「最初は俺から声かけたんだよ」
一年生のころの、春だったという。
放課後、屋上に飛び出してきた女の子が、うずくまって泣きだした。ただ見ているのは気まずかったから、声をかけてお菓子を差し出して、なんとなく話を聞いた。
「で、なんかそれで悩みが解決したらしくて、次の日お礼とお詫びにって甘いものくれて」
後日、その子に話を聞いたという男の子がお菓子を片手に相談に来た。追い返すこともできず話を聞き、解決したと思ったらしばらくしてまた別の子が来た。そんなことを繰り返すうちに——
「『ナナモリさん』になってたんだよねえ」
ふう、と七森が息をついた。給水塔の濃い影のなかに、細く煙が走っていくのを何気なく眼で追う。「ナナモリさん」の由縁は、オカルト的なものとはまるで関係がなかった。
「不幸の連鎖っつーか、伝言ゲームっつーか……」
顔のよさとどこか捉えどころのない雰囲気と優しさが、怪談好きと混じり合って七森を『ナナモリさん』にしてしまった。
七森の話を総合すると、そういうことのようだった。
「……お前、ほんとはただの不良だったんだな」
「不良って。これも最初は怪談検証の一環だったんだよ」
七森が苦笑する。その手には紙巻きの煙草があった。
趣味と小遣い稼ぎを兼ねて細々とやっていたという「オカルトブログ」。その企画として手を出したのが最初だったそうだ。
「それがくせになっちゃっただけ。稼いだぶん、こいつに持ってかれちゃうんだから」
ただの馬鹿でしょう。
笑って、また煙を吐いた。
——馬鹿と煙は高いところが好き。
俺の頭を悩ませた冗談の真意は、拍子抜けするほど言葉通りだった。
「ま、ガキのくせに馬鹿なことやってるから、罰当たったのかもな」
「手厳しいねぇ」
七森は気にしたふうもなく、からからと笑った。最初に話したときのような硬さも、武藤さんと話していたときの刺々しさもない。こっくりさんを詰めていたときの冷酷さだって影もない。ちょっといい加減そうなこの感じが本来の七森なのかもしれなかった。
武藤さんのほうも、また少し変わった気がした。今朝教室で顔を合わせた彼女は、俺の知っていた彼女とも七森と話していた彼女とも、どこかちがっていた。どこが、とはいえない。俺にはわからない。わからないが、俺を振り向いて「おはよう」と微笑む顔を見たら、それでいいと思えた。
七森も武藤さんも、昨日とは少し変わったのに、もう「怖い」とも「おかしい」とも思わない。そんな少し変わった俺を見て、友人たちはただ笑ってひと言かけてくれた。俺も同じ言葉で答えた。
よかった、と。
そのとき、昨夜こっくりさんが帰ってからもなんとなく残っていた小さな不安が、ようやく消えた。梅雨の間から今朝まで俺の頭に居座っていた悩みごとが解消したのを感じた。
終わったんだな。
一番の功労者の顔を改めて見ると、七森は包帯を掻きながら首を傾げた。俺の感慨などどこ吹く風だ。
「罰っていうなら、臨城くんが来てくれたのは、神様からのお許しだったのかもねえ」
「はぁ? 何だその大げさな役回り」
突然重すぎる役を着せられて、逃げるように身を引いてしまう。給水塔の影から転げ出た俺を見て、つり眼がいたずらっぽく笑った。
「気が乗らないときは人払いできるようになった」
「ああ……」
屋上の扉の前には今日もお茶のパックが置いてある。俺が「ナナモリさん」のきまりについて教えたものだから、学校の怪談のくせに居留守を覚えてしまったらしい。
とはいえ、そもそもだ。
「……別に、そんなことしなくても普通に帰っちゃえばいいだろ」
隣に座り直し、眼の前に漂ってきた煙に息を吹きかける。横から吐息とともに新たな煙が加わった。紫煙を吐いた口が、少し申し訳なさそうに苦笑する。
