永遠のワルツ



   ***


 校内を走り回り、一か所一か所を丁寧に見て回る。
 玲人が好んで行きそうな場所を考えながら、時斗は息を切らせて走った。
「玲人、何処に……」
 呟いて、一旦止まるとゼェゼェと肩で息をして周りをぐるりと見渡す。そう広くないはずの校舎が今は迷路のように広く感じられた。
「玲人……っ」
「ねぇ」
「……っ⁉」
 玲人の名を呟いた瞬間、背後から知らない少女の声で呼ばれ、驚きながらもそちらを振り返る。
 そこには、血に汚れたセーラー服を着た美しい少女が立っていた。
「急に話しかけてごめんなさい」
 そう言った彼女の瞳には涙が溜まっていて、まるで生きた人間のように感じたが、此処にいる以上は違うのだろうと察する。
 それを承知の上で、時斗はその少女に返事をした。
「……大丈夫。どうしたの?」
 恐らく年下であろう少女に尋ねると、少女はひどく驚いたような表情で話しかけてきた。
「あなた、此処の住人ではない……のよね?」
「分かるの?」
「ええ。此処に来て長いから……分かっちゃうの」
 寂し気に目を細めて言うと、少女は時斗から少しだけ離れて会話を再開させた。
「私は鈴原朱音っていうの。あなたは?」
「俺は猫田時斗」
「猫田くん……かわいい苗字ね」
 ふわっと笑った顔は、思わず見惚れてしまうほどに美しく、時斗はぼんやりと彼女を見つめてしまう。
 すると、朱音が少しだけ口をもごもごとさせてから時斗へ自分のことを話し始めた。
「私ね、とても大切な人を置いて来ちゃったの」
「大切な人?」
 問うと、朱音はゆっくりと頷いて見せた。
「私の好きな人」
「……そう、なんだね」
 寂し気に言う朱音の顔を見て、瞬時に玲人が頭を過る。玲人は今何をしているのだろうか。そもそも、何処に居るのだろうか。
 そんな不安に押しつぶされそうになっていると、朱音がいつの間にか時斗の両手を取って、強く握っていた。
「気持ち悪いって思うかもしれないけど、言わせてね……その子、女の子なの」
 朱音の言葉に、時斗は一瞬目を丸くしてからゆっくりと頷いた。そんな時斗を不思議そうに見つめ、朱音は口を開く。
「驚かないの?」
「べつに。だって、君はその子ことが好きなんでしょう? 性別なんてどうだっていいじゃないか」
「驚いた……猫田くんって不思議な人なのね」
「そうかな? 普通だと思うけど」
「私の周りには居なかったわ。そう言ってくれる人」
 今にも泣き出しそうな顔で笑い、朱音は時斗の手にさらに力を込める。
「私ね、その子のことが大好きで、大切で……でも伝えられないのが苦しくして、それで……自殺したの」
「……」
「最初はね、死ぬことに対して何も思ってなかったし、よく考えてもいなかった。でもね、自分のお葬式を見て、あの子が泣いているのを見て……凄く、後悔した」
 あの子、というのは先程話していた朱音の好きな相手のことだろう。自分の愛した相手が自分のために泣いている姿など見たら、後悔せずにはいられないだろうと時斗は思った。
 実際、今目の前にいる朱音はじんわりと涙を浮かべている。それ程に愛した相手だったに違いない。
「でも、私が後悔するだけじゃ、神様は許してくれなかった……っ」
「どういうこと?」
「……あの子が、後追いをしたの……私の」
「えっ……」
 衝撃的な言葉を聞き、時斗は握られた手が震えていることに気がつく。カタカタと震え、力加減の上手くいかない手で強く握られる。痛いと口にしたかったが、今はそんなことが言える雰囲気ではないことくらいは時斗でも分かった。
