週明けの月曜日。
この前から続くクラス合同の授業が終わりチャイムが鳴り響く。しかし、俺の斜め前の席は空っぽのままだった。
「えー、遠野だが、体調不良のためしばらく欠席するとのことだ。プリント類を誰か……まあいい、俺が後でまとめておく」
教師の事務的な報告が終わった瞬間。
教室の中に、安堵にも似た、ひどく不謹慎で軽い空気がさざ波のように広がった。
「マジか。やっと静かになるな」
「朝倉くん、専属パシリ解放おめでとう。これで放課後も平和だね」
休み時間になり、悪気のない、けれど無責任な言葉たちが俺の耳を容赦なく叩く。
いつもなら、事なかれ主義の俺は「そうだな」「せいせいした」と適当に同調し、やり過ごしていたはずだった。
だが、今の俺には、そのノイズが鼓膜を掻き毟りたくなるほど不快だった。
俺は言い返すことも、怒鳴り散らすこともしなかった。
ただ、薄っぺらい共感を押し付けてくる同級生たちを一瞥し、冷え切った目で見据える。そして、一言も発することなく席を立ち、教室を出た。
背後で「なんだよ、あいつ」と戸惑う声が聞こえたが、振り返る気にはなれなかった。
放課後。
誰もいない写真部の部室で、俺は無意識にスマートフォンの画面をスクロールしていた。
連絡先。LINEの友達リスト。
どこを探しても、「遠野結夏」という名前は見当たらない。
(……俺たち、監視だの何だの言っておいて、これっぽっちも繋がってなかったのか)
手元に残されているのは、彼女を記録したデジタルデータの束だけだ。
アルバムのフォルダを開く。
旧校舎の裏で、わざとらしく画角に割り込んできた勝ち気な顔。
毒々しいパンケーキを頬張り、少しだけ口角を緩めた無防備な横顔。
記憶のなかにある――神社の軒下で、野良猫を優しく撫でていた白くて細い指先。
――そして、先週の金曜日。雨音にかき消されそうなほど浅い呼吸で、ソファに横たわっていた彼女の、絶望的なまでに弱り切った姿。
俺は彼女の「悪女の仮面」も、「不器用な優しさ」も、ファインダー越しに知っている気になっていた。だが、彼女の家の場所も、本当の事情も、何一つ知らない。
その事実が、得体の知れない焦燥感となって胸の奥を激しく掻き乱す。
俺はスマホをポケットに突っ込み、部室を飛び出した。
「葉月!」
昇降口へ向かう廊下で、図書委員の葉月澪の姿を見つけ、俺は声を張り上げた。
突然呼び止められた葉月は、目を丸くして立ち止まる。
「……遠野のこと、何か知らないか。あいつ、どこにいる」
切羽詰まった俺の声に、葉月は戸惑いながらも、周囲を気にするように少し声を潜めた。
「遠野さんのこと……? 家の場所は知らないけど……でも、朝倉くん」
「なんだ」
葉月は口を開きかけて、しかし何かを飲み込むように視線を揺らした。迷いが胸の奥で渦を巻いているのが、表情の端々から伝わってくる。そして、ひとつ息を整えると、覚悟を決めたように言葉を紡いだ。
「……実は、遠野さん、この高校に入る前……中学の時も、一年近く学校に来てなかった時期があるの。理由は『家庭の事情』ってことになってるらしいけど……」
葉月の言葉に、俺は息を呑んだ。
「本当は、病気だったんじゃないかって噂もあった。それに……彼女、学校に来なくなる少し前から、周りの子にわざと酷いことを言って、自分から孤立しようとしてたんだって。今みたいに」
そこで語られたのは、結夏が中学時代も今と同じように周囲を遠ざけ、そしてある日突然、姿を消したという事実だった。
「……っ」
点と点が、残酷な一本の線になって繋がった。
中学時代も、今と同じだったのか。
あえて嫌われ役を演じ、誰とも深く繋がらないように振る舞う遠野結夏の孤独。
それは、病によっていつか必ず日常から姿を消す自分が、残された誰かを傷つけないための――彼女なりの、あまりにも不器用で、悲しすぎる「優しさ」だったのではないか。
だから、あんなにも周りを威嚇していた。
だから、自分の弱さを俺に見られることを、あんなにも拒絶した。
(……俺だけは、あいつの『嘘』に騙されたままでいてやるもんか)
気がつけば、俺は走り出していた。
「朝倉くん!?」と背後で呼ぶ葉月の声を振り切り、肩にかけたカメラバッグを強く握りしめる。
向かうあては一つしかない。彼女が唯一「素顔」を見せていたあの場所。
雨上がりの湿った風を切って、俺は町外れの神社へとペダルを全力で漕ぎ出した。
まだ、間に合う。彼女の閉ざされた世界の扉を、今度こそ俺の手でこじ開けるために。
