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光が時斗と出会ったのは、まだ二人が小学生の頃だった。本好きで、どちらかと言えば物静かな生徒であった時斗に、光が話しかけたのが始まりだ。
「えーっと……そうだ! 猫田! 猫田も一緒に遊ぼうよ!」
そう言って、サッカーボールを握ったままニッコリと笑った光をジッと見つめ、静かに頷いた時斗は慣れないサッカーをして泥んこまみれなって遊んだのを初めてだと話した時にひどく驚いていた光を時斗は今も鮮明に覚えていた。
「――と、時斗!」
「……あっ! ごめん、なに?」
ぼんやりと過去のことを考えていた時斗に、光が大きな声で名前を呼んだ。正確には、次第に大きくなっていった、という感じだ。
「聞いてた?」
「……ごめん、聞いてなかった……」
「もうっ! 時斗はどうして此処に来たの? って」
「あ、ああ……えっと」
暫く黙り込んで、光や杉田にどう話すべきかを考える時斗の素振りを見ながら、その口が開かれるのを光は静かに待った。
「俺にも……よく分からないんだけど……玲人が、一緒にいい所に行こうって言ってきて」
そこまで話されると、光は不思議そうに頭を傾けた。それを見た時斗がしまった、という顔をする。
「……時斗には、犬飼が見えてたっていうの?」
「……っ」
問いかけられた時斗の肩がビクンと跳ねる。すると、光はそれが真実なのだろうと嫌な表情を浮かべながらギュッと唇を噛みしめた。
「うん……お葬式の後から、俺にだけ見えてるんだ……」
「そう、なんだね……」
時斗から直接言われ、光はさらに強く唇を噛んだ。
犬飼玲人と猫田時斗の仲の良さはクラス中が知っていることだった。正反対に見えて、性格が合うらしく一緒に居ることが多かったことからクラス中が謎に思いながらも、その仲の良さは皆が認めていた。けれど、まさか死亡後ですら一緒に居たとは信じがたかった。いや、信じろという方が無理な話だ。
それでも、時斗を疑いたくないという気持ちから、光は信じることを決めるとスゥー……と息を吸い込んでドクドクと鳴り響く胸をしずませる。
「犬飼は、その……時斗の前に現れた時、なんか言ってた?」
問いかけると、時斗は光の顔をキョロキョロと視線を動かしながら見つめて口を開いた。
「ずっと……一緒に居るためだった、って」
「だった?」
「……自殺した理由」
「えっ……」
言われると、光は全身に冷や汗をかいてゴクリと唾を飲み込んだ。
犬飼玲人の執着の強さを知り、改めてその恐怖を味わう。
最愛の相手であったのだろう時斗をそこまでして縛るとは、例え自分が同じ立場であってもそこまでは考え至らないと思った。
それでも、それは事実であり変えようのない真実である。
光はゾワリと背を駆け抜ける寒さに鳥肌を立たせて目を伏せる時斗に話しかけた。
「つまり、最初から犬飼は時斗を此処に連れてくる気だったってわけだ」
「そう……なのかな」
時斗の困った声が静かな廊下に響き、消えていく。暫く互いに見つめ合っていると、先頭を歩いていた杉田が二人に声をかけた。
「断定するのはまだ早い。とにかく今は手がかりを探すことが最優先だ」
もっともらしい言葉を吐いて、杉田はちらりと二人の手元を見た。
固く握られた手は、どちらも当たり前だと言いたげに繋がれて、離れるという選択肢を持っていないように思える。
けれど、急にこのような場に連れて来られて不安がないわけがなく、その結果にすぎないのだろうと思うと杉田はそれ以上二人を見つめることはしなかった。
「そうだよね! うん、とりあえず何か探してみないと分かんないし」
杉田に促され、いつものような陽気さで言うと、光は握っていた時斗の手のごと己の手を上げてニッコリと笑う。
「あっ……ごめん! ずっと握ったままだった!」
そして、漸く気がついたのか握りしめていた手を離すと、照れくさそうにポリポリと頬を掻いた。
「べつに、大丈夫だよ」
「あははっ……俺、あの時不安でいっぱいだったからさ、つい忘れちゃってたんだよね。ごめん、時斗」
