陸斗はマメに連絡を返す人だった。
朝起きたら「おはよう」寝る前に「おやすみ」と永遠に終わらないやり取りが続く。
内容のないやり取りも、苦痛に感じることは微塵もなかった。どんな内容ですらメッセージが来たという事実がひたすらに嬉しい。
授業と授業の合間に、必ずチェックするスマホ。
普段は他愛ない返信のみだが、新しい仕事に就いてからの陸斗からはたまに嬉しい連絡が入る。
『今学校前の駐車場だよ。待機時間があったから、ここに停めちゃった』
そのメッセージを見た私は、友人との話を抜けて駐車場の見える階へと駆け上がる。
最上階の大きな窓。その眼下にある駐車場には、陸斗の車が停まっていた。メッセージの返信と共に私が手を振ると、運転席にいた陸斗が外に出て手を振りかえしてくれる。
今日も私たちはラブラブだ。
『講義終わるの何時? 待ってるからご飯行こうよ』
『16時! 行きたーい!』
友達の誘いも断り、駐車場で待つ陸斗と合流。
そのままドライブし、夕食を摂り、時にはホテルへ。
そんな日が週3日から4日ある。
そう――少なくとも週3日あるのだ。
週5日ある平日のうちの3日である。
休日は朝から夕方までバイトを入れていた私にとって、平日の方が遊びやすかった。陸斗が住んでいるのも隣の県だ。
休日にバイトを休み、毎回迎えに来てくれる陸斗を県外から呼び出すよりも、平日の夕方にデートした方が現実的で金銭的にも時間的にも互いに優しい。
でも真っ当な社会人が、平日の16時から週3回のデートなんてできるものだろうか。
とても順調なはずなのに、私の心に積もっていったのは小さな不信感だった。
今日も学校が見える駐車場から、彼が手を振っている。
「騙されてるんじゃないの?」
陸斗を見るたび、何度も掠める結衣の言葉。
優しいのに。楽しいのに。
会う回数を重ねるほど、不安が募っていく。
「ねぇ、結構会ってるけどさ。仕事とか大丈夫なの?」
「え?」
学校終わり。陸斗の車の中で、私はついに積もり積もった疑問を彼にぶつけた。
先ほどまで仕事の苦労を語っていた陸斗が、わずかに目を見開いた。
「大丈夫だよ。ちゃんと仕事はしてるし」
「でも、ご飯とか……いつも奢ってもらってるし……仕事も変えたばかりなのに、こんなに会ってていいのかなって……」
「ちゃんとお金あるから大丈夫。ほら見てみ?」
陸斗は車のダッシュボードから封筒を取り出した。
どこにでもある茶封筒。開けると、中にはずっしりと厚みのある札束が詰まっていた。
札束なんて普段見る機会などない私だが、一目見ただけでも50枚は入っているように見える。
いや、もっとかも。こんな厚みのある現金の束、見た事ない。
「……これ、何のお金?」
「俺のお金だって。だから麻衣は何の心配もいらないよ」
陸斗の左手が私の右手を握る。
私の手より二周りは大きくて温かい彼の手。
心配いらないという彼の言葉も、車のダッシュボードから出てきた謎の現金が打ち消していく。
「でも……っ」
私が反論の声を上げた瞬間――
大きな彼の手にギュッと力が入った。
「……いたっ!!」
「ほら、今日は何食べたい?」
これ以上話を広げるなとでも言いたげに、笑顔を浮かべる彼の瞳は冷たく私を見据えていた。
飛び出しかけた言葉は、一瞬で喉の奥に鳴りを潜める。
強く握られた手を振り解くことすらできず、肉食獣と同じ檻に放り込まれたような緊張感が車内を満たした。
「……えっと、ラーメンとか……」
「わかった。美味しいとこがあるから、そこに行こうか」
エンジン音が響く車内。
陸斗の手は私を掴んだまま離さなかった。
そしてふと思い出したかのように強く握る。
押しつぶされるような鈍痛を意識から外して、私はただ彼に笑いかけ続けた。
その日から、陸斗の行動が変化した。
外食の際、信じられないほどの量を注文する。
元々、食事を残すことに否定的な家庭で育った私にとって、それは胸が痛くなるような光景だった。
「食べきれないなら無理しなくていいよ? 麻衣に美味しいものを食べて欲しいだけで、全部食べられるとは思ってないから」
「う……ん。でも、ほら、もったいないから……」
なぜ? どうして?
食べ切れないと分かっていて、どうして注文するの?
