×
はじめは、思いつきだった。
梅雨どきにクラスで流行りだしたくだらない儀式を見ているうちに、ふと気づいたのだ。
自分のやっていることと変わらない、と。
一円以下の脆い紙と、チョコのひとつも買えない額の硬貨、そして誰が動かしているかもわからないお告げ。安っぽい儀式を口では茶化しながら、みんな心のどこかで信じてしまっているのが、手に取るようにわかった。
自分と同じだ。
平均よりちょっと話しかけやすい同級生。友だちにいいかっこしたいだけで、人生経験も知識も、別に抜きん出たところはない。ただ、ちょうどいいから頼られて、信じられる。
こっくりさんは、自分と同じだ。
それでちょっと実験してみるつもりになったのだ。同じものをぶつけたらどうなるだろう、と。
こっくりさんもどきである自分が本気でこっくりさんをしたら、何が始まるだろう、と。
×
拝んでいる間に、日差しの角度が変わっていた。斜めに差して給水塔をすり抜け、夏服の肩を炙る。梅雨の遅れを取り戻すように励む運動部の掛け声が、風にちぎれながらここまで届いた。
隣に座る七森は、まだすっぽりと影におさまっていた。細い手足を折りたたんで小さくまとまっている。照り返す床に眼を細め、そのまま閉じた。薄い肩が上下する。ため息だ。
これはちょっと、納得してなさそうだな。
やっぱりやめた、と言われる前に、話を進めてしまったほうがいいだろう。武藤さんとこっくりさんを絡めて話すのには、まだ少し抵抗があったが、ぐずぐずしている暇はない。
「——」
景気づけのために深く息を吸った。
「早い話、臨城くんはひかりちゃんにこっくりさんをやめさせたいってことだよね?」
「早い早い早い! もはやお前がこっくりさんじゃん!」
先回りして、しかもいきなり核心をつかれて、声が上擦った。七森は煩わしそうに顔を伏せ、痩せた身体をいっそう小さく丸めた。くぐもった呻き声が返ってくる。
「いや、ただの勘だよ」
「いや勘て! それはそれで普通に特殊能力だろ……ナナモリさんやべえ……」
七森をまじまじと見つめる。「ナナモリさんはなんでもお見通し」なんて、友人のふざけていた声が甦った。
視線がうるさかったらしく、七森は額を膝に擦りつけるようにして顔を覗かせると、ぽつぽつとつけ足した。
「……『あの』界隈にいる、うちの組の子ってひかりちゃんだけだし、かまかけただけだよ」
だから、大したことないの。
「なんだそういうこ……いややっぱ、すごいだろそれ」
一瞬納得しかけたが、そもそも俺から「好きだった子は『あの』界隈の子だ」とは言っていない。「オカルト絡み」というだけで結論まで見抜いてしまうのは、やはりおかしい。背筋がひんやりした。
「……ちょっと出し惜しみしたほうがいいんじゃねえの、その能力。えぐいくらいすごいから」
茶化そうとする声が震える。つい、他のやつにするように思い切り突っ込んでしまったことを後悔しはじめていた。今さらのように居ずまいを正してみたが、七森は返事をしない。濃い影のなか、前髪のかかった眼は仄暗く、ひたりと俺に据えられて、動かない。
「………っ……」
ああ、この眼だ。
七森は俺が嫌っていると思っているようだが、少しちがう。ただ、苦手なだけだ。
この、どこか人を見透かしているように見える眼が、怖かった。
七森は変なキャラのくせに悪口ひとつ言われているのを見聞きしたことがない。それどころか誰からもそれなりに好かれてるのは、他人の心を読んで上手に立ち回っているからだろうと思っていた。
その眼が今俺に向けられて、俺の恐怖を証明している。
自分の唇がいびつに吊り上がるのがわかった。居心地が悪いと媚びるように笑ってしまう、自分の嫌な癖のなかでもとりわけ嫌いな癖。俺の卑屈な笑顔を見て、七森が、ふ、と微笑んだ。
「………そう。俺ってすごいの。あがめよー」
観念したような笑みだった。力の抜けた、教室でもよく見かける柔らかい表情だ。空気が解ける。やっと呼吸を許されたように息を吐き出した。知らないうちに止めていたようだった。緊張から解放された一方で、呼吸まで七森に制御されているような居心地悪さが残る。
「………」
「いただきまーす」
七森は怯える俺の様子には頓着せず、お供物の封を切り、中身を確認した。形は崩れていないようだが、甘いものをよく食べるらしい七森には何か感じるところがあったらしい。鞄のなかから箸を出し、大粒のチョコレートをひとつつまんだ。薄桃色の表面が柔らかく沈む。
「……見るだけで溶けてるってわかんの?」
「ただの勘だよ」
特殊能力の幅が広い。
どう、と箱を差し出されるが、首を横に振った。甘いものは苦手だ。七森はあっさりと引いて、きれいな箸使いで口に放り込む。
「それで、臨城くんはひかりちゃんが変わっちゃったのはこっくりさんのせいだって思ってるんだよね?」
「そう、そうなんだよ」
ひかりちゃん、という響きに勝手な引っ掛かりを覚えながらも頷いた。自然と口数が増えてしまう。
「別に、完全に別人になったとか、そういうふうに思ってるわけじゃないんだけどさ。なんか、雰囲気変わった気がするんだ。上手く言えないんだけど」
あれからも、何度か彼女と話をした。そのどれもが他愛もない世間話じみたもので、彼女の態度は以前と何ら変わりなかった。ただ、俺がもう一度こっくりさんの話を聞いてみようとしたときだけは別だ。切り出そうとした瞬間、眼だけがすっと笑いを消して、俺を見据える。その眼差しの意味は明らかだった。
——お前に踏み込む資格はない。
「……ただ、原因はこっくりさんしかねえと思う」
あの瞳を思い起こすと胸が詰まる。一方の七森は気安く、ふうん、と頷いた。
「ひかりちゃん、もしかして臨城くんにこっくりさんのやり方とか、話した?」
「出し惜しみしろって言ったじゃん!」
「話したんだねえ。なるほどなあ」
こいつ本当に超能力者か霊能力者なんじゃなかろうか。
大騒ぎする俺から逃げるように、七森は身体を斜めにした。
「ただの勘だよ。かまかけただけ」
「……七森くん、すごすぎてちょっと怖いくらいだわ」
とりあえず、両手を合わせて拝んでおく。適当に選んだお供物が七森の好みに合っていたことも、もしや彼の不思議な力がそうさせたのではないか。引きつりそうになる口許を、合わせた手で隠した。
「や、でも有難いわ。説明するの、結構難しくて。あれ、七森くんはどう思う?」
「いや、そのこっくりさんについては、俺は知らないよ。そういう話するほどひかりちゃんと仲良くないしね」
「名前で呼ぶ仲のくせに?」
飛び出した声には恨みがましさが混じっていた。そんな言い方をするつもりはなかった。自分でも驚いてしまい、思わず七森の反応を確認してしまう。七森は口許を手で押さえていた。しまった、という仕草だ。
「……えっと、ごめん、俺……」
「いや待ってくれ。今のはなかったことにしてくれ。本当にごめん。俺が悪かった。許してくれ。このとおりだ」
「そこまで……?」
嫉妬した相手から嫉妬のフォローをされるのは勘弁してほしい。なんとか誤魔化されてほしくて、馬鹿馬鹿しいほどの真剣さで謝罪する。しかしなんでもお見通しのはずの七森は、今に限ってさらに言葉を重ねてきた。
「あのね、ひかりでいいよ、って言われて、武藤さんって呼ぶ勇気はなかっただけだよ」
「わかった、わかりました」
かえってきつい。俺はそんなふうに言われなかった。
「あ、あと俺、安牌だと思われてるの。いわば特殊女子枠」
「わかったって……」
何だその枠は。俺も入れてくれよ。
「……本当、頼むから気にしないで。今のは完っ全に俺が悪いから」
引きつる口を無理やり笑みの形にして見せる。しかし七森はいっそうおろおろとしはじめた。視線と箸を宙に彷徨わせる。
「ああ……ええと……っあ!」
不意にその箸先が決定的な一手を掴んだとばかりに止まり、床を眺め回していた眼が再び俺を見る。そして——
「それにひかりちゃんは、人懐っこいから!」
とどめを刺してくれた。
直後、七森本人も自分の悪手に気づいたらしい。凍りついた空気を挟んで見つめ合う。
「………」
「………」
「……知ってる」
「……だよね」
「その上で俺は『ひかりちゃん』呼びを許されてねえんだわ」
「……うん」
「あああああぎえーっくっそー!」
わざとらしく頭を掻きむしって床に転がった。七森は瞬きの間困ったように硬直し、そして控えめに声を上げて笑った。そうしてやっと、気まずい空気から抜け出せた。視界の端に笑ってくれた七森を捉えながら、これもひとつの「儀式」かもしれないな、と思う。
「あー……」
やっぱり、七森には人の心が見えている気がした。
転げ回るうちにはみ出した影の外、まだ青い空を見上げる。太陽は視界の外にあったが、それでも眩しい。眉間に皺が寄る。仰向けになった喉が、引き攣るように痛んだ。
「……でもさあ、俺が『ひかりちゃん』って呼びたかったの、今の武藤さんじゃないんだ」
痛む喉から、本音が転げ出た。
「……そっか」
柔らかい相槌が受け止める。甘い声は、もう落ち着きを取り戻していた。
「武藤さん、なんか、秘伝のこっくりさんやってんだって。せっかく話してくれたのにさ、俺ちょっと引いちゃって。もう突っ込んだ話できねえの」
取り繕うことを諦めた口から、どう説明しようか迷っていたことがぼろぼろとこぼれ出ていく。ひとつ口にするたびに喉の痛みが軽くなる。
「ただ、こっくりさんをやめさせたいっていうのはちょっとちがっててさ。そういうオカルトっぽいの、俺は興味ないけど、好きで楽しんでるなら、よかったんだよ。いろいろ教えてほしいよ」
それなら、こんな気持ちにはならなかった。だけどあの顔は。
「……そうは見えなかったから、なんとかしたいんだ」
のそりと身体を起こした。七森は膝を抱えて俺を見ていた。視線が重なる。
「そんな感じの相談なんだけど、伝わる?」
見つめると、こっくり、と確かな頷きが返った。
「伝わった。できる限りのことはしてみるけど、あんまり期待しないでね」
言葉は頼りなげだったが、返る眼差しは優しい。口がゆるく笑ってしまうのが自分でもわかった。
「めっちゃ頼もしいわ」
「いや俺の話もちゃんと聞いてよお。期待しないでってば」
苦笑する七森に、構わずずるずると這い寄って両手を合わせた。
「早速だけど、どうしたらいいか、俺にはさっぱりわかんねえんだわ。怖い話とかも知らんし。どうしたらいい? ナナモリさん」
「そうねえ……」
七森がチョコをもうひとつ口に放り込む。思案げに口許に手をやってじっくりと咀嚼する。喉仏がころりと動いたのを合図に、再び俺に視線を据えた。
「とりあえず、一回やってみる?」
秘伝のこっくりさん。
◯
「よくわかんないものをわかんないわかんないって言ってても、何にもわかんなくない?」
というよくわからないが納得感のある理屈により、野郎二人で秘伝のこっくりさんをしてみることが決定した。武藤さんから話を聞いたときはあんなに胸が弾んだというのに、今は不安で胸が痛い。こっくりさんなんか来るわけない、という常識と、実際武藤さんは変わってしまったし、という認識が綱引きをしていた。
「……っと……」
