私は大学院が新体制になってからの1期生だったので同期に日本人が多かった。社会人入学を制度化したのではないか。広島から県を跨いで登校する院生がいて、博士前期課程の者が共通で受講する科目は19時や20時から開始だった。22時まで講義があり、すぐに浜田駅行きの最終便のバスに乗る。某事件が起こるまではタイトな時刻表でその後は便数が1本追加された覚えがある。ときたまバスに乗り遅れたこともあったが、その際は徒歩で帰宅する。当時は片庭町に住んでいたので被害者の方と同じ暗い隘路を歩いていた可能性が高い。街灯はない。懐中電灯を持って歩く女子学生をたまに見かけた。ふっと姿が消えるので不思議に思っていたが、神社の境内を横切る近道があったと後で知った。前期課程ではほとんど研究もせずSKE48にのぼせていた。修士論文で服部之総の宗教観を扱い、後期課程でも博士候補者試験は服部之総研究で合格した。長沢町に転居後だった。



