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杉田透が時斗達の担任になったのはまだ教師歴の浅い、26歳の時だった。
最初こそ面倒臭さがりな性格もあってか溜息ばかり吐いていたが、一際目を惹く存在に出会ったことで杉田は担任というものも悪くないと思えた。
それは、犬飼玲人という一人の生徒だった。
一年生ながら、玲人は座学も運動も常に首位を保っているような生徒で、最初は自分にはもったいないとすら思えたほどだ。ある、一件が起こるまでは――。
とある日のこと、杉田が個人的に大切にしていた花壇が荒らされる日が続いていたことがあった。
美しく咲き誇った花々が無残に踏み荒らされ、植え替え程度ではすまないほどにまで荒らされたそれらを片付けていた時のことである、恐らくは犯人と思われる不良生徒達に杉田が絡まれいたのを見て、真っ先に間に入ってきたのが玲人だった。
「少し注意を受けたくらいで教師イジメだなんて……随分と暇なんだね」
「んだとっ! テメェ……って、優等生の犬飼くんじゃん」
不良の筆頭的な生徒が犬飼に掴みかかろうとした瞬間に馬鹿にするようにそう言った。次の瞬間――玲人の素早い足さばきでその生徒は転倒すると、なにが起こったのか分からないといった顔で天を見つめて目をパチクリとしていたのだった。
「優等生という言葉、あまり好きではないんだ。すまないね」
「なっ! テメェっ!」
すぐに立ち上がり、殴りかかってきた不良の拳を避けて玲人はすぐに不良の前で屈み、そのせいで勢いのついた不良が二度目の転倒をした。
「そうやって、すぐに手を出すのは良くないよ。もっと理性を身につけた方がいいんじゃないかな」
「っ……テメェら、面かるぞ! こんな奴に付き合ってても仕方ねぇっ!」
「懸命な判断だ。君、意外と頭がいいんだね」
「……っ!」
玲人が煽ると、不良達は唾を吐き捨ててその場を足早に去って行った。
「……」
「先生」
あまりにも一瞬の出来事で杉田が固まっていると、玲人は声をかけながら手を差し伸べてきた。その手を取り、杉田は未だ戸惑いの隠せない様子で礼を言うと玲人は笑ってしゃがみ込み荒れた花壇の土に触れる。
「植え替えは難しいですね……でも、壊れてしまったのならまた一からやり直せばいいだけです。俺も手伝いますよ」
「悪いな、犬飼。何から何まで……」
「いいえ。ただ、ああいう輩は好きになれないだけです。あと……先生の花壇のファンだったので」
そう言って笑った顔は年相応で、今までどこか機械的に思っていた玲人の印象を一気に塗り替えるものだった。
初めて感じた玲人の人間味に、杉田は驚く一方で嬉しさを感じていた。
誰からの目も惹き、誰からも遠ざけられていた犬飼玲人が、こんなにも普通の男子学生なのだと思うと、それだけで安堵し自然と口元がほころんだ。
それからというもの、玲人は何度か花壇の様子を窺いに来ては杉田と他愛のない会話をするようになっていった。
「先生。その、人生相談と言いますか……少しお伺いしてもいいですか?」
「どうした?」
変に改まって、制服の裾をぐしゃりと握る玲人に杉田は首を傾げる。
「その、ですね……好きな人ができまして……」
「おや……」
気恥ずかしそうに言う玲人に杉田は目を丸くして静か驚きを見せた。
あの完璧な犬飼玲人でも恋には疎いのかと、若干愛らしさを覚える。
「どんな子なんだ?」
「かわいいです……とても。あと、本が好きなようで……」
「ほう……それで? 話しかけてはみたのか?」
「はい……少しだけ」
「どうだった?」
「俺も読んだことのある本を読んでいたので、それを話題にしたら少しだけ笑ってくれました。それがまた嬉しくて」
余程嬉しかったのだろう。玲人は普段は決して見せない幼い笑顔で杉田に話し、幸せそうに風に髪をなびかせていた。
「ただ……」
今まで幸せそうに話していた玲人の口が僅かに震える。何か隠し事をしているのだろうことが瞬時に分かり、杉田はそっと玲人の肩に手を置いて落ち着かせるようにポンッと叩いた。
「ゆっくりでいい。言いたくなったら話してくれ」
「ありがとう、ございます。その……相手、なんですが」
震える唇がそっと動く。
「その子、男……なんです」
そして、そう言葉にすると玲人はグッと唇を噛んで黙ってしまった。
その姿を見て、杉田はどう反応すべきかを模索しながら玲人の肩をもう一度叩く。
「それが? なにか悪いことなのか?」
「えっ……?」
小細工をしたところで、頭の良い玲人にはすぐに気づかれてしまうだろうと、杉田は本音をぶつけることを選び、そう放った。
それが良かったのかは分からないが、玲人は少しだけ肩の力が抜けたようで噛みしめていた唇を解放すると、杉田に問いかけてくる。
