《プロローグ 引退》
冒険は楽しかった。
でも、永遠じゃない。
「グォオオオォォォォ――――ッ!?」
目の前で魔王と呼ばれた存在の肉体が崩壊していく。
胸部の中心に露出したコア。その中心では、勇者と呼ばれた若者が突き刺した聖剣が光を放っている。
ひとつ前に踏破したダンジョンで俺たちが手に入れた聖剣は、言い伝えの通りに自らの主を選んだ。
「やった……! やったんだ! 僕は……魔王を倒したんだ!!」
それが勇者だ。
聖剣を持つまでまともに戦った経験もなかった子どもが、ほんのひと月で魔王と呼ばれるダンジョンボスを倒した。
(これが格の差って奴か)
俺は魔王を縛り付けていた最上級拘束魔法を解除する。
神さえも束縛すると呼ばれる大出力拘束魔法は、冒険者歴十五年の俺でも取り扱いに注意が必要だった。発動すれば魔法の維持に全神経を集中しなければならず、まともに防御も回避もできない。
それでも躊躇わずに魔法を使えたのはもちろん勇者がいたから――ではなく、一〇年の付き合いになるパーティメンバーがいたからだ。
「レクス、ご苦労さま」
足元に落ちていた小さなガラス玉を拾い上げていた俺に、キン、という金属音と共に、パーティメンバーであるリーネが近付いてくる。
彼女を見上げた瞬間、俺の心臓が跳ねた。
一〇年経っても、この反応だけは変わらない。見慣れたりしない。
銀に近い淡い金髪が、崩れゆく魔王城の光を受けて輝いている。薄い紫の瞳は戦いの緊張から解放されて、柔らかな光を湛えていた。透き通るような白い肌には戦闘の埃が付着しているが、それすらも彼女の美しさを損なうことはない。
ハーフエルフ。
人間の父と森エルフの母を持つ彼女は、俺より六つ年上でありながら、見た目は二十代前半のままだ。一〇年前、駆け出しの冒険者だった俺にとって、彼女は眩しいほどに美しい年上の先輩だった。
今でも、その印象は変わらない。
「そっちこそ、生き残ったな」
「……ええ、そうね。これで新しいダンジョンはもう現れないはず」
リーネはほっと息を漏らしながら、体に付いた戦いの痕跡をはたき落としていく。
目にも止まらない早さで剣を振るう魔法剣士でも、戦場に舞い散る土煙や埃までは防げない。
よく見れば胸や手足を守る鎧、そして魔法で守られているはずの衣服にも細かな傷がいくつも出来ていた。
「そうだといいが、そうもいかないかもな」
「えっ?」
俺は喜びに打ち震えている勇者を見守るリーネに治癒魔法を掛けながら、彼女の疑問に答えた。
さっき拾ったガラス玉は、とりあえずポケットに入れておく。
「確かに今現在、各地にダンジョンを生み出している存在はこうやって倒した。けど、この世界にこのダンジョンを送り込んだ連中はそのままだ」
「まさか、また同じように魔王のダンジョンがどこかに作られるっていうの?」
リーネはその薄紫の瞳を揺らしながら、僅かに震える声で言った。
彼女の親戚が治める王国は、他国と同じようにダンジョンから溢れた魔物たちの侵攻で大きな被害を受けた。
ダンジョンはある日突然出現し、そこから魔物達を吐き出す。
事前に準備をすることもできず、ある農村なんて収穫祭の最中に村の真ん中にダンジョンの入り口が出現してしまい、村人の大半がそこから出現した魔物達の犠牲になった。
今も同じような被害は各地で発生しているだろう。それを防ぐために正規軍は掛かりきりで、ダンジョン攻略はもっぱら俺たち冒険者の仕事だった。
(ああそうか、これからは冒険者の仕事も変わっていくってことか……)
俺は一抹の寂しさを隠しながら、リーネの治療を続ける。
俺たちのパーティは勇者が合流するまで三人しか居なかったから、前衛でも簡単な魔法を使えるし、俺みたいな魔法使いでも最低限の近接戦闘をこなせる。
少人数パーティでの専業化は、生存率の低下にしかならない。
「いや、すぐにどうこうってことはないだろう。でも、いずれはそうなると思う」
「…………」
黙って俺の治療を受けていたリーネが、治癒のために彼女に向けていた俺の手をそっと握る。
躊躇いを感じさせる仕草を振り払うことは、俺には出来なかった。
温かい彼女の手のひらは、手入れのお陰か剣を握り続けてきたとは思えないほど柔らかかった。
(ああ、そういやガルドと一緒にクリームをプレゼントしたことがあったっけ。ガルドの奴、さすが妻帯者なだけあって、こういうプレゼントには強かったな)