「私達、両想いだったのっ! でも私、気づけなくて……それで、あの子は大怪我をして、今も昏睡状態らしくて……っ」
 手を握る力が弱まっていく。朱音が泣き出したのだと気づくまではそう時間はかからなかった。
「だからね、あなたには私みたいな未練を残してほしくないのっ……」
 しゃくりあげる声で言う朱音に、時斗はぎゅっと手を握り返して質問を投げかけた。
「どうして? そこまで、俺のことを気にかけてくれるの?」
 初対面、それに加えてこのような場所で先程出会ったばかりの自分に、何故そんなにも親身になってくれるのか、単純な疑問だった。
「だって……猫田くんにも好きな人が居るんでしょう?」
「それはそうだけど……」
「だったら、私がダメにしちゃった分も、猫田くんに幸せになってほしいなって……そう思ったの」
 朱音が時斗から手を離して涙を拭う。
 僅かに赤い瞳で時斗を見つめ、朱音は優しく微笑むと、時斗のことをまるで我が子を見るような目で見つめた。
「犬飼くんは……可哀想な子よ。だから、あなたが救ってあげて」
「玲人のこと、知ってるの?」
 尋ねると、朱音はコクリと頷く。
「犬飼くんは、此処を知ってまだ浅いからすぐに感知できたし、なにがあったのかを知っているから……」
 深刻そうな顔で言う朱音に、時斗は思わず彼女の肩を掴むと、そのまま強く揺さぶって玲人についてを尋ねた。
「なにがあったの? 玲人は……どうして、あんなことしたの……?」
「……此処には沢山の人が居るわ。皆悪戯好きで、その中でも一番厄介な奴に犬飼くんはそそのかされたのよ」
「そそのかされた?」
「そう……神様だって言って、犬飼くんに嘘を吐いたの。それで犬飼くんは……」
 朱音はそれ以上を言おうとはしなかった。恐らく、時斗が表情を曇らせたせいだろう。優しい少女がしそうな気遣いだ。
「なんて言って、騙されたの……?」
「……大切な人を此処に連れて来れば、永遠に一緒に居られるって」
「……っ、あの馬鹿っ!」
 呟いて、奥歯を噛みしめる。
 玲人は死んだ人間を見ることができる。きっと、それを利用して純粋な気持ちにつけ込まれたのだろう。そう思うと、無性に腹が立ち、今すぐにでもその相手の顔を思いきりぶん殴ってやりたい気持ちになった。
「じゃあ、玲人は騙されてこんなことをしたんだね?」
「ええ」
「そっか……教えてくれてありがとう」
 朱音の肩からそっと両手を離し、時斗は強く拳を握った。
 玲人を騙した相手が憎い。けれど、それ以上にそんな話を信じ込んで、実行してしまった玲人への怒りと罪悪感の方が勝って吐き気にも似たものが沸々と込み上げてきた。
「猫田くん」
 朱音が胸の前で手を組んで話しかけてくる。その表情は、まるで何かを覚悟したような、そんな強い目をした表情だった。
「私ね、とても後悔してたわ。でも、諦めてなんかないのよ。彼女のこと」
 彼女、というのは先程話していた本当は両想いだったという少女のことだろう。
 朱音の手が僅かに震えているのが分かる。
「絶対に目を覚ますって……そうして、絶対に幸せに生きてくれるって。信じているの」
 ふわりと笑って、朱音はもう一度時斗の手を握る。
「だからね、猫田くんも諦めないで。きっと伝わるから……あなたなら、伝えられるって思っているから」
「……うん、諦めないよ。伝わるまで……何度でも、何度でも話をする。もう逃げたりなんかしない」
「そう言ってくれると思ったわ」
 時斗の返答を聞いて、朱音はそう答えると再びふわりと笑って手を離した。
 その瞬間、朱音の身体が白い光に包まれていく。
