矢橋先輩は、憑かれやすい。

 ひんやりと冷たい空気が俺の身体を包み始めた瞬間、もう片方のポケットから着信音を鳴らすスマホ。
 ハッとして、俺はすぐにスマホを取り出して画面を見る。
 画面には、「黒渕先生」と表示されていた。
 この絶体絶命のピンチに、電話に出ても良いのだろうかと、とっさに頭の中で考える。だけど、その思考すらも追い払って、俺はすぐにスマホを耳に当てた。

「せ、先生っ! この紙切れ何の役にもたたないんですけどー!!」

 完全に詰み。追い込まれているというのに、俺は気が付けばすがる思いで先生に助けを乞う。

『元気だねぇ、千羽くん。矢橋くんも元気かい?』

 必死な俺に対して、悠長な先生の言葉。俺はそれに一気に腹が立ってしまう。

「ぜんっぜん元気じゃないです! もう死にそうです! 先生っ、助けてくださいー!!」
『えっ、ええええええっっ!!』

 なんとか叫んだ俺に、スマホの向こうからも叫ぶ声が返ってくる。
 黒渕先生が怖いのが苦手だってことは矢橋先輩から聞いている。こんなとこ、昼間だってくるの嫌だと思う。真夜中に生徒が怪しげな動きをしていても、朝まで待ってから尋ねてくるような先生だし。だから、まったくもって期待はできないけど、でも、今は黒渕先生しか頼れる大人は俺の中にいない。

「先生ー! 俺と矢橋先輩、今レンって霊と話し合ってるんですけど、この霊ぜんっぜん話伝わんねーんすよ!! まじで、今絶体絶命の大ピンチです!」

 もう最悪先生は逃げても良いから、警察でも霊能力者でも霊媒師でも霊感あるその辺歩いてる大人誰でもいいから連れてきてー!!
 途中からレンの力なのか、心の中で叫ぶしか出来なくなった。声が出て来ない。
 助けも呼べずにこのまま俺は死ぬのだろうか。
 苦しくなる呼吸に、まだ耳に当てたままだったスマホから声が聞こえた。

『……レン?』

 黒渕先生の確認するような声が聞こえて、そのまま通話は終了した。

 ああ、もう終わりか。
 俺の人生短かったなぁ。まだまだやりたいこと山ほどあったのになぁ。矢橋先輩とあまりに仲良くなり過ぎて寿命縮まっちゃったんだなぁ、きっと。
 中身がレンの霊だったとしても、矢橋先輩に殺されるなら本望じゃんか、俺。
 ゆらりと普通じゃない湯気を纏いながら、矢橋先輩が影を連れて邪悪に笑っている。

「約束守れなかったのは俺だけだ。だから、矢橋先輩のことは見逃して。助けて」

 薄れていく視界の中で、矢橋先輩が俺に近づく。喉元に伸びてくる腕が見えた気がして、ギュッと圧迫される首に意識が途絶える。
 かなしい。どうして、こんなことにならなきゃならなかったんだ。アオイもレンも。俺も矢橋先輩も。
 くるしい。誰も悪くなんてないのに、誰かを悪者にしないと、きっと悲しみは埋まらない。
 道連れにして、自分と同じような苦しみを与えて、仲間だと思えれば、それで悲しみは埋まるのだろうか。そんなことはない。そんなの、ただ、虚しいだけだ。そう。空しいだけ。