矢橋先輩は、憑かれやすい。

「千羽くん! 大丈夫?」

 さっき看護師さんだと思った女の人は、学校の養護の先生なんだと思う。俺に駆け寄って、すぐに背中に手を当ててくれた。
 恐怖から守られているみたいに感じて、荒くなった息が徐々に落ち着いていく。

「……千羽くん、本当にごめん。もう、俺に関わるのは辞めて。千羽くんが苦しむ姿は、見たくないから」
まだ息の整わない俺を残して、矢橋先輩は行ってしまう。
「矢橋先輩……」

 追いかけたいのに、足が震えて、怖くて立ち上がれない。俺が先輩のことを守るなんて、やっぱりそんなこと無理だった。情けない。こんなに怖いと思ってしまっている自分に幻滅する。
 霊なんて、そんなの視えていないんだから怯えることなんてないのに。それでも、やっぱり関わってしまったことで、恐怖心は爆上がっている。情けない。

「千羽くん、とりあえずICUに行きましょう」
「……え」

 ゆっくり、立ち上がらせられて今来た方向に戻る。

「ここ、病院じゃないですよね?」
「うん。今、ちょっと、うつむき中な子が休むための部屋よ」

 人差し指をピンッと立てて、真面目な顔で先生が言う。
 俺は、その言葉をICUに当てはめる。I=今、C=ちょっと、U=うつむき中。
 いや待って。これ、黒渕先生の時もやったよ? え、なにこの先生たち。なんなの? ふざけてんの?

「あたしは養護教員の町田春子よ。生徒の不安は、常に全力で見守り応援してあげたいの!」

 顔に出てしまっていたのかもしれない。俺の不安にかぶせる勢いで、真っ直ぐに町田先生は伝えてくれる。
 たぶん、良い先生なんだとは、思う。
 保健室の隣の部屋に入ると、さっきと同じように置かれたベットに寝るように言われて、俺は素直に横になる。
綺麗に整っているベットから、ふわりと矢橋先輩の香りを感じた。もしかしたら、さっきまで矢橋先輩はここで休んでいたのかもしれない。包み込まれるような安心感。
 さっきのは、矢橋先輩のことが怖かったんじゃない。全部、霊のせいだ。俺が矢橋先輩のことを怖いなんて思うはずがない。あのレンってやつ、許せない。俺にこんなトラウマを作りやがって!
 考え出すと霊に対する怒りが込み上がってくる。絶対に勝てる気はしないけど、それでも、あいつのせいでと、そう思わないとやっていられない。
 誰かのせいになんてしたくないけど、やっぱりどこかに当たらないと、やってられない。
 レンも、そうだったのかな……。

「千羽くんは、矢橋くんのこと怖くないの?」
「え……」

 窓際に立って外を眺めながら、後ろ姿のままで町田先生が聞いてくる。

「彼にとっては日常なことでも、みんなからしてみれば不思議なことだし」
「俺は、矢橋先輩のことを怖いなんて思ったことないです。ってか、まだ入学して間もないし、正直幽霊とか心霊スポットとかホラー映画とか全部苦手で無理だけど、矢橋先輩と一緒にいられることが、俺は楽しいし幸せだと思ったから一緒にいるんです。怖い思いしたからって、矢橋先輩と関わりたくないとか思わないです。欲を言ったら、俺が先輩のこと守りたいんです」

 これだけは譲れない。俺が決めたことだ。誰かの言葉に決心が揺らぐことは今までたくさんあったけど、これだけは揺らがない。誰に何と言われようと。だから、今町田先生が「やめなさい」と言ったとしても、俺はそれに頷くことはない。
 横になった体を起こして、町田先生がゆっくり振り向くのを真っ直ぐにみつめた。

「尊い!!」
「は?」

 さらさらのボブヘアをさらりとなびかせながら、くるりと振り返った町田先生の表情が煌めいている。窓からの日差しのせいではない。もどかしそうに、恥ずかしそうに、頬を高揚させているのはなんでだ。

「やだぁ、素敵ぃ。先生そういうの大好き!」

 ……そういうの、とは?
 俺が呆然として考えていると、先生はハッとしてからコホンッと咳払いする。

「じゃあ、これからもあたしは君たちのことをしっかり見守るし、身体のことはサポートさせてね」
「え、あ、はい……?」

 どう答えるのが正解なのかわからずに頷くと、先生のスマホが鳴った。

「はいはいー! うん、こっちは元気! ん? なんかそっちは元気ない感じ? え? あー、わかった、うん」

 明るい声で話していたかと思えば、だんだんと不穏な声色に。
 電話の相手が誰なのか分からないけど、俺ももうここで寝ているのもなんだし、もう一度矢橋先輩に会ってそばに居させてもらえるように言わないと。

「黒渕先生が、君たちの言っている霊のことで話があるって」
「え……」

 通話を終了して、町田先生が不安そうな顔をする。事故のことを調べてくれた黒渕先生が、なにか分かったのかもしれない。とにかく、黒渕先生がいる図書室に町田先生と向かうことにした。