「朱音……?」
「大丈夫……きっと、猫田くんに聞いてもらえたから私の未練がなくなったんだと思うわ」
「え……?」
「だって、私は彼女を諦めないって決めたもの。もう……後悔も未練なんかもないわ」
 そう言って笑った朱音の顔は今までで一番美しいものだった。
 頬を伝う涙もきっと、嬉しさ故のものなのだろう。
「猫田くん、ありがとう。私を信じて、聞いてくれて。私はもう消えちゃうけど、きっと……いいえ、絶対に大丈夫。信じてるからね」
「うん。朱音もあの世で大切な人を見守ってあげてね」
「もちろんよ。じゃあ、またね」
 白い光が一瞬だけ強く輝き、思わず目を閉じる。次に目を開けた時には朱音の姿はなくなっていた。
「朱音……ありがとう」
 呟いて、玲人探しを再開する。
 朱音の現象を見るからに、恐らく後悔や未練さえなくなれば此処に居ても成仏は可能なのだろうと分かった。
 彼女が震える身体で懸命に話してくれたことを胸に、時斗は必死で玲人を探した。


   ***


 長い長い廊下を走る。この学校の廊下は元からこんな長さなのだろうか。やけに広々としていて、まるで迷路を彷徨っているような気になった。
けれど、時斗は一生懸命に走りながら周りを見渡す。早く玲人と話をしたい。どれだけ時間がかかってもいい。とことん話し合って、玲人を成仏させてやりたい。
「玲人……玲人っ!」
 そんな思いを抱えて廊下を走り回り、一つ一つ教室を見ていく。けれど、どこを見ても玲人の姿は見当たらない。
「いったい何処に……」
 そう思った時だった、時斗の頭に生前の玲人がしていたことが過る。
 よく、クラスにある花瓶に花を飾っていた。その花瓶は玲人の私物で、自分達のクラスにしかなかったものだ。
 それを探せば、もしかしたら玲人が見つかるかもしれない。そう思い、時斗は花瓶に注目して教室を探した。
 すると、図書室のすりガラス越しに花瓶に飾られたピンクの花が写った。
「此処、なのかな……」
 恐る恐る扉を開く。先程、光や杉田と一緒に入った時にはなかったはずの花瓶が机に置かれており、そのすぐ側に玲人の姿を見つける。
「玲人……っ!」
「……っ⁉」
 急に大声を出したせいか、玲人はひどく驚いた表情でこちらを見て、暫くしてからいつもの落ち着いた顔つきへと戻っていった。
「時斗……よく、此処だって分かったね」
「だって、その花瓶……玲人がいつも大事に手入れしてたやつだから」
「見ててくれたんだ」
 どこか寂し気に囁かれた言葉が耳に届くと同時に、玲人の顔を覆うように文字が現れる。そこにはただ一言【嬉しい】という文字が浮かんでいた。
「見てたよ……玲人のことだもん」
「時斗は……俺のことなんかどうでもいいんだと思ってた。だから、ちょっとだけ驚いてる」
「……っ! どうでもいいわけないだろっ‼」
「……っ⁉」
 大声を張り上げたことで、玲人はビクンと肩を揺らして驚く。普段、大声どころか必要最低限の言葉しか口に出さない時斗からが玲人にだけ声を張り上げたのが珍しかったのだろうか、玲人はポカンと口を開けていたがどこか嬉しそうな顔をしていた。
「玲人は、俺のことが本気で好きだって言ってくれたよね……?」
「ああ……本気だよ。時斗のためなら何でもする、どうなったって構わないくらい……好きだ」
「じゃあ……」
 時斗がごくりと唾を飲み込む。そして一拍置いて、少し落ち着いてから口を開いた。
「どうして、自殺なんかしたんだよ」
「それは……神様に四六時中、時斗と一緒に居られるって言われて……それで……」