「でもさあ、怪異にもすがる思いで来たのにいない、ってなったら悲しくない? 『あ、先客だ、じゃあしょうがない』のほうが気持ち的にちょっとは楽だと思うなあ」
「………」
こういうところが、理由だったのかもしれない。
大して話したこともない、怖いとすら思っている同級生に、俺が助けを求めた理由。「ナナモリさん」の噂とか、七森がオカルトに強いからとか、そういう理由の前に、七森はこういうやつだから、とどこかで感じていたのかもしれない。
——臨城くん、人のことよく見てるねえ。
耳の奥に甦った言葉に、内心で頷く。
そうだろ。お前ほどじゃないけど、見てるよ。もう、わかんないままにはしておかない。全部は無理だけど、よく見て、向き合う。
まずはこの、ありもしない責任を勝手に負ってしまうところから、始めようか。
「……でもまあ、今日は普通に俺が先客だからな」
薄い肩が小さく跳ねた。黒い瞳がつり眼の縁をそろりと伝って俺を見る。
「まだ、なんかあった?」
ここ数日、ずいぶんひどいめに遭わされて疲れているのだろう。及び腰になりながら、それでも尋ねてくれる。
そういうところだぞ。
苦笑を堪える。努めて神妙に、首を横に振った。
「武藤さんのほうは解決した。今日は別件だよ」
「ええ……またなんかあったの?」
さすがにちょっと呆れたようだった。立てた膝に胸を預けて、七森が首を傾げる。気だるげな男によく見えるよう、髪を耳にかけた。
「ピアス」
つり眼が丸くなる。
「あけるの手伝ってくれよ」
お供物はない。拝みもしない。
ただ、こちらを窺う眼差しにまっすぐ視線を返して、にんまりと笑って見せた。
儀式をすっ飛ばして頼みごとをされて「ナナモリさん」になろうとした男は呆気にとられたように俺を見つめた。やがてその表情が柔らかく崩れる。
「……悩み多き男だねえ」
七森も笑った。
了
一年生のころの、春だったという。
放課後、屋上に飛び出してきた女の子が、うずくまって泣きだした。ただ見ているのは気まずかったから、声をかけてお菓子を差し出して、なんとなく話を聞いた。
「で、なんかそれで悩みが解決したらしくて、次の日お礼とお詫びにって甘いものくれて」
後日、その子に話を聞いたという男の子がお菓子を片手に相談に来た。追い返すこともできず話を聞き、解決したと思ったらしばらくしてまた別の子が来た。そんなことを繰り返すうちに——
「『ナナモリさん』になってたんだよねえ」
ふう、と七森が息をついた。給水塔の濃い影のなかに、細く煙が走っていくのを何気なく眼で追う。「ナナモリさん」の由縁は、オカルト的なものとはまるで関係がなかった。
「不幸の連鎖っつーか、伝言ゲームっつーか……」
顔のよさとどこか捉えどころのない雰囲気と優しさが、怪談好きと混じり合って七森を『ナナモリさん』にしてしまった。
七森の話を総合すると、そういうことのようだった。
「……お前、ほんとはただの不良だったんだな」
「不良って。これも最初は怪談検証の一環だったんだよ」
七森が苦笑する。その手には紙巻きの煙草があった。
趣味と小遣い稼ぎを兼ねて細々とやっていたという「オカルトブログ」。その企画として手を出したのが最初だったそうだ。
「それがくせになっちゃっただけ。稼いだぶん、こいつに持ってかれちゃうんだから」
ただの馬鹿でしょう。
笑って、また煙を吐いた。
——馬鹿と煙は高いところが好き。
俺の頭を悩ませた冗談の真意は、拍子抜けするほど言葉通りだった。
「ま、ガキのくせに馬鹿なことやってるから、罰当たったのかもな」
「手厳しいねぇ」
