『またお前か』
後ろ姿のままで、矢橋先輩が立ち止まった。
すぐ後ろを歩いていた黒渕先生も、矢橋先輩の異変に気がついたようで、俺の方に振り返った。「矢橋先輩から離れて」と言う前に、ものすごい勢いで矢橋先輩が俺の前まで戻ってくる。そして、顔を覗き込む瞳の色が血走り赤黒い。一気に、恐怖が押し寄せる。また殺される。と、思う間もなく胸元を掴まれていた。
目の前の威圧的で険しい顔に、身が縮む。すぐに脳内では諦めの文字が浮かぶ。
「……矢橋、くん?」
戸惑いながら呼ぶ黒渕先生の声。それに、レンが一瞬反応したのを、俺は見逃さなかった。
首を絞められたわけじゃないから、精一杯に息を吸い込み、声を上げる。
「連れてきたんだよ! お前の友達!」
もう後戻りは出来ない。だから、前に進むしか無い。
「15年経ってるから、見た目全然違う人だろうけど!」
やけになって叫ぶ俺に、黒渕先生がゆっくり近づいてくる。
黒渕先生の存在なんてないみたいに見知った俺の方へやってきていたレンが、矢橋先輩の姿で黒渕先生の方に振り返った。
「……蓮、くん、なのか?」
震える声で、体まで震わせた先生が聞く。
「黒渕大翔です。蓮くんの一個下。桜花小学校3年生だった……」
当時のことを思い出して一言ずつゆっくり、震えながらも、先生の表情は穏やかになっていく。レンは怪訝な顔をして動きを止めた。
「よく、蓮くんと葵ちゃんにくっついて遊んでもらっていたんだよ……覚えて、る?」
『……ヒロ?』
レンが確かめるようにつぶやいた。
「そう! そうだよ、蓮くん!」
すると、黒渕先生はパッと明るい表情で顔を上げて、まるで子供みたいにはしゃいだ声を出す。かと思えば、眉も目尻も口角も、全部が下がっていって、ゆっくり歪んでいく表情。溢れ出してくる涙が頬をいく筋も流れていく。
「……っあう、覚えていてくれて、良かった。僕も、忘れたことなんて、なかった。ずっと、覚えていたよ、二人のこと。会い、たかった……」
我慢なんて言葉は、毛頭無いのかも知れない。黒渕先生は幼い子供みたいに泣きじゃくる。
『……ヒロ、アオイは?』
今まで恐怖でしかなかったレン自体を纏っていたモヤが、少し柔らかくなった気がした。黒渕先生のおかげかもしれない。
『こいつら、アオイが死んだなんて嘘言うんだ! ヒロなら知ってるよな? アオイはどこだ? アオイのことも連れてきてよ』
俺にしたみたいな強さも怖さも、今はほとんどない。恐ろしさは落ち着いている。必死な姿は、ただアオイに会いたい気持ちだけがそうさせているようで、見ていて苦しい。
「……ごめん、僕には葵ちゃんの姿が見えないんだ。蓮くんとこうして話ができているのだって、奇跡みたいなものなんだよ。初めは怖かった。ここへ来て、どうなるのかなんてわからなかった。怖くて怖くて、たまらなかった。でも、蓮くんだ。君は蓮くんだよ。ねぇ、蓮くん、どうしていなくなったりしたの? 僕、さみしかった。蓮くんも葵ちゃんも、突然いなくなって、さみしかったんだよ」
ううっと嗚咽を漏らしながら、黒渕先生が泣く。大人に見えていた先生の体は、とても弱々しくて、今にも崩れ落ちそうに震えていた。幼い頃の不安を、ずっと抱えたまま生きてきたんだろう。忘れるなんて出来ない。忘れたフリはできても、どこかでなにかの拍子に思い出したりはするはずだから。先生の辛さや苦しさが、涙声からひしひしと伝わってきて胸が痛い。
「……僕のことを置いて、どっか行っちゃったんだって、僕は、嫌われたんだって、ずっと思ってた」
えんえんと、迷子の子供みたいに泣いて喋っている黒渕先生の姿は、違和感しかなくて不思議な光景でしかない。
こんな陰湿な雰囲気になってしまったら、そのままレンに連れて行かれたりしないだろうか。爽やかに吹いていた風が、不穏な暗雲を連れて来る。降り注ぐ日差しで照らされ明るかった世界に影が降りる。
ふと、矢橋先輩と見た映画の映像が甦ってきてしまった。なんで今ここでと思いながらも、突如脳に蘇ってきたホラー映画の最骨頂の再生は止まらない。霊の存在を認識し、恐怖に怯えるあまりに叫び狂った主人公の横で、友人の首が吹き飛ぶシーン。
うっ……グロい。
腹の底から胃に込み上げて来るもの。吐き気を感じながらも、まさか目の前でそんな展開にはならないだろうと、なんとか正気を保つ。
あれは映画。これは現実。あれは映画、これは……いや、現実の方がこえぇぇぇだろ!!
