全部、夢だったらいいのに。
そう思っても、鏡越しに映る自分の姿。首筋の赤紫色に残った跡。夢なんかじゃなかった。それに、たぶんまだなにも解決していないんだと思う。
そう言えば、アオイから渡された空き瓶とヤマユリはあの場所に置いてきたのだろうか。
病室の中を見渡してみても、飾られてはいないし、そもそも、あのヤマユリは時期じゃないから今は存在しないし、空き瓶だって、誰にでも見えるものじゃないのかもしれない。
深いため息が漏れる。
矢橋先輩は、本当に大丈夫なのだろうか。
俺は意識を失ってしまったから、矢橋先輩があの後どうなったのかはなにも分からない。でも、黒渕先生がここまで運んでくれたから、命に別状はないと言ってくれていたから、たぶん、大丈夫だ。
煮え切らない思いで、どうにか自分の不安を沈める。
日付けが変わったから、今日は日曜日か。
枕元に置かれていたスマホを手に取った。母から通知が入っている。
『母の手料理送っておいたわよー』
なんとも呑気な母だ。息子が霊に襲われて死にかけたっていうのに。
思わずため息が漏れる。
でも、と言うことは、黒渕先生は親になんの連絡も入れていないってことだよな。
俺がそうなら、きっと矢橋先輩だってそうだ。矢橋先輩の親のことは全く知らないけど、見放されて一人暮らしをしているって言っていたから、きっと病院に駆けつけることもないんだろうな。やっぱり、矢橋先輩ってかわいそうじゃん。霊の心配してる場合か。ホラーとか心霊現象が好きとか言ってる場合か。これで懲りて、自ら関わるようなことはしないようにしてほしい。
ノック音に、俺は入り口ドアに視線を向けた。
「体の具合いはどうかな?」
入って来たのは、白衣を着た女の人。看護師さんだろうか。俺の顔色を見るように覗き込みながら聞いてくる。
「だいぶ、良くなりました」
重苦しく思っていた感覚も、痛みも不思議なほど取れている。
「じゃあ、いつまでも寝てないで帰ろうか、千羽くん」
「……え!? 矢橋先輩!?」
看護師さんのあとから入って来たのは、昨日の格好をした矢橋先輩だった。
え、これ、矢橋先輩の霊じゃないよね? ついに俺まで視える人になっちゃったとか!?
「なにそんな驚いた顔してるんだよ。行くよー」
笑いながら先輩はまたドアの方に歩き出す。
「大丈夫そうなら、もう起きて良いって先生からも言われているわよ」
「え……あ、じゃあ、はい」
とくに傷もなく、診察も受けるほどじゃないんだろう。病院に来てもただ単にぐっすり眠らせてもらっていただけだったのかな。矢橋先輩こそ、ICUに居たんじゃなかったのか? そう思って、目の前にいる先輩の後ろ姿を見ても、いたって健康っぽい。もちろん憑かれている気配もない。ホッとはするけど、不思議だ。
「ぐっすり寝たから、もう何ともない」
「死んだみたいに寝ていたからね、何かあったらと思ってICUに置いていたけど、清々しいほど目覚めよく起き上がった君には驚いたわよ」
うふふと笑う看護師さんに、俺は唖然とするしかない。
「まぁ、二人とも何ともなくてよかった。黒渕先生はとっても心配性だからね、あまり心配かけちゃダメよ、新入生くんも」
病室のドアを出たと思っていた俺は、違和感に気が付いた。
──ここって。
まだ薄っすらとしか記憶にはないけれど、見たことがある。低い天井に暗く長い廊下。途中にあるのは数々の優勝旗やトロフィー、盾の並ぶガラス戸の棚。奥に見えるのは、職員室と書かれたプレート。
「……え、学校!?」
「そうだよ。黒渕先生が俺と千羽くんを連れ帰ってきてくれたんだよ」
「え、いや、普通生徒が倒れたら病院じゃないですか?」
目が覚めた時、俺は何も疑わずに病院に連れてこられたんだと思っていたのに。まだ来たことのなかった学校の保健室だったなんて。職員玄関から左手奥に位置するのはなんとなく学校見学の時に見て覚えていた。
「病院につれて行ってもなんて説明するんだよ。また黒渕先生が変なやつって思われるだけだし、もしかしたら変な疑いをかけられる可能性もあるでしょ」
矢橋先輩の言葉に、俺はハッとして首元に手を当てた。
こんなにハッキリと首を絞めた跡があるんだ。先生が疑われるのもあるけど、霊のせいだとは言え、やったのは矢橋先輩だ。もし、それで矢橋先輩が警察に捕まったりしたら、俺にはこの首の跡のことをうまく説明出来る自信なんてない。
「……ごめんな、千羽くん。怖い思いさせてしまって」
陽の光が数メートル先の窓から線になって廊下に入り込む。矢橋先輩の顔は薄暗さでよく見えないけど、俺を見て切なそうに眉を顰めているみたいだ。
「俺のせいで、こんなことになって……」
そっと、先輩の手が俺の首元に伸びて来た瞬間、昨日のことがフラッシュバックする。薄暗い曇り空、矢橋先輩の姿をしたレンの脅威。伸びてくる腕と、力強く絞められる首。
「……っかはぁ!!」
先輩はまだ俺に触れていないのに、首を絞められているわけじゃないのに、いきなり苦しくなって、息が出来なくなる。俺は、その場に膝から崩れ落ちた。
一気に恐怖心が襲って来て、身震いする。霊の存在なんて視えないし、感じない。でも、一度体験してしまった恐怖は、いくらでも甦ってくる。