「リーネ?」
戦いが終わったせいか、取り留めのない思考がぐるぐると頭の中を回っている。
俺はそれを誤魔化すように、リーネに先を促した。
「王国ではダンジョン管理を司るギルドの設立が準備されてるみたい。あの子をそこの責任者にするんだって」
リーネが視線を向けた先にいるのは、勇者だ。
ダンジョン攻略の立役者。ダンジョンの天敵。
ダンジョンの脅威に立ち向かうなら、これ以上の人選はない。きっと王国だけではなく、ダンジョンを抱えるあらゆる国が同じ判断をするだろう。
「ダンジョンギルドってことか。面白そうな話だな」
最難関と呼ばれたダンジョンを攻略し、これからどう過ごすか考えていた俺にとって、リーネの話は大いに魅力的だった。
なにせ、ダンジョンほど謎に溢れた存在はない。
謎を求めて魔法使いになり、更なる謎を求めて冒険者になり、最終的には魔王を擁する最難関ダンジョンに挑戦した俺にとっては、ダンジョンギルドが管理する世界中のダンジョンを巡るのは新しい目標としてこの上ない将来像だ。
「よう、大したもんだな! 小僧!」
「ちょ、ボクは小僧じゃないって何度言わせるんですかガルドさん!」
「小僧呼びが嫌なら勇者様って呼ぶ方が良いか?」
「ぐぐぐぐ……っ! そ、それはもっとイヤです。でも、だからって……」
俺たちの会話を遮るように、パーティメンバーであるガルドが勇者に絡んでいる。
金髪短髪に傷だらけの顔。筋骨隆々の体躯を誇る戦士は、俺やリーネと同期の冒険者だ。頭の中まで筋肉で出来ているような男だが、仲間としてはこれ以上なく信頼できる。
特に女性関係では、幼馴染みと結婚したガルドほど頼りになる存在はいない。
今でもあいつの幼馴染みは、故郷の村でガルドを待っているだろう。
(ガルドにとっては、あそこに帰るのが目標だった。じゃあ、俺はどうだ? ただダンジョンを巡るだけでいいのか? もっと他に、ダンジョンの謎に迫る方法があるんじゃないか? 世界をダンジョンの脅威から救うための方法が……)
「……っ!!」
俺の頭に、天恵のように閃くものがあった。
攻めるのではなく、管理する。
管理することで見えてくるものがあるんじゃないか?――俺はその思考のままに、リーネに目を向けた。
「リーネ、頼みがある」
「えっ!?」
俺はリーネの手を握り返し、彼女の薄紫の瞳をじっと見詰める。
戦闘の熱から解放されて白さを取り戻していた彼女の肌が、再び朱を帯びていくのが分かった。
緊張させてしまっているのは申し訳ないと思う。だが、王国に伝手のある彼女にしか頼めない。
「……レクス?」
俺が無言になっていることに不安になったのだろう。リーネは先ほどよりもさらに頬を赤らめ、目を潤ませて俺を見詰めていた。
俺はリーネの手を解放し、彼女の両肩に手を置き直す。彼女の肩がびくっと跳ねた。
「……リーネ」
「う、うん」
まるで恋をしているかのように、リーネの美貌が綻んでいく。
戦闘の痕跡夥しいダンジョンの中にあっても、彼女の美貌は少しも損なわれていない。でも、今の俺にはその美貌よりも大切なことがある。
「俺にダンジョンをくれ」
「――――は?」
たっぷり数秒後、リーネは低い声を発した。
潤んでいた目は半眼へと変化して俺を睨め付け、祈るように組み合わされていた両手は拳へと変化した。
「いや、だからダンジョンを……」
「聞こえてるわよ! そうじゃなくて……!」
リーネの声が裏返る。
その瞬間、俺の頬に衝撃が走った。
パァン、という乾いた音が魔王城に響き渡る。
「……っ」
「……っ!」
俺を平手打ちしたリーネ自身が、自分の行動に驚いているようだった。
だが、俺には彼女が怒った理由が分からない。
「……もういい。あなたの願いは叶えてあげる。だから……」
リーネは震える声でそう言い残すと、俺に背を向けて歩き去っていった。
その背中が、やけに小さく見えた。
「……なあ、レクス」
「なんだ、ガルド」
いつの間にか隣に来ていたガルドが、呆れた顔で俺を見ていた。
「お前、本当に分かってないのか?」
「何がだ?」
「……いや、なんでもねえ」
ガルドは深々とため息を吐くと、リーネの後を追っていった。
俺には、二人が何を言いたいのかさっぱり分からなかった。
ただ、頬の痛みだけが、いつまでも消えなかった。
