じわじわと蝉が鳴いていた。
その鳴き声に混ざるのは、人の泣き声だ。
もういないはずの妹が、俺の足元に座り込み、わんわんと泣いている。
蝉しぐれに負けない声量で。
……これは、小学生の頃、四年生くらいだっけか。
父方の実家近くの山に行った時の夢だ。
まだ天涯孤独になる前、家族が、父さんと妹が存在していた頃の。
「おにいちゃんが、セミのこと、ころした」
嗚咽交じりに父さんに告発するのを耳で聞きながら、俺は自分の両手の中を見つめている。
コロリと力なく転がる蝉の体には、いくつかパーツが足りない。
汗ばんだ指の股には千切れた脚らしきものが張り付いている。
はらりと二枚の羽が地面に落ちた。
「ちがう……ぼく、セミのこと、すき。すきだから、たくさんカンサツしたくて。もっと、みたくて、それで……」
俺は頭を振る。
違う。
違う。
殺したかったんじゃない。
そんな俺を、父さんは目を見開いて見つめていた。
落ちた沈黙が恐ろしかった。
蝉と妹の声だけが喧騒を生み出しているその空間は、どこか異世界に迷い込んだかのように思えた。
「蒼」
名を呼ばれて、怒られる、と思ってビクリとこの身を固くする。
しかし、やがて父さんはなだめるように諭すように、俺の頭を撫でてきた。
「生きものには、優しくしなさい」
それだけを言い置くと、父さんは俺の両手のひらから、蝉の体とへばりついた脚のいくつか、そして落ちていた羽二枚を自分の手に拾い上げる。
そうして、俺の背を押して促した。
「……埋めてあげよう」
父さんはそれっきり話さず、黙々と近くの木の根元に枯れ枝で穴を掘って、蝉を埋めた。
その後、使った枝を立ててまるで墓標のようにする。
そうして、両の手を合わせた。
だから、俺も同じように父の動きをトレースする。
「こういう時」には、人はそうすべきなのだと学んで。
蝉と妹だけは、いまだ激しくないている。
それ以外の静寂を壊すように、俺の左の手のひらから、ケタケタと誰とも分からない笑い声がした。
違うだって。
違うだって。
アハハハハ、認めたっていいだろうが。
お前は好奇心で蝉を殺す人間だ。
そろそろもっと大きな、いっそ猫や俺だって殺すんじゃないか?
それはとても、大切な人のはずの宮本の声に似ていた。
ジリジリと太陽が頬を焦がしている。
蝉しぐれも妹の嗚咽も誰とも知れない声も、強く耳をえぐり続ける……。
「違う、違う……!!俺は宮本のことを傷付けたくはない、大事にしたいのに……っ!!」
起き上がると、ぽたぽたと汗と涙が落ちた。
「っ、はあっ、はあっ……!!」
呼吸が限界まで荒くなっていて、苦しくてたまらない。
見慣れた俺の部屋に、自分一人の息遣いと嗚咽が響く。
宮本はいない。
シュレもいない。
一人きりだった。
ざあああああ……。
外では雨が降っている。
雨脚はかなり強い。
換気扇から隙間風が入ってきているようで、ひゅううう、と小さく高い音が鳴っていた。
「は、こんなだから、俺は父さんに捨てられたのかな……」
久しぶりに、この夢を見た……。
本当に好きだと思って大切に観察したかったのに、逆に殺してしまった、蝉の夢。
それは今、「本当に大切な人」ができてしまったことが原因で見た夢なのだと、自分でも分かっている。
「宮本……」
俺はその名前を呼ぶ。
縋る気持ちで。
本人はもうここにはいない。
けれども、気配は残っているはずだ。
今日も街中での虫の捕獲作業後、宮本はこの部屋に寄ったのだ。
昼休みには全身の制服の着こなしの乱れと髪の毛を整えてくれた。
帰り際、変異のせいで俺に増えた鼻を消すために、背中に顔を寄せてもくれた。
俺はベッドの端、ちょうど六時間前に宮本が遠慮がちに座っていた部分に手探りで触れる。
そして首元……まだ脱ぐことができずに着たままの制服のシャツの襟にも手を伸ばす。
「背中じゃなかったら、そっちも触れたのに……」
最初は、上から目線でいけ好かない奴だと思っていた。
けど、服装や態度を直さずにいれば、必ず俺のところに飛んでくる奴。
何度も何度も熱心に説教して、俺の相手をしようとしてくれる奴。
そんな人間は初めてだった。
