快の瞳が、
初めて俺をとらえた。
温かい気配。
低すぎない、ハスキーな声。
心地いい。
――観戦した日を思い出す。
快の温度を初めて感じた日。
うっかり、
行き倒れが目に入ったから、
とりあえず助けとくか。
――みたいな、
その、シンプルさ。
ふわっとベンチに
俺を下ろした時。
微かに震えてた、腕。
そして、
地面を踏みしめる、脚。
快の持つ全てから
紡ぎ出されるこの声。
俺の耳に、
頭に、
胸の奥に、
じわっと染み込んでいく。
自然と口元が緩む。
今きっと俺を見てる。
じっ……と。
目を開けたいな。
やぁ、って声をかけたい。
でも。
まだ我慢だ。
――突然、
慌てたように、
バタバタと足音が離れていく。
「良かったな。
朝練、間に合っちゃうぞ。」
小さく笑いがこぼれる。
――
胸の奥が、軽い。
ふわふわして、落ち着かない。
伝えられた。
「重心。」って。
それだけで、満たされる。
夕方になっても高揚感は続く。
「浮かれてるな。
クールダウンしよっと。」
外へ出た。
歩いていると、
遠くで聞こえる。
――あの足音。
足指がしっかりと、
綺麗に踏みしめる音。
足首。
膝。
腰。
バネを綺麗に使う、
あの独特のリズム。
音に誘われるように近づく。
――いた。……快。
ラダーに苦戦している。
……ああ。
うまくいかなかったんだろうな。
軽くストレッチをする。
力強くグーパー。
手首を振る。
手のひらが
じわっと赤くなる。
――よし、大丈夫だ。
さらに近づく。
声をかけるか。
やぁ、か?
それとも初めまして?
……違うな。
「……ラダーか」
口が勝手に動いた。
快が顔を上げる。
「俺からボール取ってみてよ。」
「は?遊んでる暇ねーよ。
――あっち行けよ。」
うっ……手厳しい。
まぁ、仕方ない。
「いいじゃん。
せっかく会ったんだから、
遊ぼ?」
来い――。
食いついて来い。
「くっそ!イラつく!」
快が髪をかきむしり、
乱暴に立ち上がる
「5分だけ!
すぐ終わりだからな!」
よし!
――食いついた!
チャンスだ。
俺にとっても、
お前にとっても。
駆ける。
足の裏から響く振動。
俺の体の隅々まで
走れ、
跳ねろ、
目を覚ませ!
ってノックしてくる。
楽しい。
体が喜んでる。
もっと早く知り合いたかった。
こんなにワクワクするなんて。
もっと走りたい。
もっと。
もっと――……ダメだ。
今は、伝えることがある。
スマホが鳴る。
――約束の5分。
終わりだ。
……名残惜しい。
スっと
距離を詰めた。
「ここで立て。」
快の胸に、指先をトンッ……。
言えた。
快の目がまっすぐ俺を見る。
「……また会えるか?」
トクッ……
胸が静かに、
深く、
波打つ。
そうか。
――俺は、お前に惚れてたんだ。
あの瞬間から。
「会えるよ。」
―――――
廉のクラスに編入した。
快の姿はない。
……なんだ。別クラスか。
その時。
ドタバタとドアが開く。
「遅刻じゃないけど、
遅刻しました!」
――快!
近くの生徒たちが
小声で話す。
「さっき一年女子に告られてた。」
「ついに彼女持ちになるかな。」
「えー、どんな子だった?」
胸が、
少しだけざらつく。
廉の席に近づき、
腰掛ける。
「なんて顔してんだよ。」
廉が笑う。
「いつも通りだよ。」
「おー怖。アイツの決まり文句
『ありがとう!でも、ごめんなさい!』
一貫してそれだよ」
「それが何。」
「訳すと、
『え?好き?嬉しい!でも無理ぃぃ』
The脳筋男。」
肩をすくめる廉。
思わず吹き出す。
―――――
保健室から
グラウンドはよく見える。
「人手不足だったから助かるわ。
ベッドは、
いつでも使っていいからね。」
「ありがとうございます。
八重咲き朝顔まで
置かせてもらってすみません。」
「いいのよ。
私の不在時にこうして
留守番してくれるんだもの。
特権よ。」
先生が口元でしーっとやる。
安堵の笑みがこぼれる。
「戸締り、僕がやっておきます。
鍵はちゃんと、
職員室に戻しておきますから。」
「よろしくね。」
保健室でひとり、
窓の外を眺める。
わっ!と声が響く。
「快っ!大丈夫か!」
……接触したな。
――来る。
テーピングはない。
なら――
棚から包帯、湿布、
ハサミ、テープを取り出す。
手を洗う。
程なくして、
ガラッ!