この前から続くクラス合同の授業が終わりチャイムが鳴り響く。しかし、俺の斜め前の席は空っぽのままだった。
「えー、遠野だが、体調不良のためしばらく欠席するとのことだ。プリント類を誰か……まあいい、俺が後でまとめておく」
教師の事務的な報告が終わった瞬間。
教室の中に、安堵にも似た、ひどく不謹慎で軽い空気がさざ波のように広がった。
「マジか。やっと静かになるな」
「朝倉くん、専属パシリ解放おめでとう。これで放課後も平和だね」
休み時間になり、悪気のない、けれど無責任な言葉たちが俺の耳を容赦なく叩く。
いつもなら、事なかれ主義の俺は「そうだな」「せいせいした」と適当に同調し、やり過ごしていたはずだった。
だが、今の俺には、そのノイズが鼓膜を掻き毟りたくなるほど不快だった。
俺は言い返すことも、怒鳴り散らすこともしなかった。
ただ、薄っぺらい共感を押し付けてくる同級生たちを一瞥し、冷え切った目で見据える。そして、一言も発することなく席を立ち、教室を出た。
背後で「なんだよ、あいつ」と戸惑う声が聞こえたが、振り返る気にはなれなかった。
放課後。
誰もいない写真部の部室で、俺は無意識にスマートフォンの画面をスクロールしていた。
連絡先。LINEの友達リスト。
どこを探しても、「遠野結夏」という名前は見当たらない。
(……俺たち、監視だの何だの言っておいて、これっぽっちも繋がってなかったのか)
手元に残されているのは、彼女を記録したデジタルデータの束だけだ。
アルバムのフォルダを開く。
旧校舎の裏で、わざとらしく画角に割り込んできた勝ち気な顔。
毒々しいパンケーキを頬張り、少しだけ口角を緩めた無防備な横顔。
記憶のなかにある――神社の軒下で、野良猫を優しく撫でていた白くて細い指先。
――そして、先週の金曜日。雨音にかき消されそうなほど浅い呼吸で、ソファに横たわっていた彼女の、絶望的なまでに弱り切った姿。
俺は彼女の「悪女の仮面」も、「不器用な優しさ」も、ファインダー越しに知っている気になっていた。だが、彼女の家の場所も、本当の事情も、何一つ知らない。
その事実が、得体の知れない焦燥感となって胸の奥を激しく掻き乱す。
俺はスマホをポケットに突っ込み、部室を飛び出した。
「葉月!」
昇降口へ向かう廊下で、図書委員の葉月澪の姿を見つけ、俺は声を張り上げた。
突然呼び止められた葉月は、目を丸くして立ち止まる。
「……遠野のこと、何か知らないか。あいつ、どこにいる」
切羽詰まった俺の声に、葉月は戸惑いながらも、周囲を気にするように少し声を潜めた。
「遠野さんのこと……? 家の場所は知らないけど……でも、朝倉くん」
「なんだ」
葉月は口を開きかけて、しかし何かを飲み込むように視線を揺らした。迷いが胸の奥で渦を巻いているのが、表情の端々から伝わってくる。そして、ひとつ息を整えると、覚悟を決めたように言葉を紡いだ。
「……実は、遠野さん、この高校に入る前……中学の時も、一年近く学校に来てなかった時期があるの。理由は『家庭の事情』ってことになってるらしいけど……」
葉月の言葉に、俺は息を呑んだ。
「本当は、病気だったんじゃないかって噂もあった。それに……彼女、学校に来なくなる少し前から、周りの子にわざと酷いことを言って、自分から孤立しようとしてたんだって。今みたいに」
そこで語られたのは、結夏が中学時代も今と同じように周囲を遠ざけ、そしてある日突然、姿を消したという事実だった。
「……っ」
点と点が、残酷な一本の線になって繋がった。
中学時代も、今と同じだったのか。
あえて嫌われ役を演じ、誰とも深く繋がらないように振る舞う遠野結夏の孤独。
それは、病によっていつか必ず日常から姿を消す自分が、残された誰かを傷つけないための――彼女なりの、あまりにも不器用で、悲しすぎる「優しさ」だったのではないか。
だから、あんなにも周りを威嚇していた。
だから、自分の弱さを俺に見られることを、あんなにも拒絶した。
(……俺だけは、あいつの『嘘』に騙されたままでいてやるもんか)
気がつけば、俺は走り出していた。
「朝倉くん!?」と背後で呼ぶ葉月の声を振り切り、肩にかけたカメラバッグを強く握りしめる。
向かうあては一つしかない。彼女が唯一「素顔」を見せていたあの場所。
雨上がりの湿った風を切って、俺は町外れの神社へとペダルを全力で漕ぎ出した。
まだ、間に合う。彼女の閉ざされた世界の扉を、今度こそ俺の手でこじ開けるために。

