悪夢みたいな恋だった


「お姉ちゃんさ、映画の主人公にでもなったつもり?」

 私の予想を裏切る結衣の言葉に、涙が引っ込んで涙腺の奥がツンと痛んだ。
 結衣はため息を吐きながらキッチンに立ち、私にココアを作って差し出した。

「映画でよく見る恋人が病気になるあれじゃん。まあ、元彼だけど」

「でも……! 待ち伏せとかもされてないし、ずっと車が走ってる音が聞こえてた!!」

「うん、その辺の普通は一旦忘れよう。まず、都合が良すぎない? 別れてすぐ、都合よく心臓病ってご都合主義にも程があるでしょ。これは現実。お花畑から帰ってきて?」

 結衣の言葉はもっともだ。
 でも、現実は小説よりも奇なりなんて言葉もある。
 
 あの沈んだ声、背後で響くエンジン音。
 体験した側だからこそ、嘘だなんて思えなかった。

「でも……あそこで見捨てろって言うの? 『そうなんだ! 三途の川、頑張って渡り切ってね!』なんて、そんなこと言えないよぉ……」

「いや、誰もそこまで言えとは言ってないよ。ただお姉ちゃんは恋愛映画の主人公タイプじゃないから。どちらかと言えばホラー映画の冒頭に死ぬ演出キャラだから」

「……5分は出番が欲しい」

「身の程を知って諦めて」

 軽いやりとりを挟みながらも、私の心は沈んだままだ。
 ありえないとはわかってる。
 いまだに陸斗がどんな人間なのか私も知らない。
 ただ、怪しい点しかないということ。
 半年以上付き合って、知っているのはそれだけだ。

 その時、スマホの通知が鳴った。
 相手は――アダルト女優アイコン『佳奈ちゃん』だ。

『陸斗から、話は聞きましたか? こんなこと、頼める立場じゃないってわかってます。でも、もう麻衣ちゃんしか助けられる人はいなくて』

 何通も積み上がったメッセージ。
 一気に既読をつけた私は、その画面を結衣に無言で差し出した。
 
 結衣はひくりと頬を引き攣らせながら「うわぁ」と声を漏らす。

「わかってると思うけど、そもそも双子の妹自体、実在しているのか怪しいんだからね?」

「それはわかってる。でも、もし本当だったらどうしよう……」

「それはお姉ちゃんには関係ないし、関わるべきじゃないよ」

「でもっ……」

 助けを求める人を見捨てること。それは、私の中で明確な悪だった。信じなくて後悔するよりは、騙されて後悔した方がいい。
 それが、二十歳の私がこれまでの人生で培ってきた倫理観だった。
 
 同じ親から産まれ、同じように育てられたにも関わらず、結衣がここまで突き放せることに驚きを隠せない。

 結衣は譲れない私の倫理観を察して小さくため息を吐いた。

「じゃあ、自分の思うようにやってみなよ。ただ、それで会ったり、付き合うのはなしだからね。お姉ちゃんが刺されるなんてごめんだし、同情で付き合うことだって不誠実なんだから」

「……わかってる」

 陸斗と付き合った時間は確かに私の中に存在している。
 積み上がったのは不信感だけだったけれど、私が彼に何かを差し出すことがなかったからこそ、簡単に切り捨てることはできなかった。

 それから――
 陸斗は隔日おきに連絡を寄越してきた。
 大半は「そばにいてほしい」という復縁を願う言葉。時には、今から飛び降りるというような思い詰めた連絡。
 
 私は彼を必死に引き留め続けた。
 彼の嘘すら利用して「佳奈ちゃんが悲しむよ」なんて言葉を重ねながら、彼に五分五分と言われた手術を勧める。
 
 そんな最中、私に怪訝な顔で話しかけてきたのは、陸斗と出会ったあの日、一緒にいた友人だった。

「ねぇ、なんか陸斗の友達から連絡が来たんだけど」

「え……なんて?」

「麻衣がヨリを戻すように説得して欲しいって」

 あの日、連絡先を交換し合った私と陸斗。その傍で彼らも交換し合っていた。でも、友達はデートすら一度もすることなく、やり取りもすぐに途絶えていたらしい。

 そんな相手からの突然の連絡。
 実際の友人を巻き込んだことで、彼の話に真実味が増した。心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような、得体の知れない不快感が走る。

「麻衣、順調そうだったじゃん。なんで別れたの?」

「なんか……こう、怖くて」

 マッチングアプリの綺麗事しか書かれていないプロフィールをずっと眺めているだけのような陸斗の話が。
 気に食わないことがあると私の手首を強く握るところが。
 自称妹のアイコンが、アダルト女優だということも。

 でもうまく言えない。
 それを伝えたところで、嘘っぽく聞こえる気がして。

「まあ、麻衣が決めることだけど、伝えるって約束したからそれだけ!」

 どこまでが嘘でどこまでが本当なのだろうか。
 そんな出口のない答えの中、スマホの通知だけが存在を主張するようにバッグの中で鳴り続けていた。