明治あやかし恋綺譚 ~式神に愛された男装令嬢~

 「爺……! 過去の恨みに憑かれて愚かなことを!」

 立ち向かおうとする道蓮様の傍で、私は戸惑っていた。

 (皆が……、お父様と、お母様が亡くなられたのも、晴人の呪詛も、この人が……?)

 災害のようなものだと思っていた悲劇が『人の悪意』によって起こされたなんて――。
 しかも、それがこんなに近くの人間の仕業だったなんて!
 道蓮様が叫んだ。

 「燈次郎! 構えろ! 来るぞ!」

 その目の前で老人が祠の扉に手をかける。

 「土御門の絶滅こそ蘆屋の悲願! 蘆屋一門の至尊が受けた苦痛を今、返す時!」

 空が曇る。
 それを見た御霊府君が呟いた。

 『これは……灯子が呪詛を受けた夜と同じ、百鬼夜行! おのれ!  何たることを!』

 老人が自ら手首を切り、血に染まった両手を掲げ、狂気の笑みで死者を呼ぶ。
 祠から禍々しい気配が染み出すように何千と溢れ出してゆく。
 止める間もない。

 それらは見る見る鬼の形を成し、やがてあの日の百鬼夜行のような群体となっていった。
 そして鬼の群れ達が一斉に天を見上げ、傅いてゆく。

 空は濁ったように曇天で覆われ、その燻った色の中から、黒い衣の覆面の鬼の姿が現れる。

 (あ、あれは……)

 顔は布で覆われていて見えない、黒髪の鬼の口元が見えた。
 土御門の皆を殺し、晴人を呪術で眠らせ、私に呪詛をかけた――鬼!

 土御門の人間を皆殺しにする程の怨念渦巻く鬼と化した存在を前に、どくん、と私の心臓が疼く。

 (あ……)

 両足が凍りついたように硬くなり、震え始めていた。

 家族を殺し、私と晴人を呪った黒衣の鬼が、あやかしの群れで構成された道を踏みしめて、天から下りてくる姿が視界に、ゆっくりと広がった。

 黒衣の鬼は裂けたように大きくて赤い口から尖った牙を覗かせ、愉悦の色を浮かべて此方を見ていた。
 私は無意識に日月剣を握り締めていた。

 (た、戦わねば……!)

 あの鬼にかけられた呪いを解き、晴人を目覚めさせる。
 怯えている暇など無いというのに、心がざわつく。

 (また、あの夜のようになってしまったら……)

 体が強張って動かなくなる。
 怖い――と思った。
 本能的な恐怖で涙が滲み、歯の根が合わずに鳴っている。

 (怖い……、ッ)

 あの襲撃の夜、この鬼に心身を嬲り尽くされた恐怖と絶望。
 それが本能の淵から這いだして私の理性を絶望の底に引きずり込もうとしてくる。
 思考が恐怖に塗り潰される。

 「あ、あ……」

 悲鳴を上げて座り込む。泣き出して逃げてしまいたい。

 次に会った時はもっと戦えると思ったのに。

 鍛錬して、優しい周囲の人達に励まされて、少しは成長したと思っていたのに。

 (結局、私は何も変わっていなかったの……?)

 家族の屍の山が築かれた夜の光景が、今は御霊府君や道蓮様、マキリさん、鬼壱さん、将雪おじ様、雨多子様の変わり果てた姿に置き換えられる幻覚が見えた。

 (そ、そんな事……! それだけは、絶対に……!)

 日月剣の鞘に手をかける。
 日月剣は寿命と引き換えに莫大な力を得る、土御門の宝剣だ。目の前の鬼でさえ滅することができるはず。
 その考えにとりつかれる。

 この鬼を消し去ることができるなら、私は自身の寿命さえ惜しくはない。

 『止めよ!』

 そんな私の手の平に、大きくて冷たい手が触れた。
 見上げると、そこには強い眼差しで私を見る、気高い人外の青年が居た。

 実体化した御霊府君の手が日月剣を握る私の動きを止めていた。

 彼の唇が開き、低く穏やかな声が聞こえる。

 『もうその剣は、二度とおぬしに抜かせぬ』
 「で、でも……」

 私の言葉を遮るように、御霊府君は強く頷いて見せた。

 『何を恐れる事がある? あの夜とはまるで違うではないか! 儂はおぬしの魂に触れ、実体化するまでの力を得た。小癪だが蘆屋の小僧も居る。そして、おぬしは己の出来得る限りの努力をもって成長し続けた! 手も足も出せなんだ頃と同じではないわ!』
 「……」

 恐怖で凍りついた心身を温めるような言葉。
 その後、御霊府君は熱く燃える炎のような言葉で喝を入れてくれた。