矢橋先輩は、憑かれやすい。

 でも、今の話、俺にも当てはまるよな。
 矢橋先輩を守りたい! って意気込んで盛り上がって、先輩の一挙手一投足によって気持ちは上がったり下がったり。憧れの矢橋先輩のためならと自信満々でやってきたけど、けっきょく先輩が俺の存在をどう思っているのかは分らない。ウザいのか、頼られているのか、勝手にいいように動く後輩なのか。あ、最後のこれか?

「人の気持ちなんか、他人に分かるはずないですよ」

 全部わかって伝わっているなら、こんなに頭の中で悩んだり騒いだりしなくていいんだから。
 さっきまで明るかった笑い声が消えて、俺の呟きだけがこだまするように残った。
 ハッとして顔を上げれば、矢橋先輩がこちらを見て眉を下げる。

「そうだよね。だから、ちゃんと伝えないといけない。向こうの彼みたいに、全部気持ちが相手に伝わっていたはずだって思い込んでしまったら、それがいつしか自分を守るための防御になって、疑問になって、信用できなくなって、怨みになる」
「……え、そういうことなんですか?」
「彼は、ただ寂しかったんだと思う。だからよけいに、俺は彼の寂しさをかわいそうだって引きずって、いつまでも引き離せなかったのかもしれない」

 先輩がギュッと自分の胸元を掴む。
 寮で先輩と初対面した日、俺のことをフランソワと呼んだ先輩は、部屋の中に入るとすぐに自分の中の霊を祓った。普段はそれくらいで済んでいたらしい。黒渕先生が警察を呼んでしまった一件での霊も同じように。
 でも、今回はかなしみの大きさが違ったのかもしれない。より強くて、不安定で、先輩の霊を哀れむ気持ちにも拍車がかかった。だから、ここまで祓えることなく引きずってしまったんだ。
 道端で轢かれて死んだ動物にさえ、話しかける矢橋先輩だ。
 子供が泣いていたら、どうしたの? 大丈夫? と、声をかけてしまうだろう。それが、もうこの世にはいない人間だと分かっていても。それでも、どうして泣いているの? と、近づいてしまうのがきっと矢橋先輩だ。
 俺みたいな無慈悲で冷酷な人間だったら、不気味に思って近づいたりしないのに。自分ではどうにかしようなんて絶対に思わないのに。
 それなのに、先輩は優しいから、だからつい、声をかけてしまうのかもしれない。

「この花を、届けに行きましょう! 彼女の想いと一緒に」

 そこにいるかはやっぱりよく分からないけど、俺は誰もいない隣の空間を見てから、矢橋先輩に視線を合わせる。
 胸元の空き瓶をしっかりと抱えて、まっすぐに立ち上がった。
 俺の霊との約束はまだ遂行されていない。
 約束を破って呪われるわけにはいかない。俺の一生が、いるかも分からない霊に憑かれたままじゃ困る。それに、なによりも視えないのに隣にいるとか、そんなことになったら怖い!
 一刻も早く解決して、俺は普通の高校生活を送りたい。

「……矢橋先輩?」

 進み出した俺に着いてくるかと思ったのに、振り返れば、先輩はそこに座り込んだままでいる。しばらくじっと待ってみるけど、少しして先輩が情けない顔をして笑った。

「あ、はははぁ……腰抜けちゃって立てないんだ」

 頼りなく、てへっと笑う矢橋先輩。
 なにそれ! かわいいんですが!
 心の中で感情を押し込み、俺はすぐに先輩の元に駆け寄る。
 霊と楽しそうに話していたかと思えば、腰抜かしてるとか、なんなの、この人。かわいいが過ぎるでしょ。俺がいなきゃダメじゃんなんて思っちゃうでしょ。俺が先輩の助けになれること、めちゃくちゃ嬉しいって気持ちわかっててやってます?

「肩、貸しますから」

 空き瓶の水をこぼさないよう傾けずにしっかりと持って、そっと矢橋先輩の隣にしゃがみ込み肩を寄せる。

「千羽くん、マジでカッコいいよ君は」

 半泣き状態の先輩が、木漏れ日をキラキラと纏いながら俺の肩に手を触れる。
 さっきまで恐怖のドキドキだった心臓が、今度は先輩に対する嬉しさのドキドキに変わっていく。
 誰かのためにこんなに動いたことなんて今までなかったから、自分でも自分の行動に驚いている。
 一度決めたことは、最後まで突き通す。なかなか出来ることじゃない。
 いつも何かに邪魔をされて、勝手に諦めて、次があるからと手放してきた。
 でも、今は矢橋先輩のことを守ると決めたから、俺は最後まであの霊と対峙して先輩に憑いてこないように話をする。足が震えようが、全身粟立ち、鳥のようにぶつぶつの皮膚になろうが、かまわない。決めたんだ。
 俺はやる。