そう思っても、鏡越しに映る自分の姿。首筋の赤紫色に残った跡。夢なんかじゃなかった。それに、たぶんまだなにも解決していないんだと思う。
そう言えば、アオイから渡された空き瓶とヤマユリはあの場所に置いてきたのだろうか。
病室の中を見渡してみても、飾られてはいないし、そもそも、あのヤマユリは時期じゃないから今は存在しないし、空き瓶だって、誰にでも見えるものじゃないのかもしれない。
深いため息が漏れる。
矢橋先輩は、本当に大丈夫なのだろうか。
俺は意識を失ってしまったから、矢橋先輩があの後どうなったのかはなにも分からない。でも、黒渕先生がここまで運んでくれたから、命に別状はないと言ってくれていたから、たぶん、大丈夫だ。
煮え切らない思いで、どうにか自分の不安を沈める。
日付けが変わったから、今日は日曜日か。
枕元に置かれていたスマホを手に取った。母から通知が入っている。
『母の手料理送っておいたわよー』
なんとも呑気な母だ。息子が霊に襲われて死にかけたっていうのに。
思わずため息が漏れる。
でも、と言うことは、黒渕先生は親になんの連絡も入れていないってことだよな。
俺がそうなら、きっと矢橋先輩だってそうだ。矢橋先輩の親のことは全く知らないけど、見放されて一人暮らしをしているって言っていたから、きっと病院に駆けつけることもないんだろうな。やっぱり、矢橋先輩ってかわいそうじゃん。霊の心配してる場合か。ホラーとか心霊現象が好きとか言ってる場合か。これで懲りて、自ら関わるようなことはしないようにしてほしい。
ノック音に、俺は入り口ドアに視線を向けた。
「体の具合いはどうかな?」
入って来たのは、白衣を着た女の人。看護師さんだろうか。俺の顔色を見るように覗き込みながら聞いてくる。
「だいぶ、良くなりました」
重苦しく思っていた感覚も、痛みも不思議なほど取れている。
「じゃあ、いつまでも寝てないで帰ろうか、千羽くん」
「……え!? 矢橋先輩!?」
看護師さんのあとから入って来たのは、昨日の格好をした矢橋先輩だった。
え、これ、矢橋先輩の霊じゃないよね? ついに俺まで視える人になっちゃったとか!?
「なにそんな驚いた顔してるんだよ。行くよー」
笑いながら先輩はまたドアの方に歩き出す。
「大丈夫そうなら、もう起きて良いって先生からも言われているわよ」
「え……あ、じゃあ、はい」
とくに傷もなく、診察も受けるほどじゃないんだろう。病院に来てもただ単にぐっすり眠らせてもらっていただけだったのかな。矢橋先輩こそ、ICUに居たんじゃなかったのか? そう思って、目の前にいる先輩の後ろ姿を見ても、いたって健康っぽい。もちろん憑かれている気配もない。ホッとはするけど、不思議だ。
「ぐっすり寝たから、もう何ともない」
「死んだみたいに寝ていたからね、何かあったらと思ってICUに置いていたけど、清々しいほど目覚めよく起き上がった君には驚いたわよ」
うふふと笑う看護師さんに、俺は唖然とするしかない。
「まぁ、二人とも何ともなくてよかった。黒渕先生はとっても心配性だからね、あまり心配かけちゃダメよ、新入生くんも」
病室のドアを出たと思っていた俺は、違和感に気が付いた。
──ここって。
まだ薄っすらとしか記憶にはないけれど、見たことがある。低い天井に暗く長い廊下。途中にあるのは数々の優勝旗やトロフィー、盾の並ぶガラス戸の棚。奥に見えるのは、職員室と書かれたプレート。
「……え、学校!?」
「そうだよ。黒渕先生が俺と千羽くんを連れ帰ってきてくれたんだよ」
「え、いや、普通生徒が倒れたら病院じゃないですか?」
目が覚めた時、俺は何も疑わずに病院に連れてこられたんだと思っていたのに。まだ来たことのなかった学校の保健室だったなんて。職員玄関から左手奥に位置するのはなんとなく学校見学の時に見て覚えていた。
「病院につれて行ってもなんて説明するんだよ。また黒渕先生が変なやつって思われるだけだし、もしかしたら変な疑いをかけられる可能性もあるでしょ」
矢橋先輩の言葉に、俺はハッとして首元に手を当てた。
こんなにハッキリと首を絞めた跡があるんだ。先生が疑われるのもあるけど、霊のせいだとは言え、やったのは矢橋先輩だ。もし、それで矢橋先輩が警察に捕まったりしたら、俺にはこの首の跡のことをうまく説明出来る自信なんてない。
「……ごめんな、千羽くん。怖い思いさせてしまって」
陽の光が数メートル先の窓から線になって廊下に入り込む。矢橋先輩の顔は薄暗さでよく見えないけど、俺を見て切なそうに眉を顰めているみたいだ。
「俺のせいで、こんなことになって……」
そっと、先輩の手が俺の首元に伸びて来た瞬間、昨日のことがフラッシュバックする。薄暗い曇り空、矢橋先輩の姿をしたレンの脅威。伸びてくる腕と、力強く絞められる首。
「……っかはぁ!!」
先輩はまだ俺に触れていないのに、首を絞められているわけじゃないのに、いきなり苦しくなって、息が出来なくなる。俺は、その場に膝から崩れ落ちた。
一気に恐怖心が襲って来て、身震いする。霊の存在なんて視えないし、感じない。でも、一度体験してしまった恐怖は、いくらでも甦ってくる。