恥ずかしそうに笑う光に、時斗は首を左右へ振る。
「俺のこと、気遣ってくれてたんでしょ。だったら平気だよ」
「それは……まあ、そうなんだけど」
どこか後ろめたさを感じる表情で言い、光はわざと時斗に背を向けると元気に歩みを進めていった。
すると、先程教室の前で聞こえた音に似たラップ音が鳴り響く。
「……ヒッ!」
その音に、時斗が思わず声を上げると光は庇うように急いで時斗を抱きしめる。
「大丈夫! 大丈夫だよ……」
怯える時斗に優しく言い聞かせ、自らも高鳴る鼓動を鎮めていく。
「はっ、はぁっ……はぁっ……」
徐々に過呼吸気味になっていく時斗の頭を撫で、必死に不安を取り除こうと奮闘していると、杉田が二人に声をかけた。
「此処が死後の世界だというのなら、ラップ音程度ですんでいるのは寧ろ安心じゃないか?」
「それはそうだけど……先生、デリカシーないよね」
「……?」
光の発言に頭を傾ける杉田を見て、光は飽きれたように溜息を吐いた。
確かに、此処が死後の世界ならばそれくらいは普通なのかもしれないが、それにしても一人怯えている生徒がいる中で言うべきことではないだろうと思う。
けれど、これが杉田なりの気の使い方なのだろうと思うと文句を言う気にはなれなかった。
暫くしてラップ音は徐々に弱まっていき、再び冷たい静寂が訪れる。
「時斗、平気?」
腕の中で震えていた時斗に語りかけると、その身体はまだ若干カタカタと揺れていたが幾分かはマシになったようで、呼吸も安定したものへと変わっていた。
それに一安心して、光は時斗を解放する。
「ごめん、心配かけて……」
「なんで謝るの? 怖いのは仕方ないじゃん」
「……」
光の言葉に申し訳なさを感じながらも、確かにこればかりは慣れるまで仕方がないことなのだろうと時斗は思うと静かに頷いて光を見つめた。
昔から世話焼きの一面を持つ彼が、この状況で自分を気遣わないわけがなく、つい甘えてしまう。良くないとは思うが、今は慣れるまでその心に甘えさせてもらおうと決めて時斗も一歩を踏み出す。
暫く歩いていると普段はあまり訪れることのない音楽室へとたどり着いた。
「何かあるようには思えないが……まあ、入ってみるか」
杉田がそう言って、建付けの悪い扉を開く。
普段からあまり使われていないせいなのか、はたまた此処がそうなのか、独特の埃臭さがツンと鼻を突いてくる。
杉田に続いて時斗と光も入室しようとすると、少し足を踏み入れたところで杉田の足が止まった。
「わっ! ちょっ、先生……急に止まんないでよ」
「すまん。ただ……」
言いかけながら杉田が足元へと視線をずらす。
すると、そこには大量の古新聞と不特定多数の写真が散らばっていた。
「なにこれ……」
呟くと、杉田が一枚の古新聞を拾い上げて目を通す。
「比較的新しいものだな。事故についてが書かれている」
「事故? どんな?」
光が問いかけると、杉田は少し待てと光の顔を掌で押し返して新聞の内容を読んだ。
「〇月×日、××線で人身事故発生。三十代男性の飛び込み自殺であると判明。〇月×日、××線で人身事故発生。十代女子の飛び込み自殺と判明……どれもこれも、電車での死亡事故に関する内容だな」
「それも、全部自殺って感じ?」
「ああ」
「……」
電車での自殺と聞き、時斗の表情が一気に曇り、青ざめていく。それを見た光はすかさず時斗の背中を撫でて荒くなる呼吸を整えてやった。
「ん? これは……」
「どうしたの? 先生」
「いや、これなんだが……」
そう言って、杉田が拾い上げた写真を光が覗き込む。そこには可愛らしい少女の姿が写っており、年齢が自分とそう変わらないであろうことが分かる。
その写真を杉田は新聞と照らし合わせると、嫌そうに目をヒクつかせた。
「やっぱりな……」
「えっ? なに?」
「この新聞に載っている自殺者の顔……恐らく全て、此処にある写真と一致する」
「えっ……それって……」
「つまり、此処は特定の条件で自殺した者達が集められる場なんだろう」