屋上から校舎内に戻るとき、扉の前に置かれている紙パックのお茶を回収した。来るときに俺が置いたものとはメーカーがちがう。どうも、他の相談者が来ていたようだった。終礼直後、屋上にたどり着く前の七森を捕まえるというずるい手を使った手前、ちょっと申し訳ない気分になる。武藤さんのことが解決するまで七森を押さえるつもりでいることは、もっと申し訳ない。相談を抱えたままお茶を交換していった人に胸中で詫びる。
しんみりと手のなかでパックを回すのを、七森が不思議そうに見つめた。
「いつも思ってたんだけど、そのお茶なあに?」
「えっ、七森くん知らないのか?」
「なんか、俺に相談にきた子、みんな帰りに回収していくよね」
ナナモリさんなのに、ナナモリさんの儀式を知らないとはこれいかに。
黒い瞳が紙パックのお茶をしげしげと観察する。校内の自販機で買える何の変哲もないただの緑茶だ。お供物のおまけとして渡してやる。
「ナナモリさんに相談にいくときは甘いお菓子とお茶を用意するんだと。で、屋上の扉の前にお茶があったら先客がいるから、持ってきたお茶と交換してその日は帰る」
「ああ、なるほどね。お茶は、今相談中です、の合図なんだ」
「順番待ちがいます、の合図にもなってるっぽい」
簡単に説明してやると、七森は「儀式」で呼び出される本人のくせに、よくできてるねえ、なんて言っている。薄暗い階段を一段降りるたび、つり眼がきらきらと光った。その眼差しが、ふと曇る。
「正体が俺じゃなきゃ、ちょっとほっこりする怪談話だったのになあ」
ずいぶん悔しげな口ぶりだった。変なキャラで売るイケメンだから、てっきり怪談として持て囃されるのを楽しんでいるのだと思っていた。
意外な気持ちとともに、ひとつ疑問が浮かぶ。
「『ナナモリさん』やるのが目的じゃないなら、なんで毎日屋上なんか通ってんの?」
俺の率直な問いに七森は少し眼を丸くして、視線を床に逃した。瞳がゆるりと巡っていく。
「なんでって……んー……」
応答は鈍い。突っ込んだことを聞きすぎたかもしれない。撤回しようと口を開いたが、それよりも早く、七森はにんまりと唇の端を上げた。細められた瞳に再び俺が映る。
「……馬鹿と煙は高いところが好きっていうでしょう?」
「でしょう? って言われても……」
冗談らしいが、どういう方向で笑えばいいのか。
七森が自分をどちらだと思って言っているのか判断がつかない。俺の交友関係内でなら自虐ネタ、つまり「自分は馬鹿だよ」的な冗談として受け取るところだ。だが相手が七森となると、途端にわからなくなる。
「……七森くんはどっちなんだよ。馬鹿か、煙か」
他人のことは見透かしているくせに、本人のことはわからない。そういうところが怖いのかもしれない。
「さーてどっちかなあ」
あはは。
戸惑う俺をよそに、七森はひとりでからからと笑った。
「とりあえず、社会科準備室行ってみよっか」
教室の並ぶ廊下にひょいと降り立って、俺を見上げてくる。明るい光のなかに立っても、透けて見えるものは何もない。
「こっくりさん勢、いるんじゃねえの」
「まずはそれを確かめに」
「なるほど了解」
俺を待つ痩身に追いついて、連れ立って歩きはじめた。
校舎は二つに分かれていて、ナナモリさんのいる校舎は特別教室棟にある。社会科準備室は渡り廊下で繋がったもう一つの校舎、普通教室棟の一階だ。各学年の教室は二階から四階に収められており、一階には授業でもほとんど使われない教室が並べられていた。放課後になっても寄りつく人間はいない。
ナナモリさんとつるんでいるところを、知り合いに見られずに済めばいいが。
「ああ、そうそう」
などと考えていたところへ突然、七森がぱちんと手を合わせたものだから、ぎくりと肩が揺れてしまった。
「ナッ、なに?」
「秘伝のこっくりさんのやり方、ざっくりでいいから教えてくれる? こっくりさん継続勢が集まってるのはなんとなく知ってたけど、どんなふうにやってるのかまでは知らないんだ」
「あ、ああ……」
そういえば、そんなことを言っていた。ナナモリさんの勘にも限界はあるらしい。慌てて記憶を手繰り、簡単に説明する。あの日の感覚も甦るせいか、手順のひとつひとつがどことなく呪わしく思えて、口にするたびに不安が積み上がる。
しかし、聞き終えた七森の反応はあっさりしたものだった。
「秘伝、って言う割にはお手軽だね。酒とか唾とか使うのかと思った」
「こわ。何それ」
「供物とか繋がりを作るとか、呪術的な意味があるんだろうねえ。そこまで詳しく調べたことはないけど」
呪わしさの世界にも、上には上があるらしい。
怪談好きというのは嘘ではないようで、七森はちょっと楽しそうだ。カルチャーショックを受けながら、階段を折り返す。
「でも、お手軽な割には気持ち悪いね」
思わず振り返ると、七森は思ったよりそばにいた。
「……どのへんが?」
突然足を止めた俺に七森は頓着しない。するりと追い抜き、痩身を翻して踊り場を回る。
「なんかねえ」
黒い髪がふわりと揺れる。襟足から覗いた白い首が軽く傾いだ。
「こっくりさんて、いわゆる降霊術ってやつなんだけど」
「幽霊呼ぶ儀式的な?」
「そうそう。そのへんにいる幽霊を呼んで、遊んでもらうの。洋の東西を問わず似たようなものが伝わってる、幽霊ガチャ。あたりはずれあり、来ないときもあり」
「なんか、ナンパみたいだな……」
「そうそう、ちょうどそんな感じ。だからおふざけでも楽しめるし、逆に事故ると洒落にならないことになっちゃうの」
でも今回のって、そうじゃないよね。
「………」
斜めに差した初夏の光が、校舎内を白と黒にくっきりと塗り分ける。七森の肩に、縞模様がひととき歪んで通り過ぎた。足許に、濃い影が溜まる。
「毎日、毎回、同じ場所、同じ方法で呼んで、同じ方法で帰ってもらう。きちんと来て、きちんと帰る」
肩越しに振り返った瞳が笑った。
「ナンパの方法でこんなことしてるの、ちょっと気持ち悪いよね」
白々しくて。
◯
放課後の校舎には人の気配が薄かった。ときおりすれ違う顔ぶれのなかに見知ったものはない。長く激しい雨から解放されたせいか、晴れているなら街に繰り出さなければ損、みたいな雰囲気が学校中に漂っていた。
社会科準備室の前も、前回ひとりできたときと同じく静かだった。雨音の閉塞感がない代わりに、がらんとしたうすら寒さが忍び寄る。今日も扉は閉じていて、なかの様子は窺えない。
「………」
この扉に近づくにつれ、俺も七森も口数が減っていった。到着した今となっては、お互いすっかり黙りこくっている。
ここまで静かなのだから、さすがに今日は誰もいないのではないか。現実的な予想の一方で、声は出せなかった。
誰もいなくても、「何か」はいるんじゃないか。
先ほどの七森の話が、口をつぐませていた。
どちらからともなく、ひょいと視線を交わす。七森が頷いたので取っ手に手を伸ばしたが、触れる前に骨ばった手に制止された。「開けろ」という頷きではなかったらしい。こいつと眼で会話するのはまだ無理だ。早々に諦めて、両手を掲げて見せる。任せる、および、俺にはお手上げ、の意思表示のつもりだった。
これは正しく伝わったらしく、鋭い眼がやんわり笑って再度頷いた。鞄から何やら紙切れを出す。お札か何かかと思えば、何のことはない、数学の課題だった。そんなもので何をするのかと見守っていると、慎重に扉と枠の間に差し込んだ。部屋のなかにはみ出さないよう神経をつかいつつ、差し込んだ紙を扉の金具に向けてすうっと下ろす。止まる。一度抜いて、今度は下からそっと上げていく。止まる。音はなかったが、固いものに止められたのは動きでわかった。
鍵がかかっている。
「………」
あの日の感覚が甦り、足がすくんだ。
七森はプリントを鞄に滑り込ませると、その場に膝をついた。扉の隙間にひととき眼を凝らし、首を捻り、不意に動きをぴたりと止めた。
ゆっくりと俺を見上げて手招く。
ぎくしゃくとそばにしゃがみ込んで俺も隙間を覗いてみるが、何も見えない。ふと膝をつつかれた。身体が跳ねそうになるのを堪えて視線を隣に向ける。細い指が唇の前に立てられ、次いで耳を示した。静かに、耳を澄ませろ、ということだろうか。頷いて、眼を閉じた。
「………」
遠くで聞こえるのは野球部の掛け声だろう。爆ぜるような音はテニス部が球を打つ音か。微かに、女の子がはしゃぐ軽やかな声も聞こえる。ごとごといっているのは俺の心臓だ。何より、この廊下を満たす静けさが耳に痛い。
「………」
そのすべてを透かした先に、聞こえた。
「——……」
雨音が隠してくれないぶん、いっそう低められた、声。交わされる囁きは密やかで、意味は汲み取れない。男女の別もわからない。
あのときと同じだ。
足許からひやりとした感覚が這い上がってくるようで、たまらず眼を開けた。瞼の裏の暗闇に留まっていられなかった。情けないのはわかっていたが、視線は縋るように隣の男へと逃げてしまう。
七森はこちらを見ていなかった。知らぬ間に夕方の黄色みを帯びてきた光のなか、窓を背にした横顔は暗い。ささくれだった木の扉に視線を注いでいる。黒い瞳がどこからか差した光を返して、鋭く光った。
唇が音もなく動く。
「——」
なんだ、という言葉を飲み込んだ。鋭い眼差しは、何も見ていなかった。なかで交わされる会話を全身で聞いている。内緒話よりもなお密やかな話し声を拾い上げようとしている。
——……お……ぁ……
薄く開いた唇が、断片的な音を聞き取って形を与えようとしては崩れる。
——……ぁい……おえ……
それでも言葉を成そうと震える。
「………」
長い試行錯誤の果てに、薄い唇がやっと意味の通る形を示した。
——こっくりさん、こっくりさん。
「——ッ」
ぎくり、と背筋が嫌な感じにこわばる。七森は表情こそ変えないものの、わずかに身を乗り出した。俺には意味の拾えない声に、いっそう耳を澄ませる。唇はまだ動いている。
——扉の前にいるのは誰ですか?
低い囁きが、唇の動きに重なった。七森のつり眼が丸くなる。
「……——」
考えるよりも先に、痩せた腕を掴んでいた。
◯
「ばれたかな……」
「どうだろうねえ」
五分後、図書室の奥。古い文学全集が埃をかぶっている棚の前に、並んで座り込んでいた。校内ではここが、社会科準備室から物理的に最も離れている。泡を喰って闇雲に走ったつもりだったが、俺の逃走本能は笑えるほど素直に機能していた。
「あれ、ほんとにそう言ってたのか?」
「どうだろうねえ」
七森は疲れ切った顔で曖昧に返すばかりだ。汗の浮いた額をうつむけて、肩を大きく上下させている。
「いずれにせよ、俺は……相談にかこつけて、誰かを、からかったことは……ないよ」
安心して。
切れ切れにそこまで言って力尽きたのか、がくりと膝に顔を伏せた。
「………逆に安心できなくないか、それ」
からかってくれていたほうが、まだましだった。
七森からの返事はない。押し殺した荒い息が耳を打つ。真似をするわけではないが、俺も膝を抱えて丸くなった。久しぶりに全力疾走した脚がだるかった。だがかすかに震えているのは、疲労のせいではない。
——扉の前にいるのは誰ですか?