「神様って、よく分からない死人のこと?」
「えっ? なんで知って……」
 玲人の目が大きく見開かれる。玲人が神様と信じ込んだ相手はただ、玲人が見かけた霊のことだと、玲人自身も分かっていたのだろう。それをあっさりと言い当てられてひどく混乱しているのが分かる。
「教えてもらったんだ。とても、芯のある女の子に」
 あえて朱音の名前を出さずに言うと、玲人は嫉妬の目を向けることなく真剣に時斗の話を聞いていた。これが光や杉田であったなら、今ごろ嫉妬に狂って手のつけようがなくなっていたのだろうかと思うと、時斗はなんとなく乾いた笑いが込み上げてきて、必死にそれを嚙み砕いて話を続けた。
「その子は自分の後悔や未練を断ち切って成仏していった。だから、俺は玲人にも同じようになってほしい。後悔も未練もなく、幸せになってほしい」
「そんなの……無理だよ」
「どうして?」
「だって俺は……時斗とずっと一緒に居たいんだ。場所なんか何処でもいい……永遠に一緒に居たい。それが俺の未練だから」
「……馬鹿」
 小さく呟くと、玲人が不思議そうに時斗を見つめた。何か言いたげに口をパクパクとさせて、結局何も言えないまま黙り込む。
 そんな玲人に、時斗は大きく息を吸い込んでからそれを吐き出すように言葉を放った。
「俺だって、ずっと玲人と一緒に居たいよ」
「それじゃあ――」
「でも、そうできなくしたのは玲人だ」
「……っ!」
「俺のこと、そんなに想ってくれてるなら……どうして死んだりしたんだよっ! ずっと側に居てくれたら良かったのに……っ‼」
「だ、だって……人間の命には限りがあって、永遠なんて、ない……だからっ!」
 慌てて話す玲人の頬を時斗の掌がバチンッと叩いた。高い音と共に、玲人の頬と時斗の掌に鈍い痛みが走る。
「その限りがある時間を捨てて、勝手に死んで……俺がどんな気持ちだったか考えたのかよっ!」
「時斗……」
「俺は、玲人が目の前で死んだ時、世界が真っ暗になったよ? 玲人が居ない世界は……俺には暗すぎるんだっ」
 ボタボタと大粒の涙を零し、訴えかける時斗の声が静かな図書室の中に響き渡る。
 それを聞きながら、玲人は叩かれた頬をゆっくり撫でると、一瞬だけ時斗から視線を逸らして顔を伏せた。
 そして、震える声で時斗に問いかける。
「じゃあ、どうすれば良かった……? 俺は、俺には時斗しかいなくて、永遠に共に居られたらってずっと思ってて……藁にも縋る思いで行動したんだ……っ」
 全部が間違っていたのかと涙声で言う玲人に、時斗は両手を伸ばして濡れた頬を包み込む。
「そんなにも想ってくれてたって、俺……全然気づけなくてごめん。でも、本当にそれだけ好きで、愛してくれていたなら俺は……死んでなんかほしくなかったよ」
「……それじゃあ、俺は……間違えてしまったの?」
「……うん」
 問いかけに、ゆっくりと頷いてから言う。
「そっか……そう、なんだね」
 すると、玲人は顔を上げて涙を溜めた瞳で真っすぐに時斗を見つめた。
「ごめんね……時斗。君の気持ちを考えないで、勝手なことをして」
「そうだよ……って、言いたいけど……気づけてなかった俺も悪いから」
「そんことないっ! 時斗はいつだって俺を良い方へ導いてくれるじゃないか」
 玲人の瞳から溜まった涙が伝い落ちる。それを見て、時斗は込み上げてくる寂しさを嚙み潰して玲人を見つめる。
「俺は、いつも母さんや皆の顔色をうかがってばかりで本音を出すなんてことできなかった。でも、時斗……君にだけは本当の俺を見せられた」