快が入ってきた。
ドクッ……
前より深く、胸が鳴る。
包帯を巻いていく。
視線を感じる。
じわっと汗が出る。
「……視線がうるさい」
静かだ。落ち着かない。
「あれ?あんな花咲いてた?」
助かった。
外へ出る。
珍しく、
饒舌に語ってしまった。
八重咲き朝顔に救われた。
―――――
職員室へ入っていく
ウェア姿の快を見つける。
……そうか。
今日から復帰するんだ。
良かったな、快。
廊下で
すれ違いざまに
部員たちの話し声が耳に入る。
「今日休み多くて、人数足りないな。」
「どうするよ。
ギリ、ゲームできないじゃん。」
気づけば、声をかけていた。
「あのさ――。」
そう。
欲が出たんだ。
快が怒っている。
でも、
嫌だ。やめない。
「大丈夫」と突き放す。
気持ちいい。
一緒に走ってる。
快、お前最高だよ。
なんで今頃出会ったんだ。
息が上がる。
全身が血で湧き上がる。
――クラクラしてきた。
まだだ。
まだやれる。
……まだ、
やらせてくれよ……。
グンッ。
体が浮いた。
……あれ?
病人に、
あまり優しくない力強さ。
不器用な温かさ。
うん、知ってる。
これが快だ。
―――――
ベッドに下ろされるなり
額まで布団を被る。
恥ずかしい。
無理して倒れるだと?
でも、誤解されたくない。
唇を噛む。
「なりたかったんだ!
お前と一番最初に走る相手!」
吐き出しながら、
布団から顔を出す。
ぅわ!
そんなに近づいていたのか!
驚いて見開く快の目。
まつ毛が
触れそうに近い。
ドクドクッ……
深く痛く、胸が鳴る。
呼吸が熱い。
……なんだこれ。
いつもの発作じゃない。
血が、駆け巡ってる。
このままだと
勘づかれるかもしれない。
冷静に。
何も知らないように。
フラットに。
「ごめん……。」
快が優しく頬に触れる。
「……俺、すごく怖かった。」
――震える声を落としてくる。
触れた鼻先。
ピンポイントで
快の体温を感じる。
今、伝えたい。
ずっと前から、
お前に惚れてたって。
俺だけが、
――お前の一番になりたい。
って。
―――――
保健室のベッドに寝転がる。
しんどいわけじゃない。
むしろ――満たされてる。
ぼんやりと、
白い天井を眺める。
ガラッ!!
「いた!保健室常駐犯だな!」
静けさを破って、
快が入ってくる。
上半身を起こす。
「部活前の仮眠だよ。」
「お前さ、
ベッドじゃなきゃ寝れねぇの?
いちいち仮眠で来るの
面倒くさくね?」
「……あー。」
少し考えてから答える。
「以前、外で寝たら死ぬって
忠告受けたから。」
「それは正しい。」
即答だ。
「外で寝たら確実に死ぬ。」
クッ……、吹き出す。
「笑いごとじゃねーぞ。マジだ。」
「それは雪山であって、
この陽気の中じゃ死なないよ。」
「また騙そうとしてるだろ。」
「またって……
一度も騙したことないよ。」
「残念でした!
俺はもう騙されねぇ!」
小さく息を吐いた。
「……君は何と戦ってるんだ」
「今バカにしたろ?」
快が身を乗り出し、
俺に、ぐんっと近づく。
「してないよ」
快のネクタイを掴む。
引き寄せる。
「えっ……ちょっ、涼っ?」
快が驚く。
構わずもう一度、
掴んだ拳を、引き寄せる。
顎をあげ、
そのまま、
唇が触れる。
一瞬のはずだった。
もっと。
ネクタイを握りしめる。
引き寄せる力が、
――更に強くなる。
快の手が、
俺の後頭部を包み込む。
グッ……
いつもながら、
優しくはないんだ。
力強く、温かい。
呼吸が、
深く
奪われる。
右へ
左へ
頭をかたむけては、
互いの温度を確かめ合う。
吐息が混ざる。
絡まる。
そうだ。
もう、俺も朝顔の蔓だ。
捕まって、捕まって
くるくると絡み合う。
ずっと、ほどけない。
―――――
静かな保健室。
窓の外のプランター。
八重咲きの朝顔は、閉じている。
――見ない見ない。
蕾が笑って揺れた。