「………」
誤魔化すように、押さえ込むように、ぎゅっと両腕で抱え込んだ。
七森がふらりと顔を上げる。
「なんにしろ、本当になんか来てそうだったね、あれ」
びっくりしたあ。
と、軽く笑う。図書館だからか声は控えめだったが、翳りのない、楽しげな笑顔だった。
「なんも来てないと思ってたのか?」
驚いて問い返すと七森はてらいなく頷いた。視線をこちらにくれて、少しだけ眉を下げる。
「臨城くんを疑ってたわけじゃないんだけど、正直、こっくりさんごっこ的なやつだと思ってたんだよね」
疑われていてもいなくても構わないが、言われたことには、ぴんとこない。
「よくわかんねえんだけど、肝試し的なやつ?」
「っていうんじゃなくて……なんていうかなあ」
七森は本棚に背中を預け、首をぐるりと回した。
「もっと、気持ちの悪い話でね」
痩せた手に視線を落とし、人差し指を伸べて見えない机に走らせはじめる。
「毎日、毎回、誰か——例えば代表者が、本当は好きなように動かしてて、それを『こっくりさんのお告げ』ってことにして都合のいいことを言って——」
指先がふっと浮かんで俺の胸あたりを示した。
「周りの人間を操ってる、的な」
ちょっとした、宗教っぽいやつ。
「………」
生々しい不快感があった。
七森が笑う。
「それはそれでやだよね」
「……でも、ちがったよな?」
「これはこれでやだよねえ」
「………」
あのとき、最後に重なった声は、七森の声ではなかった。たしかに扉の向こうから聞こえていた。俺たちの存在に気づいていた。問いかけの形をして、盗み聞きを咎めていた。
胃のあたりが重くなる。
「ぶっちゃけね、こっくりさんが流行りだしたとき、さっき言ったみたいなことする子が出るんじゃないかなって思ってたんだ」
真剣な子、ちらほらいたでしょう。
柔らかい声が耳に甦った囁きを打ち消した。顔を向けると、どこか気だるげな笑みが迎える。
「さあ……俺にはわからんかったわ」
嫌な想像はしたものの、それだけだ。本気でやっている人間がいるとは思いもしなかったし、七森の言う「気持ち悪い」こっくりさんなんて、想像もしなかった。
「こっくりさんごっこなら、しれっと参加してグループを分断しちゃえば、臨城くんの悩みは解決すると思ったんだけどねえ。ほら、勘のよさには自信あるし。でもこれはなあ……」
「ちょっと待て」
思いがけない方向に話が転がり、身体が跳ねてしまう。ここが図書室であることも忘れて詰め寄った。
「まさか諦めるのか? ここで?」
「いや、逆、逆」
詰めたぶんだけ仰け反った七森が落ち着けとばかりに手のひらをこちらに向けた。黒い眼が貸出窓口をちらりと見やり、もう一度俺に戻ってくる。
「人間関係のぐちゃぐちゃに割り込むの、ちょっとしんどいなって思ってたんだ。本当のオカルトのほうが、まだ楽しむ余地があるよ」
ね、と眼を細める。いくらか見慣れてきた、優しい笑みだ。そこでようやく、身を引いた。頭を垂れる。
「焦った……ここで放り出されたらどうしようかと思った……」
強引につき合わせている手前、本気で無理だと言われたらこれ以上引き止められる気がしない。複雑なのは否めないが、楽しんでもらえるならそのほうがありがたい。
改めて礼を言っておこうと顔を上げると、七森が不思議そうに俺を見ていた。
「……何?」
「いや、俺はそういうふうだから大丈夫なんだけど、臨城くんは平気なのかなって」
「ええ?」
相談相手が続ける意志があると言ってくれているのに、俺に何の問題があるというのか。
わけがわからず首を捻ると、七森は言葉を足した。
「本当に『何か』来るこっくりさんをやるわけだけど、大丈夫?」
◯
大丈夫かどうかでいうと、大丈夫ではない。
怖い話に興味がないのは、怖くないからではない。実際、この問題に取り組みだしてから、幽霊など出てもいないのに怖がってばかりだ。
「なんか知らんけど、塩とか持ってこなくていいのか?」
とはいえ、持ち込んだ張本人が逃げ出すわけにはいかない。陽がさらに傾くのを待って、再び社会科準備室に向かっていた。一歩階段を下るにつれて、気持ちもひとつ不安に傾く。
「無理しなくても大丈夫だよ」
半歩先をいく七森は俺の提案には答えず、笑い混じりの声で撤退を勧めてくる。さっきからこの調子だ。正直、乗っかりたくなってしまうからやめてほしい。情けない内心を見透かされそうで、つい七森の視界から逃れるように足が重くなった。一方、足取りが鈍っているのを怖がっているせいだと思われるのも望ましくない。八方塞がりだ。背中が丸くなる。
七森は振り返らずに話しかけてくる。
「まあ、何か来るっていってもさ」
俺の姿は見えていないだろうに、声はもうふざけていない。ただ、優しい。
「ひかりちゃんたちは毎日呼んで、毎日平気に過ごしてるわけでしょ? そんなひどいことにはならないんじゃないかなあ」
強がるのがあほらしくなってくるほど、正面からの励ましだった。内容がどことなく大雑把なのも相まって、力が抜けてしまう。口から情けないため息が洩れた。
「『そんな』ってなんだよぉ……逆に怖いわ」
「あはは——あ……」
一階の床を先に踏んだ七森が、不意に立ち止まった。進行方向を塞がれた俺は階段の上で足を止め、丸い頭越しに前方へ眼をやる。
「どうし——あ……」
階段から廊下を挟んだ真正面、普通教室棟との渡り廊下をこちらへ向かって歩いてくる一団があった。玄関はこちらの校舎にある。友人同士連れ立って帰るところだろうか。和やかに笑みを交わしているのが遠目にもわかった。女子が四人、男子が一人。話したことのない顔ぶれだ。
ひとりを除いては。
「武藤さん……?」
中心で明るい笑顔を振り撒いているのは、武藤さんだった。ということは、一緒にいるのはこっくりさん仲間だろう。
「っおい、どうする……!」
社会科準備室前での出来事が脳裏に甦り、鼓動が速くなる。咄嗟に七森の腕を掴んで身をかがめた。盾にした身体はぺらぺらのひょろひょろだ。隠れる効果などあるはずもない。
七森が苦笑する。
「臨城くん、逆に怪しいよお」
声だけはひそめてくれたが、ただ俺に合わせただけのようだ。ゆったりと構えていて逃げ出す気配はない。
「いやお前も慌ててくれよ……!」
さっと周囲に視線を走らせる。身を隠せる場所はない。まだ気づかれていない今なら、階段を戻ればやり過ごせるか。
と、思ったのだが。
「あれ、明くん……と、臨城くん?」
澄んだ声が俺を呼んだ。見れば、丸い瞳がしっかりと俺たちの姿を捉えている。息が止まる。
「やあ、今帰り?」
あけるくん、が一瞬誰だかわからなかったが、七森が平然と返事をしたことで思い出した。
こいつ、武藤さんと下の名前で呼び合う仲か。
焦りを押し除けて一瞬そんな感想が頭をよぎった。その一瞬が仇となり、気づいたときには立ち話する布陣が完成していた。さりげなくすれ違うことなど、もうできそうにない。
愕然とする俺をよそに、武藤さんは笑顔で頷いている。
「そー。駅前でアイス食べよっかってなってるんだ」
一見した感じ彼女に含みはなさそうだ。しかし、こっくりさん仲間たちは別だった。武藤さんの一歩後ろで、不安げに俺たちを見ている。
警戒されている。
背中に嫌な汗が滲んだ。茶色い瞳がくるりと俺たちを見比べた。
「ふたりはどうしたの? 珍しい組み合わせだよね?」
普通の会話なのに、探りを入れられているような居心地悪さが込み上げる。後ろに控えている四人の眼差しが息苦しい。頭がめまぐるしく回転するが、まったくの空回りだった。
「あ……えっと……」
俺には無理だ。頼む、七森。
即座に匙を投げて念を送る。祈りが通じたのか、柔らかい声は澱みなく答えてくれた。
「ナナモリさんやってるの。臨城くんからのご相談」
ぎょっとした。
「お、いぃ……!」
「えっなに、臨城くん悩みごと? 大丈夫?」
「あっえ、ぁっ、あー……」
心配そうに眉を下げる武藤さんに、俺は何も答えられない。馬鹿みたいに母音を吐きながら、七森を睨みつけた。腕を掴んだままの手に、力がこもってしまう。
どういうつもりだ。
しかし俺の動揺など七森には通じない。かけらもペースを乱さずに話を続ける。
「それが結構深刻でねえ。相談ていうのがさ……」
言うなり、七森が耳にかかった髪をかき上げた。武藤さんの眼がみはられる。
「……ピアス?」
「そう。ピアスデビューのご相談」
西日を受けて、白い耳に並んだ石がちかちかと瞬いた。ひとつやふたつではない。一瞬、眼が眩む。
「——」
意外すぎるだろ。
とはこの流れでいうわけにもいかず、必死に飲み込む。ここまできたら、もう観念して七森の話運びに乗っかっていくしかない。次の手に集中する。
「正直なところ、夏にあけるのは避けたほうがよいでしょう、というのがナナモリさんの回答なんだけどね」
「いや、夏だからこそあけるんだろ」
咄嗟の判断で口を挟んだ。半身に振り返った七森は満足げに笑みを深め、芝居がかった仕草で両手を広げた。
「というわけでして」
正解だったようだ。やるな俺。
ドヤ顔してやりたいくらいだったが、あからさまに安堵するわけにもいかず、ぎゅっと背を丸めた。精いっぱいの「秘密を聞かれて居心地悪がっているふり」だ。武藤さんがおかしそうに笑う。
「それは難題だ」
俺の下手くそな演技が通じたのかどうか。彼女の反応はいつもの穏やかさで、緊張が和らぐ。余裕が生まれ、七森の脇腹を軽く肘で突いた。
「相談をほいほい漏らすなよ……守秘義務どうなってんだ、ナナモリさん……!」
「ナナモリさんも困っちゃってねえ」
七森はのんびりと応じる。甘く笑った眼が、俺ではなく武藤さんを映した。
「こっくりさんなら、なんて助言してくれるかな」
心臓が跳ねた。突かれたような痛みが走る。七森の語り口に変化はなく、なめらかに切り込んだところを見るに、最初からこれが目的だったのかもしれない。
武藤さんへと恐る恐る視線を向ける。
「こっくりさん……?」
武藤さんはひととききょとんとして、やがて小首を傾げた。艶やかな髪が揺れる。
「んー……どうだろ。私たち、そういう質問しないしなー」
ね、と後ろの面々を振り返る。急に話を振られて、四人はそれぞれ少し萎縮した様子を見せた。視線を床に逃したり、浅く頷いたりしている。よくよく見れば、どの子も、真面目でおとなしそうな雰囲気だ。間違っても、俺のように髪を金色に脱色しているやつとはつるみそうにないし、ピアスとも無縁だろう。不安から解放されてみると、一歩引かれるのも無理はない気がしてきた。
武藤さんの意見も同じらしく、こちらに向き直って悪戯っぽく肩をすくめる。
「こんな感じでして。私たちのこっくりさんは力になれそうにないや。ごめんね?」
「や、こっちこそごめん」
「ってわけで、がんばれナナモリさん」
「援軍頼みたかったんだけどなあ」
「諦めてくださーい」
ふいっとそっぽを向いてみせる。軽いやりとりを重ねるにつれ、こっくりさん仲間たちの硬い雰囲気も和らいでいった。見るからにちゃらついている俺とはまるで視線が合わないが、がっくりと肩を落として見せる七森には、小さいながらも「ごめんね」なんて声がかけられている。
「いいなあ、こっくりさん。俺も相談できる相手がほしいよ」
七森は乱した髪を整えた。いかにも未練たらたらです、という上目遣いで尋ねる。
「今日も、呼んでたの?」
武藤さんが呆れたように笑う。
「それは知ってるでしょ?」
「——」
じゃあね。
返事をする前に、武藤さんたちは去っていった。一塊の影になり、靴箱の間、夕暮れの光のなかへと消えていく。
七森に袖を引かれるまで、俺は動けなかった。
◯
「ねえ、本当に無理しなくても大丈夫だよ」
先ほどと同じように数学の課題で施錠確認を行なっていた七森が、ここに来るまでに何度もかけてきた言葉を繰り返した。声音は相変わらず軽いが、俺にかかる重みは増していた。
——知ってるでしょ?
