二ヶ月後、説得の甲斐あって陸斗の入院が決まった。
とはいっても、これは全て『電話で陸斗から聞いた話』だ。
結衣とした約束を私は律儀に守り続けた。だから真実は分からない。さすがの陸斗も、大学まで押し掛けてくるような真似はしなかった。
だからだろうか。
どんどん増していった真実味。
二ヶ月間、ここまで頻回に死を仄めかすなんて並大抵の人間にできるとは思えなかった。
実際、死を仄めかす彼を泣きながら引き留め続ける日々は、私の精神を限界まで削り取っていた。
まあ、それも全て自分で選択したこと。
だから文句は言わない。
『今から入院だよ。明後日手術で、一カ月は入院することになると思う』
『うん。治りますようにって祈ってるから』
『もし完治できたら……一度だけでいい。会ってくれる?』
メッセージと共に送られてきたのは病院前で撮られた一枚の写真。
病院名が刻まれた、銅色のプレート。その隣のガラス扉に反射した陸斗の姿がほんの一部だけ映り込んでいた。
その一瞬の映り込みから、彼が最後に会った日より酷く体重を落としたことがわかる。
やっぱり……本当なんだ。
現実と共に押し寄せた、身勝手でどうしようもない同情心。
少し悩んで、私は慎重にメッセージを打ち込んだ。
『ちゃんと手術が成功したらね』
『生きる希望ができたよ。絶対成功して、連絡するから』
どうやら私、恋愛映画のヒロインだったらしい。
まあ、本当に映画だったら彼は死ぬけど。
これが物語のお約束だ。
再会を誓った二人の願いが叶う結末よりも、叶わなかった虚しさと涙に、人はより心を動かされるものだ。
でもこれは物語じゃない。
陸斗の手術はあっけなく、無事に成功した。
手術翌日から、陸斗は実況者の如く私にメッセージを送り続けた。傷口の痛みに耐え、同室者のイビキに耐え、そんな不幸の中で生きる自分を褒めて欲しいと、まるで無垢な仔犬のように私に甘えてくる。
私は律儀に返信し続けた。
彼の甘えを全て受け止め、彼の欲するままの言葉を返す。
手術が終わって一週間後。
陸斗の体調はかなり良さそうだった。
メッセージ上だけだが、あの沈んだ重たいメッセージが来ることもない。
――時は来た。
空気の冷たい、日曜日の朝。
私は玄関で靴を履いて、ドアノブに手をかける。
「お姉ちゃん、本気?」
「うん。陸斗が本当に入院してるか確かめてくる」
手術が成功したら会うという約束。
それを『お見舞い』という形で果たすのだ。
突然の訪問にすることで理由をつけて断られたり、相手が準備する隙を与えない。
積もり積もった不信感。彼の口や指から紡がれる言葉が本当かどうか、今日確かめる。
私は電車を乗り継ぎ、彼があの日入院した病院へと向かった。
名前と看板を確認し、教えられていた病院に間違いがないか確かめる。
「あの、すいません。藤村陸斗さんの入院病棟を教えてください」
「はい、お待ちくださいね」
受付にいる女性に尋ねると、彼女はすぐさまパソコンのキーボードを叩いた。
患者の情報が入っているのだろう。ちなみに、病院へ一人でお見舞いに行ったのはこの日が初めて。
緊張を抑えつけながら静かに待っていると、受付の女性は少し首を傾げて私を見た。
「すいません。そのような患者様は入院しておられません」
「え……そんなはずは。心臓の手術をしたんですけど……」
名前をもう一度確認しても、彼女は首を振った。
ざわりと胸に嫌な予感が走る。一度病院の外に出た私は、スマホを取り出しすぐに結衣に電話をかけた。
「結衣。陸斗いなかった」
「……そんなことだろうと思った。陸斗に連絡は?」
「まだしてない。でも、1時間前に退屈だって連絡はあったよ」
「じゃあ、陸斗にお見舞いに来たって連絡しよう。それでさ……」
結衣の提案にうんうんと頷きを返す。
一人ではないということが、これほど心強いものだとは思わなかった。
私はもう一度病院の玄関口に足を一歩踏み入れた。
『今近くを通ったからお見舞いに来たよ。心臓外科に行けばいいんだよね?』
突然送ったメッセージ。
送ったと同時に私は案内板を見ながら、入院病棟へと足を進めた。
心臓外科は6階。通い慣れた見舞客の顔をしながら、休日で静かな廊下を進み、エレベーターに乗り込む。
エレベーターを降りてすぐのナースステーション前は足早に通過した。
マナー的にも良くないことを自覚しつつ、病室が立ち並ぶ廊下のネームプレートを一つずつ覗いていく。
藤村陸斗、藤村陸斗、藤村陸斗……
全ての病室を確認したが、そんな患者は心臓外科のどこにも入院していなかった。
病棟が違うなんて話も聞いていない。
……陸斗の話は嘘だったんだ。
その嘘はどこから?
