ラプラスの悪魔はサイコロを振らない

 俺が人の死を初めて計算したのは、小学二年の頃だ。
 母親とスーパーに行き、買い物を終えて帰宅する途中で公園に立ち寄った。
 ブランコで遊んでいたら、公園のベンチに父親くらいの歳の男が座っていて、俺はこれからその男に起こるであろう出来事を、計算で弾くことにした。死の確率を計算しているつもりはなかったのだ。
 男に近寄り、「帰る時、公園を出たら右に曲がらない方がいいよ。車にぶつかるよ」と伝えた。
 親切心から出た言葉だったが、男は「気味が悪いこと言うなよ」と吐き捨てる。
 立ち上がり、公園を出て行こうとする男が、俺の忠告を無視して右に曲がった。
 その瞬間、反対方向から猛スピードで突っ込んできた車が公園のフェンスに激突。男はスレスレのところで直撃を免れた。
 震えながら男は俺を振り返った。化け物でも見たかのような目だった。
 二度目は、小学五年の時。じいちゃんの死期を予測した。
 俺はじいちゃんが大好きだったから、じいちゃんが末期癌になって入院してからは毎日のように計算し、「今日は大丈夫」「まだ大丈夫」と安心していた。
 とうとう計算上、明日が命日になる、とわかった時、俺は泣きながら親に縋った。
「じいちゃんは明日死ぬ、死んじゃう」と喚く俺を母親が慰める傍ら、父親からはきつく言い聞かせられた。
「人の死なんて計算してはならない」
「誰にでも死は訪れる。その時期を知らずにいられるから、人は生きていける」
 そう諭された。
 じいちゃんは、翌日、静かに息を引き取った。
「遙斗、オイラーの等式のように生きなさい。人は支え合って繋がって生きていく。そのことを忘れちゃいけない」──これが、じいちゃんの最期の言葉だ。
 じいちゃんが死んでから、俺は死の計算をやめた。
 父親に言われたからじゃない。
 この頃の俺の計算にはまだ改良の余地があったし、今よりも精度が低かった。
 それでも、「この計算は危険だ」と理解していた。いや、させられた、と言った方が正しい。
 これを突き詰めていけば、やがて俺は100%の確率で人の生死を計算できるようになる。そんな気がしたからだ。
 ところが、俺はその誓いをじいちゃんの死から三年後、破ることになる。
 親友の吉野風磨の死の確率を、計算してしまったのだ。
 風磨とは中学に入ってから友達になった。明るく、朗らかで、誰とでも仲良くなれるという特技の持ち主だった。
 風磨がいるだけでその場がパッと華やぐ。そういうヤツだった。
 俺が落とした消しゴムを風磨が拾ってくれたのをきっかけに、俺たちは仲良くなった。
 いろんな話をした。一人っ子の風磨は俺に姉貴がいることを羨ましがったし、何ならちょっと姉貴のことが好きだったようだ。
「俺がお姉さんと結婚したら、遙斗は俺の義弟か。今からお義兄さんって呼んでいいんだぞ」
 そんな冗談を言っては、俺を揶揄う。俺はそれを受けて「やだよ、俺より背が低い義兄なんて」と揶揄い返した。
 中学二年の夏だ。親に塾の夏期講習を勧められ、風磨にその話をしたら「俺も一緒に行く」と言った。
 その年の夏休みは二人でヒィヒィ言いながら勉強をした。風磨は英語が得意で、俺は数学が得意だったから、教え合うことも多かった。
 死の確率は計算しなくなったが、簡単な未来予測はやめられなくて、ある時それを風磨の前で披露した。
 風磨は驚いた顔で俺を見て、「遙斗すげー! なあ、もっとやって!」と目を輝かせた。
 風磨が出す未来予測の問題に、俺が計算で解を出す。そんな遊びがいつしか俺たちの定番になった。
 調子に乗っていたんだと思う。
 風磨が曲がり角で自転車とぶつかって怪我をした時、次は怪我を阻止したい、と思った。
 これが最悪の結末を招くことを、この時の俺は知らなかった。
 夕立ちが降る、寒い日だった。夏なのに震えるほどに寒かったその日、怪我の予測計算では収まり切らない脅威が風磨に迫っていた。
 ダメだ、やるな、計算しちゃダメだ。
 そう思えば思うほど、手が動く。頭が回転する。風磨を死に追いやる数字が積み上がっていく。
(……ダメだ、死ぬ)
 このままでは風磨は近いうちに死ぬ。
 俺は動揺した。怖かった。逃げ出したいと思うくらい怖かった。
 だけどそれ以上に、風磨を助けたかった。
 塾の帰り、俺は逸る鼓動を抑えながら、風磨に告げた。
 お前は近々死ぬかもしれない、と。
 風磨なら、笑い飛ばしてくれるかもしれない。
 風磨なら、「げ、マジ? 気をつけよ」と軽く言ってくれるかもしれない。
 風磨なら、「遙斗、考えすぎ。絶対計算ミスってる」と否定してくれるかもしれない。
 風磨なら。
 風磨なら。
 風磨なら……!
 ──だが、俺のその願いは届かなかった。
 風磨は顔を歪め、口を半開きにし、震えた声で「え……?」と溢した。
「……え? なに? 俺が……死ぬ? え、何なんだよ、え?」
「ッ、風磨、落ち着いてくれよ、あのな……」
「落ち着いてられるかよ……!」
 風磨に伸ばした手を払い除けられる。風磨は俺を化け物を見るような目で見た。
(……あ……、あの顔だ……)
 この顔を、俺は見たことがある。
 かつて、公園で車に轢かれかけたあの男が俺に向けたのと、同じ顔。
「死ぬってなんだよ、いつ!? どうやって!? なんでだよ、何でそんなこと、何でそんな計算してんだよ、気持ち悪い……!」
「風磨、頼む、俺の話聞いてくれ」
「無理無理、絶対無理、え、俺、死ぬの? え?」
 風磨はパニックになっていた。泣きながら取り乱し、もう俺の声なんて届いていない様子だった。
 焦ったのは俺の方もだ。
 失敗した。もっと慎重になるべきだった。
 いや、それより何より、どうして俺は死の確率を計算してしまったんだろう。
「死にたくない、死にたくねえよ……!」
「風磨!」
 俺の制止を無視して、雨の中を風磨が走り出す。俺はそれを必死に追いかけた。
 数メートル先に風磨の背中がある。その先には赤信号の横断歩道。
「止まれ、風磨、頼む、止まれ!」
 俺が叫んだ瞬間、横断歩道の途中で風磨は足を止めた。俺を振り返ろうとした風磨は、一瞬の間の後、凄まじい音と共に俺の視界から消えた。
 急ブレーキを踏む甲高い音が耳を劈く。
 ──その後のことは、よく覚えていない。