悪夢みたいな恋だった


 たとえ一時目を背けても、一度引っかかった不信感は音もなく積もっていく。

 付き合いが半年を超えた頃、その不信感は無視できない大きさに膨れ上がっていた。

 相変わらず食べさせられる、大量の食事。
 平日は変わらずデートをするものの、休日に彼と会うこともない。
 この半年間、夜間に陸斗と電話をしたのは数えるほどで、しかもこちらからかけると彼は大抵外にいた。
 
 一度、彼のマンションがある駅に用事があり、ふと連絡を取った時も家にお邪魔することはなかった。
 その日、陸斗は休みだと聞いていたのに。
 直前まで連絡を取り合い、家にいることも確認していたのにも関わらず、会うことも遊びに行くことも叶わなかったのだ。

 急な仕事が入ったとかで?
 まんまと煙に巻かれたのである。

 愛されていることは十分に伝わっているものの、積もっていく不信感。
 私は恋愛脳から脱却しようとしていた。

「うん、気づくの遅すぎ。絶対怪しいよ」

 両親が寝室に行き、二人きりのリビングで結衣は冷たく私に言い放つ。

「でもさ、お金を要求されるわけでも、壺を買わされるわけでもないんだよ? デート代だって、ほとんど陸斗が払ってくれるんだもん」

「それでも、半年付き合って丸一日デートをしたことがないって異常性にそろそろ気づこうよ」

 冷たい。佳奈ちゃんとは大違いだ。
 でも、私も不安に思っていた。
 医療機器メーカーの営業職なんて縁のない仕事ではあるけれど、週休2日はあるはずだ。平日は仕事だと言っている以上、休日はカレンダー通りに休みなはずだ。労働基準法的に。

「そもそも、一人暮らしなのに家に行ったことがないってのもおかしいでしょ」

「そうなんだよね。前に陸斗が住んでいるマンションの最寄駅で用事があったから連絡を取ったんだけど……」

「っていうかさ。そもそも本当にそこに住んでるの? お姉ちゃんの学校まで、高速を使っても一時間以上かかるでしょ?」

 ぎくり。
 そんな擬音が甘い思考を殴りつける。
 陸斗が住んでいるのは隣の県。でも、具体的な場所は知らない。彼が前に語った最寄駅だけが、私の知る彼の居住地の情報だった。
 
 そこから私の学校までは高速で1時間以上かかる。転職する際、そんな自宅から遠い勤務地を選ぶだろうか。

「……私と会いやすくするためにとか?」

「バカじゃないの? 仕事舐めんな」

 二つ下、10代の妹に舐めるなと言われる不甲斐なさを感じながら私はソファーで膝を抱えた。

「お姉ちゃんが前に見た謎の現金とかさ、週に何度もある平日デートとかさ、怪しさしかないでしょ」

「だよね。だって本当、いつ働いているのって言いたくなるくらい学校の前の駐車場にいるんだもん」

「一周回って怖いわ」

 結衣はどうしようもない生き物を見るような目で私を見据えた。
 少し思考を巡らせるように唸った結衣は「写真送らせようよ」と突然口を開く。

「写真?」

「そう。今もやり取りしてるんでしょ? 家の中の写真を撮ってもらおうよ」

「え……どうして写真なんか」

「私は既婚者を疑っている」

「既婚者」

 不倫。不貞行為。背信。密通。姦通。
 その果ての慰謝料という言葉が脳裏に浮かび上がる。
 背筋に冷たいものが走るのを感じながら、スマホの画面に視線を落とした。

『お風呂上がったよ。今日もお疲れ様』

 同時に、彼からの優しいメッセージが通知音を鳴らした。
 既婚者なのだろうか。
 それなら、夜に彼から電話がない理由も納得がいく。
 私がかけた時は、どんなに夜遅くとも外で電話を取るしね。そして電話が終わるまで絶対家の中に入らないのだ。
 でも、家族がいるならば彼の平日の行動に説明がつかない気もする。
 
 週に三日以上、不倫相手の学校前の駐車場で過ごす既婚者なんて成立するのだろうか。
 ダッシュボードの謎の現金。あのお金の出所も不明のままだ。

「一つずつはっきりさせよう。家の中の写真を撮って貰えば、ある程度の情報が分かるでしょ」

「うん……」

 頼もしさを感じる妹の助言に従いながら、私は重い指先で陸斗にメッセージを送った。
 さりげなさを演出しながら『陸斗の住んでる部屋が見たい』とお願いする。
 掃除をしていないからと渋る陸斗を、私は強引に押し切った。

『仕方ないなぁ。恥ずかしいから一部だけね?』

 彼から届いたのは、室内から撮影された窓辺の写真だった。
 窓の隣には、大きなクマのぬいぐるみが鎮座していた。
 一般的な窓の大きさから考えると、1メートルはあるような巨大なぬいぐるみだ。
 それ以外には何一つ写っていなかった。
 カーペットも、テーブルも、ベッドも。
 生活の痕跡を何一つ感じさせない、窓とクマのぬいぐるみ。それだけの写真。

 しかも、窓のシャッターが下りていて外の景色すら見ることは叶わない。

「……黒じゃない? どこの世界に、シャッターを下ろしっぱなしの部屋で巨大なクマと暮らす独身男がいるんだよ」

「いやでも、陸斗デザイナーだったから。ドラマとかじゃオシャレで高いマンションに住んでるでしょ? デザイナーって」

「お姉ちゃん、そろそろお花畑から帰ってきてもらっていい?」
 
 辛辣極まりない結衣の言葉に私は声を詰まらせることしかできなかった。
 それでも、という小さな希望の糸を手繰るように、私は佳奈ちゃんとのトーク画面を表示する。

「でも見てよ。妹さんとも繋がってるんだよ?」

「会ったことあるの?」

「ないけど」

「どこに住んでるの?」

「実家」

「どこの県?」

「……知らない。でも結構連絡は取ってるよ?」

 私が佳奈ちゃんと連絡を取り合うようになった経緯、これまでの会話を語ると、結衣の目はどんどん冷たくなっていく。
 私の話にいくつか挟まれる結衣の質問。
 質問と同時に、陸斗について私は彼の話す内容しか知らないという事実が突きつけられる。

「もういいわ。ちょっとそのアイコンをスクショして私に送って」

「え? 人様の写真を!?」

「今は常識と倫理観に用事はないから早く」

 渋々写真を送ると、結衣はそれを画像の検索エンジンに放り込んだ。
 そこに表示された検索結果に、私は目を見開いた。

「うん、お姉ちゃん。別れようか?」

 佳奈ちゃんのアイコン。
 その写真に使われていたのは、アダルトビデオの商品パッケージの写真だった。