「和泉!」
教室の扉を勢いよく開けた。そこにいるはずの和泉はいなかった。
「くそ、どこ行ったんだよ……!」
ここで待ってろって言ったのに!
肩で息を整えながら、頭を回転させる。
どこだ? 和泉はどこに行った?
保健室? 先に帰った? 何でこんな肝心な時に、こんなありきたりなことしか思いつかないんだ、俺の頭は!
スマホを取り出し、和泉に電話をかける。かけようとした。ところが何度かけ直しても繋がらない。
砂嵐のようなノイズの音が聞こえるだけだ。
(落ち着け、落ち着け、大丈夫、校内にはいる、いるはずだ)
大きく息を吸って吐き出す。教室を飛び出し、学校中を駆けずり回った。
トイレ、工事中の渡り廊下、裏庭、どこを探しても和泉の姿を見つけられない。
風磨のことがあってからずっと、人と深く関わることが怖かった。
また失うかもしれないことが怖かった。
この世には計算してはならないものがある。俺はそれをじいちゃんの時にちゃんと学んだのに、学んだはずだったのに、大事な友人を自分の計算で失ってしまった。
あれからずっと、後悔しながら生きてきた。
どうすれば風磨を助けられたのか。
どうすれば風磨は死なずに済んだのか。
二度と失いたくないのなら、どうするのが正解なのか。
俺の出した結論は、関わらないこと。誰かの人生に食い込まないこと。今度こそ二度と、死の計算をしないこと。
なのに和泉は、俺のその結論を、前提を、呆気なく覆した。それだけじゃない。
(俺がアイツに、お前は今日死ぬって断言した時、和泉は呆けた顔で俺を見た。あの反応が、俺の中でどれだけ拍子抜けだったか、和泉は何もわかってねえ……!)
あの惚けた顔が、俺の心を軽くした。
怖がらずに受け止めて、受け入れて、俺と一緒に死を回避するために行動してくれた。
(まあ、結局あの後、俺は早死にするから、とか言われて絶句しちまったけど)
それでも俺は、あの時の和泉に救われたんだ。
だから、絶対に死なせないと誓った。
今度は絶対に、何があっても和泉を死なせたりはしない。
「和泉、返事しろ! 和泉!」
声を嗄らしながら大声で叫ぶ。
膝が熱い。息が切れる。肺が潰れそうなくらい苦しいけれど、必死に地面を蹴り続けた。
(どこにもいない……!)
切れた呼吸を整えたいのにそれもできない。噴き出す汗を腕で拭い、やがて俺は北校舎の階段下に辿り着く。
(もう、ここしかねえ)
階段を二段飛ばしで駆け上がり、屋上への扉を開けようとした。しかし鍵がかかっているのか、ドアノブが回らない。
「……和泉! いるんだろ! 和泉!」
体当たりを繰り返した。
頼むから開いてくれ、間に合ってくれ!
バンッ! と派手な音がして、ドアが勢いよく押し開かれた。
辺りを見回す。自分の、ぜぃぜぃという乱れた呼吸音がやけに耳に障る。
「和泉!」
名前を呼んだ。返事が返ってくることを祈った。視線を屋上の手摺りに向け、右へ左へと和泉を探した。
「ッ……和泉!」
貯水槽の斜め前の手摺りに、それは見えた。
手摺りを掴む手。和泉の手。
「和泉!」
全速力で駆け寄った。
この手が今度はちゃんと和泉に届くことを祈りながら、目いっぱいまで伸ばす。
力強く、和泉の手を掴み取った。
「黒崎くん……!」
和泉の身体は、手摺りを超え、今にも落ちそうになりながら屋上からぶら下がっている。
「教室で待ってろって言っただろ……!」
必死に和泉の手首を掴んだ。和泉の指は辛うじて手摺りの下を掴んでいるだけだ。
「待ってたんだよ、待ってたんだけど、音がして……!」
「は? 音!?」
「あの音だよ、それで黒崎くんが危ないと思って、音を辿ったら屋上で……!」
和泉が叫びながら下を見ようとする。この下はちょうど渡り廊下の辺りだ。
「見るな! 上見てろ!」
「黒崎くん、離れて、危ないよ、黒崎くんまで落ちる……!」
「つか、お前は何で落ちそうになってんだよ!」
言い争っている余裕なんてないのに、口が勝手に動く。その間も手をギリギリまで伸ばし、どうにか和泉の身体を引き上げようとしたが、和泉の身体は一秒毎に重さを増していくようだった。
「黒崎くん、お願い、離れて、お願い……!」
「ざけんな、絶対離さねえからな! つーかもう喋んな! 気が散る!」
考えろ、この状態から和泉を引き上げるにはどうすればいい?
