前世の記憶

 それからも僕は、頻繁にクラブで彼女と会った。特に約束をしたわけでもないのに、そこに行けば彼女がいるというのが、僕の日常の『当たり前』になっていた。その日もいつもと同じようにフロアテーブルに二人して腰掛け、たまに絡んでくる酔っ払い客を軽くあしらいながら談笑していた。
「なんかさ、夏って物悲しい気持ちになるよね?」
「それ、どちらかといえば冬に使われる言葉じゃない?」
「うーん、確かに。だけど、私はなんか夏の方が悲しくなるな」
「なんで悲しいの?」
「悲しいっていうより寂しいって感じかな? 夏ってみんなが開放的になって活気に溢れてるのにさ、なんか私だけ取り残されているようで一人ぼっちな感じがするんだよね」
「……なんか分かる気がする」
 当時の僕も、彼女と同じような気持ちで毎日を過ごしていた。それが夏により際立っているということまでは自覚していなかったが、思い返せば夏が近付くにつれ、僕はクラブに通う頻度が高くなっていた。
「おっ! 陽も分かってくれるのか。気が合うねえ」
 そう言うと、彼女は心なしか寂しげに微笑んでいた。
 そんな彼女に何て言葉を返して良いか分からずにいると、彼女が微笑んだまま顔をグイッとこちらに近付けてきた。彼女から発する酒の匂いと香水の匂いがブレンドされて、僕の鼻腔を刺激する。良い香りとは言えないものの独特な妖艶さをまとっていて、鼻から酔いが回りそうになる。
「陽、君が今まで見たもので一番綺麗なものって何?」
「急にどうしたの?」
「なんか、綺麗なものが見たい気持ちになった」
「うーん綺麗なものか、あっそれなら子供の頃に見た熊野の花火かな。母方のおばあちゃんが尾鷲に住んでることもあって、何回か見にいったことがあるんだ。あれは本当に綺麗だった」
「子供の頃って、今も子供じゃん!」
 そう言うと、彼女はクスクス笑っていた。
 その指摘が無性に恥ずかしくなった僕は、少し乱暴に次の言葉を紡いだ。
「うるせーな! もっと小さかった頃ってことだよ!」
「ごめんごめん。分かってるよ。何歳ぐらいの時に見たの?」
「親が言うには生まれてすぐと3才ぐらいにも行ったらしいんだけど、記憶になくてさ。俺の中で初めて見たのは小1か小2の夏だったと思う」
「なるほど! 幼き日の陽少年はいたく感動したと?」
「うん、そんな感じ。また見に行きたいな」
「行っちゃう?」
「えっ?」
「私と一緒に見に行っちゃう? 熊野の花火!」
「えっ? でも、どうやって?」
「そんなの電車で行けばいいでしょ? 熊野って確か三重県のめっちゃ南の方だよね?」
 幼少時に親の車でしか行ったことがなかった僕は、そんな単純なことにも思い至らなかった。
「あっそっか。電車か」
「逆に何があるのよ? 私18だけど免許持ってないし、陽にいたっては中学生じゃん!」
 自分も未成年にも関わらず、僕との間に線を引きたがる彼女の言葉に、僕は少しムッとした。
「高校生も中学生も同じ子供じゃん!」
「あっもしかして怒った? ごめんごめん。ねっ、一緒に電車で熊野行こ?」
 彼女からの誘いを、断ることもできたと思う。でも、僕は断ることをしなかった。それは、彼女が僕と同じで、どこか人生を諦めているように見えていたから。