毎朝必ず宮本に話しかけられるためにも、宮本に指摘されたことは絶対に変えない、と決めていた。
そうやって説教される間だけは、俺が唯一「宮本風紀委員長」を独り占めできる時間だった。
休み時間や放課後は松岡と山瀬がつるんでいるし、風紀委員たちには「委員長委員長」と頼られて毎度忙しくしているし、生徒会のメンバーにも信頼されていて、基本的に忙しい男なのだ。
そもそも、奴には自分が結構、他の生徒たちに好かれている、っていう自覚がない。
見ているだけだった。
……だったのに。
そうじゃなくなってしまった。
シュレとの出会いがあったことで、驚くくらいに距離が縮まった。
あの日、触れたり触れてきたりしたあの口が、感触が、宮本のものだと知った俺が、どれだけその状況に喜んでその夜打ち震えていたか、アイツは全く知らない。
会話して連れ立って行動できるばかりか、常に触れたり触れられたりするようになった。
意外と世話焼きな性格もあってか、全力で構い返される。
そんな日々を何日も何日も過ごしていたら、もう少しも気持ちを止められる気がしなかった。
宮本が死んだら、きっと俺も死ぬ。
何となく、それは現実的なルートだと感じる。
宮本がいない場では、生きていようと思える要素の八割くらいは消えてしまうからだ。
だから、本当は虫なんかには関わりたくなかった。
過去の蝉の記憶もあって。
そして、もしシュレの素粒子が混ざっていなかった場合、宮本の背中に止まっていた「始祖」は、あの瞬間に宮本の存在を完全に消し去ってしまっていたかもしれないという事実を知って。
それで俺がどれだけ恐怖に駆られて発狂しかけたのか、それさえも、宮本は知らない。
「宮本……絶対に守るから……。いなくならないで」
この部屋で宮本と過ごす時間も、学校で制服の着こなしを直される時間も、触れたり触れられたりする時に恥ずかし気にためらった表情になるその顔も。
宮本に関することは何一つ、失いたくはなかった。
その鳴き声に混ざるのは、人の泣き声だ。
もういないはずの妹が、俺の足元に座り込み、わんわんと泣いている。
蝉しぐれに負けない声量で。
……これは、小学生の頃、四年生くらいだっけか。
父方の実家近くの山に行った時の夢だ。
まだ天涯孤独になる前、家族が、父さんと妹が存在していた頃の。
「おにいちゃんが、セミのこと、ころした」
嗚咽交じりに父さんに告発するのを耳で聞きながら、俺は自分の両手の中を見つめている。
コロリと力なく転がる蝉の体には、いくつかパーツが足りない。
汗ばんだ指の股には千切れた脚らしきものが張り付いている。
はらりと二枚の羽が地面に落ちた。
「ちがう……ぼく、セミのこと、すき。すきだから、たくさんカンサツしたくて。もっと、みたくて、それで……」
俺は頭を振る。
違う。
違う。
殺したかったんじゃない。
そんな俺を、父さんは目を見開いて見つめていた。
落ちた沈黙が恐ろしかった。
蝉と妹の声だけが喧騒を生み出しているその空間は、どこか異世界に迷い込んだかのように思えた。
「蒼」
名を呼ばれて、怒られる、と思ってビクリとこの身を固くする。
しかし、やがて父さんはなだめるように諭すように、俺の頭を撫でてきた。
「生きものには、優しくしなさい」
それだけを言い置くと、父さんは俺の両手のひらから、蝉の体とへばりついた脚のいくつか、そして落ちていた羽二枚を自分の手に拾い上げる。
そうして、俺の背を押して促した。
「……埋めてあげよう」
父さんはそれっきり話さず、黙々と近くの木の根元に枯れ枝で穴を掘って、蝉を埋めた。
その後、使った枝を立ててまるで墓標のようにする。
そうして、両の手を合わせた。
だから、俺も同じように父の動きをトレースする。
「こういう時」には、人はそうすべきなのだと学んで。
蝉と妹だけは、いまだ激しくないている。
それ以外の静寂を壊すように、俺の左の手のひらから、ケタケタと誰とも分からない笑い声がした。
違うだって。
違うだって。
アハハハハ、認めたっていいだろうが。
お前は好奇心で蝉を殺す人間だ。
そろそろもっと大きな、いっそ猫や俺だって殺すんじゃないか?
