矢橋先輩は、憑かれやすい。

 次の日
 1年A組の教室に入ると、周りのクラスメイトの話題はモサかった化学教師の黒渕先生がイケメンにイメージチェンジしたことでいっぱいだった。
 あんな見かけになってしまったのは、矢橋先輩の霊が視える力のせいで警察に不信感を抱かせてしまったからだったようだけど、今回のことはうまく説明出来たのだろうか。昨日の今日だから、まだニュースやネットには何の情報も上がっていないけれど、またモサい姿に戻ることがなければいいなと思う。
 今朝起きたら矢橋先輩はいなくなっていた。もしかしたら隣の自分の部屋に戻ったのかもしれないと思ったから、俺は一人で学校へ来た。黒渕先生が、きっと矢橋先輩の行動を監視でもしているんだろうしと、ちょっと嫌だけど、それはそれで安心だから、発信機のことを会えたら詳しく聞いてみようと思う。
 そんなことを考えていたら、ちょうどよく黒渕先生が町田先生と話している姿を見つけた。

「大丈夫かしら、千羽くんは」
「まぁ、もう少し様子を見ておくよ。悪いことにはならないとは思うけど」
「そうね、矢橋くんなら大丈夫だとは思うけど……」

 俺と矢橋先輩のことを話している?
 まだ、二人は俺の存在に気がついていない。親しく駆け寄ってもいいものか悩む。

「いずれ、話さなきゃないとは思うけど」
「いや、千羽くんは気がついているんじゃないかな?」
「え? そうなの?」
「いや、分からないけど」
「えー、絶対気づいてないと思う! 矢橋くんが幽霊ってこと」

「はぁ!?」

 笑いながら話している町田先生の言葉に、俺はつい口から声が溢れた。いまさら口に手を当てても、もう遅い。二人がこちらに振り返った。
 驚いた二人の教師は、すぐに俺の腕を掴む。捕らえられた宇宙人のように俺は拉致され、あっという間に保健室まで連れられてきた。
 わけのわからないままの俺と、あわあわと落ち着かない黒渕先生に対して、町田先生は冷静にため息をついた。

「まぁ、遅かれ早かれいつかバレるのよ」

 丸椅子に座らせられた俺の前に立ち、話し始める。

「矢橋くんはね、去年の冬に亡くなっているの」
「……え?」

 いや、え? どういうこと?
 まったく頭が回らない。冗談を言うには度がすぎているし、そもそも、俺には霊感なんてものはないから。

「千羽くんが入学早々おかしな行動をしているのは確認済みだったの。黒渕先生が見守ってくれていたから」
「……え、俺がおかしな行動?」

 どういうことだ。

「一人で矢橋くんが自殺した部屋に入って行って、一人でホラー映画見て、夜道を歩いていたって。ほら、黒渕先生ってかなりの怖がりだからあまり詮索はしないのよ。高校生ライフを楽しんでいるだけかもー、なんて楽観的に考えちゃうし。そこまで深入りはしてこなかったの。でも、千羽くんの口から矢橋くんの名前が出た時に、おかしいって思ったみたいで」

 は? え、何言ってるの? さっきから先生の話している意味が全くわからない。

「……矢橋先輩が、自殺した、部屋?」

 確かに今、そう言ったよな?
 意味がわからなくとも、震えは起こる。

「千羽くんの隣の部屋、今は空き部屋なの。玄関ドアの前に塩盛ってあったでしょう? まぁ、あれは慰めみたいなものだけど、立ち入り禁止にもなってるはず。部屋の片付けをしていると不気味な気配をずっと感じるのよ」
「……ってか、黒渕先生、矢橋先輩と普通に話してましたよね?」

 俺が知る限り、先生と矢橋先輩は普通だった。

「僕は、矢橋くんが一年の時の担任だった。彼は、入学してからずっと、部活でも教室でも、自分を上手く出すことが出来ずに悩んでいたんだ。ちゃんと話を聞いてあげられていると、彼の心の闇を救えていると、僕は勘違いしていた。部活も勉強も、友達や家族との関係も悪化して、全てにおいてマイナス思考に陥った矢橋くんは、真冬の凍える夜に、一人で命をたった」

 スーッと、冷たい空気が俺の体を通り抜ける。身震いが起きて、全身が寒い。

「じゃあ、俺は今まで……」

 レンの霊に震え上がり、アオイの霊に怯えて、ようやく矢橋先輩に憑いた霊から解放されたと思っていたのに、矢橋先輩自体が死んでいる? え、あの人、幽霊だったの?

「千羽くん、僕の祓い紙を信じてくれていたから、うれしかったよ。でも、あれは矢橋くんには効かないんだ。僕も最初は彼のことを受け入れることに不安だったけど、今はもう慣れちゃったかな」

 あははと呑気に笑う黒渕先生には違和感しかない。

「え、いや、まったく話が見えてこないんですが」
「とりあえず、今のところ矢橋くんは僕の友達みたいな悪霊ではないから。大丈夫だと思うよ」
「……大丈夫?」
 何を根拠にそんなことを言っているんだろうか、この大人は。
 俺が不信感を抱いたまま呆れた顔をしてしまっていると、町田先生が俺の肩に手をのせて不敵に笑う。

「千羽くんの矢橋くんを想う気持ちが、彼を素直なまま生かしているんだと思う。何も害を与えない霊ならいいのよ。千羽くんさえ困らなければ。楽しくやっているんでしょう?」

 いや、生かしてるってなに? 矢橋先輩、死んでるんですよね? さっきそう言ってましたよね? 

「まぁ、そういうことだから、寮に帰ってからもよろしく頼むよ。祓い紙が必要ならいつでも言って。爆速で用意するから!」

 いや、親指立ててウインクしてる場合じゃないし。なに髪切ってイケメンに戻ったからってアイドルみたいな返し方してるんですか?
 あーー!
 分からな過ぎて頭割れそう。

「帰ったら、矢橋先輩はいないってことですよね?」

結論から言うと、自殺した矢橋先輩は、元からこの世にはいなかったってことだ。自分のこと憑かれやすい特異体質とか言って、俺に憑いて回っていたってことなんだよな。

「いるかいないかは、帰ってからのお楽しみだね」

 矢橋先輩のいない高校生活なんて、俺にはなんの生きがいもない。そもそも、俺は矢橋先輩に憧れて、そばにいたくて、あわよくば仲良くなれたらと思って桜花高校に来たんだ。他には何もない。
 なのに、矢橋先輩がもういないなんて……そんなのひどい話だ。