「あ……雨」
柊木が空を見上げる。
晴れているけれど、一部に灰色の雲がかかっていて、小雨がぽつぽつと降ってきていた。
いつもは常備しているのに、こんな日に限って折りたたみ傘を忘れた。天気雨ならすぐ止むだろうか。
「傘持ってきてよかった」
「え、意外だな」
「妹が今日は雨降るかもしれないから持ってけって」
柊木がカバンからピンクの折り畳み傘を取り出す。意外とかわいい色が好きなんだなと、俺は目を丸くした。
「……妹の傘だから」
俺の考えていることが伝わったのか、柊木はムッと口の端を尖らせながら、自分の趣味ではないと説明してくる。そんな様子に俺は苦笑した。
「三崎、濡れるから入って」
折り畳み傘が空に向かって開かれる。和んでいた空気が一変して、俺は体が動かなくなった。
もしも誰かに見られて、中学の頃のように誤解され、変な噂を学校で流されたとしたら?
柊木にも迷惑がかかるし、俺の学校生活だって中学のときのように息苦しくなるかもしれない。血の気が引き、俺は顔を隠すようにキャップ帽のつばを掴む。
「……帽子あるから大丈夫」
「それでも服濡れるだろ。ほら」
柊木が俺に向かって手を伸ばしてくる。その手を取る勇気が出ない。
誤解される可能性があると柊木は思わないのだろうか。それとも、俺が自意識過剰なだけなのかもしれない。
躊躇っていると、柊木が傘を俺に傾けてきた。
「なあ、もう一箇所行きたい場所があるから付き合って」
「え……うん」
結局、俺は柊木と一本の傘に入りながら雨に濡れた道を歩く。周りの視線ばかりを気にしている俺に対して、柊木はクレープの話ばかりしてくる。
「犬のクレープは桃味らしい。食べてみたい」
「あと季節のクレープも美味そうだったな」
「次はふたつくらい買ってもいいかも」
傘の中で、柊木の声が響く。俺はただ相槌を打ちながら聞くことしかできなかった。
肩が触れて、視線を上げると頭上の傘は俺の方に傾けられていることに気づく。
傘の角度から、柊木の優しさを感じて胸が締めつけられる。
……柊木の傘なのに。
俺ばかりが雨から守られて、柊木の左側は濡れている。
「着いた」
連れてこられたのは、淡い水色から青、紫へと移ろう紫陽花が、道の両脇を埋めるように咲き誇る場所だった。
湿り気を含んだ空気の中で、花びらは雨粒を弾き、静かに揺れていた。
「……綺麗だな」
気づけば、そんな言葉を口にしていた。紫陽花なんて、ただの季節の花だと思っていたのに。淡く滲むような色彩に、不意に心を掴まれる。
「ここ俺のお気に入り」
得意げに微笑む柊木の横顔は、どこか誇らしげだ。
「俺、雨が苦手だったんだ。でも……雨も悪くないな」
雨が降るたびに蘇っていた嫌な記憶が、この景色の中でゆっくりと薄れていく。雨が降ると憂鬱だったけれど、今は気分が穏やかだった。
「雨、苦手なんだ? まあ、濡れるしな」
その気持ちもわかると頷く柊木に、俺は「嫌なことがあって」と消えそうな声で呟く。
「そっか」
柊木は無理に聞こうとはしてこない。ただじっと俺を見つめるだけだった。
「……中学の頃、傘を忘れて同級生の傘に入れてもらったんだ。それを目撃されて……翌日からからかわれるようになって……相手にも迷惑かかって」
口にするとくだらないことだなと思う。そんなからかいなんて気にする必要ないのにと、他人事だったら俺は思っていただろう。
だけど、当時の俺にとって勝手に周囲から決めつけて話される噂話が息苦しくて仕方なかった。
違うと説明しても、ニヤニヤとしながら流される。俺の言葉なんて誰も信じてくれない。
「だから、もしも俺といることで柊木も変な噂立てられたら……」
歯を食いしばり、手をきつく握りしめる。
柊木が空を見上げる。
晴れているけれど、一部に灰色の雲がかかっていて、小雨がぽつぽつと降ってきていた。
いつもは常備しているのに、こんな日に限って折りたたみ傘を忘れた。天気雨ならすぐ止むだろうか。
「傘持ってきてよかった」
「え、意外だな」
「妹が今日は雨降るかもしれないから持ってけって」
柊木がカバンからピンクの折り畳み傘を取り出す。意外とかわいい色が好きなんだなと、俺は目を丸くした。
「……妹の傘だから」
俺の考えていることが伝わったのか、柊木はムッと口の端を尖らせながら、自分の趣味ではないと説明してくる。そんな様子に俺は苦笑した。
「三崎、濡れるから入って」
折り畳み傘が空に向かって開かれる。和んでいた空気が一変して、俺は体が動かなくなった。
もしも誰かに見られて、中学の頃のように誤解され、変な噂を学校で流されたとしたら?
