悪夢みたいな恋だった


『ごめん、もう別れたい』

 このメッセージを陸斗に送ったのは、大学が夏休みに入ってすぐのことだった。
 夏休みまで時間がかかったのは、未練があったからじゃない。
 佳奈ちゃんの使うアイコンがアダルトビデオのパッケージだった事実を知った私。学校前の駐車場に停まる彼の車も、そこから手を振る彼に対しても、これまでとは当然見方が変わってくる。
 優しい理想の彼氏は、私の中で不気味な謎の男になっていた。
 その私の心情の変化を、陸斗は一瞬で見破ったのだ。
 
 陸斗の嘘を暴いたあの日を境に、彼の態度がまた変化した。
 砂糖菓子を吐き出すような甘い言葉を囁きながら、その一方で、私の手首を折らんばかりの力で握りしめてくる。
 それが、逃げ場のない車内で行われるのだ。

 あ、これ別れ話をしたら死ぬな。

 そんな直感的な何かが、私の喉を詰まらせた。
 必死に笑顔を貼り付けて、何事もなかったように振る舞う。
 そんな選択肢を取ることしか私にはできなかった。

 一方、アダルト女優のアイコンを使う『佳奈ちゃん』は、私の不信感を暴こうと必死だった。

『お兄ちゃんが不安になっていて、何かありましたか?』

 そんなメッセージが毎日のように届く。
 当然返信は『何もないよ』の一択だ。
 ただ、佳奈ちゃんはそんな言葉で納得するはずもなかった。

『お兄ちゃんは、本当に麻衣ちゃんが大好きなんです』
『ずっと二人には一緒にいてほしい』
『麻衣ちゃんはもっとお兄ちゃんの気持ちを知ってほしい』
『お兄ちゃんを悲しませるようなことはしないでください』

 まだ別れ話をしていないにも関わらず、恐怖を感じるほどのメッセージの嵐が私を襲った。
 一言一句に気を配りながら、当たり障りのない返信を二人分。
 送れば送るほど、佳奈ちゃんに送った内容と、陸斗に送った内容が、鏡合わせのように同期している気がして吐き気がした。
 やり取りの全てが、私の精神を削っていく。

 そしてようやく大学が夏休みに入り、待ち伏せの恐怖から解放されたと同時に私は別れ話を切り出したのだ。
 
 すぐにかかってくる電話にも、もちろん応答しない。
 それは直接会話をすることで私が言いくるめられることを防ぐため。結衣のアイディアだ。
 私の性格を完全に見抜いた対策に、「姉」の座を返上すべきか本気で悩んだ。

『ごめん、もう私は陸斗が信じられない。今までありがとう』

 一方的な別れを突きつけた私は、何日ものストレスと恐怖から解放されて歓喜の声を上げた。
 陸斗と佳奈ちゃんの連絡先をブロックしようか迷ったが、かろうじて踏みとどまった。
 完全にシャットダウンすることで逆上されるのも怖いしね。

 数日間、双方から何度も連絡が届いたが、私は既読すらもつけず見守った。

 早く諦めてほしい。
 愛がなくなった今、陸斗に願うのはただそれだけ。
 でも、その願いは儚くもすぐに散ることになる。

 むしろここからが悪夢の始まりだった。

 別れを切り出して五日後、普段より遅い時間に帰宅した結衣は洋菓子店の箱を持って帰ってきた。

「お姉ちゃん。なんか……陸斗さんに会ったんだけど」

 彼氏がいることを両親に話していなかった私は、陸斗に家の場所を教えていなかった。
 デート終わりはいつも家から近いコンビニで別れていたのだ。

 そのコンビニに張り込んでいた彼と、結衣は出会ってしまったのである。
 結衣は顔を引き攣らせながら、私に箱を手渡した。
 中には様々な種類のケーキがぎっしりと詰め込まれている。

「お姉ちゃん、私の写真見せたでしょ? いきなり話しかけられて、お姉ちゃんと話させてほしい。仲を取り持って欲しいって言われたんだけど」

 確かに何度か見せた家族写真。でも、写真を渡したわけじゃない。
 結衣と私は確かに似ているとはいえ、数度写真で見ただけの妹の顔を覚えているなんて思わなかった。
 似た背格好の人を見つけるたび、片っ端から声をかけたのだろうか。

 背筋に冷たいものが走る。

「ご……ごめん。怖かったよね!?」

「分からないですって言って逃げ切ったよ。ケーキは渡されたけど」

 どこで買ったかもわからない大量のケーキ。
 ツヤ出しのために塗られたナパージュが高級感を演出し、甘く美味しそうに見せている。
 それは、彼の執着がまだ終わっていないことを静かに私に告げていた。

「お姉ちゃん、とりあえず外歩く時は気をつけて。あのコンビニも使っちゃダメ」

「バイトはどうしよう……」

「バイト先はバレてるの?」

「うん……場所は知らないけど、家の近くのスーパーで働いてることは話しちゃった」

 結衣はすぐにスマホで近くのスーパーを検索した。
 徒歩圏内にあるスーパーは三件。
 近くのコンビニで会えるかどうかも分からない私を張り込み続けた彼ならば、調べていても不思議はない。

「刺されたくなかったら、しばらく休もう。あと、時間も変えて」

「そうする……」

 私はすぐに店長に事情を説明し、シフトの調整を行なった。
 外に出る時は、さながら芸能人のように帽子とマスクで変装をする。
 別れた元彼に怯える日々がこうして幕を開けた。