冒険は楽しかった。
でも、永遠じゃない。
「グォオオオォォォォ――――ッ!?」
目の前で魔王と呼ばれた存在の肉体が崩壊していく。
胸部の中心に露出したコア。その中心では、勇者と呼ばれた若者が突き刺した聖剣が光を放っている。
ひとつ前に踏破したダンジョンで俺たちが手に入れた聖剣は、言い伝えの通りに自らの主を選んだ。
「やった……! やったんだ! 僕は……魔王を倒したんだ!!」
それが勇者だ。
聖剣を持つまでまともに戦った経験もなかった子どもが、ほんのひと月で魔王と呼ばれるダンジョンボスを倒した。
(これが格の差って奴か)
俺は魔王を縛り付けていた最上級拘束魔法を解除する。
神さえも束縛すると呼ばれる大出力拘束魔法は、冒険者歴十五年の俺でも取り扱いに注意が必要だった。発動すれば魔法の維持に全神経を集中しなければならず、まともに防御も回避もできない。
それでも躊躇わずに魔法を使えたのはもちろん勇者がいたから――ではなく、一〇年の付き合いになるパーティメンバーがいたからだ。
「レクス、ご苦労さま」
足元に落ちていた小さなガラス玉を拾い上げていた俺に、キン、という金属音と共に、パーティメンバーであるリーネが近付いてくる。
彼女を見上げた瞬間、俺の心臓が跳ねた。
一〇年経っても、この反応だけは変わらない。見慣れたりしない。
銀に近い淡い金髪が、崩れゆく魔王城の光を受けて輝いている。薄い紫の瞳は戦いの緊張から解放されて、柔らかな光を湛えていた。透き通るような白い肌には戦闘の埃が付着しているが、それすらも彼女の美しさを損なうことはない。
ハーフエルフ。
人間の父と森エルフの母を持つ彼女は、俺より六つ年上でありながら、見た目は二十代前半のままだ。一〇年前、駆け出しの冒険者だった俺にとって、彼女は眩しいほどに美しい年上の先輩だった。
今でも、その印象は変わらない。
「そっちこそ、生き残ったな」
「……ええ、そうね。これで新しいダンジョンはもう現れないはず」
リーネはほっと息を漏らしながら、体に付いた戦いの痕跡をはたき落としていく。
目にも止まらない早さで剣を振るう魔法剣士でも、戦場に舞い散る土煙や埃までは防げない。
よく見れば胸や手足を守る鎧、そして魔法で守られているはずの衣服にも細かな傷がいくつも出来ていた。
「そうだといいが、そうもいかないかもな」
「えっ?」
俺は喜びに打ち震えている勇者を見守るリーネに治癒魔法を掛けながら、彼女の疑問に答えた。
さっき拾ったガラス玉は、とりあえずポケットに入れておく。
「確かに今現在、各地にダンジョンを生み出している存在はこうやって倒した。けど、この世界にこのダンジョンを送り込んだ連中はそのままだ」
「まさか、また同じように魔王のダンジョンがどこかに作られるっていうの?」
リーネはその薄紫の瞳を揺らしながら、僅かに震える声で言った。
彼女の親戚が治める王国は、他国と同じようにダンジョンから溢れた魔物たちの侵攻で大きな被害を受けた。
ダンジョンはある日突然出現し、そこから魔物達を吐き出す。
事前に準備をすることもできず、ある農村なんて収穫祭の最中に村の真ん中にダンジョンの入り口が出現してしまい、村人の大半がそこから出現した魔物達の犠牲になった。
今も同じような被害は各地で発生しているだろう。それを防ぐために正規軍は掛かりきりで、ダンジョン攻略はもっぱら俺たち冒険者の仕事だった。
(ああそうか、これからは冒険者の仕事も変わっていくってことか……)
俺は一抹の寂しさを隠しながら、リーネの治療を続ける。
俺たちのパーティは勇者が合流するまで三人しか居なかったから、前衛でも簡単な魔法を使えるし、俺みたいな魔法使いでも最低限の近接戦闘をこなせる。
少人数パーティでの専業化は、生存率の低下にしかならない。
「いや、すぐにどうこうってことはないだろう。でも、いずれはそうなると思う」
「…………」
黙って俺の治療を受けていたリーネが、治癒のために彼女に向けていた俺の手をそっと握る。
躊躇いを感じさせる仕草を振り払うことは、俺には出来なかった。
温かい彼女の手のひらは、手入れのお陰か剣を握り続けてきたとは思えないほど柔らかかった。
(ああ、そういやガルドと一緒にクリームをプレゼントしたことがあったっけ。ガルドの奴、さすが妻帯者なだけあって、こういうプレゼントには強かったな)