光の目が大きく見開かれる。この大量の写真分の人間が電車に飛び込み自殺したのかと思うとくらりと眩暈がした。
それに加えて、この場居る自分達以外が何故悪戯だけをして姿を見せないのかが分かってしまい若干の吐き気をもよおす。
皆、姿を現さないのではない。人間の姿を残している者がいないのだ。
「うっ……」
思わず口を掌で押さえると、光は逆流してくる熱を必死で抑えて息を整える。
「無駄な探索は終わったかな?」
すると、どこからともなく玲人の声が聞こえてきた。
どうやら、再び姿を現したらしい。静かな足取りでこちらへ近づき、ニコニコと笑みを浮かべている。
「終わったのなら、時斗を返してくれ」
冷たく言い放ち、時斗の手を取ろうとした玲人から時斗を守るように、光は間に入り込むとそっと時斗の手を握った。
「高畑……いい加減にしてくれないか」
「犬飼こそ……いい加減にしろよ」
バチバチと火花を散らせて見つめ合い、二つは尖った言葉を言い合う。
「時斗と俺の仲を邪魔しないでくれ」
「それは時斗が望んでること?」
「お前には関係ない」
「そうだね。でも、俺だって時斗が大切だ。言う権利はあるよ」
「そんなものないよ、お前には」
「死ぬことで時斗を縛り付けてるお前の方がないよ」
埒の開かない会話をしていると、玲人が深く溜息を吐いて時斗の方を見つめた。
「時斗。時斗は俺を選ぶよね?」
「……っ!」
そんな問いかけに、時斗の背がビクンと揺れる。
「だって、俺はここまでしたんだから。何もしていない高畑や杉田先生とは違うだろう?」
「それは……っ」
「ねぇ、時斗……」
呟いて、玲人は本来の姿を三人に見せつけた。上半身と下半身が真っ二つに切り裂かれ、傷ついた内臓が露になっている。女子生徒から黄色い声を受けていた造形の良い顔も半分無くなった状態で、はみ出た脳みそが今にも飛び散りそうだった。
「俺は、こんなになっても良いくらい、お前を愛してるんだよ? どうして、早く俺を選ばないの?」
「うぅ……っ」
改めて、変わり果てた玲人の姿を見せられ黙り込む時斗を横目で見ながら、光は込み上げる吐き気を堪えて玲人を見る。
グロテスクな姿を晒してまで時斗を振り向かせたいと願う彼の執念は驚きを通り越していて、もはや異常だ。
そんな異端者に光は負けじと口を開いて玲人に言葉を投げかけた。
「死んで時斗に憑りつこうとでも思ったのかよ……そんなことして本当に時斗が喜ぶと思ったのか⁉」
「……お前になにが分かる」
甘い声が一瞬で下がり、冷ややかな声と共に玲人の姿が元の美しい人間の形に戻る。
「俺は選ばれたんだよ、神様ってやつにね。だから他の者達と違ってこうして元の姿にも戻れるし、現世にも行ける。けれど……」
冷たい瞳が時斗と光を見下ろす。合わせれば、それこそ石にでもされそうな、そんな恐ろしい視線が降り注ぐ。
「特定の相手……それも生きた人間と永遠を共にするには肉体が邪魔をしてしまう。だからこうやって、無理矢理にでも時斗を此処に連れてくる必要があったんだ」
「で、でも! それはお前の勝手な考えだろっ! 時斗はそんなの望んでない‼」
「時斗がそう言ったの? いつ?」
「……っ!」
問われて、光はバッと時斗の方を振り返った。時斗はカタカタと身を揺らしながら唇を噛んでいる。それだけで、時斗が望んで起きた現象ではないと理解できた。
「こんなに怯えてる……時斗だって、お前のしてることは異常だって思ってるんだよ」
「そうなの? 時斗?」
光に促され、怯える時斗に問いかけると時斗は震える声で玲人に返事をした。
「怖くない、わけじゃない……」
「どうして?」
「だって、いきなり玲人が目の前で死んで……俺、なにがなんだか分からなくなって……っ」
玲人の葬式後、霊となって現れた玲人を見て喜びを得たのは本当だった。だが、玲人のしようとしていることが未だ理解できない状態では、時斗も恐怖するしかなく混乱する思考を必死で回転させて言葉を続ける。
「ずっと一緒に居たいって言われたって、こんな、よく分からない場所に連れて来られて……嬉しいわけがないよっ」