腕が千切れそうなくらい痛い。だけど、和泉の手を離してしまうことの方が、その万倍も痛くて苦しい。
「黒崎くん……!」
喋るなと言ったのに、和泉が俺を呼ぶ。
「俺、覚悟できてるから……!」
「何の!?」
「死ぬ覚悟。早死にするって、十八まで生きられないってわかってる、だから大丈夫、大丈夫だからお願い、手を離して……!」
押し寄せたのは猛烈な怒りだ。
それから膨れ上がった和泉への死なせたくないという感情が、一気に身体の中心から溢れ出し、それは声になった。
「ッ、俺がどんなにお前を失いたくないと思っても! お前が俺よりそんなもんを信じてやがるから! だからお前の確率は0になんねえんだよ! ふざけんな和泉、生きて俺に殴らせろ、バカ!」
それは、腹の底から張り上げた声だった。
今までの人生で、一番でかくて、一番うるさくて、一番苦しい声だった。
和泉の目が大きく見開く。その瞳に膜が張ったのがわかった。
「……て……、黒崎くん、助けて……! 俺、死にたくない……!」
和泉の瞳から涙が落ちた瞬間、俺の身体はずるりと手摺りの向こうに引き摺られた。
──落下のスピードって、こんなに遅いのか。
場違いなことを考えながら、どんどん遠くなる空を見つめていた。西の空が夕焼けに染まっていることに、その時初めて気がついた。
馬鹿みたいだけど、こんなことになっても俺は和泉の手を握ったままだ。
和泉が俺の手をきゅうっときつく握り返してくるのがわかる。
ボスン! という鈍い音と共に身体が大きく跳ねる。すぐ近くでガシャーン! と派手な音もした。
背中を、何かが包み込んでいるのがわかる。
吸い込まれるように屋上から落下したはずなのに、驚くほど痛みがない。
「……え?」
間の抜けた声が出る。自分の手を辿ると、そこには和泉がいた。
和泉も呆然とした顔で俺を見る。目が合った。
「……た、すかった?」
「あの高さから落ちて?」
そう答えてから、漸く周りを見た。俺と和泉の身体を受け止めたのは、工事に使用する落下防止のネットだった。
すぐに思い当たる。渡り廊下は改修工事中だ。その際に使用しているネットの上で、俺たちは顔を見合わせている。
音を立てて倒れたのは資材のようだ。ネットのすぐ近くに転がっている。
「……意味わかんねえ」
思わず口をつく。それを聞いて和泉が噴き出すように笑った。
「……助かっちゃったね」
「……おー」
「助かっちゃった……」
もう一度、和泉が呟く。目を合わせると、和泉は「殴っていいよ」と呟いた。
「は?」
「だってさっき、生きてぶん殴らせろって」
「あー……、まあ、言ったな。うん、言った」
ゆっくり身体を起こした。和泉も同じようにした。
握った手とは反対の手で拳を作る。和泉がきゅっと目を閉じたのがわかった。
コツン、と和泉の額を小突く。恐る恐る目を開けた和泉と視線が混ざり合う。
「……生きてんなら、それでいい」
絞り出すような声が、喉の奥から漏れる。
視界がぶれて、滲んで、それを誤魔化すみたいに和泉の手を握り直した。
和泉は小さな声で「うん」と頷き、俺の手をきつく、きつく握り返す。
和泉の手は、温かかった。