「………」
音が鳴らないように、唾液を飲み込む。
「……無理はしてるけど、帰んねえよ……」
七森の何気なさが、かえって逃げる気を失わせた。おそらく本気で帰っても構わないと思っているし、逃げても恨みはしないのだろう。そして、ひとりでやってみる。
「何か」を本当に呼び出せてしまう、秘伝のこっくりさんを。
「俺の相談なんだから、俺がやらんでどうすんの」
冗談でも、あとは任せた、なんて言えなかった。
「臨城くん、律儀だよねえ」
薄っぺらい紙が鞄に戻される。戻した手が、今度はくすんだ銀色の取っ手を掴んだ。鍵はかかっていなかったらしい。つまり、なかに人はいない。
武藤さんたちが帰ったから、もういない。
「じゃ」
その意味するところを飲み込む前に、骨ばった手が捻られた。金具の擦れ合う音が響く。俺を横目に見る七森のつり眼がやんわりとたわむ。
「まずは入場だね」
お邪魔しまーす。
決めた覚悟が馬鹿馬鹿しくなるほど、扉は簡単に開かれた。
「——……」
狭い部屋は薄暗かった。人が毎日出入りしているはずなのに、廊下へと溢れ出した空気は息詰まるほどに埃っぽく、饐えた臭いが染みついている。日焼けしたカーテンはきっちりと閉じられて、橙色の光を濁らせた。
躊躇いなく侵入する痩身を追って、足を踏み入れる。
「なんか……意外と普通の部屋だな」
梅雨の名残を引きずって空気がべたついている。一歩ごとに埃がまとわりつくようだ。しかし、内装に想像していたような魔術的な装飾はなかった。壁に沿って天井近くまでそびえる棚に押し込まれているのは、骨やお札ではなく、古ぼけた段ボール箱やファイルの類だ。床も、埃こそ積もってはいるものの何か奇妙な模様が描かれているわけではない。
「これが祭壇かなあ」
七森が歩み寄った先には、机があった。五、六人も入れば窮屈に感じてしまいそうな部屋の中心に、どこの教室にも置いてある一人用の机が置かれていた。天板にはファイルの詰まった段ボールが乗せられている。対となる椅子はない。ざっと見回してみたところ、この机の他に人が囲んで立てる高さのものはなかった。埃も積もっていないようだし、これで間違いなさそうだ。
こっくりさんに使われているのは、この机だ。
「……祭壇の割には扱い雑じゃねえ?」
ぱっと見、棚に片づけるのが面倒なものを置く場所、といった様相だ。七森が箱に手を突っ込んで中身を検めながら、首を捻った。怪しいものは入っていないらしい。
「誰かに机を片づけられないように、とか、そういうことかなあ」
「なるほど……?」
毎日いちいち他の教室から机を持ってくるのが面倒だから、ということか。手間を惜しむ人間臭さに拍子抜けしてしまう。
「んじゃ、ちょっとお借りしますかね」
電気をつけるほどではないが、確実に暗くなってきている。さっさと始めてしまおうと、机を塞ぐ段ボールを抱え上げた。
「——」
「ああ……これは……」
言葉を失う俺の横で、七森が呟く。
「なんか……秘伝っぽいね」
段ボールの下に隠れていた——隠されていた天板には、文字が刻まれていた。下書きでもしたのか、べったりと貼りつけられた紙の上から丁寧に彫り込まれている。文字だけではない。この梅雨に何度も見た記号も、くっきりと刻まれていた。
五十音、はい、いいえ、そして、赤い鳥居。
見慣れた長方形のなかには、こっくりさんに必要な形が揃っていた。彫刻刀か何かで、一字一字丹念に刻み込まれていた。
それだけでも異様な品ではあったが、俺に言葉を失わせたのはその「祭壇」自体ではなかった。
「なんで……」
整った、少し丸っこい字だ。筆記用具で書かれたものではないから少し歪んではいるものの、見覚えがある。学級日誌でこっそり確認した、あの形。
「ひかりちゃんの字?」
七森が尋ねてくる。声も出せずに、頷いた。
無意識に、武藤さんは誰かに誘われて参加したのだと思っていた。
七森の言っていたとおり、武藤さんは社交的で人懐っこい。友だちも多い。だから、オカルトの好きな知り合いだっているだろう。そういう友だちにつき合って参加して、のめり込んでしまったのだと、そう思っていた。
だけど、これは。
「………」
鳥居は、深く掘ったなかに絵の具らしきものが塗り込められている。夕日のなかにあっても、くっきりと赤い。その丁寧な仕事からは執念のようなものが感じられた。俺の好きだった武藤さんとは結びつかない。
「………っ」
だけど、あの湿った笑みを見せた彼女となら——
「これどっから持ってきたんだろうね」
思考を甘い声が断ち切った。鳥居から眼を上げると、机のそばにしゃがみ込んでいる七森と視線が合う。机のなかを確認していたらしく、そこで見つけた十円玉を指先で弄びながらひょいと立ち上って、棚を見て回りはじめた。その姿を呆然と眼で追う。
「先生に見つかったらめちゃくちゃ怒られそうじゃない?」
ひと通り回っても他に不審なものは見つからなかったらしい。ひとり頷いて、俺を振り返った。ね、と笑ってみせる。
「……他になんか言うことねえの? 励ますとかさあ……」
「ここで励まされるのも何となくしんどくない?」
それはそうだが。
「……俺、今、好きだった子の字がやばそうな机に刻まれてんの見て、結構ショック受けてんだよ」
「うん」
「励まさなくてもいいから、一緒にショック受けてくれねえ?」
「ああ……」
ここまで説明してやっと、なるほど、みたいな顔をしている。
方々の相談を受けているくせに、誰とでもうまくやっているくせに、変なところで共感性が低い。
「とりあえず、それ、重いでしょ? そのへん置きなよ」
優しさを見せたと思ったら、見当外れだ。思わず苦笑が漏れる。深刻に受け止めていたのが馬鹿馬鹿しくなった。箱を手近な棚に押し込んで、机に向き直る。七森は机のそばに戻ってきて、文字を指先でなぞっていた。その仕草に怯えはない。
「ひかりちゃん、字、きれいだねえ」
暢気な感想だ。
「……周りに頼まれて書いた説、ねえかな」
その暢気さに引っ張られて、希望的な言葉が口からこぼれる。
「あるね」
七森は簡単に頷いてくれた。ごくごく自然な同意だった。
「……だよな。それなら納得」
今度の優しさは的を射ていた。
冗談めかして煽てられて「仕方ないなあ」なんて苦笑している彼女の姿なら、瞼の裏に簡単に描ける。これでひとまず、飲み込んでおける。
一方、机を幾度も撫でていた七森は納得いかない様子で首を傾げた。
「それにしてもこれ、どうやって終わらせてるのかな」
「普通に帰ってもらうんだろ?」
「帰ってもらったあとの話」
「うん?」
首をひねると、七森はちょっと嬉しそうに、「こっくりさんってね」と語りはじめた。
「終わったら紙は四八枚に破いて捨てて、十円玉は三日以内に使うこと、ってきまりがあるんだよ」
初耳だった。俺の知らないところでみんなそうやって片づけてくれていたのだろうか。
「十円玉は人の手に渡らない……自販機とか券売機とかで使うこと、みたいな話も聞いたことあるなあ。あんまり広く採用されてる方法ではないみたいだけど、俺は普通に使うのよりもこっちの方が好きなんだよね。なんとなく」
「急にめっちゃ喋るじゃん」
頼もしいような、逆に不安になるような。
「あんまりこういう話する機会ないから、ここぞとばかりにね」
あはは。
場違いに穏やかな笑い方を見ていると、肩の力が抜けてしまう。心強さはない代わりに、まあ何とかなるか、という気楽さが生まれた。
なんにしろ。
「帰ってもらって終わり、じゃないわけか」
「そうそう。終わらせなかったから呪われた、なんて話もたくさんあるんだよ」
だけどこれはさ。
二人して問題の机を見下ろした。天板はそれなりに分厚く、とてもではないが四八枚に破ることはできそうにない。それどころか、一文字一文字丁寧に刻み込まれた文字を見ていると、むしろ——
「終わらせてなるものか、って感じだよね」
「心を読むなってば」
「率直な感想だよ」
七森が再び机を離れ、扉の方へ向かう。
「とりあえず、文字盤と十円玉は再利用してるんだねえ。なるほど」
薄い背中は淡々とこっくりさんにまつわる蘊蓄を続けた。
「あと、北か西側の窓を開ける、っていう説もあるんだけど、ひかりちゃんは『鍵のかかる部屋』って言ったんだよね?」
「うん」
「じゃ、密室で」
かちゃん、と軽い音がした。出入り口の錠が降ろされた。小さな音に、つい肩が跳ねてしまう。背を向けている七森には見られていないだろうが、誤魔化すように声をかける。
「……こっくりさんが終わってないから、武藤さんは変わっちゃったってことなのか?」
「それはわかんないなあ」
返事はつれない。代わりに身を翻して、こちらに手を差し出した。
「こっくりさんに聞いてみよっか」
その指先には、十円玉があった。手垢に塗れた硬貨は淀んだ影を吸って、暗い穴のようだ。
「………」
一瞬、返事をためらう。七森のつり眼が柔らかくたわんだ。
引き返してもいいよ、と言われている気がした。
引き返すなら、今だよ、と。
「……そうだな!」
傍の机に向き直る。努めて軽い仕草で天板を叩いた。刻まれた凹凸が指の腹に触れて背筋が粟立つのを、無視した。勢いよく、七森を振り返る。
「始めよ。時間ねえし」
部屋の奥、夕陽を返す瞳をまっすぐに見る。
「……だねえ」
わずかな沈黙のあと、小さな頭が、こっくり、と頷きを返した。軽やかな足取りで戻ってきて、十円玉を鳥居の上に重ねる。視線を上げると、机を挟んだ反対側で七森も俺に視線をくれたところだった。
大丈夫か、とはもう聞かれなかった。
「どっちが言う?」
例の呪文のことだろう。
「頼んでもいいか? 俺、なんか照れくさい……」
というより、ちょっと恥ずかしい。怖さと混ざり合って、変にふざけてしまいそうな予感があった。
「では僭越ながら俺が」
七森は特にこだわりがないらしい。骨ばった指が予告もなく十円玉に乗せられる。何度も教室で見た光景だ。たくさんの指がこうして、十円玉に突きつけられていた。場面は思い出せるのに、どれが誰の指だか、わからない。
「臨城くんも、乗っけてもらっていい?」
「あ、ああ。ごめん」
丸っこい爪の向かいに、少し爪の伸びた指が添えられる。俺の指だ。
「んで、眼を瞑って」
「……うん」
言われるまま、眼を閉じた。この部屋には光が少ない。瞼を閉ざすと、真っ暗になった。心臓の音、息を吸って吐く音。どちらも俺のもので、七森の立てる音は聞こえない。どこかひっそりとした印象の男だったが、視界を遮ってしまうとそれだけでもう感じ取ることができなくなった。
「始めるよ」
ただ、声だけが頼りだ。
「……頼んだ」
俺の返事を合図に、微かに空気の動く音が鼓膜をくすぐった。
始まる。
冷たい硬貨に乗せた指から肩まで、右腕が痛いほど緊張した。
「それじゃ——」
——こっくりさん、こっくりさん、おいでください。
「——……」
甘く、歌うような響きだった。
耳に微かな余韻を残し、消えていく。狭い部屋に沈黙が降りた。かすかに聞こえるのは相変わらず俺の呼吸だけだ。先ほどまでと、何かが変わった感覚はない。周りで囃し立てる声がないぶん、そして怯え切っていたぶん、猛烈な気恥ずかしさが込み上げてきた。
「じゃ、眼を開けるよ」
茶化してしまいたくなる衝動を、優しい声が宥める。
「……うん」
「なんかいるかもしれないけど、眼を逸らしたり、指を離したりしないで」
「怖いこと言うなって」
「あはは。それじゃ、せえの——」
瞼を開く。視界の中心には変わらず十円玉があった。鳥居の上でじっとしている。
そこに添えられている指は、三本だった。
「あ——」
「——ッ」
本能だった。
得体の知れない存在から、身体が勝手に逃げを打つ。
視界から、右手がひとつ消えた。
「っぁ、……っ……」
「ははは、秒できまり破っちゃった。本当に出たねえ」
七森の右手が。
「な、ん……で……」
咄嗟に顔を上げた視界には、俺と七森しかいなかった。こっくりさんの姿はない。痩せた手をひらひらと振って、七森が笑っている。
「いや、びっくりして。ごめんね」
ひとに注意しといてこれだよ。