「変、とか……気持ち悪いとか、思わないんですか?」
「まったく」
「先生……でも、それは先生が特殊なだけでは? 普通なら、嫌がるでしょう?」
「それは分からない。本人に確かめたわけでもないだろう?」
「そう、ですけど……」
「なら、確かめてみるといい。それでダメなら次を探せばいい……それだけだ」
「……っ!」
杉田は思ったことを口にすると、花壇の手入れを再開する。そんな杉田の背中を見て、玲人は何度も瞬きを繰り返すとこみ上げてきた笑い声を吐き出して腹を抱えた。
「どうしたんだ……」
「だって、先生が面白くて……ははっ!」
「俺は思ったことを言っただけだぞ?」
「それが面白いんですよ。でも、そうですね……確かに、先生の言う通りです」
ひとしきり笑った後、玲人は杉田の隣にしゃがみ込んで花壇を弄り始めると、緊張のほぐれた手で柔らかな土に触れた。
そろそろ秋の花に変えようと言い出した杉田の手伝いで来ていたのを思い出したかのように、コスモスの種を取って一粒一粒丁寧に植えていく。本来ならば、もっと早くに植えて、咲くのを待つものなのだろうが、おっとりした杉田の性格を考えれば、今頃植えだしてもおかしくはないなと思った。
「先生は……誰かを好きになったことはありますか?」
「俺か? 俺は……そうだな、学生時代に憧れた先輩がいたが……」
玲人に問われて、学生の頃を思い出す。
いつも自分に良くしてくれた憧れの先輩のことを浮かべる。けれど、それは苦い思い出で杉田はムムッと顔をしかめながら続きを語った。
「その人はひどく移り気な人でな、俺を含めて少なくとも八人は恋人にしようとしていたんだ」
「ある意味凄い人ですね」
「ああ。俺は途中で気がついて難を逃れたが、犠牲になった奴らはそれはもう酷い目に遭ったらしい」
「どうして一人に絞れないんでしょうね。欲張ってもいいことなんてないのに」
「若気のいたりというやつじゃないか? まあ、それがきっかけで、俺は恋愛ごとにはあまり興味はなくなってしまったな」
「心中お察しします」
そんな会話をし、種に優しく土をかけていく。
少し遅くなったが、色とりどりの美しいコスモスが咲くのを願いながら手を動かす。
「まあ、なんだ……本気で好きになったのなら、性別なんか気にするな。当たっていけ、そして幸せになれ! 以上だ」
「……先生らしいですね。ははっ……まあ、砕けない程度に頑張ってはみますよ」
「その意気だ。大丈夫さ、犬飼なら……きっと」
杉田にとっては玲人が幸せになれるのが一番だった。だからこそ本音で話し、幸せを願った。
それが、どうしてこうなってしまったのか。
玲人の葬式の日のことだ。杉田は涙を流しながら玲人のことをずっと考えていた。
死因が自殺であると聞いた時、一気に血の気が引き、眩暈で倒れそうになったのを今でも鮮明に覚えている。
あんなにも素直で、良き生徒であった犬飼玲人に何があったのか。杉田の頭はそれでいっぱいになり、気がつけばこの謎の空間へと招かれていた。
玲人は時斗が呼び寄せてしまったと言っていたが、その話を聞いてすぐに杉田は違うと理解していた。
自分が、望んで此処に来たのだと、杉田は瞬時に思った。
犬飼玲人の死の真相を知りたい。そう願ってしまったのは自分だ。それ故に、時斗に全てを背負わせることができず、杉田は探索と言って時斗を探ることを考えていた。
自分の知らない玲人を知る、唯一の人物である時斗を探ればきっと真相に近づけると、そう思ったのだ。
言ってしまえば、時斗を出しに使っていると言える。しかし、そうまでしても杉田は玲人のことを知りたかった。
暫く長い廊下を歩き、誰も居ない教室を横切っていく。どこもかしこも、ガラス窓には血の手形が付いておりガタガタとラップ音も鳴り響いている。
さすがに、ここまで騒がしくされると怯えていた時斗も慣れてきたのか、自ら光の手を離して歩けるほどになっていた。それが寂しいのか、光は少し苦い顔をして、それでもすぐに笑顔を浮かべて時斗の隣を歩いていた。
そんな二人を尻目に、杉田は職員室の前で立ち止まり、くるりと振り返って時斗を見つめた。
冷ややかな切れ長の目がまるで蛇のように鋭く見つめてきて、時斗はゾワリとした背筋が凍る思いをした。
「先生……?」
「猫田、お前は何か未練はあるか?」
「えっ……」
杉田の突然の問いに、時斗は小さく声を漏らす。
未練、という言葉に胸の奥がざわつく。
それは、先程杉田が玲人に言った言葉と同じだった。未練があるから出られない。それが、自分にもあるのかと考え込んでしまう。
「先生! 冗談キツイって。時斗は無理矢理この場所に連れて来られたんだよ? そんなのあるわけないじゃ~ん」
