花火みたいな恋だった

 月曜日の放課後。
 両腕とふくらはぎに残る鈍い筋肉痛が、土曜日の過酷な労働の記憶を嫌でも呼び起こす。
 終礼が終わるや否や、俺は逃げるように教室を飛び出した。向かったのは写真部の部室ではなく、駅の反対側にある町外れの神社だった。

(あんなに運ばせておいて、中身も見せないなんて……)

 納得がいかなかった。
 ただのパシリとしてこき使われたことへの怒りよりも、あの異常に重かった段ボールの正体を突き止めたいという、純粋な好奇心が勝っていた。あの悪女が監視の目を光らせる前に、先回りして確認してやる。

 通算四度目の、手ぶらであっても十分にキツい百段の石段を登り切り、息を切らしながら境内に足を踏み入れる。
 午後の斜陽が、鬱蒼とした木々の隙間から光の筋を作って地面に落ちていた。

 足音を殺して本殿の裏、あの軒下へと回り込む。
 土曜日に俺が積み上げた段ボール箱は、一番上のものがすでに開けられていた。
 そっと中を覗き込む。

「……は?」

 そこに詰まっていたのは、金塊でも麻薬でもなく、大量のキャットフードの袋と、綺麗に畳まれた古いタオルだった。

 どういうことだ、と眉をひそめたその時。
 奥の草むらの向こうから、子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

「こら、順番。チョコはこっち。……ふふ、欲張りなんだから」

 聞き慣れない、陽だまりのように柔らかい声。
 俺は息を潜め、大きなイチョウの木の陰からそっと様子を窺った。

 そこには、ランドセルを放り出した近所の小学生らしい兄妹と、地面に直接しゃがみ込んでいる遠野結夏がいた。
 彼女の周りには、数匹の野良猫が集まっている。あの雨の日の旧校舎裏で見かけた、薄汚れた猫の姿もあった。

「結夏お姉ちゃん、いっぱいごはんあるね! どうやって持ってきたの?」
「ふふ、秘密。お姉ちゃんは体力がないから、便利なパシリを使って運ばせたのよ」
「えー、ずるい!」

 子供たちが無邪気に笑う。遠野もまた、彼らにつられるように声を立てて笑った。

 学校で見せる、周囲を凍てつかせる三白眼も、相手を切り裂くような冷たい言葉の棘も、そこには微塵もなかった。
 怪我をしているらしい一匹の猫の頭を、古いタオルで優しく拭う手つきはひどく丁寧で。夕日を背に受けて細められた瞳は、見たこともないほど穏やかな慈愛に満ちていた。

 俺はカメラの存在すら忘れ、ただその光景に見入ってしまった。
 自腹で大量のフードを買い、誰にも知られない神社の裏で、この猫たちの面倒を見ているのか。
 じゃあ、あの異常なまでの悪女ムーブはなんだ? ヒール役を地で行く学校での姿と、今目の前にいる聖女のような姿。一体どちらが本物だというんだ。

 思考が激しくショートし、混乱の渦に飲み込まれそうになった時だった。
 一匹の三毛猫が、足元に転がっていたドングリを追いかけて、俺の隠れている木陰の方へトコトコと歩いてきた。

「あ、チョコ、そっち行っちゃダメ……」

 女の子が猫を追いかけて走り出し、そして、木陰に立つ俺とバッチリ目が合った。

「あ、誰かいる!」

 女の子の無邪気な声が、静かな境内に響き渡る。
 ビクッと肩を震わせた遠野が、勢いよくこちらを振り返った。

 目が、合った。

 その瞬間。
 遠野の顔から、ふわりと温もりが消え去った。
 瞬きを一度する間に、彼女はいつもの、見下すような『冷酷な悪女』の表情を完璧に顔面に貼り付けていた。

 ゆっくりと立ち上がり、パンパンと膝の土を払う。そして、氷のように冷たい声で言い放った。

「……何よ。今度は私のプライベートを盗み撮り? 本当に趣味が悪いわね」

 照れ隠しなどという生易しいものではない、明確な拒絶の意志。
 だが、ファインダー越しに世界を観察し続けてきた俺の目は、決して騙されなかった。

 彼女の、透き通るように白い耳の先が、夕焼けのせいではなく、はっきりと赤く染まっていたことを。

「盗み撮りはしてない。ただの……散歩だ」

 俺は苦しい言い訳を口にしながら、居心地の悪さに視線を逸らした。
 昨日の階段での『清涼飲料水』の一件がある。あの理不尽な労働の怒りは、まだ完全に消えたわけじゃない。あいつはやっぱり、ワガママで性格の捻くれた最悪の女だ。

 けれど。

(……やっぱり、お前は何なんだよ)

 頭の中で毒づきながらも、猫の頭を優しく撫でていた、あの白くて細い指先が。
 そして、無防備に世界を愛おしむように笑ったあの顔が。

 脳裏に焼き付いて、どうやっても剥がれ落ちてはくれなかった。
 帰りの百段の石段を下りる間も、俺の胸の奥には、小さな棘のような違和感が、チクチクと心地よく刺さり続けていた。