まずは洗い直しだ。
翌日から和泉と出会ってからの数式を見直し、一から計算をし直した。
どこで数値が変わったのか。どこで前提が覆ったのか。
それを知らなくては、正しい解を得られない。
それと同時に、噂の再調査も開始した。
いつ、誰が、何のために市岡の噂を書き換えたのか、徹底的に調べていく。
数字を積み上げ、仮説を立て、検証し、一つの狂いもない計算の解を弾き出したその先にしか、和泉を救う方法はない、と頭に叩き込んだ。
一方で和泉はあれから二日、学校を休んでいる。
ラインは既読になった。「ごめんね」という返事がきて、俺も「ごめんな」と返した。それきりだ。
和泉が休んでいる間も、一時間毎に計算は欠かさなかった。幸いなことに確率は高くても40%、低い時は20%以下になることもあって、それは俺に安堵を与えてくれた。
側にいられない以上、確率は低ければ低いほどいい。
和泉は、家の中でも噂の影響からか音がするし影が見える、と言っていたけれど、この確率の低さから考えれば、あの家は和泉を守っている、と考えられる。
(……おふくろさんの力だったりして)
そんなオカルトじみたことを考えてしまうくらいには、俺は和泉から影響を受けているんだな、と思う。
浅香はあれ以来、俺と廊下で目が合っても避けるようになっていた。無理もないと思う。
(やっぱり、引っ掛かる……)
昼休み、教室でノートを開いて片手で頭を抱えた。
見開きいっぱいに書いてあるのは、噂の拡散スピードを計算した時に使用した数式や数字の羅列だ。
(怖い噂が広まり易いのはわかる。だけど、最初の市岡の彼氏がどうのって噂だって、幽霊騒ぎとまではいかなくても充分インパクトはあった)
特に、彼氏がどこの誰なのかを探ろうとするような下世話な話は、怖い噂ほどじゃなくても広まり易いと思う。
それなのに、まるで「最初からそんな噂はなかった」かのように立ち消えている。
コン、コン、とシャープペンシルの頭でノートを叩いた。
考えろ。
市岡のその噂が消えて、一番都合がいいのは誰だ?
あの噂と前後して、クラスの連中が騒いでいたのは、誰の話だった?
(……屋上に行ってみるか)
市岡の件があってから、屋上は未だに立ち入り禁止になっている。
幽霊が目撃されてからは、尚更誰も近づかなくなった。今なら、誰にも邪魔されることなく屋上に行ける。
善は急げとばかりに立ち上がった。俺が立ち上がっただけで、隣で飯を食っていた数人がビクッと肩を跳ね上げる。すっかり腫れ物だ。
教室を出て、北校舎の端に向かった。階段の下には予防線が貼られている。それを潜って、ゆっくり階段を登っていく。
屋上の扉が見えるところまで登り、踊り場からその扉をじっと見つめた。
空気が異様に澱んでいる。換気の為されていない部屋の隅っこみたいな、嫌な重さがそこに充満していた。
(俺がここで怪我でもしようもんなら、また和泉を傷つける)
だからここは慎重に行こう。
一歩一歩、踏みしめるようにして階段を登った。手摺りもしっかり握って、だ。
十二段目が最上。そこまで登り切ると、屋上へと続く扉が目の前にあった。
意を決してノブに手をかける。予想に反してあっさり回った。
(鍵、かかってねえな……)
ギィ……という、錆びた鉄の音が耳障りなほどに響く。眩しい太陽の光が内側に差し込んだ。
一歩、足を踏み出し、屋上に出る。少し前までは昼休みには解放されていた場所だ。パッと見た限りは、何も変わったところはない。
踊り場や扉の前に漂っていた、あの重苦しい空気とは打って変わって穏やかだった。
貯水槽から裏手に回る。手摺りを掴んで、そこから下を見下ろした。
(やっぱりここか)
下に見えるのは、俺と和泉が昼飯を食っていた裏庭のベンチだ。
今はベンチの周りに三角コーンが置かれている。植木鉢落下の衝撃で、ベンチの座面が割れたからだ。
スマホを取り出し、あの日の風速を調べてみる。それから植木鉢が落ちた時間、屋上から落下地点までの距離、それらの正確な数値を知りたい。
(生徒は誰も、屋上には寄りつかない)
鍵が開けっぱなしになっていることさえ、知られていない可能性がある。
もう一度、下を覗き込んだ。改めて見ると、かなりの高さがあることがわかる。
(四階建て校舎の更に上、……一階につき大体四メートル弱、床下や天井裏には配管があるから更に二メートル強として……)
大体二十メートルほどの高さだ。
重力加速度を9.8メートル毎秒と仮定して、その速度で質量2キロの植木鉢が衝突した場合、致命傷になりかねない。
(やっぱどう考えても殺す気じゃねえか……)
そうまでして和泉に執着する理由はなんだろう。
もしかして、狙われたのは和泉じゃなくて俺だったりして。
(なんて、まさかな)
本当に、ただふっと思いついただけの考えだった。
それなのに頭の片隅が確実に光って、瞬く間にパズルのピースが埋まっていく。
(……狙われてたのは、和泉じゃない。だとしたら、俺が狙われる理由は?)
そんなの一つしかない。
俺が計算で、「上書きされた噂」を探ったからだ。
──つまり。
つまり、俺はかなり答えに近いところにいた。いや、今もだ。
探られては困る誰かが、俺を殺そうとして植木鉢を落とした。そう考えれば、思い当たる人物は一人しかいない。
屋上を出て、教室へと戻る。怒りと、本当に死んでもおかしくなかったという恐怖が、ごちゃ混ぜになって頭の中を駆け巡っていた。
教室に足を踏み入れた時、室内の温度が先ほどまでより下がっているように感じた。
見回すと、端の席に和泉が座っていた。午後から出席できることになったようだ。
周囲のひそひそ声を無視して、和泉に近寄る。和泉は俺を見上げると、ほんの少しだけ頬に力を込めた。
「……こないだは、ごめん。ひどいこと言ったよね。黒崎くんは俺を見守ってくれてるのに」
「見守ってねえって言ってんだろ、監視だ、監視」
わざと軽口で返す。和泉はちょっとだけ目を丸くした後、「そうだ、監視だった」と笑みを浮かべた。
「身体、平気か?」
「うん。二日もしっかり寝ちゃった」
「寝不足だったんだろ、ちょうどいいじゃん」
苦笑いを見せる和泉の瞳を、真正面から見つめた。
「和泉」
「なに?」
「やっぱり、ラプラスの悪魔はサイコロなんて振らねえってことがはっきりわかった」
音の正体とか影とか痣とか、わからないことは犯人を取っ捕まえてから吐かせりゃいい。
大事なのは、導いた結論の答え合わせをすることだ。
「お前の死の確率、きっと、……いや、絶対0になる。待ってろよ」