騙されていたという悲しみよりも、ようやく終わったという安堵が胸いっぱいに広がる。
それを実感したことで、私はようやく決意を固めた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
自宅に帰ってもなお、私の送ったメッセージに既読はない。
リビングのソファーに座った私は陸斗にメッセージを送った。
『今病院を出たよ。心臓外科の入院病棟まで行ったんだけど、藤村陸斗なんて患者はいないって言われた。どういうこと?』
その返信が返ってきたのは数分後。
『ごめん! 検査に行ってて気づかなかった! 病院には面会拒否でお願いしていたからそう言われたのかも!』
そっか……それなら仕方ないね。
なんて思うわけない。私は全ての病室を確認したのだ。
流石に個室の中までは確認していないけれど、同室患者のイビキで眠れないというメッセージだってある。
『もう嘘はいいよ。私にはどこからが嘘で、どこからが本当なのかもう分からない。でも、もう陸斗のこと信用できなくなった。手術の成功おめでとう。お元気で。さようなら』
私はそのメッセージを最後に陸斗をブロックした。
口からは大きなため息が漏れる。
「お姉ちゃん! お疲れ様!」
「……ありがとう。結衣のおかげ」
「まぁ、決断が遅すぎだけどね」
「う……まあでもちゃんと納得はできた。どこまでが嘘なのかは……結局分からないままだけどさ」
私の苦笑いに、結衣は少し考えるように視線を上に向けた。
そしてすぐ、悪どい笑みを浮かべる。
「いいこと考えた。ちょっとスマホ貸して」
「何するの?」
「妹と繋がった時、電話番号をアドレス帳に入れたんでしょ?」
結衣は私のアドレス帳から藤村佳奈を見つけ出し、そこに表示された電話番号を自分のスマホに打ち込んだ。
「本当に双子の妹がいるのか確かめてみようよ」
結衣のスマホのスピーカーから響く呼び出し音。
数回のコールの後、音が途切れる。
『……はい』
電話に出たその声は、紛れもなく陸斗のものだった。
結衣は確信を得たように一度深く頷くと、そのまま無言で電話を切った。
「うん、自作自演だったね。お疲れ様」
架空の妹を生み出してまでして彼女と連絡を取るメリットが何一つ理解できない。
ただ、ひたすらに気持ち悪さだけが残った。
気づくと肌が粟立っている。人は本当に理解できないモノに出会うと、嫌悪を通り越して恐怖を感じるらしい。
「本当に……どこまでが嘘だったんだろう」
「スマホが2台あることは間違い無いよね。気になるけど、もう連絡は取らないでよ?」
「うん。もちろん二度と連絡しない」
どこまでが嘘だったのか。
藤村陸斗とは何者だったのか。
残した謎に僅かな引っ掛かりを覚えながらも、私は悪夢のような恋だったと割り切り、忘れることにした。
写真は全て消去し、貰ったプレゼントは捨てて、何の形も残さない。
まあ、こんな人間もいるのだと教訓だけは残していったけれど。
藤村陸斗。私に悪夢のような恋を残していった人。
彼の真実が少し明らかになるのは、それから二年先のことだった――
