シュレディンガーはたぶん猫。

騒動から一夜明けた、本日。
放課後、俺たちは誰もいない二組の教室の片隅で、作戦会議のようなものを開いている。

本格的な会議の始まりは、人間が地球のことをシュレに訊かれて分かることを答えたり、こっちからも宇宙のことを軽く訊いたり、という、少しユルめの形式から始まった。
俺も片山も素粒子関連の詳細は分かっていないし、シュレも説明できない&地球の言語には翻訳できない単語や概念があるとかで、お互い答えられなかったり分からなかったりもしたが。

「そういえば、シュレ。お前、今後は他にも虫が繁殖してないか確かめる予定、と言っていたな?今日は捜索に出るか?」

昨日、別れ際にシュレが言っていたことを、俺は確認する。

シュレの母集団への帰還を助ける代わりに、人間に有害な宇宙産の虫を発見したら、確実に全部シュレに捕獲処理してもらう。
昨日、そういう約束を、俺たちふたりと一匹?は交わしたのだ。
アイスを食べている間に。

『そうだが……急にどうした?ミヤモト』
「俺もそれに同行したいんだが、いいか?」

突然話題が変わったからか、シュレから大きく疑問の気配が伝わってくる。

「だっ、駄目だ!!」

しかしシュレがそれに何か答える前に、横から「断固反対だ!!」と言わんばかりの強い声が飛んできた。
片山だ。

「シュレに訊いてる。何でお前が駄目だと言うんだ?」
「だって……危ないだろうが……」

俺の文句に、片山はゴネたような声になる。
何でか、コイツは俺に対して、そういう口調になることが増えている。
親しみなのか、甘えるような態度……。
そのたび、少し変な気持ちになる。

「確かに危険だろうが、だからこそ、他にも侵入されてないか、しっかり調べておきたいだろ。離れて見て観察するだけだ。分かってないと、俺たちも今後の対応手伝えないし」
「それは、そうかもしんねぇけど……」

ブツブツと文句を口ごもる片山。
どうやら「心配だから調べた方がいいのかも」という認識自体は、ないこともないらしい。
なので、俺はこのままの勢いで説得することに決めた。

「シュレがいる時にしか虫を追わない。それなら全然危なくないだろう?」

片山はまだ不安そうだが、それでも力で強引に押し切ろうと、意識的に口調を強くする。

「だ、だったら、シュレ。俺らにもあの虫の捕まえ方や殺し方を教えろ。そしたら安全だろ?」

このままでは俺を説得できないと理解したようで、安心安全を求めた片山は、シュレの方に助けを求める。

『捕まえ方か殺し方、か。人間には厳しいと思うが?』

申し入れに、シュレは難色を示す。
確かに、あんなに素早く、ものの二秒足らずで相手を分解するという虫相手に、ただの人間ができることは少ないに違いない。

が、そこでシュレはあることに気が付いたようだった。

『……いや。そうか、吾輩が混じっているのなら、あるいは』
「何かあるのか、方法が!」

思わず前のめりになる片山。
しかし、シュレはどうにもその案には気が進まなそうだ。

『吾輩の不注意で、吾輩とお前たちの素粒子構成が変に混ざってしまっただろう?』

改めて、というようにシュレは確認してくる。念を押すような口調で。

「うん」
「ああ、そうだな」

俺たちも、大きく頷く。

何しろこの会議開始前も、前振り無しの「互いの耳がきのこのように足に生える」という突然の変異にびびって、テンパってしまった。
本当、他に誰も教室にいなくて助かった……。
シュレも分かっているだろう?」とばかりに頷いてみせる。

『お前たちに混じる吾輩の素粒子量を、意識的に増大させるとするなら。吾輩の虫を捕獲し消す能力が、お前たちにも多少は使えるようになる、かもしれん』

そうして、思いもよらなかった情報を俺たちに公開した。

「俺たちにも、使える……?」

あの虫を捕まえる瞬間のシュレを、昨日俺たちは確かにこの目で見たはずだが、人間の目にはあまりにも動きが素早過ぎて「一体どう捕まえたのか」は、全然分からなかった。
もしもっとたくさん「混じる」なら、人間の俺たちにもあれに近い動きが可能になる、とでもいうのか。

『かもしれん、だ。確実性は担保できない。その上、変異はずっと大きく重く進むぞ。今までの比ではない勢いで、急速に異形化が進む可能性がある』

が、当然、メリットだけではないらしい。
デメリットがある。
それも、かなり重めの。

ほんの十数分前、またしても初日同様の大騒ぎをしてしまったわけで、「あれより大きな変異こそが代償だ」と言われると、どうしたものか困ってしまう。

『変異を消したかったからこそ、吾輩に頼ったんだろう?なのに、逆に増やすのか?お前たちにも、さすがにそこまで人間を辞める覚悟はなかろうて』

だよな。
あんまりにもデメリットが大き過ぎて、無理だ。

などと、俺も考える。
ただ、片山は「無理」と思ってはいない様子だった。

「でも。もしあの時、あの虫が、宮本を分解していたら。俺は……きっと今、耐えられてない」
「片山?」

眉間にしわを寄せて深刻に言われて、「そういえば、ちょうど俺の背中にくっついていたあの虫を、シュレが捕まえたんだったな」と思い出す。

そ、そうだった。
あの時は、たまたま食われはしなかったようだが……。
もしそうじゃなかったら、包帯で試した時みたいに、ほんの二秒ほどで分解されて食われて、完全に存在がこの世から消えていたかもしれなかったんだ……。
落ち着いてよくよく思い返してみれば、あれはとんでもなく恐ろしい状況だったのだ。

「知ってる奴がいなくなるの、キツい……」

言いながら、ぎゅっと手首を捕まれてしまって、驚く。

うわ……!!
コイツは、俺が他人との接触が苦手な奴だってことを、全く知らないんだよな!!
だから、何のためらいもなく、そうしてきたんだろうけど……!!

「……っ、片山」

だけども、必死にすがってきているこの視線と握力に、「放せ」とは、とても言えなかった。

そんなに頼るみたいに触れられると、困るんだが……!!
こっちはずっと「いけ好かない素行不良男」とばかり、思っていたのに。
たった一日で認識を変えられてしまった。

意外と話せる奴だったし、それに、「自分にはもう家族がいない、天涯孤独の身だ」とも、コイツは語っていた。
片山にとってはそれだけ、「親しい人間の貴重さ」が重いのかもしれない。
色々知り過ぎて、その手を振り払うことは、もうさすがにできない……。

「……さすがに変異は保留、な。もう少し落ち着いて慎重に考えるべきだ、こういうことは」

俺は片山の気持ちをなだめるように、口走る。

たぶん……こういう時、友達関係だったら、慰めるんだろうな。
肩や背中に、触れたりして……。

俺は自然と、そう考える。

自然と、手が伸びた。
「触りたくない」みたいな感覚は、もうコイツにはそこまでなかった。
何でか。

そのガチガチに力が込められた片山の肩を、数度、やわく叩いてやる。
何度かそうしてやると、ようやく少しずつ、じわりと脱力していった。

「そう、だな……」

こくりと、頭がただ一度わずかに揺れただけの、小さな頷きが返って来る。
納得させられたようで、俺もホッとした。

どうやら、上手く触れ返せたみたいだ……。

それにしても、片山は、感情的になって先走るところがあるみたいだ。
その脳内に「慎重」という文字はなくて、一度覚悟を決めると、アクセルを踏むことに全くためらいがない。

つまり、ブレーキは俺の役割、ってことか。