「……」
時斗の本音を聞き、玲人は黙り込むとちらりと光の方を見た。どうせお前が余計なことでも吹き込んだのだろうと、言いたげな表情で見つめて心底落胆したといった様子で溜息を吐く。
「どうして? 俺とずっと一緒に居られるのに……どうして、そんな嫌そうなの?」
「だから……っ」
「此処がよく分からない場所だからなに? 俺と時斗が永遠を過ごすのに、そんなに重要なこと?」
「……いい加減にしろよな!」
時斗が言葉を放つより先に声を上げたのは光だった。
わなわなと肩を揺らして、玲人と時斗の間に入って叫ぶように言う。
「お前の我儘に時斗を巻き込むなっ‼」
「……っ」
叫び声に近い発言に玲人が思わず口を閉じた。少しだけビクりと肩を揺らして、驚いた顔で光を見ている。
「犬飼が何を考えてるかなんてどうだっていい……これ以上、時斗を巻き込むなっ!」
「巻き込む? 俺が? ……あははっ!」
乾いた笑い声が静かな室内に響き渡る。玲人はふらりと身をしならせて前髪をかき上げると、笑いながら光を見下すように視線を向けた。
「時斗は俺のものなんだから連れて行くのは当然のことだろう? 巻き込む、だなんて言いがかりはやめてくれよ」
「……はっ?」
玲人の台詞に光から極めて低い声が出る。
それは怒りに満ちていて、普段の明るく温厚な光からは想像もつかないほど恐ろしいものだった。
「……ざけんなっ! 時斗は誰のものでもない!」
「違うよ。時斗は俺のものだ」
「頭イカれてんのかよ……っ」
「高畑こそ、どの面下げて時斗と一緒に居るんだい? ……置いていったくせに」
「なっ……!」
玲人の言葉に、光は小さく声を上げてから黙り込む。
置いていった、というのを聞いて思わず後ろに居る時斗をチラりと見てしまう。
「知っているよ。二人が幼馴染だってことは。でも、高畑は一度時斗を置いて遠くに行ってしまったんだろう?」
「それは……」
玲人の言う通り、確かに光は過去両親の仕事の関係で転校を経験していた。
場所は海外で、連絡は取り合ってはいたがそれもあまり頻繁なものではなかった。しかもその間、時斗はほとんどを一人で過ごしていたことも知っていた。
「時斗を置いて、平気で離れたくせに……運よく戻って来られたら真っ先に騎士気取りかい?」
「ちがっ……そんなんじゃ……っ」
否定しようとした光だったが、上手く言葉が見つからず俯くしかなかった。そんな光を相変わらずの冷たい目で見下ろして、玲人は冷ややかな言葉を落とす。
「一人きりを強いられた時斗を見つけたのは俺だ。俺が見つけて、ずっと側に居た……お前と違って、ずっと」
「……っ! そう、だとしても! 時斗をもの扱いするのは許せないっ!」
「お前の許しなんて求めてないよ。俺は時斗さえ居てくれたらそれでいい……ねぇ、時斗? 時斗はどちらと居たいの?」
黙っていないで答えろと言いたげに、玲人は時斗の方へ視線を向けるとそう問いかけた。
「俺は……」
光に向けていたような冷たい瞳とは違い、優しく穏やかな瞳に一瞬だけ心臓が高鳴った。けれど、時斗はわざと目線をズラすと首を横に振った。
「俺は、一緒に居たいからって簡単に死を選ぶような奴とは居たくない……」
「……えっ?」
玲人が目を丸くして声を吐き出す。
想定していた答えとは真逆の言葉に上手く反応できないといった、そんな様子だ。
「どうしてっ‼」
「……っ⁉」
急に上がった怒声に時斗の身体が大きく揺れる。
「時斗は俺とずっと一緒に居るんだっ! 永遠を生きるんだっ!」
今にも時斗に掴みかかりそうになった玲人を杉田が阻止するように腕を掴んで止めに入る。
「そこまでだ」
「離せっ!」
「離さない。犬飼、少し落ち着け」
「うるさいっ! お前らは邪魔なんだ! ああ、どうしてこんな余分なのまで連れて来てしまったんだ……クソッ!」
荒れ狂う玲人の腕に力を込めて、杉田はなんとか時斗から離すと玲人をジッと見つめて一方的に会話を始めた。
「犬飼、俺はお前にまた会えて嬉しかった。けれど教師として、認められないことは認められない」