俺は、ヒューヒューと荒くなる呼吸を必死に整える。
ついに、泣き崩れて膝をついた黒渕先生。そこへ近づくレン。頭の中では助けなきゃと思っているのに、体がまるで金縛りに遭っているみたいに動かない。
あの時の俺みたいに、先生も首を絞められてしまうかもしれない。首が飛ぶよりはマシだけど、それでも見ているだけなんてそんなの出来ない。それなのに、動けない。一歩踏み出すことが怖い。恐怖には、勝てない。
『泣くなよ、ヒロ。泣くな……』
恐怖に支配された俺の耳に、優しい声が聞こえてきて脳内に響く。レンの声が、ずっとおどろおどろしかったけど、今のは違う。顔を上げてみると、すっかり座り込んで泣いている黒渕先輩の前に、膝立ちをして切なそうな目を向けているレン。俯く先生の顔にそっと手を伸ばし、頬の涙を拭う仕草をしている。
二人のいるそこだけにスポットライトが当たっているように錯覚するほど、絵になる雰囲気に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。違う意味での恐怖。二人の間に、入り込めない何かを感じる。
「どうしていなくなったりしたんだよ。何があったんだよ。教えてくれ、蓮くん」
縋るように、黒渕先生は頬に触れてきた腕を掴み、震えながらも訴えかける。
しばらく見つめあった二人を、静かに俺は見守るしかなかった。お互いに離れてしまっていた分の悲しみを喜びに変えるよりも、まだ行方がわからないままの蓮に何があったのかを知る方が重要だ。会えているけれど、本当の意味ではもう二度と会えることなどないのだから。
矢橋先輩では聞き出せなかったことを、黒渕先生になら、レンは話してくれるだろうか。
神妙な面持ちのままでいたレンが、ようやく言葉を繋いだ。
『……俺は、アオイに殺されたんだ』
後ろ姿のままで、矢橋先輩が立ち止まった。
すぐ後ろを歩いていた黒渕先生も、矢橋先輩の異変に気がついたようで、俺の方に振り返った。「矢橋先輩から離れて」と言う前に、ものすごい勢いで矢橋先輩が俺の前まで戻ってくる。そして、顔を覗き込む瞳の色が血走り赤黒い。一気に、恐怖が押し寄せる。また殺される。と、思う間もなく胸元を掴まれていた。
目の前の威圧的で険しい顔に、身が縮む。すぐに脳内では諦めの文字が浮かぶ。
「……矢橋、くん?」
戸惑いながら呼ぶ黒渕先生の声。それに、レンが一瞬反応したのを、俺は見逃さなかった。
首を絞められたわけじゃないから、精一杯に息を吸い込み、声を上げる。
「連れてきたんだよ! お前の友達!」
もう後戻りは出来ない。だから、前に進むしか無い。
「15年経ってるから、見た目全然違う人だろうけど!」
やけになって叫ぶ俺に、黒渕先生がゆっくり近づいてくる。
黒渕先生の存在なんてないみたいに見知った俺の方へやってきていたレンが、矢橋先輩の姿で黒渕先生の方に振り返った。
「……蓮、くん、なのか?」
震える声で、体まで震わせた先生が聞く。
「黒渕大翔です。蓮くんの一個下。桜花小学校3年生だった……」
当時のことを思い出して一言ずつゆっくり、震えながらも、先生の表情は穏やかになっていく。レンは怪訝な顔をして動きを止めた。
「よく、蓮くんと葵ちゃんにくっついて遊んでもらっていたんだよ……覚えて、る?」
『……ヒロ?』
レンが確かめるようにつぶやいた。
「そう! そうだよ、蓮くん!」
すると、黒渕先生はパッと明るい表情で顔を上げて、まるで子供みたいにはしゃいだ声を出す。かと思えば、眉も目尻も口角も、全部が下がっていって、ゆっくり歪んでいく表情。溢れ出してくる涙が頬をいく筋も流れていく。
「……っあう、覚えていてくれて、良かった。僕も、忘れたことなんて、なかった。ずっと、覚えていたよ、二人のこと。会い、たかった……」
我慢なんて言葉は、毛頭無いのかも知れない。黒渕先生は幼い子供みたいに泣きじゃくる。
『……ヒロ、アオイは?』
今まで恐怖でしかなかったレン自体を纏っていたモヤが、少し柔らかくなった気がした。黒渕先生のおかげかもしれない。