「リーネ?」
戦いが終わったせいか、取り留めのない思考がぐるぐると頭の中を回っている。
俺はそれを誤魔化すように、リーネに先を促した。
「王国ではダンジョン管理を司るギルドの設立が準備されてるみたい。あの子をそこの責任者にするんだって」
リーネが視線を向けた先にいるのは、勇者だ。
ダンジョン攻略の立役者。ダンジョンの天敵。
ダンジョンの脅威に立ち向かうなら、これ以上の人選はない。きっと王国だけではなく、ダンジョンを抱えるあらゆる国が同じ判断をするだろう。
「ダンジョンギルドってことか。面白そうな話だな」
最難関と呼ばれたダンジョンを攻略し、これからどう過ごすか考えていた俺にとって、リーネの話は大いに魅力的だった。
なにせ、ダンジョンほど謎に溢れた存在はない。
謎を求めて魔法使いになり、更なる謎を求めて冒険者になり、最終的には魔王を擁する最難関ダンジョンに挑戦した俺にとっては、ダンジョンギルドが管理する世界中のダンジョンを巡るのは新しい目標としてこの上ない将来像だ。
「よう、大したもんだな! 小僧!」
「ちょ、ボクは小僧じゃないって何度言わせるんですかガルドさん!」
「小僧呼びが嫌なら勇者様って呼ぶ方が良いか?」
「ぐぐぐぐ……っ! そ、それはもっとイヤです。でも、だからって……」
俺たちの会話を遮るように、パーティメンバーであるガルドが勇者に絡んでいる。
金髪短髪に傷だらけの顔。筋骨隆々の体躯を誇る戦士は、俺やリーネと同期の冒険者だ。頭の中まで筋肉で出来ているような男だが、仲間としてはこれ以上なく信頼できる。
特に女性関係では、幼馴染みと結婚したガルドほど頼りになる存在はいない。
今でもあいつの幼馴染みは、故郷の村でガルドを待っているだろう。
(ガルドにとっては、あそこに帰るのが目標だった。じゃあ、俺はどうだ? ただダンジョンを巡るだけでいいのか? もっと他に、ダンジョンの謎に迫る方法があるんじゃないか? 世界をダンジョンの脅威から救うための方法が……)
「……っ!!」
俺の頭に、天恵のように閃くものがあった。
攻めるのではなく、管理する。
管理することで見えてくるものがあるんじゃないか?――俺はその思考のままに、リーネに目を向けた。
「リーネ、頼みがある」
「えっ!?」
俺はリーネの手を握り返し、彼女の薄紫の瞳をじっと見詰める。
戦闘の熱から解放されて白さを取り戻していた彼女の肌が、再び朱を帯びていくのが分かった。
緊張させてしまっているのは申し訳ないと思う。だが、王国に伝手のある彼女にしか頼めない。
「……レクス?」
俺が無言になっていることに不安になったのだろう。リーネは先ほどよりもさらに頬を赤らめ、目を潤ませて俺を見詰めていた。
俺はリーネの手を解放し、彼女の両肩に手を置き直す。彼女の肩がびくっと跳ねた。
「……リーネ」
「う、うん」
まるで恋をしているかのように、リーネの美貌が綻んでいく。
戦闘の痕跡夥しいダンジョンの中にあっても、彼女の美貌は少しも損なわれていない。でも、今の俺にはその美貌よりも大切なことがある。
「俺にダンジョンをくれ」
「――――は?」
たっぷり数秒後、リーネは低い声を発した。
潤んでいた目は半眼へと変化して俺を睨め付け、祈るように組み合わされていた両手は拳へと変化した。
「いや、だからダンジョンを……」
「聞こえてるわよ! そうじゃなくて……!」
リーネの声が裏返る。
その瞬間、俺の頬に衝撃が走った。
パァン、という乾いた音が魔王城に響き渡る。
「……っ」
「……っ!」
俺を平手打ちしたリーネ自身が、自分の行動に驚いているようだった。
だが、俺には彼女が怒った理由が分からない。
「……もういい。あなたの願いは叶えてあげる。だから……」
リーネは震える声でそう言い残すと、俺に背を向けて歩き去っていった。
その背中が、やけに小さく見えた。
「……なあ、レクス」
「なんだ、ガルド」
いつの間にか隣に来ていたガルドが、呆れた顔で俺を見ていた。
「お前、本当に分かってないのか?」
「何がだ?」
「……いや、なんでもねえ」
ガルドは深々とため息を吐くと、リーネの後を追っていった。
俺には、二人が何を言いたいのかさっぱり分からなかった。
ただ、頬の痛みだけが、いつまでも消えなかった。