「お前の許可なんか要らないだろうっ! 離せよ!」
「それはできない。犬飼、もう一度言うぞ……少し、落ち着くんだ」
「……っ!」
フーフーと荒っぽい息を吐く玲人に冷静に語りかけ、杉田は強い力で腕を握った。
そうすると、徐々に玲人の肩の動きが弱まっていき、時斗や光から見ても玲人が落ち着いていっているのが見て取れた。
「これは、あくまでも俺の推測にすぎないが……此処には未練を残した者しか存在できないのではないかと思う」
チラりと散らばった古新聞を見て、杉田は呟くと言葉を続けた。
「自殺というのは最も未練が残る死に方だと俺は思っている。だから、皆……此処では悪戯をして少しでもその未練を発散しているのではないだろうか」
「だから? なんなんですか? 俺にも、そんな未練があるとでも?」
「そうだ。お前がやたらと此処に留まりたがるのには何か理由があるのだろう? わざわざ猫田まで連れて留まりたい理由が……」
「……」
杉田がそう語ると、玲人はすっかり落ち着いた様子で杉田の切れ長な目を見つめた。
「俺に未練があるとしたら、それは時斗だ。だとしたら……此処を出るのは不可能ということじゃないですか?」
「それはまだ、探ってみなくては分からない」
「分かりますよ。俺は、時斗以外に興味はない……アンタ達なんかどうなったって構わない」
「……だとしても、だ。俺達は此処を出る方法を探る……猫田も共にだ」
「……」
杉田の言葉に、玲人は唇を噛みしめる。一度、時斗からも否定されている以上なにも言えず、玲人はキツく杉田を睨んだ。
「……勝手にしてください」
そしてそう言うと、玲人は三人に背を向けようとした、時だった。
「ちょっと待てよ」
光が声をかけた。否、かけたというよりは怒声に近いものだ。
「時斗が未練だって言ったよな? だったら……時斗との縁が切れれば、関係ないってことだ」
低い声で言い、光は時斗の方を向き直して唇を自分のもので塞いだ。
「……んんっ⁉」
急な行為に、時斗が目を丸くして驚くと、光は深く交わっていた唇を離していった。名残惜しむような銀色の糸が伝い、互いの口端に付着する。
そんな光景を見て、玲人が黙っているわけがなく、光が視線を向けるよりも先に鋭い拳が光の頬を変形させるほどの勢いで殴りかかっていた。
「フーフー……っ」
一目見ただけでも分かるほど興奮し、荒く息を吐く玲人の前に殴られた衝撃でその場に倒れ込んだ光の姿が時斗の目に映る。思わず駆け寄り、玲人を睨み上げると玲人は今まで見たことのない嫉妬に染まった瞳で光を睨んでいるようだった。
「ふざけるな……ふざけるなっ! よくも……っ!」
「っ……」
光の胸倉を掴み、今にも次なる拳で殴りかかろうとする玲人を杉田が止めに入る。
「犬飼っ‼」
「離せっ! コイツだけは許さない……絶対にだっ!」
「ゲホッ……ぺっ! べつに、許してなんかくれなくていいよ」
光が血の混じった唾を吐き捨てて言う。頬は僅かに腫れていて、少し喋りづらそうに見えた。
「俺、黙っておこうと思ってたけど……ずっと時斗のこと、好きだったんだよね」
「えっ……?」
光の言葉に、時斗は再び目を大きく開くとチラりと玲人の方を見た。未だ嫉妬に染まり、光のなくなった瞳で光を睨むその目は時斗の汁玲人とは異なっていて言い知れぬ恐怖を抱く。
「お前が言った通り……俺は時斗を一人にした。だから、今さら好きだなんて言えないって思ってた。でも……」
「……光」
「大丈夫だよ、もう立てるから。……お前の言葉を聞いて確信したよ。お前に時斗は渡さない」
時斗の肩を借りて立ち上がり、光は真っ直ぐに玲人を見つめるとそう言って腫れあがった頬を拳で拭う。
「俺の好きな人をもの扱いするような奴に渡してたまるかっ!」
「っ……時斗は俺のものだっ! 本当のことを言って何が悪いっ!」
「悪いよっ! 時斗は人間だ。ものでもないし、誰かに好き勝手されていい存在でもないっ!」
「……っ!」
光の言葉に玲人がバツの悪そうな顔をする。
「……時斗は」
