悪夢みたいな恋だった


 始まったものは、いつか必ず終わる。
 それは恋も、夏休みも同じだ。
 陸斗を避け続けた夏休みがついに終わりを迎えた。

「お姉ちゃん、本当気をつけてよね」

 同じく夏休みの間、変装や身辺への注意を強いられていた結衣が、私を玄関で見送った。心配そうな結衣に頷きを返して家を出る。

 講義の合間に、何度も駐車場を確認する私。
「また彼氏のこと探してる」なんて友達のからかいの言葉に、苦笑いで返しながら気持ちだけが張り詰める。

 結局、その日陸斗の車はなかった。
 次の日も、その次の日も。

 下校時間に接触されることも、付きまとわれている様子もない。
 ああ、終わったんだ。
 晴れやかな気持ちが、疲れ切った心を浄化していく。

 私は一週間後、妹に晩御飯をご馳走した。二人でカラオケにも行って、テンションの高い歌で全ての思い出を声と共に吐き出した。

 さあ、次の恋を探しに行こう。
 すぐに見つかるわけもないけれど、今度はせめてまともな人間で!

「普通が一番難しいんだよお姉ちゃん」

 心を読んだかのように不吉な言葉を吐く結衣にぎくりと肩を震わせながらも、私は彼氏のいない平凡で平和な日常に戻った。

 ――その三ヶ月後。
 
『心臓病が見つかった。あと半年の命だって』

 講義中、突然届いたメッセージ。
 私は驚きのあまり、よく確認もせず通知を開いた。
 全てのメッセージに付く既読。それを見て、しまったと思った。
 メッセージの送り主は――陸斗だった。

『やっぱりブロックしてなかったんだね。麻衣にお願いがある。最後の時間まで一緒にいてほしい』

 平凡な女の元に突然降ってくる、恋愛映画の主役の座。
 別れた恋人が不治の病だったっていうお決まりのパターン。他人の不幸に巻き込まれるやつ。
 いや、他人じゃなくて元彼だけど。
 私は急いでホーム画面に戻った。
 これはまずい。絶対に良くない。

 その間も、届き続けるメッセージ。
 何が正解か分からない。ただ、只事じゃないことだけは分かる。
 講義なんて全く頭に入ってこない。視線を机の下に落とし、彼が送ってくる必死の訴えを、息を潜めて目で追った。

 その日の講義が全て終わり、私は玄関口とは正反対の階段を駆け上がった。
 窓の下に広がる駐車場から目を凝らして彼の車を探す。

「いない……本当なのかも……」

 私は通話アプリを開き、陸斗に電話をかけた。
 何が起こっているのかを正確に知りたい。ただそれだけの気持ちで。
 数回のコールの後、沈み切った彼の声が耳に届く。

『あ……麻衣。久しぶり』

『久しぶり……ねぇ、あのメッセージ本当なの?』

『うん』

 暗い声の背後から、車のエンジン音が耳に届く。
 病院に行った帰り?
 でも、連絡を受けてからすでに数時間が経っていた。

「もしかして、車に乗ってる? どこに向かってるの?」

『ああ……なんか生きていても仕方ないなと思ってさ。麻衣とも別れたし、誰からも必要とされているわけじゃない。だから死ねる場所を探しに向かってるところ』

 ヒュッ、と喉が鳴った。
 まるで、私のせいで死ぬと言っているように聞こえて。

「ちょっと落ち着いて! すぐ車停めて!」

『どうして? だってもう俺のことなんてどうでもいいんでしょ?』

 一度は好きになった人だ。
 どうでもいいと電話を切るわけにはいかなかった。

「どうでもよくなんかない! 死んだら悲しいし、すごく嫌だ……! だから車停めて!」

『手術しても五分五分の成功率で、完全に良くなる保証はないんだ。だからこのまま消えさせて』

 言い合いは2時間続いた。
 人が死ぬかもしれない。そんな恐怖に包まれ続けた私は、必死に彼を説得し続ける。車のエンジン音はさながら映画のエンドロールのように感じた。縋るように私を求める彼の言葉。

 それでも「そばにいる」と頷くことができなかったのは、これまでの不信感の積み重ねがあったから。
 
 このエンドロールを終わらせてはいけない。ただそれだけの思いで頷くことなく言葉を重ねる。
 これが終点に辿りついた時点で、私は人殺しも同然なんだと心はどんどんすり減っていった。
 
 電話をようやく切った頃、私は身も心も疲れ切っていた。
 それでも、なんとか言葉を重ね彼を引き返させた。
 私は、彼の死を防いだのだ。

 家に帰った時、すでに陽は落ちかけていて街頭はすでに灯っていた。

「おかえりー」

 扉を開けると、普段通りの結衣がこちらに視線を向ける。
 一気に蘇る恐怖に視界が滲んだ。

「ゆ……結衣ぃ……」

「え、どうしたの!?」

 私は荷物を投げ出し、結衣に今日の顛末を話した。
 思わず開けたメッセージ。
 陸斗へ電話をかけたこと。
 死に向かう彼を必死に止めたこと。

 顔を上げると、全てを語り終えた私を見つめる結衣の顔から、一切の表情が消え失せていた。

「……いや、嘘でしょ」

 全てを否定する、一言。
 信じられないと冷めた眼差しを向けたのは、私の話に対してではない。

 愚かにもまた彼に絡め取られた、私自身に対してだった。