肩をすくめてみせる。柔らかい笑みが、白々しい。その顔が、端的に状況を説明していた。
庇われた。
理解した瞬間、頭の奥が熱くなった。
「なんで……っ!」
勝手にこぼれ出てくる台詞は問いの形をしていたが、声音はちがう。明らかに七森を責めていた。
「まさか本当に来るとは思わなくて」
それがわからないはずはないのに、七森は律儀に答える。とぼける。視界が一瞬、赤く染まる。
「ッ嘘つくなって! なんで庇った!」
たまらず、机に手のひらを叩きつけていた。空の机に反響して、耳に痛いほどの音が立つ。七森はその場に飛び上がり、痩せた身体を縮めた。笑ったままの頬が引き攣る。大きく見開いた眼が俺を見つめ、軋むような動きでうつむいた。顔に暗く影が差す。色を失った唇が震えた。
「ええ、と……ごめん……」
声は細く、掠れている。頼りない響きが、頭に冷水を浴びせた。急降下に揺さぶられてぐらつく頭を垂れる。
「……いや、ごめんは俺のほうだわ……まじでごめん。ごめんな……」
ひりつく手のひらをぎゅっと握り込んだ。幾度も、息を吸って、吐く。七森は何も言わない。先ほどまでの静けさとは打って変わって、怯えた気配がちくちくと刺してくる。取り戻した冷静さを、懸命に繋ぎ止める。
慎重に口を開いた。
「……俺が、手え離すと思った?」
「……うん。ごめん。侮ってたね」
「いや、正解。七森くんが先に離さなかったら、絶対離してた」
「そう? やるね、俺」
「だからこそ、なんで?」
強引に相談相手にして、知識を分けてもらって、お膳立てしてもらって。
「せめてリスクくらいは俺にくれんとさあ、立場ないじゃん……」
言葉にすると、いっそう情けない。
七森は眉を下げて、首を捻った。
「……なんでかなあ」
どこか他人ごとのような、途方に暮れたような声だった。俺の拳のそばで、細い指が十円玉を撫でる。
「こっくりさんに聞いてみる?」
さすがにちょっと怒ったのは、許してほしいと思う。
はじめは、思いつきだった。
梅雨どきにクラスで流行りだしたくだらない儀式を見ているうちに、ふと気づいたのだ。
自分のやっていることと変わらない、と。
一円以下の脆い紙と、チョコのひとつも買えない額の硬貨、そして誰が動かしているかもわからないお告げ。安っぽい儀式を口では茶化しながら、みんな心のどこかで信じてしまっているのが、手に取るようにわかった。
自分と同じだ。
平均よりちょっと話しかけやすい同級生。友だちにいいかっこしたいだけで、人生経験も知識も、別に抜きん出たところはない。ただ、ちょうどいいから頼られて、信じられる。
こっくりさんは、自分と同じだ。
それでちょっと実験してみるつもりになったのだ。同じものをぶつけたらどうなるだろう、と。
こっくりさんもどきである自分が本気でこっくりさんをしたら、何が始まるだろう、と。
×
拝んでいる間に、日差しの角度が変わっていた。斜めに差して給水塔をすり抜け、夏服の肩を炙る。梅雨の遅れを取り戻すように励む運動部の掛け声が、風にちぎれながらここまで届いた。
隣に座る七森は、まだすっぽりと影におさまっていた。細い手足を折りたたんで小さくまとまっている。照り返す床に眼を細め、そのまま閉じた。薄い肩が上下する。ため息だ。
これはちょっと、納得してなさそうだな。
やっぱりやめた、と言われる前に、話を進めてしまったほうがいいだろう。武藤さんとこっくりさんを絡めて話すのには、まだ少し抵抗があったが、ぐずぐずしている暇はない。
「——」
景気づけのために深く息を吸った。
「早い話、臨城くんはひかりちゃんにこっくりさんをやめさせたいってことだよね?」
「早い早い早い! もはやお前がこっくりさんじゃん!」
先回りして、しかもいきなり核心をつかれて、声が上擦った。七森は煩わしそうに顔を伏せ、痩せた身体をいっそう小さく丸めた。くぐもった呻き声が返ってくる。
「いや、ただの勘だよ」
「いや勘て! それはそれで普通に特殊能力だろ……ナナモリさんやべえ……」
七森をまじまじと見つめる。「ナナモリさんはなんでもお見通し」なんて、友人のふざけていた声が甦った。
視線がうるさかったらしく、七森は額を膝に擦りつけるようにして顔を覗かせると、ぽつぽつとつけ足した。
「……『あの』界隈にいる、うちの組の子ってひかりちゃんだけだし、かまかけただけだよ」
だから、大したことないの。
「なんだそういうこ……いややっぱ、すごいだろそれ」
一瞬納得しかけたが、そもそも俺から「好きだった子は『あの』界隈の子だ」とは言っていない。「オカルト絡み」というだけで結論まで見抜いてしまうのは、やはりおかしい。背筋がひんやりした。
「……ちょっと出し惜しみしたほうがいいんじゃねえの、その能力。えぐいくらいすごいから」
茶化そうとする声が震える。つい、他のやつにするように思い切り突っ込んでしまったことを後悔しはじめていた。今さらのように居ずまいを正してみたが、七森は返事をしない。濃い影のなか、前髪のかかった眼は仄暗く、ひたりと俺に据えられて、動かない。
「………っ……」
ああ、この眼だ。
七森は俺が嫌っていると思っているようだが、少しちがう。ただ、苦手なだけだ。
この、どこか人を見透かしているように見える眼が、怖かった。
七森は変なキャラのくせに悪口ひとつ言われているのを見聞きしたことがない。それどころか誰からもそれなりに好かれてるのは、他人の心を読んで上手に立ち回っているからだろうと思っていた。
その眼が今俺に向けられて、俺の恐怖を証明している。
自分の唇がいびつに吊り上がるのがわかった。居心地が悪いと媚びるように笑ってしまう、自分の嫌な癖のなかでもとりわけ嫌いな癖。俺の卑屈な笑顔を見て、七森が、ふ、と微笑んだ。
「………そう。俺ってすごいの。あがめよー」
観念したような笑みだった。力の抜けた、教室でもよく見かける柔らかい表情だ。空気が解ける。やっと呼吸を許されたように息を吐き出した。知らないうちに止めていたようだった。緊張から解放された一方で、呼吸まで七森に制御されているような居心地悪さが残る。
「………」
「いただきまーす」
七森は怯える俺の様子には頓着せず、お供物の封を切り、中身を確認した。形は崩れていないようだが、甘いものをよく食べるらしい七森には何か感じるところがあったらしい。鞄のなかから箸を出し、大粒のチョコレートをひとつつまんだ。薄桃色の表面が柔らかく沈む。
「……見るだけで溶けてるってわかんの?」
「ただの勘だよ」
特殊能力の幅が広い。
どう、と箱を差し出されるが、首を横に振った。甘いものは苦手だ。七森はあっさりと引いて、きれいな箸使いで口に放り込む。
「それで、臨城くんはひかりちゃんが変わっちゃったのはこっくりさんのせいだって思ってるんだよね?」
「そう、そうなんだよ」
ひかりちゃん、という響きに勝手な引っ掛かりを覚えながらも頷いた。自然と口数が増えてしまう。
「別に、完全に別人になったとか、そういうふうに思ってるわけじゃないんだけどさ。なんか、雰囲気変わった気がするんだ。上手く言えないんだけど」
あれからも、何度か彼女と話をした。そのどれもが他愛もない世間話じみたもので、彼女の態度は以前と何ら変わりなかった。ただ、俺がもう一度こっくりさんの話を聞いてみようとしたときだけは別だ。切り出そうとした瞬間、眼だけがすっと笑いを消して、俺を見据える。その眼差しの意味は明らかだった。
——お前に踏み込む資格はない。
「……ただ、原因はこっくりさんしかねえと思う」
あの瞳を思い起こすと胸が詰まる。一方の七森は気安く、ふうん、と頷いた。
「ひかりちゃん、もしかして臨城くんにこっくりさんのやり方とか、話した?」
「出し惜しみしろって言ったじゃん!」
「話したんだねえ。なるほどなあ」
こいつ本当に超能力者か霊能力者なんじゃなかろうか。
大騒ぎする俺から逃げるように、七森は身体を斜めにした。
「ただの勘だよ。かまかけただけ」
「……七森くん、すごすぎてちょっと怖いくらいだわ」
とりあえず、両手を合わせて拝んでおく。適当に選んだお供物が七森の好みに合っていたことも、もしや彼の不思議な力がそうさせたのではないか。引きつりそうになる口許を、合わせた手で隠した。
「や、でも有難いわ。説明するの、結構難しくて。あれ、七森くんはどう思う?」
「いや、そのこっくりさんについては、俺は知らないよ。そういう話するほどひかりちゃんと仲良くないしね」
「名前で呼ぶ仲のくせに?」
飛び出した声には恨みがましさが混じっていた。そんな言い方をするつもりはなかった。自分でも驚いてしまい、思わず七森の反応を確認してしまう。七森は口許を手で押さえていた。しまった、という仕草だ。
「……えっと、ごめん、俺……」
「いや待ってくれ。今のはなかったことにしてくれ。本当にごめん。俺が悪かった。許してくれ。このとおりだ」
「そこまで……?」
嫉妬した相手から嫉妬のフォローをされるのは勘弁してほしい。なんとか誤魔化されてほしくて、馬鹿馬鹿しいほどの真剣さで謝罪する。しかしなんでもお見通しのはずの七森は、今に限ってさらに言葉を重ねてきた。
「あのね、ひかりでいいよ、って言われて、武藤さんって呼ぶ勇気はなかっただけだよ」
「わかった、わかりました」
かえってきつい。俺はそんなふうに言われなかった。
「あ、あと俺、安牌だと思われてるの。いわば特殊女子枠」
「わかったって……」
何だその枠は。俺も入れてくれよ。
「……本当、頼むから気にしないで。今のは完っ全に俺が悪いから」
引きつる口を無理やり笑みの形にして見せる。しかし七森はいっそうおろおろとしはじめた。視線と箸を宙に彷徨わせる。
「ああ……ええと……っあ!」
不意にその箸先が決定的な一手を掴んだとばかりに止まり、床を眺め回していた眼が再び俺を見る。そして——
「それにひかりちゃんは、人懐っこいから!」
とどめを刺してくれた。
直後、七森本人も自分の悪手に気づいたらしい。凍りついた空気を挟んで見つめ合う。
「………」
「………」
「……知ってる」
「……だよね」
「その上で俺は『ひかりちゃん』呼びを許されてねえんだわ」
「……うん」
「あああああぎえーっくっそー!」
わざとらしく頭を掻きむしって床に転がった。七森は瞬きの間困ったように硬直し、そして控えめに声を上げて笑った。そうしてやっと、気まずい空気から抜け出せた。視界の端に笑ってくれた七森を捉えながら、これもひとつの「儀式」かもしれないな、と思う。
「あー……」
やっぱり、七森には人の心が見えている気がした。
転げ回るうちにはみ出した影の外、まだ青い空を見上げる。太陽は視界の外にあったが、それでも眩しい。眉間に皺が寄る。仰向けになった喉が、引き攣るように痛んだ。
「……でもさあ、俺が『ひかりちゃん』って呼びたかったの、今の武藤さんじゃないんだ」
痛む喉から、本音が転げ出た。
「……そっか」
柔らかい相槌が受け止める。甘い声は、もう落ち着きを取り戻していた。
「武藤さん、なんか、秘伝のこっくりさんやってんだって。せっかく話してくれたのにさ、俺ちょっと引いちゃって。もう突っ込んだ話できねえの」
取り繕うことを諦めた口から、どう説明しようか迷っていたことがぼろぼろとこぼれ出ていく。ひとつ口にするたびに喉の痛みが軽くなる。
「ただ、こっくりさんをやめさせたいっていうのはちょっとちがっててさ。そういうオカルトっぽいの、俺は興味ないけど、好きで楽しんでるなら、よかったんだよ。いろいろ教えてほしいよ」
それなら、こんな気持ちにはならなかった。だけどあの顔は。
「……そうは見えなかったから、なんとかしたいんだ」
のそりと身体を起こした。七森は膝を抱えて俺を見ていた。視線が重なる。
「そんな感じの相談なんだけど、伝わる?」
見つめると、こっくり、と確かな頷きが返った。
「伝わった。できる限りのことはしてみるけど、あんまり期待しないでね」
言葉は頼りなげだったが、返る眼差しは優しい。口がゆるく笑ってしまうのが自分でもわかった。
「めっちゃ頼もしいわ」
「いや俺の話もちゃんと聞いてよお。期待しないでってば」
