰り返した。
ごまかすように
窓の外に目をやった。
保健室の外のプランター。
高く蔓を伸ばして、
フワフワしたピンクの花が揺れている。
「……あれ?」
思わず声が漏れた。
「ん?」
「こんな花、咲いてたっけ?」
涼はちらっと外を見て、
小さく頷く。
「俺が持ってきたんだ。
先生にお願いして、
置かせてもらってる。」
「はい、出来上がり。」
そう言うと
涼は、外へ出ていった。
ジョウロに水を汲んで、
花に静かに水をやる。
フワフワの花の周りを
涼がゆっくり動く。
俺はその様子を、
ぼんやりと眺めていた。
最初は
花を見ていたはずなのに、
いつの間にか
視線は涼の髪に。
見え隠れする伏せたまつ毛に。
花に。
揺れる。
「フワフワしてて可愛いな」
ぽつりと呟く。
「でしょ?」
振り返った涼が、にこっと笑う。
――ハッとする。
「知ってる?
これ、八重咲き朝顔っていうんだ」
構わず涼は続ける。
「子供の頃から育ててる。種がなかなか取れないから、毎年ヒヤヒヤしてるんだけどね」
「え?朝顔なの?それ」
「うん。可愛いよね」
「俺、川沿いとか、
自主練してる公園に
咲いてるやつしか知らない」
「え。それ、朝顔じゃないよ」
「いや朝顔だろ。
朝顔だよ、って
ドヤ顔で咲いてるじゃんかよ。」
「……川沿いのは昼顔で、
公園のは夜顔なんだけど。」
「お前、俺のこと騙そうとしてる?
そこまでバカじゃねぇぞ。
残念でした。」
「……っ、ブハッ!」
吹き出す涼。
「何笑ってんだよ。」
「快って、ほんと憎めない奴だね。」
そう言って、
また花に視線を戻した。
「朝顔ってさ、朝しか咲かないんだ。」
ぽつりと続ける。
「みんなが一日のスタート切るの、
“今日もがんばれ!”って、
見届けてるみたいで、好きなんだ。」
「そっか」
返事はしたけど、
俺の意識は
涼の穏やかな眼差しに
全部持っていかれていた。
「この八重咲き朝顔って、
種が取れるのが運みたいなもんでさ。」
涼の指先が
花びらを軽くつつく。
「子供の頃に親に種をもらって、
それからずっと繋いできたんだよね。
俺、すごくない?」
満面の笑み。
ちょっとドヤ顔。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
それをぐっと押し込めて
「……うん、お前はすごいよ。」
ヘヘッと笑う涼。
嬉しそうに花をつついている。
――静かだ。
風が吹く。
花が揺れる。
――今なら、言える気がする。
「なぁ。」
「ん?」
足を庇いながら立ち上がり、
一歩、近づく。
「今日、一緒に帰んねぇ?」
さわさわと風が吹く。
涼の前髪が揺れる。
隙間から微笑む目がのぞく。
「うん。一緒に帰ろう。」
なんだこの気持ち。
あまったるい高揚感。
こんなの俺、
知らない。
「俺、荷物取ってくる。
玄関で待ってて。」
静かに保健室のドアを出る。
閉めた瞬間に
俺は走り出した。
「いててっ……。」
立ち止まる。
自分に呆れて笑えてくる。
廊下の窓越しに空を見上げる。
水色とクリーム色のグラデーション。
ずっとずっと、
遠くまで広がっている。
―――――
川沿いの遊歩道を
2人並んで歩く。
涼は俺の足を気にしているようだが
不思議と痛くない。
試合の時の怪我に似てる。
その時は本当に痛くないんだ。
動けるし、走れる。
ただ、
あとから来る。
ベンチに戻ってからが地獄で、
帰宅してからは一晩悶える。
主治医が、
「アドレナリンだな」
って笑ってたっけ。
――俺、今、
アドレナリン出てるのか?
帰ったらまた、
痛みに悶えるのだろうか。
「今日の夕焼け、圧巻だね」
涼が川の向こうを指さした。
――息を飲む。
深く強いオレンジ色だ。
涼の髪が、
まつ毛が、
キラキラと琥珀色に光る。
俺の隅々まで血が巡る。
「あぁ……そうだな……。」
俺はどこを見てるんだろう。
圧巻の夕焼けなのか。
琥珀色のまつ毛なのか。
「快?足痛い?」
「あ。手当てサンキューな。
この通り、もう痛くないよ。」
「ホントに?
なんか大人しいから……。」
「四六時中、
バグ起こしてるわけじゃねーよ。」
「アハハ、バグ!
もはや故障じゃん!」
俺たちは笑って顔を見合わせた。
夕焼けが、
少しずつ彩度を落としていく。
風が、俺たちを撫でる。
「――快ってさ。」
「ん?」
「朝顔の蔓みたいだね」
「花じゃなくて?」
「うん、蔓。
好きに伸びてるようで、
肝心なところはしっかり掴まって、
ちゃんと、バランス取りに戻ってくる」
「分かりにくいけど、褒めてるの?」
「褒めてはない。」
ずっこける。
「褒めてないけど、
俺は、蔓みたいになりたい。」
「……。」
上手く言葉が出てこない。
俺はなんて言えばいい?
空気を察したように
涼が続ける。
ワントーン上がった声で。
「俺、編入する前は
自宅療養してたんだ。
――起立性調節障害って知ってる?」
「まぁ、人並みには。」
「そのうち何とかなるだろと思ってた。
でも試合中に倒れちゃって。」
「試合?――やっぱり!
お前、間違いなく
サッカー選手だよな?」
「これでも地元じゃ
名の知れた若手だったんだよ?」
涼がクスッと笑って、
俺の顔をのぞきこむ。
「お前、サッカーは……。」
「やめた。
気持ち悪くなっちゃうから。」
向こうの空を眺めながら歩く涼の顔は、
俺からは見えない。
でも、きっと笑ってる。
俺たちが歩く音だけが響く。
静かだ。
―――――
一週間が経とうとしていた。
涼の応急処置のおかげで
足は、まぁ大丈夫だ。
「うしっ!心機一転!」
久しぶりの部室。
黙々と着替えを済ませ、
スパイクを掴む。
「なぁ快、ちょっといい?」
靴紐を結びながら、顔も上げずに返す。
「なに。」
「あのさ、転校生の涼ってやつ。
サッカーやってたんだろ?
今日、人足りねぇし……
呼んできてくんね?」
手が止まる。
ほんの一瞬だけ。
「やだね。」
即答。
「は?なんでだよ。」
「本人にその気があるなら、
とっくに来てる。」
スパイクの埃を払う。
「無理に引っ張るもんじゃねぇよ。」
立ち上がって視線だけ向ける。
「俺は声かけねぇ。
お前らも、余計なことすんなよ。」
「つれねぇなぁ。いいじゃん。頼む!」
「い、や、だ!」
「なぁーーーー!」
「離せよ!じゃれつくな!」
「快ーーっ!先生が職員室来いって!」
困ってるところに救いの一手。
「この話は終わり!じゃ、後でな。」
みんなその場で脱力したが、
俺の知ったことではない。