少しだけ間を置いて、玲人の口が動く。先程までとは違い、少しだけ落ち着きを取り戻した様子でゆっくりと時斗に話しかける。
「俺が、嫌いになった?」
泣き出しそうな表情で言う玲人に、時斗は思わずゴクリと塊の唾を飲み込む。
「嫌いなんて……思ったことない」
「それじゃあ……!」
「でも、今の玲人は好きになれない……」
「っ……!」
玲人の瞳が大きく見開かれる。信じられない、といった顔で時斗を見つめ、考えるように俯いてからパッと顔を上げた。
その表情はとても明るく、かえって恐怖心を煽るものだ。
「分かったよ、時斗。今はそっちに預けてあげる」
「玲人……」
「大丈夫だよ。時斗は今、混乱しているだけだから……分かっているよ」
「玲人ちがっ――」
「いいんだよ、時斗。俺は待てるから。時斗が俺を選ぶまで、ずっと……ね」
それだけ言うと、玲人は光の方へ向き直してゆっくりと口を開いた。
「高畑」
「なんだよ」
「せいぜい、今の不完全な時斗と恋ごっこでもするといいよ。そして……玉砕されたらいい」
「言われなくても、お前なんかよりずっと間違いのない恋をしてやるよ」
「……調子に乗るなよ、害虫が」
「死体に言われたくないよ」
睨み合う二人に杉田が声をかける。
「ひとまず、それくらいにしろ。犬飼、俺達は探索を続ける……いいな?」
「ご勝手に」
杉田の問いに気だるげに答えると、玲人は再び姿を眩ませた。
先程までの騒ぎが嘘のように消え、静寂が戻ってくる。
「光っ! その……怪我は」
「ん? 大丈夫だよ、時斗。ちーっと痛いけど! 平気!」
ニカッと笑って答えると、光は時斗の頭をガシガシと撫でて申し訳なさそうに頬をかいた。
「俺こそ、ごめんね? その……キス、しちゃって……」
照れながら言った光を時斗が見れば、本当に申し訳なく思っているらしく、顔の前を覆い隠すように【ごめん……】という文字が浮かんでいた。
それを見て、聞き、時斗は首を横に振る。
「全然、大丈夫だよ。俺のためにしてくれたんでしょう?」
「えっ……」
時斗の返答に対して、光の顔が曇っていき覆い隠すような文字も変わっていく。
謝罪の文字はすぐに【違う】【どうして分かってくれないんだ】といったものへと変わっていき、時斗は目を見開いた。
「……もしかして、本気……だったの?」
そう問いかけると、光は頬を赤く染めて頷く。そして時斗の肩を掴んで溜まった息を吐き出すように迫って言葉を放つ。
「俺、本当に時斗のことが好きなんだ。でもっ! アイツみたいな、身勝手なことはしない!」
鬼気迫る言葉に圧倒されて上手く言葉が出てこないでいると、光が時斗を覗き込むように見つめて大きな瞳を揺らした。
「俺じゃ……ダメ、かな?」
「……っ!」
「俺は、確かに時斗を一人にしちゃったよ? でもそれはもう過去の話で、今は絶対にそんなことしないって誓える」
「えっと……」
「もう一度言うよ……俺じゃ、ダメ?」
「……」
光の言葉はどれも本音のようで、浮かび上がる文字もどれも時斗を想うものしかなかった。
「俺は……ごめん、今はまだ……答えられない」
時斗にとって、光は幼馴染で親友で、それ以上の関係が想像できなかった。それに、玲人のこともある。
いつまた現れて何をしてくるか分からない。光が時斗に口づけただけで荒れて狂い、躊躇いなく殴ってくるような男だ、油断はできない。そんな思いから時斗がそう答えると、光は少しだけ目を伏せてからすぐにニカッと笑ってポンと時斗の頭に手を置いた。
「……うん。分かった! 急に変なこと言ってごめんね、時斗」
「こっちこそ……本当にごめん」
「謝んないでよ~! てかさ、いつまでも此処に居ても仕方ないよね。他にも探しに行ってみよう!」
「高畑の言う通り、他にも何か手がかりがないか探りにいこう」
「はい」
光の提案に乗るように、今までただ見守っていてくれた杉田がそう言い放った。
それに返事をして時斗は立ち上がると、音楽室を後にした。
玲人のことは気になるが、今は少しだけ光に対して変化していく心に戸惑いの心音を鳴らしていた。



