矢橋先輩は、憑かれやすい。

「お、早いな。行こうか」

 制服姿の矢橋先輩がドアの前で待っていてくれた。改めて明るいところで見ると、背が高くて細いのにがっしりとした体格で頼もしい。やっぱり、俺の好きな矢橋先輩はカッコいい。見惚れながら後ろをついて行く。
 そっと横に並ばせてもらうと、身長差に驚く。さっき部屋の中で見た時には座っていたし、抱きつかれた時は不意打ちすぎて分からなかったけど、たぶん俺より十センチは背が高い。遠目でしか見れなかった憧れの先輩が、すぐ隣にいることに、今更ながら緊張してきてしまう。

「千羽くんも好きなの? ホラー」

 アパートから歩いて十五分ほどのところにショッピングモールがあって、その建物内に映画館があるらしい。慣れたように矢橋先輩はエスカレーターを上り、映画館入り口まで来ると、チケット売り場に並びながら聞いてくる。
 俺は、そこでハタと我に返った。頭の中で一際大きく光り輝く先輩の姿から、ズームアウトする。幽霊の気配と盛り塩、心霊スポットのワードが次々と脳内に思い浮かぶ。そして、最後に行き着くのは、自分がホラーは大の苦手だということ。
 さっき不思議な出来事があったにも関わらず、冷静さを欠かずに対応できたのは、全て憧れの矢橋先輩が目の前にいたからであって、もう一度思い返してみれば、実はとんでもない事態に遭遇していたんじゃないかと現状を振り返る。
 冷酷で鋭く睨む先輩の目しか知らなかった俺は、今隣で嬉しそうに目を細めて微笑んでくれる天使みたいな先輩のことなんて、一ミリも知らなかった。ギャップがありすぎるだろ。カッコいい先輩が好きで、それしか知らなかったのに、こんなかわいい一面があるとかズルすぎる。こんなのますます好きになってしまう。
 こんなに嬉しそうにしている先輩に、実はホラー苦手ですとか、今更言えるか? もう言えないだろう? たかが映画だ。ここは耐えるしかない。耐えるんだ俺!
 頷いたような、頷いていないような曖昧な俺の返答に先輩はニカっと笑う。

「今まで霊感のこともホラー好きってことも誰にもわかってもらえなくてさー、千羽くんが入学してきてくれて、隣住んでくれて良かった! めっちゃ嬉しい」

 俺に向けられた満面の笑み。
 試合に勝った時ですら、こんな表情見たことなかったのに、なんだよそれ。ほんと、矢橋先輩、好き!!
 溢れ出そうな想いをなんとかとどめて、チケットを買って飲み物を買い、席に着いた。最近はホラーブームもあって、席はほぼ満席。これだけ人がいれば怖くないかとタカを括って俺は安心していた。

 ブシャァ!
 ドタッ! ヒュルヒュルヒュル……

 冒頭一分で首が飛ぶ。衝撃を受けた俺はその後、目を瞑る。しかし、耳に聞こえてくる不可解な音があまりにも不気味すぎて身が縮む。見えていない分視覚効果はないけれど、聴覚が敏感になりすぎて、勝手に脳内であれやこれやと想像してしまって酷い。
 スクリーンを見ないようにそっと目を開けて隣にいる先輩の横顔を見る。
 眉を顰め、はっと息を呑み、表情を歪める。真剣な姿に、本当にホラーが好きなんだろうなと感じる。
 でも、次の瞬間、「ギャーーーーー!!」という凄まじい悲鳴が耳をつんざき、思わず振り返って見てしまった巨大スクリーン。そのシーンは、この映画の見どころにも挙げられていた残酷かつ、トラウマ級の光景。その後のことは、もうよく覚えていない。

「あー、めっちゃ怖かったなぁ」

 満足げに残りの飲み物をストローで吸い込み、矢橋先輩は空になったカップをゴミ箱に入れた。
 怖いなんてもんじゃない。あんなの見るものじゃない。信じられない。
 周りを歩く、同じ映画を見た仲間たちが何事もなかったかのように笑いながら散って行くのを見て、また怖くなった。

「大丈夫か? 千羽くん」

 俯く俺を覗き込んだ先輩。
 ぱっちりした瞳が心配そうにすぐ目の前で俺を見つめるから、ドキッと胸が高鳴る。

「だっ、大丈夫、です!」

 あわてて先輩から一歩離れて誤魔化し笑う。

「じゃあさ、もう一件付き合ってくれない?」
「……え?」

 ニヤリと笑う先輩の顔に、俺はなんだかとても嫌な予感がした。