苦笑する七森に、構わずずるずると這い寄って両手を合わせた。
「早速だけど、どうしたらいいか、俺にはさっぱりわかんねえんだわ。怖い話とかも知らんし。どうしたらいい? ナナモリさん」
「そうねえ……」
七森がチョコをもうひとつ口に放り込む。思案げに口許に手をやってじっくりと咀嚼する。喉仏がころりと動いたのを合図に、再び俺に視線を据えた。
「とりあえず、一回やってみる?」
秘伝のこっくりさん。
◯
「よくわかんないものをわかんないわかんないって言ってても、何にもわかんなくない?」
というよくわからないが納得感のある理屈により、野郎二人で秘伝のこっくりさんをしてみることが決定した。武藤さんから話を聞いたときはあんなに胸が弾んだというのに、今は不安で胸が痛い。こっくりさんなんか来るわけない、という常識と、実際武藤さんは変わってしまったし、という認識が綱引きをしていた。
「……っと……」
屋上から校舎内に戻るとき、扉の前に置かれている紙パックのお茶を回収した。来るときに俺が置いたものとはメーカーがちがう。どうも、他の相談者が来ていたようだった。終礼直後、屋上にたどり着く前の七森を捕まえるというずるい手を使った手前、ちょっと申し訳ない気分になる。武藤さんのことが解決するまで七森を押さえるつもりでいることは、もっと申し訳ない。相談を抱えたままお茶を交換していった人に胸中で詫びる。
しんみりと手のなかでパックを回すのを、七森が不思議そうに見つめた。
「いつも思ってたんだけど、そのお茶なあに?」
「えっ、七森くん知らないのか?」
「なんか、俺に相談にきた子、みんな帰りに回収していくよね」
ナナモリさんなのに、ナナモリさんの儀式を知らないとはこれいかに。
黒い瞳が紙パックのお茶をしげしげと観察する。校内の自販機で買える何の変哲もないただの緑茶だ。お供物のおまけとして渡してやる。
「ナナモリさんに相談にいくときは甘いお菓子とお茶を用意するんだと。で、屋上の扉の前にお茶があったら先客がいるから、持ってきたお茶と交換してその日は帰る」
「ああ、なるほどね。お茶は、今相談中です、の合図なんだ」
「順番待ちがいます、の合図にもなってるっぽい」
簡単に説明してやると、七森は「儀式」で呼び出される本人のくせに、よくできてるねえ、なんて言っている。薄暗い階段を一段降りるたび、つり眼がきらきらと光った。その眼差しが、ふと曇る。
「正体が俺じゃなきゃ、ちょっとほっこりする怪談話だったのになあ」
ずいぶん悔しげな口ぶりだった。変なキャラで売るイケメンだから、てっきり怪談として持て囃されるのを楽しんでいるのだと思っていた。
意外な気持ちとともに、ひとつ疑問が浮かぶ。
「『ナナモリさん』やるのが目的じゃないなら、なんで毎日屋上なんか通ってんの?」
俺の率直な問いに七森は少し眼を丸くして、視線を床に逃した。瞳がゆるりと巡っていく。
「なんでって……んー……」
応答は鈍い。突っ込んだことを聞きすぎたかもしれない。撤回しようと口を開いたが、それよりも早く、七森はにんまりと唇の端を上げた。細められた瞳に再び俺が映る。
「……馬鹿と煙は高いところが好きっていうでしょう?」
「でしょう? って言われても……」
冗談らしいが、どういう方向で笑えばいいのか。
七森が自分をどちらだと思って言っているのか判断がつかない。俺の交友関係内でなら自虐ネタ、つまり「自分は馬鹿だよ」的な冗談として受け取るところだ。だが相手が七森となると、途端にわからなくなる。
「……七森くんはどっちなんだよ。馬鹿か、煙か」
他人のことは見透かしているくせに、本人のことはわからない。そういうところが怖いのかもしれない。
「さーてどっちかなあ」
あはは。
戸惑う俺をよそに、七森はひとりでからからと笑った。
「とりあえず、社会科準備室行ってみよっか」
教室の並ぶ廊下にひょいと降り立って、俺を見上げてくる。明るい光のなかに立っても、透けて見えるものは何もない。
「こっくりさん勢、いるんじゃねえの」
「まずはそれを確かめに」
「なるほど了解」
俺を待つ痩身に追いついて、連れ立って歩きはじめた。
校舎は二つに分かれていて、ナナモリさんのいる校舎は特別教室棟にある。社会科準備室は渡り廊下で繋がったもう一つの校舎、普通教室棟の一階だ。各学年の教室は二階から四階に収められており、一階には授業でもほとんど使われない教室が並べられていた。放課後になっても寄りつく人間はいない。
ナナモリさんとつるんでいるところを、知り合いに見られずに済めばいいが。
「ああ、そうそう」
などと考えていたところへ突然、七森がぱちんと手を合わせたものだから、ぎくりと肩が揺れてしまった。
「ナッ、なに?」
「秘伝のこっくりさんのやり方、ざっくりでいいから教えてくれる? こっくりさん継続勢が集まってるのはなんとなく知ってたけど、どんなふうにやってるのかまでは知らないんだ」
「あ、ああ……」
そういえば、そんなことを言っていた。ナナモリさんの勘にも限界はあるらしい。慌てて記憶を手繰り、簡単に説明する。あの日の感覚も甦るせいか、手順のひとつひとつがどことなく呪わしく思えて、口にするたびに不安が積み上がる。
しかし、聞き終えた七森の反応はあっさりしたものだった。
「秘伝、って言う割にはお手軽だね。酒とか唾とか使うのかと思った」
「こわ。何それ」
「供物とか繋がりを作るとか、呪術的な意味があるんだろうねえ。そこまで詳しく調べたことはないけど」
呪わしさの世界にも、上には上があるらしい。
怪談好きというのは嘘ではないようで、七森はちょっと楽しそうだ。カルチャーショックを受けながら、階段を折り返す。
「でも、お手軽な割には気持ち悪いね」
思わず振り返ると、七森は思ったよりそばにいた。
「……どのへんが?」
突然足を止めた俺に七森は頓着しない。するりと追い抜き、痩身を翻して踊り場を回る。
「なんかねえ」
黒い髪がふわりと揺れる。襟足から覗いた白い首が軽く傾いだ。
「こっくりさんて、いわゆる降霊術ってやつなんだけど」
「幽霊呼ぶ儀式的な?」
「そうそう。そのへんにいる幽霊を呼んで、遊んでもらうの。洋の東西を問わず似たようなものが伝わってる、幽霊ガチャ。あたりはずれあり、来ないときもあり」
「なんか、ナンパみたいだな……」
「そうそう、ちょうどそんな感じ。だからおふざけでも楽しめるし、逆に事故ると洒落にならないことになっちゃうの」
でも今回のって、そうじゃないよね。
「………」
斜めに差した初夏の光が、校舎内を白と黒にくっきりと塗り分ける。七森の肩に、縞模様がひととき歪んで通り過ぎた。足許に、濃い影が溜まる。
「毎日、毎回、同じ場所、同じ方法で呼んで、同じ方法で帰ってもらう。きちんと来て、きちんと帰る」
肩越しに振り返った瞳が笑った。
「ナンパの方法でこんなことしてるの、ちょっと気持ち悪いよね」
白々しくて。
◯
放課後の校舎には人の気配が薄かった。ときおりすれ違う顔ぶれのなかに見知ったものはない。長く激しい雨から解放されたせいか、晴れているなら街に繰り出さなければ損、みたいな雰囲気が学校中に漂っていた。
社会科準備室の前も、前回ひとりできたときと同じく静かだった。雨音の閉塞感がない代わりに、がらんとしたうすら寒さが忍び寄る。今日も扉は閉じていて、なかの様子は窺えない。
「………」
この扉に近づくにつれ、俺も七森も口数が減っていった。到着した今となっては、お互いすっかり黙りこくっている。
ここまで静かなのだから、さすがに今日は誰もいないのではないか。現実的な予想の一方で、声は出せなかった。
誰もいなくても、「何か」はいるんじゃないか。
先ほどの七森の話が、口をつぐませていた。
どちらからともなく、ひょいと視線を交わす。七森が頷いたので取っ手に手を伸ばしたが、触れる前に骨ばった手に制止された。「開けろ」という頷きではなかったらしい。こいつと眼で会話するのはまだ無理だ。早々に諦めて、両手を掲げて見せる。任せる、および、俺にはお手上げ、の意思表示のつもりだった。
これは正しく伝わったらしく、鋭い眼がやんわり笑って再度頷いた。鞄から何やら紙切れを出す。お札か何かかと思えば、何のことはない、数学の課題だった。そんなもので何をするのかと見守っていると、慎重に扉と枠の間に差し込んだ。部屋のなかにはみ出さないよう神経をつかいつつ、差し込んだ紙を扉の金具に向けてすうっと下ろす。止まる。一度抜いて、今度は下からそっと上げていく。止まる。音はなかったが、固いものに止められたのは動きでわかった。
鍵がかかっている。
「………」
あの日の感覚が甦り、足がすくんだ。
七森はプリントを鞄に滑り込ませると、その場に膝をついた。扉の隙間にひととき眼を凝らし、首を捻り、不意に動きをぴたりと止めた。
ゆっくりと俺を見上げて手招く。
ぎくしゃくとそばにしゃがみ込んで俺も隙間を覗いてみるが、何も見えない。ふと膝をつつかれた。身体が跳ねそうになるのを堪えて視線を隣に向ける。細い指が唇の前に立てられ、次いで耳を示した。静かに、耳を澄ませろ、ということだろうか。頷いて、眼を閉じた。
「………」
遠くで聞こえるのは野球部の掛け声だろう。爆ぜるような音はテニス部が球を打つ音か。微かに、女の子がはしゃぐ軽やかな声も聞こえる。ごとごといっているのは俺の心臓だ。何より、この廊下を満たす静けさが耳に痛い。
「………」
そのすべてを透かした先に、聞こえた。
「——……」
雨音が隠してくれないぶん、いっそう低められた、声。交わされる囁きは密やかで、意味は汲み取れない。男女の別もわからない。
あのときと同じだ。
足許からひやりとした感覚が這い上がってくるようで、たまらず眼を開けた。瞼の裏の暗闇に留まっていられなかった。情けないのはわかっていたが、視線は縋るように隣の男へと逃げてしまう。
七森はこちらを見ていなかった。知らぬ間に夕方の黄色みを帯びてきた光のなか、窓を背にした横顔は暗い。ささくれだった木の扉に視線を注いでいる。黒い瞳がどこからか差した光を返して、鋭く光った。
唇が音もなく動く。
「——」
なんだ、という言葉を飲み込んだ。鋭い眼差しは、何も見ていなかった。なかで交わされる会話を全身で聞いている。内緒話よりもなお密やかな話し声を拾い上げようとしている。
——……お……ぁ……
薄く開いた唇が、断片的な音を聞き取って形を与えようとしては崩れる。
——……ぁい……おえ……
それでも言葉を成そうと震える。
「………」
長い試行錯誤の果てに、薄い唇がやっと意味の通る形を示した。
——こっくりさん、こっくりさん。
「——ッ」
ぎくり、と背筋が嫌な感じにこわばる。七森は表情こそ変えないものの、わずかに身を乗り出した。俺には意味の拾えない声に、いっそう耳を澄ませる。唇はまだ動いている。
——扉の前にいるのは誰ですか?
低い囁きが、唇の動きに重なった。七森のつり眼が丸くなる。
「……——」
考えるよりも先に、痩せた腕を掴んでいた。
◯
「ばれたかな……」
「どうだろうねえ」
五分後、図書室の奥。古い文学全集が埃をかぶっている棚の前に、並んで座り込んでいた。校内ではここが、社会科準備室から物理的に最も離れている。泡を喰って闇雲に走ったつもりだったが、俺の逃走本能は笑えるほど素直に機能していた。
「あれ、ほんとにそう言ってたのか?」
「どうだろうねえ」
七森は疲れ切った顔で曖昧に返すばかりだ。汗の浮いた額をうつむけて、肩を大きく上下させている。
「いずれにせよ、俺は……相談にかこつけて、誰かを、からかったことは……ないよ」
安心して。
切れ切れにそこまで言って力尽きたのか、がくりと膝に顔を伏せた。
「………逆に安心できなくないか、それ」
からかってくれていたほうが、まだましだった。
七森からの返事はない。押し殺した荒い息が耳を打つ。真似をするわけではないが、俺も膝を抱えて丸くなった。久しぶりに全力疾走した脚がだるかった。だがかすかに震えているのは、疲労のせいではない。
——扉の前にいるのは誰ですか?