場を和ませるように放たれた光の言葉も静寂に消えていき、小刻みに震える時斗とそれをジッと見つめる杉田の威圧感だけがある状態となった。
「分かりません。ただ……俺、玲人が分からなくなってる。どうすればいいのか……分からない」
「どうするかは、これから探っていけばいい。だが、お前にもこの場へ来てしまった罪があるのだとしたら……黙認はできない」
「それは……」
「もう一度聞く、お前にも未練はあるんじゃないのか?」
「俺に、未練……?」
急にそんなことを言われても、と時斗は再び黙り込む。
そんな時斗をキツく睨み、杉田は頭の中であの日の玲人を思い浮かべた。
好きな人ができた。と喜びに満ちた笑顔を浮かべていた玲人だ。そんな玲人が愛した人物が目の前で悩み苦しむ時斗である。
そう思うと、ハッキリしない時斗の様子は杉田をひどくイラつかせるものだった。
もし、本当に玲人が時斗のために命を絶ったのだとしたら、自分は時斗を許すことができるのだろうか。教師という立場でいながらそんなことを思ってしまう。
しかし、それくらいに杉田にとって玲人は心の支えであり、良き生徒であった。
ギュッと拳を握りしめ時斗の返答を待つと、暫くして固く閉ざされていた口が開かれる。
「あると……思います」
「……そうか。では、その未練に心当たりはあるか?」
「……たぶん、いや、確実に玲人のことだと思います」
「だろうな」
短く答えて、杉田は時斗から視線をズラすと空を見ながら玲人の話をする。
「犬飼は、俺に相談していたんだよ……猫田のことを」
「俺のこと、ですか? なんて?」
「好きなのだと。けれど、同性だから困っていると、な」
「そう、だったんですね……」
「しかしまあ、結果的に猫田は犬飼を受け入れたようだったから、あまり詮索はしなかったのだが」
相談を受けたあの日から数日後、玲人から正式に付き合うことになったと報告を受けてからは玲人が花壇に来ることも減り、あまり話す機会もなくなっていた。それを杉田は喜びとして受け取り、玲人の幸せを願ったのだが一つだけ引っ掛かりがあった。それは――。
「猫田、お前は本気で犬飼を愛していたか?」
「……っ!」
問われて、時斗はビクンと身体を跳ねさせる。
玲人のことは好きだった。恋人として、良き関係を築いているつもりだった。それでも、愛していたかと問われると即答ができない。
そもそもに、今までそんなふうに他人を見たことのなかった時斗にとって、愛とはなにか分からなかった。
「即答できないということは……そういうこと、なんだな?」
「っ……ごめんなさい」
絞り出すように謝罪をし、ギュッと唇を嚙みしめる。
杉田は怒っている様子はなかった。けれど、ひどく呆れたような表情で時斗を見ている。
それはきっと、玲人を憐れんでのことなのだろうと時斗は思った。玲人は本気で時斗を愛していた。にも関わらず、時斗は恋人になる選択をしたというのにそれ以上を求めるどころか考えもしなかったのだから、それだけ玲人を傷つけ続けたに違いないと気づき、今さらになって申し訳なさに押し潰されそうになった。
「お、俺……っ!」
「べつに、お前を責めたくて話したわけじゃない。気にするな……とは言えないが、念頭に置いて探索をしてほしい」
「っ……分かり、ました」
ぴしゃりと言われ、時斗は目を伏せるとそう返事をして歩き出した杉田の後ろをついて行った。
「時斗……?」
光が心配そうに話しかけてくる。
「ごめん、大丈夫」
まるで自分のことのように落ち込んだ顔で覗き込んできた光に下手くそな笑みを浮かべて言えば、すぐにだらんと垂れていた右手を握られる。
「光?」
「大丈夫じゃない時に、大丈夫なんて言わなくていいよ」
「……」
「時斗からどう思われてても、俺……本気だから」
真っ直ぐな眼差しで言う光を見つめ、こんな自分に何故そこまでしてくれてるのだろうかと悩んだ。
急な口づけをされたとはいえ、時斗にとってはまだ光は大切な幼馴染にすぎない。本気だと言われたところで同じだけの気持ちを返すことなどできないというのに。
「光は……強いね」
「そんなことないよ。今だって、ほら……手、めっちゃ震えてるでしょう?」
はにかむように笑って、光は握った時斗の手に力を込める。確かに、それは小刻みに震えていて、それだけ光が緊張をしているのだと分かった。
「時斗にはごめんだけど、俺……犬飼には負けないから。絶対に時斗は渡さない」
「……光」
何故、そんなにも想ってくれるのか、時斗は謎で仕方がなかった。
それでも、光は時斗を渡すものかと強く手を握って歩き出す。
浮かび上がってくる文字も先程、光本人が言った台詞ばかりで光がいかに本気かが窺えてしまい、時斗は申し訳なさを感じながらついて行くことしか叶わなかった。



