花火みたいな恋だった

 土曜日の午前十時。
 駅前のロータリーは、休日を楽しむ家族連れや待ち合わせのカップルの喧騒で溢れかえっていた。
 初夏の強い日差しがアスファルトをじりじりと焼き、薄手のシャツ一枚でもうっすらと汗が滲む。俺は首から下げたカメラの重みを持て余しながら、指定されたコインロッカーの前で足を止めた。

「遅いわね」

 不機嫌そうな声に視線を向けると、日陰に立つ遠野結夏の姿があった。
 黒を基調としたオフショルダーのトップスに、ショートパンツ。制服姿の時とは違う、大人びていて、それでいてどこか攻撃的な私服姿。
 俺は一瞬だけ目を奪われそうになったが、彼女の足元にある異様な光景を見て、すぐに現実に引き戻された。

「……なんだ、それ」
「見ればわかるでしょ。荷物よ」

 遠野の隣には、なぜか業務用の折りたたみ式台車が鎮座していた。そして待ち合わせのコインロッカーの中には、ずっしりと重そうな謎の段ボール箱が三つ、タワーのように積み上げられている。

「ほら、これ全部台車に乗せて押して。昨日のペナルティの『荷物持ち』よ。落としたらジュース一生分だからね」
「は? お前、俺をなんだと……」
「私の監視対象兼パシリ。それ以外の何だって言うの?」

 遠野は呆れたように肩をすくめると、手ぶらのままさっさと歩き出してしまった。
 反論する隙も与えられない。俺は深いため息をつきながら台車のハンドルを握り、重すぎる段ボールのタワーを押して彼女の後を追う羽目になった。

(……少しでも期待した俺が馬鹿だった)

 休日。私服での待ち合わせ。そんな単語から連想される甘い幻想など、この悪女の前では微塵も存在しない。
 ガタガタと安っぽい車輪の音を鳴らしながら、俺は汗だくになって町外れへの道を歩いた。

 やがて到着したのは、鬱蒼とした木々に囲まれた古い神社だった。
 そして俺の目の前には、天まで続くかと思えるような、急勾配の長い石段が立ち塞がっていた。ざっと見積もっても百段はある。

「まさか……これ、持って上がるのか?」
「当たり前でしょ。まさかこの台車で登れるとでも思ってるの?」

 遠野は涼しい顔で振り返る。

「いや、無理だろ。これめちゃくちゃ重いぞ。中身何なんだよ」
「文句言わない。私はか弱いから持てないの。落とさないように気をつけてね」

 言うが早いか、彼女は手ぶらのまま、とんとんと軽い足取りで階段を登り始めた。
 殺意すら覚える理不尽さだ。俺は奥歯を噛み締めながら、一番上の段ボール箱を抱え上げた。ずしりとした尋常ではない重みが、腕の筋肉を容赦なく軋ませる。

「くそっ……!」

 一段、また一段と登るたびに、息が上がり、汗が目に入る。
 半分ほど登ったところで、俺の体力は早くも限界を迎えつつあった。

 ふと顔を上げると、十数段先を歩いていた遠野が、手すりに寄りかかるようにして立ち止まっていた。
 その細い背中が、小刻みに揺れている。

(随分と、あいつ早くへばってるな)

 少しだけ溜飲が下がった、その時だった。
 遠野は俺に背を向けたまま、ポケットから小さな筒状の何かを取り出した。そしてそれを口元に当てると、深く息を吸い込むような仕草を見せた。

「…………は?」

 俺の思考は、怒りで完全に固定された。
 重い荷物を抱えて死に物狂いで階段を登るパシリを放置して、自分だけ喉を潤しているだと?
 あんな小さな容器に入った、清涼飲料水か、あるいはミント系のタブレットか何か。いずれにせよ、優雅に水分や糖分を補給して息を整えているその姿に、俺の理性の糸がプツリと切れる音がした。

「おい、ふざけんな! お前、自分だけ……!」
「遅いわよ。さっさと登ってきなさい」

 俺の怒声は、振り返った彼女の冷たい一瞥によって見事にかき消された。
 容器はすでにポケットに仕舞われており、遠野は何事もなかったかのように再び階段を登り始める。

 怒りで血が沸騰しそうになりながらも、俺は文句を言う気力すら失い、ただ無心で残りの石段を登り切った。

「……はぁっ、はぁっ……やっと、着いた……」

 境内の砂利道に段ボールを下ろし、膝に手をついて荒い息を吐く。
 だが、遠野の悪逆非道はここでは終わらなかった。

「そこじゃないわ。本殿の裏、あの軒下まで運んで」
「……お前、マジで……!」
「落としたらジュース一生分」

 呪文のようなその言葉に、俺は最後の気力を振り絞って箱を抱え直し、指定された薄暗い軒下へとそれを積み上げた。
 三往復。全ての荷物を運び終え、俺がその場にへたり込んだ瞬間。

「はい、ご苦労様」

 遠野は積み上げられた箱の中身を確認することすらなく、あっさりとそう言い放った。

「今日のペナルティはこれで終了。解散」
「…………は?」
「解散って言ったの。耳まで悪くなった? あ、その台車、駅で借りたものだから返しておいて」
「は? ちょ、お前」

 遠野は俺に背を向けると、手ぶらのまま、涼しい顔で鳥居の方へと歩き出していった。
 後に残されたのは、軋んだ台車と、疲労困憊で指一本動かせない俺だけ。

 帰り道。
 ガタガタと空の台車を引きずりながら、石段を降りる俺の足取りは泥のように重かった。
 初夏の爽やかな風も、もはや俺の苛立ちを冷ます役には立たない。

 昨日、誰もいない教室で、葉月澪の忠告に対して「あいつはただ性格が捻くれているだけで」と、無意識に彼女を庇いかけた自分。
 あの時の自分を、今すぐタイムマシンに乗って全力で殴り飛ばしてやりたい。

(前言撤回。……あいつは正真正銘、血も涙もない悪女だ)

 俺は心の底から吐き捨てるようにそう毒づくと、首から下げたカメラの電源を入れることすら忘れたまま、最悪の疲労感と共に家路についた。