「………」
誤魔化すように、押さえ込むように、ぎゅっと両腕で抱え込んだ。
七森がふらりと顔を上げる。
「なんにしろ、本当になんか来てそうだったね、あれ」
びっくりしたあ。
と、軽く笑う。図書館だからか声は控えめだったが、翳りのない、楽しげな笑顔だった。
「なんも来てないと思ってたのか?」
驚いて問い返すと七森はてらいなく頷いた。視線をこちらにくれて、少しだけ眉を下げる。
「臨城くんを疑ってたわけじゃないんだけど、正直、こっくりさんごっこ的なやつだと思ってたんだよね」
疑われていてもいなくても構わないが、言われたことには、ぴんとこない。
「よくわかんねえんだけど、肝試し的なやつ?」
「っていうんじゃなくて……なんていうかなあ」
七森は本棚に背中を預け、首をぐるりと回した。
「もっと、気持ちの悪い話でね」
痩せた手に視線を落とし、人差し指を伸べて見えない机に走らせはじめる。
「毎日、毎回、誰か——例えば代表者が、本当は好きなように動かしてて、それを『こっくりさんのお告げ』ってことにして都合のいいことを言って——」
指先がふっと浮かんで俺の胸あたりを示した。
「周りの人間を操ってる、的な」
ちょっとした、宗教っぽいやつ。
「………」
生々しい不快感があった。
七森が笑う。
「それはそれでやだよね」
「……でも、ちがったよな?」
「これはこれでやだよねえ」
「………」
あのとき、最後に重なった声は、七森の声ではなかった。たしかに扉の向こうから聞こえていた。俺たちの存在に気づいていた。問いかけの形をして、盗み聞きを咎めていた。
胃のあたりが重くなる。
「ぶっちゃけね、こっくりさんが流行りだしたとき、さっき言ったみたいなことする子が出るんじゃないかなって思ってたんだ」
真剣な子、ちらほらいたでしょう。
柔らかい声が耳に甦った囁きを打ち消した。顔を向けると、どこか気だるげな笑みが迎える。
「さあ……俺にはわからんかったわ」
嫌な想像はしたものの、それだけだ。本気でやっている人間がいるとは思いもしなかったし、七森の言う「気持ち悪い」こっくりさんなんて、想像もしなかった。
「こっくりさんごっこなら、しれっと参加してグループを分断しちゃえば、臨城くんの悩みは解決すると思ったんだけどねえ。ほら、勘のよさには自信あるし。でもこれはなあ……」
「ちょっと待て」
思いがけない方向に話が転がり、身体が跳ねてしまう。ここが図書室であることも忘れて詰め寄った。
「まさか諦めるのか? ここで?」
「いや、逆、逆」
詰めたぶんだけ仰け反った七森が落ち着けとばかりに手のひらをこちらに向けた。黒い眼が貸出窓口をちらりと見やり、もう一度俺に戻ってくる。
「人間関係のぐちゃぐちゃに割り込むの、ちょっとしんどいなって思ってたんだ。本当のオカルトのほうが、まだ楽しむ余地があるよ」
ね、と眼を細める。いくらか見慣れてきた、優しい笑みだ。そこでようやく、身を引いた。頭を垂れる。
「焦った……ここで放り出されたらどうしようかと思った……」
強引につき合わせている手前、本気で無理だと言われたらこれ以上引き止められる気がしない。複雑なのは否めないが、楽しんでもらえるならそのほうがありがたい。
改めて礼を言っておこうと顔を上げると、七森が不思議そうに俺を見ていた。
「……何?」
「いや、俺はそういうふうだから大丈夫なんだけど、臨城くんは平気なのかなって」
「ええ?」
相談相手が続ける意志があると言ってくれているのに、俺に何の問題があるというのか。
わけがわからず首を捻ると、七森は言葉を足した。
「本当に『何か』来るこっくりさんをやるわけだけど、大丈夫?」
◯
大丈夫かどうかでいうと、大丈夫ではない。
怖い話に興味がないのは、怖くないからではない。実際、この問題に取り組みだしてから、幽霊など出てもいないのに怖がってばかりだ。
「なんか知らんけど、塩とか持ってこなくていいのか?」
とはいえ、持ち込んだ張本人が逃げ出すわけにはいかない。陽がさらに傾くのを待って、再び社会科準備室に向かっていた。一歩階段を下るにつれて、気持ちもひとつ不安に傾く。
「無理しなくても大丈夫だよ」
半歩先をいく七森は俺の提案には答えず、笑い混じりの声で撤退を勧めてくる。さっきからこの調子だ。正直、乗っかりたくなってしまうからやめてほしい。情けない内心を見透かされそうで、つい七森の視界から逃れるように足が重くなった。一方、足取りが鈍っているのを怖がっているせいだと思われるのも望ましくない。八方塞がりだ。背中が丸くなる。
七森は振り返らずに話しかけてくる。
「まあ、何か来るっていってもさ」
俺の姿は見えていないだろうに、声はもうふざけていない。ただ、優しい。
「ひかりちゃんたちは毎日呼んで、毎日平気に過ごしてるわけでしょ? そんなひどいことにはならないんじゃないかなあ」
強がるのがあほらしくなってくるほど、正面からの励ましだった。内容がどことなく大雑把なのも相まって、力が抜けてしまう。口から情けないため息が洩れた。
「『そんな』ってなんだよぉ……逆に怖いわ」
「あはは——あ……」
一階の床を先に踏んだ七森が、不意に立ち止まった。進行方向を塞がれた俺は階段の上で足を止め、丸い頭越しに前方へ眼をやる。
「どうし——あ……」
階段から廊下を挟んだ真正面、普通教室棟との渡り廊下をこちらへ向かって歩いてくる一団があった。玄関はこちらの校舎にある。友人同士連れ立って帰るところだろうか。和やかに笑みを交わしているのが遠目にもわかった。女子が四人、男子が一人。話したことのない顔ぶれだ。
ひとりを除いては。
「武藤さん……?」
中心で明るい笑顔を振り撒いているのは、武藤さんだった。ということは、一緒にいるのはこっくりさん仲間だろう。
「っおい、どうする……!」
社会科準備室前での出来事が脳裏に甦り、鼓動が速くなる。咄嗟に七森の腕を掴んで身をかがめた。盾にした身体はぺらぺらのひょろひょろだ。隠れる効果などあるはずもない。
七森が苦笑する。
「臨城くん、逆に怪しいよお」
声だけはひそめてくれたが、ただ俺に合わせただけのようだ。ゆったりと構えていて逃げ出す気配はない。
「いやお前も慌ててくれよ……!」
さっと周囲に視線を走らせる。身を隠せる場所はない。まだ気づかれていない今なら、階段を戻ればやり過ごせるか。
と、思ったのだが。
「あれ、明くん……と、臨城くん?」
澄んだ声が俺を呼んだ。見れば、丸い瞳がしっかりと俺たちの姿を捉えている。息が止まる。
「やあ、今帰り?」
あけるくん、が一瞬誰だかわからなかったが、七森が平然と返事をしたことで思い出した。
こいつ、武藤さんと下の名前で呼び合う仲か。
焦りを押し除けて一瞬そんな感想が頭をよぎった。その一瞬が仇となり、気づいたときには立ち話する布陣が完成していた。さりげなくすれ違うことなど、もうできそうにない。
愕然とする俺をよそに、武藤さんは笑顔で頷いている。
「そー。駅前でアイス食べよっかってなってるんだ」
一見した感じ彼女に含みはなさそうだ。しかし、こっくりさん仲間たちは別だった。武藤さんの一歩後ろで、不安げに俺たちを見ている。
警戒されている。
背中に嫌な汗が滲んだ。茶色い瞳がくるりと俺たちを見比べた。
「ふたりはどうしたの? 珍しい組み合わせだよね?」
普通の会話なのに、探りを入れられているような居心地悪さが込み上げる。後ろに控えている四人の眼差しが息苦しい。頭がめまぐるしく回転するが、まったくの空回りだった。
「あ……えっと……」
俺には無理だ。頼む、七森。
即座に匙を投げて念を送る。祈りが通じたのか、柔らかい声は澱みなく答えてくれた。
「ナナモリさんやってるの。臨城くんからのご相談」
ぎょっとした。
「お、いぃ……!」
「えっなに、臨城くん悩みごと? 大丈夫?」
「あっえ、ぁっ、あー……」
心配そうに眉を下げる武藤さんに、俺は何も答えられない。馬鹿みたいに母音を吐きながら、七森を睨みつけた。腕を掴んだままの手に、力がこもってしまう。
どういうつもりだ。
しかし俺の動揺など七森には通じない。かけらもペースを乱さずに話を続ける。
「それが結構深刻でねえ。相談ていうのがさ……」
言うなり、七森が耳にかかった髪をかき上げた。武藤さんの眼がみはられる。
「……ピアス?」
「そう。ピアスデビューのご相談」
西日を受けて、白い耳に並んだ石がちかちかと瞬いた。ひとつやふたつではない。一瞬、眼が眩む。
「——」
意外すぎるだろ。
とはこの流れでいうわけにもいかず、必死に飲み込む。ここまできたら、もう観念して七森の話運びに乗っかっていくしかない。次の手に集中する。
「正直なところ、夏にあけるのは避けたほうがよいでしょう、というのがナナモリさんの回答なんだけどね」
「いや、夏だからこそあけるんだろ」
咄嗟の判断で口を挟んだ。半身に振り返った七森は満足げに笑みを深め、芝居がかった仕草で両手を広げた。
「というわけでして」
正解だったようだ。やるな俺。
ドヤ顔してやりたいくらいだったが、あからさまに安堵するわけにもいかず、ぎゅっと背を丸めた。精いっぱいの「秘密を聞かれて居心地悪がっているふり」だ。武藤さんがおかしそうに笑う。
「それは難題だ」
俺の下手くそな演技が通じたのかどうか。彼女の反応はいつもの穏やかさで、緊張が和らぐ。余裕が生まれ、七森の脇腹を軽く肘で突いた。
「相談をほいほい漏らすなよ……守秘義務どうなってんだ、ナナモリさん……!」
「ナナモリさんも困っちゃってねえ」
七森はのんびりと応じる。甘く笑った眼が、俺ではなく武藤さんを映した。
「こっくりさんなら、なんて助言してくれるかな」
心臓が跳ねた。突かれたような痛みが走る。七森の語り口に変化はなく、なめらかに切り込んだところを見るに、最初からこれが目的だったのかもしれない。
武藤さんへと恐る恐る視線を向ける。
「こっくりさん……?」
武藤さんはひととききょとんとして、やがて小首を傾げた。艶やかな髪が揺れる。
「んー……どうだろ。私たち、そういう質問しないしなー」
ね、と後ろの面々を振り返る。急に話を振られて、四人はそれぞれ少し萎縮した様子を見せた。視線を床に逃したり、浅く頷いたりしている。よくよく見れば、どの子も、真面目でおとなしそうな雰囲気だ。間違っても、俺のように髪を金色に脱色しているやつとはつるみそうにないし、ピアスとも無縁だろう。不安から解放されてみると、一歩引かれるのも無理はない気がしてきた。
武藤さんの意見も同じらしく、こちらに向き直って悪戯っぽく肩をすくめる。
「こんな感じでして。私たちのこっくりさんは力になれそうにないや。ごめんね?」
「や、こっちこそごめん」
「ってわけで、がんばれナナモリさん」
「援軍頼みたかったんだけどなあ」
「諦めてくださーい」
ふいっとそっぽを向いてみせる。軽いやりとりを重ねるにつれ、こっくりさん仲間たちの硬い雰囲気も和らいでいった。見るからにちゃらついている俺とはまるで視線が合わないが、がっくりと肩を落として見せる七森には、小さいながらも「ごめんね」なんて声がかけられている。
「いいなあ、こっくりさん。俺も相談できる相手がほしいよ」
七森は乱した髪を整えた。いかにも未練たらたらです、という上目遣いで尋ねる。
「今日も、呼んでたの?」
武藤さんが呆れたように笑う。
「それは知ってるでしょ?」
「——」
じゃあね。
返事をする前に、武藤さんたちは去っていった。一塊の影になり、靴箱の間、夕暮れの光のなかへと消えていく。
七森に袖を引かれるまで、俺は動けなかった。
◯
「ねえ、本当に無理しなくても大丈夫だよ」
先ほどと同じように数学の課題で施錠確認を行なっていた七森が、ここに来るまでに何度もかけてきた言葉を繰り返した。声音は相変わらず軽いが、俺にかかる重みは増していた。
——知ってるでしょ?