『こいつら、アオイが死んだなんて嘘言うんだ! ヒロなら知ってるよな? アオイはどこだ? アオイのことも連れてきてよ』
俺にしたみたいな強さも怖さも、今はほとんどない。恐ろしさは落ち着いている。必死な姿は、ただアオイに会いたい気持ちだけがそうさせているようで、見ていて苦しい。
「……ごめん、僕には葵ちゃんの姿が見えないんだ。蓮くんとこうして話ができているのだって、奇跡みたいなものなんだよ。初めは怖かった。ここへ来て、どうなるのかなんてわからなかった。怖くて怖くて、たまらなかった。でも、蓮くんだ。君は蓮くんだよ。ねぇ、蓮くん、どうしていなくなったりしたの? 僕、さみしかった。蓮くんも葵ちゃんも、突然いなくなって、さみしかったんだよ」
ううっと嗚咽を漏らしながら、黒渕先生が泣く。大人に見えていた先生の体は、とても弱々しくて、今にも崩れ落ちそうに震えていた。幼い頃の不安を、ずっと抱えたまま生きてきたんだろう。忘れるなんて出来ない。忘れたフリはできても、どこかでなにかの拍子に思い出したりはするはずだから。先生の辛さや苦しさが、涙声からひしひしと伝わってきて胸が痛い。
「……僕のことを置いて、どっか行っちゃったんだって、僕は、嫌われたんだって、ずっと思ってた」
えんえんと、迷子の子供みたいに泣いて喋っている黒渕先生の姿は、違和感しかなくて不思議な光景でしかない。
こんな陰湿な雰囲気になってしまったら、そのままレンに連れて行かれたりしないだろうか。爽やかに吹いていた風が、不穏な暗雲を連れて来る。降り注ぐ日差しで照らされ明るかった世界に影が降りる。
ふと、矢橋先輩と見た映画の映像が甦ってきてしまった。なんで今ここでと思いながらも、突如脳に蘇ってきたホラー映画の最骨頂の再生は止まらない。霊の存在を認識し、恐怖に怯えるあまりに叫び狂った主人公の横で、友人の首が吹き飛ぶシーン。
うっ……グロい。
腹の底から胃に込み上げて来るもの。吐き気を感じながらも、まさか目の前でそんな展開にはならないだろうと、なんとか正気を保つ。
あれは映画。これは現実。あれは映画、これは……いや、現実の方がこえぇぇぇだろ!!
俺は、ヒューヒューと荒くなる呼吸を必死に整える。
ついに、泣き崩れて膝をついた黒渕先生。そこへ近づくレン。頭の中では助けなきゃと思っているのに、体がまるで金縛りに遭っているみたいに動かない。
あの時の俺みたいに、先生も首を絞められてしまうかもしれない。首が飛ぶよりはマシだけど、それでも見ているだけなんてそんなの出来ない。それなのに、動けない。一歩踏み出すことが怖い。恐怖には、勝てない。
『泣くなよ、ヒロ。泣くな……』
恐怖に支配された俺の耳に、優しい声が聞こえてきて脳内に響く。レンの声が、ずっとおどろおどろしかったけど、今のは違う。顔を上げてみると、すっかり座り込んで泣いている黒渕先輩の前に、膝立ちをして切なそうな目を向けているレン。俯く先生の顔にそっと手を伸ばし、頬の涙を拭う仕草をしている。
二人のいるそこだけにスポットライトが当たっているように錯覚するほど、絵になる雰囲気に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。違う意味での恐怖。二人の間に、入り込めない何かを感じる。
「どうしていなくなったりしたんだよ。何があったんだよ。教えてくれ、蓮くん」
縋るように、黒渕先生は頬に触れてきた腕を掴み、震えながらも訴えかける。
しばらく見つめあった二人を、静かに俺は見守るしかなかった。お互いに離れてしまっていた分の悲しみを喜びに変えるよりも、まだ行方がわからないままの蓮に何があったのかを知る方が重要だ。会えているけれど、本当の意味ではもう二度と会えることなどないのだから。
矢橋先輩では聞き出せなかったことを、黒渕先生になら、レンは話してくれるだろうか。
神妙な面持ちのままでいたレンが、ようやく言葉を繋いだ。
『……俺は、アオイに殺されたんだ』