柊木にも迷惑がかかるし、俺の学校生活だって中学のときのように息苦しくなるかもしれない。血の気が引き、俺は顔を隠すようにキャップ帽のつばを掴む。
「……帽子あるから大丈夫」
「それでも服濡れるだろ。ほら」
柊木が俺に向かって手を伸ばしてくる。その手を取る勇気が出ない。
誤解される可能性があると柊木は思わないのだろうか。それとも、俺が自意識過剰なだけなのかもしれない。
躊躇っていると、柊木が傘を俺に傾けてきた。
「なあ、もう一箇所行きたい場所があるから付き合って」
「え……うん」
結局、俺は柊木と一本の傘に入りながら雨に濡れた道を歩く。周りの視線ばかりを気にしている俺に対して、柊木はクレープの話ばかりしてくる。
「犬のクレープは桃味らしい。食べてみたい」
「あと季節のクレープも美味そうだったな」
「次はふたつくらい買ってもいいかも」
傘の中で、柊木の声が響く。俺はただ相槌を打ちながら聞くことしかできなかった。
肩が触れて、視線を上げると頭上の傘は俺の方に傾けられていることに気づく。
傘の角度から、柊木の優しさを感じて胸が締めつけられる。
……柊木の傘なのに。
俺ばかりが雨から守られて、柊木の左側は濡れている。
「着いた」
連れてこられたのは、淡い水色から青、紫へと移ろう紫陽花が、道の両脇を埋めるように咲き誇る場所だった。
湿り気を含んだ空気の中で、花びらは雨粒を弾き、静かに揺れていた。
「……綺麗だな」
気づけば、そんな言葉を口にしていた。紫陽花なんて、ただの季節の花だと思っていたのに。淡く滲むような色彩に、不意に心を掴まれる。
「ここ俺のお気に入り」
得意げに微笑む柊木の横顔は、どこか誇らしげだ。
「俺、雨が苦手だったんだ。でも……雨も悪くないな」
雨が降るたびに蘇っていた嫌な記憶が、この景色の中でゆっくりと薄れていく。雨が降ると憂鬱だったけれど、今は気分が穏やかだった。
「雨、苦手なんだ? まあ、濡れるしな」
その気持ちもわかると頷く柊木に、俺は「嫌なことがあって」と消えそうな声で呟く。
「そっか」
柊木は無理に聞こうとはしてこない。ただじっと俺を見つめるだけだった。
「……中学の頃、傘を忘れて同級生の傘に入れてもらったんだ。それを目撃されて……翌日からからかわれるようになって……相手にも迷惑かかって」
口にするとくだらないことだなと思う。そんなからかいなんて気にする必要ないのにと、他人事だったら俺は思っていただろう。
だけど、当時の俺にとって勝手に周囲から決めつけて話される噂話が息苦しくて仕方なかった。
違うと説明しても、ニヤニヤとしながら流される。俺の言葉なんて誰も信じてくれない。
「だから、もしも俺といることで柊木も変な噂立てられたら……」
歯を食いしばり、手をきつく握りしめる。