 玲人を覆っていた文字がぐにゃぐにゃと曲がって、やがて消えていく。今、話している言葉が心からのものだと分かった。
「初めてだったよ。俺の話を一生懸命聞いて、理解してくれた人は。俺の秘密を気味悪がらずに信じてくれたのは……」
「それは俺だってそうだよ。玲人が打ち明けてくれたから話せたし、信じてくれて嬉しかった」
「そう、嬉しかったんだ……俺も。凄く、凄く嬉しくて……でもそのせいで俺は過ちを犯して、時斗を傷つけてしまった」
「……」
「本当は、高畑とも友達になりたかった……杉田先生とも、もっと沢山話をしたかった……」
 玲人が自ら自身の後悔を語る。
 ポタポタと床に落ちていく涙が、その後悔の重さを物語っていた。
「玲人……」
「俺、本当にどうしようもないね……こんなはずじゃなかった、こんな……っ」
「玲人」
 時斗が玲人にそっと手を伸ばして抱き寄せる。身長差のせいで、顔が丁度玲人の首辺りにあたってしまい、伝ってきた涙が頭に降りかかってきたが今はそんなことはどうでも良かった。
「確かに、玲人のしてしまったことは悪いことだ。俺、許せないし。でも……そこまで想ってくれて、ありがとう」
「……っ!」
 玲人の肩がビクンと跳ねる。時斗の素直な礼がたまらなく嬉しく、玲人は唇を強く噛んで涙を啜った。
「俺っ、俺……時斗が好きだ! 大好きなんだ! だから……っ」
 玲人の顔に再び文字が浮かび上がる。【ずっと一緒に居たかった】と書かれたそれを見て、時斗は静かに溜息を吐いた。
 自分だって、願わくば玲人とずっと共に居たかった。しかし、それを出来なくしてしまったのは玲人本人だ。
それを責めるべきか、どうするか悩み、時斗はゆっくりと口を開く。
「本当に馬鹿だよ、玲人は」
「……うん」
「最初から、俺に話してくれたら良かったのに……ちゃんと話し合ってたら、そうしたらこんなことにならなったのに」
「ごめんっ……ごめん、なさいっ」
「まったく……」
 呆れたように言い、時斗は泣きじゃくる玲人から離れるとやんわりとした笑みを向ける。
「ねぇ、玲人……」
 そして、そっと手を伸ばして玲人の顔を包み込むと、時斗は目一杯に空気を吸い込んでから恥ずかしそうに囁いた。
「最後に、思い出作らない? 生前にできなかった分さ」
「思い出?」
「そう……こんな感じの……」
 そう言って、時斗が玲人に優しく口づける。
「……」
 玲人の瞳が大きく丸さを帯びて、驚いているのがよく分かった。
「……どう? 嫌、だった?」
 かるく触れる程度のキスをして、時斗は少し離れると玲人へ確かめるような上目遣いで問いかける。
「嫌……なんかじゃない。寧ろ、もっとしたいよ……」
「そう言うと思ったよ。じゃあ、気が済むまで……しよう?」
「……うん」
 今度はどちらともなく口づけをし、深く深く味わっていく。
 玲人が僅かに開いた唇の割れ目から舌を侵入させ、つるりとした歯の一本一本を撫でると、時斗はすかさずその舌に自分のものを絡めてちゅくちゅくと吸い付いた。
「んんっ、ちゅっ……ちゅぱっ」
 いつの間にか離れていた身体はお互いを気遣うように抱き合い、合わせた唇の感触に懸命に反応していく。
 絡めた舌を器用に動かす玲人に、ああコイツは本当に完璧なんだなと若干の苛立ちを覚えながら、時斗は飲み下しきれなかった唾液を口端からツゥーと垂らした。
「……はぁっ!」
 どれくらい経ったのか、随分と長い間口づけていた気がする。存分に時斗の唇を堪能した玲人が漸く唇を離すと、時斗は新鮮な空気を吸い込んでゼェゼェと肩を上下させた。
「ごめん、嬉しくて。つい、やり過ぎてしまった……」
