矢橋先輩は、憑かれやすい。

 スーパーで矢橋先輩は手慣れたように買い物を済ませる。エコバッグに食材を詰めて足を出口に向けるから、すかさず俺は先輩の前に出た。

「俺が持ちます!」

 勢いよく先輩の手からエコバックを受け取り隣に並んだ。
 ああ、買い物をして同じ寮のアパートに帰るなんて、なんか新婚さんみたいじゃないか。

「俺、着替えてからまた来ます!」
「うん、用意しとくからゆっくりおいで」

 互いに手を振り合ってそれぞれの玄関に入った。薄暗い部屋に電気をつける。制服からラフな部屋着に着替えると、すぐに家を出て先輩の家の玄関チャイムを鳴らした。少しして、先輩がエプロン姿で現れる。

「早くない?」

 なんか、マジで新婚みたい……

「どした? 入れよ。大丈夫、今はナニもいないから」

 先輩の出迎えに感動していた俺は不穏な言葉に固まる。
 そうは言われても、確かめようがないから本当かどうかは分からないけど、今はこの状況に乾杯。

「お、お邪魔します!」

 感激のあまり声が上擦る。開いたドアの向こうから、さっそくいい香りが漂ってきた。

「千羽くん嫌いなものとかある?」
「いえ! なんでも食べられます!」

 食に関しては特にこだわりはない。食べられればなんでもいいと思っているから、好き嫌いは特にない。

「えらいなぁ、俺嫌いなもんばっかだけど作るのは好きなんだよね」

 殺風景だと思っていた先輩の部屋の中は、この前は気が付かなかったけど家具が置かれている。真ん中のテーブルに窓際の勉強机、小さな本棚もある。
 つい部屋の四隅に視線がいくと、やっぱり盛り塩が置いてある。そこだけ違和感はあるものの、至って普通の部屋だからホッとした。テーブルの上に次々に並べられたおかずは、ピーマンの肉詰めに野菜たっぷりの味噌汁、炊き立てのご飯ともやしのナムル。

「すっげぇ」

 短時間でこれだけ作ったのかと驚く。

「あ、ほぼ下準備していたから。味噌汁作って肉詰め焼いたくらいだよ。ナムルは昨日作ったやつだし」
「へぇ。それでもすごいですよ! めっちゃ美味しそう!」

 目の前で湯気を上げる美味しそうなおかずとご飯によだれが出そうになってごくりと飲み込んだ。

「喜んでくれて良かった」

 安心したみたいに先輩の目が優しく微笑む。やっぱり、まだ慣れないその表情に俺の心臓はドキドキと反応してしまう。俺の勝手な思い込みかもしれないけど、先輩が俺のことを信用してくれているんだろうなって感じて、嬉しい。
 親に家を出されて、一人でここにいて、きっと寂しかったんじゃないかなって思う。俺で良ければ毎日でも一緒にいるのに。

「いただきます!」

 ご飯茶碗を手に取り、こってりとしたケチャップソースをまとった艶々したピーマンの肉詰めを箸で挟む。ごくりとまた唾を飲み込んでから口を開き、一口で詰め込んで噛み締めた。じゅわっと広がる肉汁とピーマンのほろ苦さ。濃いケチャップ味がちょうどいい塩梅だ。

「うっま、めちゃくちゃ美味いです」

 夢中になって食べ始めると、箸が止まらなくなった。

「食べたら早く帰れよ」

 ほぼ完食というところで、ゆっくり食べ始めた先輩が俺に目線を合わせずにきっぱりと言った。

「食べたら帰れ」
「あ、は、はい」

 最後の一口を平らげ、俺は箸を置いた。
 さっき微笑んでくれていた先輩が、今は不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。
 やっぱり、ご飯をご馳走になるなんて遠慮するべきだった。調子に乗ってがっつきすぎた。だって、嬉しかったから着いてきちゃったし、食べちゃったし。もう今更後悔しても遅いけど、ほんと、もう今すぐに帰ろう。先輩の迷惑になってしまうことが一番嫌だ。浮かれ過ぎだ。何やってんだ、俺は。

「すみません。これ下げて帰ります」

 食べ終えた皿と茶碗を重ねて持ち、俺はキッチンの流しへ持っていく。

「そこに置いたままでいい。あとは俺がやるから。とにかく早く帰れ」

 怒っているようにも聞こえる先輩の声に、身が縮む。そっと食器を流しに置いて、俺は玄関に向かった。

「……ごちそう、さまでした」
「うん。じゃあな」

 見送ってはくれなくて、でも、返事を返してくれたことには安心した。
 ドアを開けて外に出る。緊張していた気持ちが、フッと軽くなるのを感じた。あの人は俺の憧れの先輩だ。こんなに近付いていいわけがない。なにやってんだ俺。マジで調子に乗りすぎだろ。
 夜風が肌寒い。小さくため息をついて、隣の自分の部屋に戻った。
 お腹は満たされたけど、矢橋先輩のことが頭の中でモヤモヤと残っている。
 憧れの人は、特異体質で親から見放されて得意だった部活も辞めていた。日々を暗い部屋で過ごす陰キャなのかと思えば、ちゃんと自炊もして料理の腕もいい。何でもできるとか、やっぱり凄いな矢橋先輩は。カッコ良すぎる。もっと先輩のことが知りたい。けど──「早く帰れ」
 あれは、きっと俺のことが煩わしいからだろうな。黒渕先生のことも苦手だって言っていたから、あんまりしつこく先輩の前に現れるのも迷惑なのかもしれない。
 今日のことだって、俺が勝手に先輩のことを探して、先生からもらった紙で霊を祓った気になって、ヒーロー気取りしていただけだ。
 憧れていた人を助けたヒーローだなんて、悦に浸って。俺が勝手に気持ちよくなってただけじゃん。あー、かっこわる。
 でも、先輩のご飯はマジで美味かったな。また食べたい、なんて言えないしなぁ。
 布団に入ってからも頭の中は、先輩のことでいっぱいだ。しばらく目が冴えていたけど、ようやくふわふわと眠気が襲ってきた頃、カタンッという物音で、また意識が目覚める。