疑問だけが何度も頭に浮かぶ中、陸斗の謎の大量注文は続いた。
最初は美味しいものをたくさん食べさせてあげたいという彼の気持ちが嬉しかった私も、食べきれない量の注文を繰り返す彼に不信感が募る。
陸斗は差し出すばかりで、自分はあまり食べずに、じっと見つめてくるばかり。
「麻衣が美味しそうに食べているところを見るのが好きなんだ」
優しい笑みを浮かべて、追加で注文された食事やデザートを差し出す彼に、養豚場の豚にでもなったような気分だった。
じゃあどうして別れないのか。それは、もし私の思い過ごしであった場合、後悔するのではないかという思いがあったから。
恋愛脳は「やらない理由」を生み出すのに、実に都合のいいようにできている。
そんなある日、陸斗から「お願いがある」と私は話を持ちかけられた。
もし、犯罪やマルチ商法の勧誘なら、大手を振って陸斗に別れを告げることができただろう。
小さな不信感を決定づける、そんな出来事を私は無意識のうちに探していた。
続きを促すと、彼は少し気まずそうに視線を逸らして口を開く。
「実はさ、妹と友達になって欲しいんだよね」
「妹さん?」
陸斗から、家族の話を聞いたのは初めてだった。
この話があった時に初めて、私は彼の家族構成も知らなかったことに気づいた。
でも、今それはどうでもいい。
私は怪しい勧誘でないことにホッと胸を撫で下ろしながら、彼に話の続きを促した。
「今まで家族の話をしなかった理由がさ、実は妹のことで……」
私が思い浮かべることのできる「理由」に妹が関わるような事象は存在しなくて、つい身構える。
その空気を察したように、陸斗は儚げな表情を浮かべた。
「俺の妹さ……耳が聞こえないんだよね。俺、実は双子なんだけど、妹だけ障害があるんだ」
「なんだぁ……そんなことかぁ」
聴覚障害のある肉親がいることが、なぜ話せない理由になるのか理解できなかった私は一瞬で肩の力を抜いた。
私は今年二十歳になったばかり。まだ学生で実家暮らしの世間知らずの若造だ。
無知であることは重々承知していたし、聴覚障害の肉親がいる苦労なんて考えたこともなかった。
「全然知らなかったよ。話してくれてありがとう。それで……その妹さんと友達にって、どうして? もしかして付き合うのを反対されてる?」
「そうじゃないんだ。妹、障害があるからこれまで歳の近い友達が一人もいなくてさ。だから麻衣が友達になってくれないかなと思って」
「え、全然いいよ! むしろ家族の人と仲良くできるなんて嬉しい!」
家族に紹介されると嬉しくなるのは私だけだろうか。
相手から「家族に紹介しても恥ずかしくない相手」と認められたような、そんなくすぐったい気持ちになる。
ましてや、これまで付き合っていてもどこか不透明で謎に包まれていた陸斗の新しい一面を見つけることができたような気持ちになって、私の心は喜びに満ちていた。
元々人見知りするようなタイプでもなかった私は、一切の迷いなく陸斗の妹と繋がることを決めた。
「これ妹の連絡先。でも、耳が聞こえないから、連絡はメッセージで送ってあげてくれる?」
「うん。全然いいよ!」
陸斗から送られてきた連絡先。
電話番号をアドレスに登録すると、連携された通話アプリに彼女の名前が浮上した。
『藤村佳奈』という彼と揃いの苗字。芸能人さながらの可愛い自撮り写真がアイコンだった。
「こんなに可愛い女の子が双子の片割れなの!?」
「二卵性だから全然似てないんだよね。可愛い顔してるけど、結構内気で人見知りだよ。まあ、麻衣なら大丈夫だと思うけど」
モデルとして活動していても不自然じゃないほど整った顔立ち。
180センチを超える陸斗の妹ということは、身長もきっと高いのだろう。
二人に挟まれる自分を想像して、自信が急激に萎んでいく。
これ、仲良くして「もらう」のは私の方なんじゃ?
引き攣りそうになる頬を必死に押さえていると、陸斗は私の頭にそっと手を乗せた。
「お兄ちゃんの彼女と仲良くしたいって言ってたから、すごく喜ぶよ」
本当に? そもそも自撮り写真をアイコンにするような子が、友達がいない人見知りなんて信じられないのですけど?
そんな心の呟きを必死に振り解きながら、私は笑顔を作った。
「私も紹介してくれて嬉しい。陸斗の妹さんだもん。仲良くできると思う」
とんでもない猫を被った私は、帰宅後、早速佳奈ちゃんにメッセージを送った。
『陸斗と付き合ってる麻衣です! よろしくね〜』
『わぁ! 本当に連絡もらえるなんて嬉しい! 佳奈です。お兄ちゃんの彼女と仲良くできるなんて感動しちゃう』
佳奈ちゃんはとても私に好意的だった。
初対面の人とメッセージだけでやり取りすることに不安がなかったわけじゃない。
でも、唯一の共通点である陸斗の話を中心に会話が弾む。
『お兄ちゃん、麻衣ちゃんの惚気ばっかり話してくるんですよ! あんなお兄ちゃん初めてで、どんな人なのかなって話してみたくなったんです』
佳奈ちゃんは会話すればするほど、私の自己肯定感を上げてくれた。
彼氏が、私のいない所で惚気てくれている。そんな嬉しい話を喜ばない人間なんていない。
他人を介して聞くというだけで、喜びは倍増だ。
一瞬疑いそうになった彼の行動も、全て『愛されているから』という一言で片付けられてしまう。
私は彼女との友情を順当に育んだ。
やり取りの回数が、陸斗より多い日もある。
少しブラコン気質があるのか、佳奈ちゃんは私からも陸斗の惚気を聞きたがった。離れて暮らしているからこそ、彼女と上手くやれているか気になるらしい。
友達や陸斗を疑う結衣にも話せない惚気話。話せる相手を求めていた私にとって佳奈ちゃんは最高の話し相手だった。
『いつか三人で遊べたらいいね』なんて言葉を純粋な気持ちで佳奈ちゃんに送信する。
『麻衣ちゃんは、お兄ちゃんに不満とかないの?』
『うーん。特にないよ。強いて言うなら、外食時に沢山頼みすぎることくらいかな。知ってると思うけど、陸斗って優しすぎるくらい優しいもん』
小さく積もった不信感を頭の中から振り落として、私は平然と彼女に答えた。
すると、すぐに佳奈ちゃんから返信が届く。
『よかったぁ……お兄ちゃんね? 麻衣ちゃんがいなくなったら生きていけないくらい惚れてるの。だから、不満があったらいつでも教えて! お兄ちゃんに私からガツンと言うから!』
本当、どちらが仲良くしてもらってるか分からないよね。
そんなことを思いながら、私は佳奈ちゃんとのやり取りを続けたのだった。