「はぁ……ふぅー……いいよ。俺もその気だったし」
 フッと笑った時斗に玲人はたじたじになりながら赤く染まった顔を両手で覆った。
 そんな玲人の上に再び文字が浮かび上がってくる。
 【嬉しい】【幸せだ!】【時斗かわいい】【恥ずかしい……】そんな、素直な玲人の心の声が大量に浮かんでは消え、時斗はそれらを目で追っては寂し気に微笑んだ。
「玲人」
 抱きしめていた身体に力を込め、囁く。
「なんだい? 時斗」
「……最後、なんだしさ……もっと凄いこともしようよ」
「それって……」
 それだけの言葉で玲人は時斗が何を望んでいるのかが分かったようだった。
 口づけ以上の交わりを求める時斗に、玲人は一瞬悩んだ素振りを見せたが、すぐに頷いて返事をした。
「時斗がいいと言ってくれるなら……俺も、したいよ」
「いいに決まってんだろ……馬鹿」
「ふふっ、時斗らしいね。色気のないお誘いだ」
「色気なんかなくたって、玲人は俺だけ……でしょう?」
「うん」
 そう返して、玲人は優しく時斗を机の上へと押し倒すと、覆いかぶさって触れるだけの口づけをする。
「最後、か……」
「……そうだよ。これが最初で、最後だ」
「そうだね……」
 するりと忍び込ませた掌で直に時斗に触れる。滑らかなな肌をなぞり、一片たりとも漏れがないようにしっかりと触れた。
「ねぇ、時斗」
「んっ……なに?」
「俺、ずっと時斗に触れたかった。だから、今……凄く幸せだ」
「みたいだね」
 玲人の上に浮かび上がった文字と重ねてそう答える。
「俺は……本当に馬鹿なことをしてしまった。取り返しのつかないことを。それでも時斗はそんな俺を受け入れてくれる……なぜ?」
「そんなの決まってるじゃないか」
 そう言って、時斗は一拍置くと、深呼吸をして言葉を吐き出す。
「好きだから。玲人のことが大好きだから」
「……そっかぁ……もっと早く、聞いておけば良かったなぁ」
「そうだよ。まあでも……言わなかった俺も同罪ってことでさ」
 時斗が玲人の首へ両手を伸ばす。そして、そのまま引き寄せるように抱きしめると、そっと玲人の耳元で囁いた。
「たっぷり、楽しもう?」
「……っ⁉」
 そんな言葉に、玲人はつま先から頭のてっぺんまで電流をながされたかのように驚き、染まった頬をさらに赤らめた。
「時斗……ズルいよ」
「言ったもん勝ちってね」
「はぁ……っ、じゃあ言われた俺も容赦なくいって良いってことだよね?」
「……へっ?」
「手加減なんかしないから。俺が満足するまでしてやるからね」
「ちょっ、玲人? ま――」
「待たない。待てない……ちゅっ!」
 再びかるく触れるだけの口づけをすると、玲人は言葉通りに突き進み、今さら恥ずかしがる時斗を徹底的に味わっていく。
 浮かび上がる文字を読んでみても【もう限界だ】【待てない】というものしかなく、時斗は諦めたように息を吐いて全てを受け入れることに決めた。
 これが、最初で最後。
 二人は場所も忘れて交わり合い、昂る身体をお互いに労わるように触れて愛を注ぎ合った。
 これでもうおしまいなのだ。そんなことは分かっている、けれど、それでも二人はこの一度きりの最後を永遠に続くものとし、絶対に忘れまいと余すことなく噛みしめて触れ合った。
 後悔も未練も、今の幸せの中ではどうでもいいと、そう感じられるくらいに二人はお互いの全てを曝け出して受け入れるのだった。


   ***


「満足した?」
 制服のシャツのボタンをとめながらそう問いかけると、玲人は気恥ずかしそうに頷いて見せた。
