帝都影恋物語

柱:日向家・婚礼の大広間/夕方

ト書き:
大広間には紅白の幕。
中央には、白無垢姿の明里。
入口に立つ紬。藤色の着物。
隣には御影。黒い羽織の裾が静かに揺れる。

明里「あら、お姉様。来てくださったのね。私の幸せを、見に」

ト書き:
客人たちがざわめく。
父が上座から鋭く紬を見る。

客人A「あれが日向家の長女……?」

客人B「黒瀬家の当主と一緒だぞ」

客人C「花嫁候補だという噂は本当なのか……?」

ト書き:
明里は白無垢の袖で口元を隠し、くすりと笑う。

明里「でも、お姉様。ずいぶん綺麗な着物を着せてもらったのね」

ト書き:
紬の指先が震える。
足元の影が、小さく揺れる。

明里「似合わないわ」

紬「……」

明里「それに、黒瀬様の花嫁だなんて。お姉様、自分でおかしいと思わないの?」

ト書き:
紬、自分の足元を見る。
明里、勝ち誇ったように笑う。

明里「私の婚礼を邪魔しに来たの?中に入らないなら、帰ってもらって結構よ」

紬「……いいえ」

ト書き:
紬、両手を胸元で握りしめる。

紬「私は……奪われた影を、取り返しに来ました」

ト書き:
客人たちが一斉にざわめく。

客人A「奪われていた?」

客人B「影を?取り返す……?」

客人C「そんなことができるのか?」

父「紬!」

ト書き:
父が立ち上がる。
杯が倒れ、酒が畳に染みる。

父「何を馬鹿なことを言っている!」

紬「お父様」

ト書き:
紬が父を見る。

紬「私の影は、日向家のものではありません」

父「黙れ!」

紬「金運の影も、評判の影も、健康の影も……私が望んで差し出したものではありません。私はずっと、仕方がないと思っていました。長女だから。姉だから。家のためだから。明里のためだから」