七森は気にしたふうもなく、からからと笑った。最初に話したときのような硬さも、武藤さんと話していたときの刺々しさもない。こっくりさんを詰めていたときの冷酷さだって影もない。ちょっといい加減そうなこの感じが本来の七森なのかもしれなかった。
武藤さんのほうも、また少し変わった気がした。今朝教室で顔を合わせた彼女は、俺の知っていた彼女とも七森と話していた彼女とも、どこかちがっていた。どこが、とはいえない。俺にはわからない。わからないが、俺を振り向いて「おはよう」と微笑む顔を見たら、それでいいと思えた。
七森も武藤さんも、昨日とは少し変わったのに、もう「怖い」とも「おかしい」とも思わない。そんな少し変わった俺を見て、友人たちはただ笑ってひと言かけてくれた。俺も同じ言葉で答えた。
よかった、と。
そのとき、昨夜こっくりさんが帰ってからもなんとなく残っていた小さな不安が、ようやく消えた。梅雨の間から今朝まで俺の頭に居座っていた悩みごとが解消したのを感じた。
終わったんだな。
一番の功労者の顔を改めて見ると、七森は包帯を掻きながら首を傾げた。俺の感慨などどこ吹く風だ。
「罰っていうなら、臨城くんが来てくれたのは、神様からのお許しだったのかもねえ」
「はぁ? 何だその大げさな役回り」
突然重すぎる役を着せられて、逃げるように身を引いてしまう。給水塔の影から転げ出た俺を見て、つり眼がいたずらっぽく笑った。
「気が乗らないときは人払いできるようになった」
「ああ……」
屋上の扉の前には今日もお茶のパックが置いてある。俺が「ナナモリさん」のきまりについて教えたものだから、学校の怪談のくせに居留守を覚えてしまったらしい。
とはいえ、そもそもだ。
「……別に、そんなことしなくても普通に帰っちゃえばいいだろ」
隣に座り直し、眼の前に漂ってきた煙に息を吹きかける。横から吐息とともに新たな煙が加わった。紫煙を吐いた口が、少し申し訳なさそうに苦笑する。
「でもさあ、怪異にもすがる思いで来たのにいない、ってなったら悲しくない? 『あ、先客だ、じゃあしょうがない』のほうが気持ち的にちょっとは楽だと思うなあ」
「………」
こういうところが、理由だったのかもしれない。
大して話したこともない、怖いとすら思っている同級生に、俺が助けを求めた理由。「ナナモリさん」の噂とか、七森がオカルトに強いからとか、そういう理由の前に、七森はこういうやつだから、とどこかで感じていたのかもしれない。
——臨城くん、人のことよく見てるねえ。
耳の奥に甦った言葉に、内心で頷く。
そうだろ。お前ほどじゃないけど、見てるよ。もう、わかんないままにはしておかない。全部は無理だけど、よく見て、向き合う。
まずはこの、ありもしない責任を勝手に負ってしまうところから、始めようか。
「……でもまあ、今日は普通に俺が先客だからな」
薄い肩が小さく跳ねた。黒い瞳がつり眼の縁をそろりと伝って俺を見る。
「まだ、なんかあった?」
ここ数日、ずいぶんひどいめに遭わされて疲れているのだろう。及び腰になりながら、それでも尋ねてくれる。
そういうところだぞ。
苦笑を堪える。努めて神妙に、首を横に振った。
「武藤さんのほうは解決した。今日は別件だよ」
「ええ……またなんかあったの?」
さすがにちょっと呆れたようだった。立てた膝に胸を預けて、七森が首を傾げる。気だるげな男によく見えるよう、髪を耳にかけた。
「ピアス」
つり眼が丸くなる。
「あけるの手伝ってくれよ」
お供物はない。拝みもしない。
ただ、こちらを窺う眼差しにまっすぐ視線を返して、にんまりと笑って見せた。
儀式をすっ飛ばして頼みごとをされて「ナナモリさん」になろうとした男は呆気にとられたように俺を見つめた。やがてその表情が柔らかく崩れる。
「……悩み多き男だねえ」
七森も笑った。
了