「なら良かった」
「その、時斗は凄いね……沢山のことを知っていて」
「まあ、本読んでると勝手に覚えることってあるからね」
「そんな激しいものまで読んでたの⁉」
「たまにね」
「そうなんだ……」
 答えて、耳まで真っ赤にした玲人を見て、時斗はクスクスと笑うとすっかり整った制服姿で玲人を真っ直ぐに見つめる。
「これで……未練はなくなった?」
「……」
 やんわりと笑みながら言うと、玲人は目線を逸らしながら唇をぎゅっと噛んだ。
「やっぱり……ずっと、一緒に居たい」
「まったく……そう言うと思った」
 玲人の返答に鼻から息を吐くと、時斗は玲人の両手を取って強く握る。
「……触れられなくても、声が聞こえなくても……俺達はずっと一緒だよ」
「そうかもしれない。でも……それはとても寂しいことだよ」
「そうだね。けど、ずっと俺は元の世界に帰りたいし、玲人のことを置いていくのも嫌だ」
「それは……そう、だけれど」
「だからさ、お願い……もう此処を離れて?」
 本当にお願いをするように問うと、玲人は震える声で逆に時斗へ問いかけた。
「この先、時斗は俺以外を選ばない?」
 その問いかけは、まるっきり子供が好きなものを手放したくないと駄々をこねるようなもので、時斗は思わず苦笑してしまう。
 それでも、玲人にとっては真剣なことのようで、泣き出しそうな顔で言葉を続けてくる。
「時斗はずっと俺のものでいてくれる?」
「そんなの……決まってるじゃないか」
 呆れたように言い、時斗は玲人へ満面の笑みを向けた。
 そして、強く握った両手を胸元まで持ってくる。
「だって俺……とっくにお前に憑りつかれちゃってるもん。簡単には離してくれないでしょう?」
「うん! 離さない、絶対に……っ!」
「だったら、大丈夫だよ。俺は玲人を忘れることはないし、これから先も……ずっと玲人だけが一番だ」
「時斗……ごめんっ……ありがとう」
「泣くなよ馬鹿。こっちまで泣きたくなってくるだろ……」
 きっと、これで本当に最後なのだと自覚すると時斗も熱いものが込み上げてきて、じんわりと目尻に涙が溜まっていた。
「ああ……本当に、馬鹿なことしちゃったな、俺……っ」
「……玲人」
 玲人の後悔と未練が消えていくのが分かり、時斗は玲人から手を離してその身体を強く強く抱きしめる。
「嫌だよっ! 玲人っ……消えないで、逝かないで……っ!」
 先程、大丈夫だと強がったのは自分だというのに、涙が頬を伝った瞬間、抑えきれない感情が爆発したように漏れ出てしまい、時斗は玲人に縋りついて泣き叫んだ。
「俺っ、一人ぼっちじゃ上手く生きられないよぉ……っ」
「時斗……」
 そんな時斗を強く抱き返し、玲人は自分を包む白い光が完全に消えてしまう前にと、必死に時斗へ声をかける。
「大丈夫だよ。時斗なら……高畑や杉田先生も居るんだから」
「でもっ……でもっ」
「大丈夫……絶対にずっと側にいるから。約束するから」
「本当……?」
「うん。俺、時斗には嘘吐いたことないよ? だから、ね?」
「……うん」
「時斗……俺は約束を果たす。だから時斗も諦めないで」
 白い光がだんだんと強くなっていき、玲人の身体が透けていく。
「諦めない……諦めてなんか、やらないよ」
「うん。それじゃあ、時斗……またね」
 その言葉を最後に、玲人の身体は完全に消えて静かな図書室には時斗だけが残された。
「玲人……」
 最期まで、自分を想い続けて消えていった彼に時斗はとめどなく溢れる涙を零しながら、初めて声を上げて泣いた。
 その声は暫くの間、静かな図書室の中へと響いていた。