ト書き:
明里の笑みが、少しだけ引きつる。

紬「でも……もう、違います」

明里「何が違うのよ」

御影「紬」

ト書き:
紬は御影を見る。

御影「隣にいるから」

ト書き:
紬は明里の足元を見る。

紬「……戻ってきて」

ト書き:
明里の足元の影が、ぴくりと震える。
客人たちが息を潜める。

紬「私の影」

ト書き:
黒い影の中から、細い糸が浮かび上がる。

明里「な……何?」

ト書き:
金屏風の下の影も揺れる。
黒い影が、墨のように浮かび上がる。

客人A「影が……動いている」

客人B「奪われた影が、持ち主の声に応じているのか?」

客人C「ありえない。影は一度移れば、その先に馴染むはずだ」

年配の客人「いや……あれは、戻りたがっている」

ト書き:
御影は紬の足元を見つめる。
紬の小さな影が、懸命に手を伸ばすように揺れている。

明里「やめて……!」

ト書き:
明里が足元の影を押さえるように裾を掴む。

明里「これは私の影よ!私の婚礼のための影よ!」

紬「違う」

ト書き:
紬が一歩、前に出る。

紬「それは、私の影です」

ト書き:
明里の顔が歪む。

明里「お姉様のくせに……!」

ト書き:
その瞬間。
広間の奥から、低く笑う声。

鏡夜「そこまでにしておけ」

ト書き:
客人たちが道を開ける。
奥の座敷から、花婿衣装の鏡夜が現れる。
白地に銀糸の羽織。端正な顔。
目元には不敵な笑み。

明里「鏡夜様……!」

ト書き:
明里の結婚相手・白檀鏡夜の目は紬を見ている。

鏡夜「婚礼の席で、影を奪い返そうとは。なかなか派手な姉君だ」

御影「白檀鏡夜」

客人A「……?」

客人B「白檀家と黒瀬家は代々、影の扱いを巡って因縁がある一族だ」

客人C「影を留める術に長けていると聞く」

ト書き:
鏡夜は楽しそうに笑う。

鏡夜「久しいな、黒瀬御影。まさか日向家の婚礼で会うとは」

ト書き:
鏡夜は明里の足元を見る。
値踏みするように目を細める。

鏡夜「実に良い影だ。評判、縁、愛される力。日向の家運に染みた金運の欠片もある。これほど質の良い影は、そう手に入らない」

紬「……」

鏡夜「戻すわけにはいかないな」

ト書き:
鏡夜の足元から、影が伸びる。
細い糸のように畳を走り、明里から剥がれかけた紬の影を絡め取る。

紬「っ……!」

ト書き:
紬の胸が痛み、膝が崩れかける。
御影がすぐに支える。

御影「紬から離れろ」

ト書き:
御影の影が広がる。
黒く、深く、畳の上を一気に走る。
御影と鏡夜の影が、広間の中央でぶつかる。
灯明が一斉に揺れる。
客人たちが悲鳴を上げ、後ずさる。

客人A「影術だ!」

客人B「婚礼の席で、黒瀬と白檀が……!」

父「鏡夜殿!その女を止めてください!明里の幸福が崩れてしまう!」

明里「お父様!」

ト書き:
明里の頬から、ほんの少し血の気が引く。

明里「いや……戻らないで。私のものよ。私の幸せなのよ!」

紬「……明里」

ト書き:
紬は苦しそうに息をしながら、明里を見る。

紬「私も、そう思っていました。あなたが幸せなら、それでいいと」

ト書き:
紬の指が震える。
けれど、声は途切れない。

紬「でも、私の影で作られた幸せなら……それは、私が取り戻してもいいものです」

明里「よくないわ!」

紬「いいえ」

ト書き:
紬は足元の影に向かって、もう一度呼びかける。

紬「戻ってきて」

ト書き:
影の一筋が、紬の元に戻ってくる。

紬「……っ」

ト書き:
紬の影が、ほんの少しだけ大きくなる。

客人A「戻った……」

客人B「本当に、持ち主へ戻ったぞ」

年配の客人「奪われた影が呼びかけに応じるなど、聞いたことがない」

ト書き:
御影は紬を見る。
その目に、わずかな誇りが宿る。

御影「よく呼んだ」

紬「御影様……私」

御影「ああ」

ト書き:
御影は鏡夜を見る。
鏡夜の笑みが深くなる。

鏡夜「なるほど。これは面白い」

ト書き:
鏡夜の影が、紬の喉元を狙うように、鋭く空を裂く。

御影「許さん」

ト書き:
御影の影が壁のように立ち上がって、鏡夜の影を受け止める。

御影「紬。これ以上は危険だ」

紬「でも、まだ……」

御影「今日は戻った影を守る」

ト書き:
紬は唇を噛む。

紬「……はい」

ト書き:
悔しそうに頷く。

紬「今、戻ってくれた影を……守ります」

御影「それでいい」

ト書き:
御影は紬の前に立つ。
鏡夜と向かい合う。

御影「白檀朔夜。日向家に移された紬の影は、不当に奪われたものだ」

鏡夜「証は?」

御影「影が主に応じた。それ以上の証があるか」

鏡夜「影は強い器に宿るものだ。弱い持ち主へ戻す必要があるとは思わない」

御影「だから白檀家は、黒瀬家と相容れない」

父「黒瀬様!逃げるのですか!」

紬「お父様。私は、また来ます」

父「何……?」

紬「まだ戻っていない影があります。日向家の繁栄に使われた影も、明里に移された影も。全部、私の影です」

ト書き:
父の顔が怒りで歪む。
明里は信じられないものを見るように紬を見る。

明里「お姉様……本当に、私から奪うつもりなの?」

紬「奪うのではありません」

ト書き:
紬の足元の影が、ほんの少しだけ揺れる。

紬「取り戻すだけです」

ト書き:
御影が紬へ手を差し出す。
紬は自分から、御影の手を取る。

御影「日向家当主」

ト書き:
御影は父を見る。

御影「今日戻ったのは、ほんの一筋だ」

父「……!」

御影「残りも、また必ず取り返しに来る」

ト書き:
御影と紬が広間を出ていく。
客人たちは道を開ける。
明里はその場に立ち尽くす。

明里「いや……私の影……私の幸せ……」

ト書き:
父は拳を握りしめる。
鏡夜だけが、楽しそうに笑っている。

柱:日向家・門前/夜

ト書き:
紅白の幕の外。
夜風が吹く。
紬は門を出たところで、足を止める。
息を整えるように胸元を押さえる。

紬「戻ってきてくれました」

御影「ああ」

紬「全部は、取り戻せませんでした」

御影「焦るな」

ト書き:
御影は日向家の門を振り返る。
目が、鋭くなる。

御影「相手は白檀だ。簡単には返さないだろう」

紬「白檀家は、御影様と……」

御影「古い因縁がある」

紬「御影様」

御影「何だ」

紬「私、言えました。それは私の影です、って」

ト書き:
御影の表情が、ほんの少し和らぐ。

御影「よく言った」

ト書き:
紬の目に涙が浮かぶ。
紬は泣きそうになりながら、笑おうとする。

紬「私の影を、全て取り戻したいです」

御影「ああ」

ト書き:
御影は紬の手を、強く握りすぎない。
けれど、離さない。

御影「また必ず取り返しに来る」

柱:日向家・婚礼の大広間/夜

ト書き:
客人たちは帰り支度を始めている。
祝いの席だったはずの広間には、不穏な沈黙が残っている。
明里は座り込んでいる。
父が使用人たちに怒鳴っている。

父「誰にも今日のことを漏らすな!」

ト書き:
その少し離れた場所。
鏡夜が、明里の足元の影を見下ろしている。

明里「鏡夜様……私、まだ幸せになれますよね?」

ト書き:
鏡夜は明里に優しく微笑む。
だが、その目は笑っていない。

鏡夜「もちろんだよ、明里」

ト書き:
明里は安心したように涙を拭う。
鏡夜はその背を見送り、ひとり広間に残る。

鏡夜「……この良質な影があるからこそ、お前なんかと結婚するんだよ」

ト書き:
鏡夜の唇が、不敵に歪む。

鏡夜「あの女が元の持ち主で、黒瀬がその後ろ盾になっている?おもしろい」

ト書き:
鏡夜は、紬と御影が去った門の方を見る。

鏡夜「いつか潰したいと思っていたんだよ」

ト書き:
黒い灯明の火が、ふっと揺れる。

鏡夜「お前を――黒瀬御影」