それはとても、大切な人のはずの宮本の声に似ていた。
ジリジリと太陽が頬を焦がしている。
蝉しぐれも妹の嗚咽も誰とも知れない声も、強く耳をえぐり続ける……。
「違う、違う……!!俺は宮本のことを傷付けたくはない、大事にしたいのに……っ!!」
起き上がると、ぽたぽたと汗と涙が落ちた。
「っ、はあっ、はあっ……!!」
呼吸が限界まで荒くなっていて、苦しくてたまらない。
見慣れた俺の部屋に、自分一人の息遣いと嗚咽が響く。
宮本はいない。
シュレもいない。
一人きりだった。
ざあああああ……。
外では雨が降っている。
雨脚はかなり強い。
換気扇から隙間風が入ってきているようで、ひゅううう、と小さく高い音が鳴っていた。
「は、こんなだから、俺は父さんに捨てられたのかな……」
久しぶりに、この夢を見た……。
本当に好きだと思って大切に観察したかったのに、逆に殺してしまった、蝉の夢。
それは今、「本当に大切な人」ができてしまったことが原因で見た夢なのだと、自分でも分かっている。
「宮本……」
俺はその名前を呼ぶ。
縋る気持ちで。
本人はもうここにはいない。
けれども、気配は残っているはずだ。
今日も街中での虫の捕獲作業後、宮本はこの部屋に寄ったのだ。
昼休みには全身の制服の着こなしの乱れと髪の毛を整えてくれた。
帰り際、変異のせいで俺に増えた鼻を消すために、背中に顔を寄せてもくれた。
俺はベッドの端、ちょうど六時間前に宮本が遠慮がちに座っていた部分に手探りで触れる。
そして首元……まだ脱ぐことができずに着たままの制服のシャツの襟にも手を伸ばす。
「背中じゃなかったら、そっちも触れたのに……」
最初は、上から目線でいけ好かない奴だと思っていた。
けど、服装や態度を直さずにいれば、必ず俺のところに飛んでくる奴。
何度も何度も熱心に説教して、俺の相手をしようとしてくれる奴。
そんな人間は初めてだった。
毎朝必ず宮本に話しかけられるためにも、宮本に指摘されたことは絶対に変えない、と決めていた。
そうやって説教される間だけは、俺が唯一「宮本風紀委員長」を独り占めできる時間だった。
休み時間や放課後は松岡と山瀬がつるんでいるし、風紀委員たちには「委員長委員長」と頼られて毎度忙しくしているし、生徒会のメンバーにも信頼されていて、基本的に忙しい男なのだ。
そもそも、奴には自分が結構、他の生徒たちに好かれている、っていう自覚がない。
見ているだけだった。
……だったのに。
そうじゃなくなってしまった。
シュレとの出会いがあったことで、驚くくらいに距離が縮まった。
あの日、触れたり触れてきたりしたあの口が、感触が、宮本のものだと知った俺が、どれだけその状況に喜んでその夜打ち震えていたか、アイツは全く知らない。
会話して連れ立って行動できるばかりか、常に触れたり触れられたりするようになった。
意外と世話焼きな性格もあってか、全力で構い返される。
そんな日々を何日も何日も過ごしていたら、もう少しも気持ちを止められる気がしなかった。
宮本が死んだら、きっと俺も死ぬ。
何となく、それは現実的なルートだと感じる。
宮本がいない場では、生きていようと思える要素の八割くらいは消えてしまうからだ。
だから、本当は虫なんかには関わりたくなかった。
過去の蝉の記憶もあって。
そして、もしシュレの素粒子が混ざっていなかった場合、宮本の背中に止まっていた「始祖」は、あの瞬間に宮本の存在を完全に消し去ってしまっていたかもしれないという事実を知って。
それで俺がどれだけ恐怖に駆られて発狂しかけたのか、それさえも、宮本は知らない。
「宮本……絶対に守るから……。いなくならないで」
この部屋で宮本と過ごす時間も、学校で制服の着こなしを直される時間も、触れたり触れられたりする時に恥ずかし気にためらった表情になるその顔も。
宮本に関することは何一つ、失いたくはなかった。