「………」
音が鳴らないように、唾液を飲み込む。
「……無理はしてるけど、帰んねえよ……」
七森の何気なさが、かえって逃げる気を失わせた。おそらく本気で帰っても構わないと思っているし、逃げても恨みはしないのだろう。そして、ひとりでやってみる。
「何か」を本当に呼び出せてしまう、秘伝のこっくりさんを。
「俺の相談なんだから、俺がやらんでどうすんの」
冗談でも、あとは任せた、なんて言えなかった。
「臨城くん、律儀だよねえ」
薄っぺらい紙が鞄に戻される。戻した手が、今度はくすんだ銀色の取っ手を掴んだ。鍵はかかっていなかったらしい。つまり、なかに人はいない。
武藤さんたちが帰ったから、もういない。
「じゃ」
その意味するところを飲み込む前に、骨ばった手が捻られた。金具の擦れ合う音が響く。俺を横目に見る七森のつり眼がやんわりとたわむ。
「まずは入場だね」
お邪魔しまーす。
決めた覚悟が馬鹿馬鹿しくなるほど、扉は簡単に開かれた。
「——……」
狭い部屋は薄暗かった。人が毎日出入りしているはずなのに、廊下へと溢れ出した空気は息詰まるほどに埃っぽく、饐えた臭いが染みついている。日焼けしたカーテンはきっちりと閉じられて、橙色の光を濁らせた。
躊躇いなく侵入する痩身を追って、足を踏み入れる。
「なんか……意外と普通の部屋だな」
梅雨の名残を引きずって空気がべたついている。一歩ごとに埃がまとわりつくようだ。しかし、内装に想像していたような魔術的な装飾はなかった。壁に沿って天井近くまでそびえる棚に押し込まれているのは、骨やお札ではなく、古ぼけた段ボール箱やファイルの類だ。床も、埃こそ積もってはいるものの何か奇妙な模様が描かれているわけではない。
「これが祭壇かなあ」
七森が歩み寄った先には、机があった。五、六人も入れば窮屈に感じてしまいそうな部屋の中心に、どこの教室にも置いてある一人用の机が置かれていた。天板にはファイルの詰まった段ボールが乗せられている。対となる椅子はない。ざっと見回してみたところ、この机の他に人が囲んで立てる高さのものはなかった。埃も積もっていないようだし、これで間違いなさそうだ。
こっくりさんに使われているのは、この机だ。
「……祭壇の割には扱い雑じゃねえ?」
ぱっと見、棚に片づけるのが面倒なものを置く場所、といった様相だ。七森が箱に手を突っ込んで中身を検めながら、首を捻った。怪しいものは入っていないらしい。
「誰かに机を片づけられないように、とか、そういうことかなあ」
「なるほど……?」
毎日いちいち他の教室から机を持ってくるのが面倒だから、ということか。手間を惜しむ人間臭さに拍子抜けしてしまう。
「んじゃ、ちょっとお借りしますかね」
電気をつけるほどではないが、確実に暗くなってきている。さっさと始めてしまおうと、机を塞ぐ段ボールを抱え上げた。
「——」
「ああ……これは……」
言葉を失う俺の横で、七森が呟く。
「なんか……秘伝っぽいね」
段ボールの下に隠れていた——隠されていた天板には、文字が刻まれていた。下書きでもしたのか、べったりと貼りつけられた紙の上から丁寧に彫り込まれている。文字だけではない。この梅雨に何度も見た記号も、くっきりと刻まれていた。
五十音、はい、いいえ、そして、赤い鳥居。
見慣れた長方形のなかには、こっくりさんに必要な形が揃っていた。彫刻刀か何かで、一字一字丹念に刻み込まれていた。
それだけでも異様な品ではあったが、俺に言葉を失わせたのはその「祭壇」自体ではなかった。
「なんで……」
整った、少し丸っこい字だ。筆記用具で書かれたものではないから少し歪んではいるものの、見覚えがある。学級日誌でこっそり確認した、あの形。
「ひかりちゃんの字?」
七森が尋ねてくる。声も出せずに、頷いた。
無意識に、武藤さんは誰かに誘われて参加したのだと思っていた。
七森の言っていたとおり、武藤さんは社交的で人懐っこい。友だちも多い。だから、オカルトの好きな知り合いだっているだろう。そういう友だちにつき合って参加して、のめり込んでしまったのだと、そう思っていた。
だけど、これは。
「………」
鳥居は、深く掘ったなかに絵の具らしきものが塗り込められている。夕日のなかにあっても、くっきりと赤い。その丁寧な仕事からは執念のようなものが感じられた。俺の好きだった武藤さんとは結びつかない。
「………っ」
だけど、あの湿った笑みを見せた彼女となら——
「これどっから持ってきたんだろうね」
思考を甘い声が断ち切った。鳥居から眼を上げると、机のそばにしゃがみ込んでいる七森と視線が合う。机のなかを確認していたらしく、そこで見つけた十円玉を指先で弄びながらひょいと立ち上って、棚を見て回りはじめた。その姿を呆然と眼で追う。
「先生に見つかったらめちゃくちゃ怒られそうじゃない?」
ひと通り回っても他に不審なものは見つからなかったらしい。ひとり頷いて、俺を振り返った。ね、と笑ってみせる。
「……他になんか言うことねえの? 励ますとかさあ……」
「ここで励まされるのも何となくしんどくない?」
それはそうだが。
「……俺、今、好きだった子の字がやばそうな机に刻まれてんの見て、結構ショック受けてんだよ」
「うん」
「励まさなくてもいいから、一緒にショック受けてくれねえ?」
「ああ……」
ここまで説明してやっと、なるほど、みたいな顔をしている。
方々の相談を受けているくせに、誰とでもうまくやっているくせに、変なところで共感性が低い。
「とりあえず、それ、重いでしょ? そのへん置きなよ」
優しさを見せたと思ったら、見当外れだ。思わず苦笑が漏れる。深刻に受け止めていたのが馬鹿馬鹿しくなった。箱を手近な棚に押し込んで、机に向き直る。七森は机のそばに戻ってきて、文字を指先でなぞっていた。その仕草に怯えはない。
「ひかりちゃん、字、きれいだねえ」
暢気な感想だ。
「……周りに頼まれて書いた説、ねえかな」
その暢気さに引っ張られて、希望的な言葉が口からこぼれる。
「あるね」
七森は簡単に頷いてくれた。ごくごく自然な同意だった。
「……だよな。それなら納得」
今度の優しさは的を射ていた。
冗談めかして煽てられて「仕方ないなあ」なんて苦笑している彼女の姿なら、瞼の裏に簡単に描ける。これでひとまず、飲み込んでおける。
一方、机を幾度も撫でていた七森は納得いかない様子で首を傾げた。
「それにしてもこれ、どうやって終わらせてるのかな」
「普通に帰ってもらうんだろ?」
「帰ってもらったあとの話」
「うん?」
首をひねると、七森はちょっと嬉しそうに、「こっくりさんってね」と語りはじめた。
「終わったら紙は四八枚に破いて捨てて、十円玉は三日以内に使うこと、ってきまりがあるんだよ」
初耳だった。俺の知らないところでみんなそうやって片づけてくれていたのだろうか。
「十円玉は人の手に渡らない……自販機とか券売機とかで使うこと、みたいな話も聞いたことあるなあ。あんまり広く採用されてる方法ではないみたいだけど、俺は普通に使うのよりもこっちの方が好きなんだよね。なんとなく」
「急にめっちゃ喋るじゃん」
頼もしいような、逆に不安になるような。
「あんまりこういう話する機会ないから、ここぞとばかりにね」
あはは。
場違いに穏やかな笑い方を見ていると、肩の力が抜けてしまう。心強さはない代わりに、まあ何とかなるか、という気楽さが生まれた。
なんにしろ。
「帰ってもらって終わり、じゃないわけか」
「そうそう。終わらせなかったから呪われた、なんて話もたくさんあるんだよ」
だけどこれはさ。
二人して問題の机を見下ろした。天板はそれなりに分厚く、とてもではないが四八枚に破ることはできそうにない。それどころか、一文字一文字丁寧に刻み込まれた文字を見ていると、むしろ——
「終わらせてなるものか、って感じだよね」
「心を読むなってば」
「率直な感想だよ」
七森が再び机を離れ、扉の方へ向かう。
「とりあえず、文字盤と十円玉は再利用してるんだねえ。なるほど」
薄い背中は淡々とこっくりさんにまつわる蘊蓄を続けた。
「あと、北か西側の窓を開ける、っていう説もあるんだけど、ひかりちゃんは『鍵のかかる部屋』って言ったんだよね?」
「うん」
「じゃ、密室で」
かちゃん、と軽い音がした。出入り口の錠が降ろされた。小さな音に、つい肩が跳ねてしまう。背を向けている七森には見られていないだろうが、誤魔化すように声をかける。
「……こっくりさんが終わってないから、武藤さんは変わっちゃったってことなのか?」
「それはわかんないなあ」
返事はつれない。代わりに身を翻して、こちらに手を差し出した。
「こっくりさんに聞いてみよっか」
その指先には、十円玉があった。手垢に塗れた硬貨は淀んだ影を吸って、暗い穴のようだ。
「………」
一瞬、返事をためらう。七森のつり眼が柔らかくたわんだ。
引き返してもいいよ、と言われている気がした。
引き返すなら、今だよ、と。
「……そうだな!」
傍の机に向き直る。努めて軽い仕草で天板を叩いた。刻まれた凹凸が指の腹に触れて背筋が粟立つのを、無視した。勢いよく、七森を振り返る。
「始めよ。時間ねえし」
部屋の奥、夕陽を返す瞳をまっすぐに見る。
「……だねえ」
わずかな沈黙のあと、小さな頭が、こっくり、と頷きを返した。軽やかな足取りで戻ってきて、十円玉を鳥居の上に重ねる。視線を上げると、机を挟んだ反対側で七森も俺に視線をくれたところだった。
大丈夫か、とはもう聞かれなかった。
「どっちが言う?」
例の呪文のことだろう。
「頼んでもいいか? 俺、なんか照れくさい……」
というより、ちょっと恥ずかしい。怖さと混ざり合って、変にふざけてしまいそうな予感があった。
「では僭越ながら俺が」
七森は特にこだわりがないらしい。骨ばった指が予告もなく十円玉に乗せられる。何度も教室で見た光景だ。たくさんの指がこうして、十円玉に突きつけられていた。場面は思い出せるのに、どれが誰の指だか、わからない。
「臨城くんも、乗っけてもらっていい?」
「あ、ああ。ごめん」
丸っこい爪の向かいに、少し爪の伸びた指が添えられる。俺の指だ。
「んで、眼を瞑って」
「……うん」
言われるまま、眼を閉じた。この部屋には光が少ない。瞼を閉ざすと、真っ暗になった。心臓の音、息を吸って吐く音。どちらも俺のもので、七森の立てる音は聞こえない。どこかひっそりとした印象の男だったが、視界を遮ってしまうとそれだけでもう感じ取ることができなくなった。
「始めるよ」
ただ、声だけが頼りだ。
「……頼んだ」
俺の返事を合図に、微かに空気の動く音が鼓膜をくすぐった。
始まる。
冷たい硬貨に乗せた指から肩まで、右腕が痛いほど緊張した。
「それじゃ——」
——こっくりさん、こっくりさん、おいでください。
「——……」
甘く、歌うような響きだった。
耳に微かな余韻を残し、消えていく。狭い部屋に沈黙が降りた。かすかに聞こえるのは相変わらず俺の呼吸だけだ。先ほどまでと、何かが変わった感覚はない。周りで囃し立てる声がないぶん、そして怯え切っていたぶん、猛烈な気恥ずかしさが込み上げてきた。
「じゃ、眼を開けるよ」
茶化してしまいたくなる衝動を、優しい声が宥める。
「……うん」
「なんかいるかもしれないけど、眼を逸らしたり、指を離したりしないで」
「怖いこと言うなって」
「あはは。それじゃ、せえの——」
瞼を開く。視界の中心には変わらず十円玉があった。鳥居の上でじっとしている。
そこに添えられている指は、三本だった。
「あ——」
「——ッ」
本能だった。
得体の知れない存在から、身体が勝手に逃げを打つ。
視界から、右手がひとつ消えた。
「っぁ、……っ……」
「ははは、秒できまり破っちゃった。本当に出たねえ」
七森の右手が。
「な、ん……で……」
咄嗟に顔を上げた視界には、俺と七森しかいなかった。こっくりさんの姿はない。痩せた手をひらひらと振って、七森が笑っている。
「いや、びっくりして。ごめんね」
ひとに注意しといてこれだよ。
肩をすくめてみせる。柔らかい笑みが、白々しい。その顔が、端的に状況を説明していた。
庇われた。
理解した瞬間、頭の奥が熱くなった。
「なんで……っ!」
勝手にこぼれ出てくる台詞は問いの形をしていたが、声音はちがう。明らかに七森を責めていた。
「まさか本当に来るとは思わなくて」
それがわからないはずはないのに、七森は律儀に答える。とぼける。視界が一瞬、赤く染まる。
「ッ嘘つくなって! なんで庇った!」
たまらず、机に手のひらを叩きつけていた。空の机に反響して、耳に痛いほどの音が立つ。七森はその場に飛び上がり、痩せた身体を縮めた。笑ったままの頬が引き攣る。大きく見開いた眼が俺を見つめ、軋むような動きでうつむいた。顔に暗く影が差す。色を失った唇が震えた。
「ええ、と……ごめん……」
声は細く、掠れている。頼りない響きが、頭に冷水を浴びせた。急降下に揺さぶられてぐらつく頭を垂れる。
「……いや、ごめんは俺のほうだわ……まじでごめん。ごめんな……」
ひりつく手のひらをぎゅっと握り込んだ。幾度も、息を吸って、吐く。七森は何も言わない。先ほどまでの静けさとは打って変わって、怯えた気配がちくちくと刺してくる。取り戻した冷静さを、懸命に繋ぎ止める。
慎重に口を開いた。
「……俺が、手え離すと思った?」
「……うん。ごめん。侮ってたね」
「いや、正解。七森くんが先に離さなかったら、絶対離してた」
「そう? やるね、俺」
「だからこそ、なんで?」
強引に相談相手にして、知識を分けてもらって、お膳立てしてもらって。
「せめてリスクくらいは俺にくれんとさあ、立場ないじゃん……」
言葉にすると、いっそう情けない。
七森は眉を下げて、首を捻った。
「……なんでかなあ」
どこか他人ごとのような、途方に暮れたような声だった。俺の拳のそばで、細い指が十円玉を撫でる。
「こっくりさんに聞いてみる?」
さすがにちょっと怒ったのは、許してほしいと思う。
