明治あやかし恋綺譚 ~式神に愛された男装令嬢~

 思わず息をのむ。長い髪をリボンでゆったりと結い、桜色の唇は薄く艶やか。儚さと仄かな色香を漂わせる女性はあまりにも美しく……あれ? 喉仏?

(それに陰陽學寮の制服を着ているし……)

 混乱する程に美しいその人物は、目に涙を浮かべながら何かを集めているようだった。よく見ると、彼の周囲には鞄の中身らしきものが散らばっている。
 困っている様子が放っておけず、思わず声をかける。

「君、落とし物? 大丈夫かい?」

 男性っぽい口調を意識して話しかける。それから床に散らばる鉄の部品を差し出した。
 すると相手は私を見るなり、大きな瞳を更に見開いた。あまりに驚くものだから、男装がバレたのかと一瞬ヒヤリとしたけれど、慌てた様子の彼にそうではないと思い直す。

「あ、は、はい……! す、すみませんすみません! あの、ぼく、ドジだから、その、ぶつかって、転んじゃって……ど、どうしようって……」

 動揺しているのか、渡した部品をまた落としてしまい、更にオロオロと慌てていた。
 後方から御霊府君の苛立った声が聞こえる。

『カーッ! 何じゃ! この優男は! 灯子! こんな軟弱者に構っておる場合ではないぞ!』

 実体化していないので私以外の人には府君の声が聞こえないのが救いである。
 まだ時間はありますし。そもそも困っている人を放っておくのは……と心の中で府君を宥めながら全て拾い集める。
 荷物をまとめ終えると、美青年は照れ笑いを浮かべて、深々と頭を下げた。

「あ、ありがとう! ぼ、ぼくなんかの為に、立ち止まってくれて……きみ、凄く優しいんだね……」

 立ち上がってみると、彼は女性的な外見とは裏腹に、とても背が高かった。実体化した御霊府君と同じくらいあるかもしれない。
 それはともかく、役に立てたなら何よりだと返す。

「助けになれたなら良かった。それじゃあ、君も遅刻しないように気をつけてね」

 もしかしたら同じ級になるかもしれない。非礼にならないように紳士的に対応し、その場を立ち去ろうとした。でも鬼壱さんはドジっ子なのか、転んでいた。
 その瞬間、唐突に御霊府君が叫んだ。

『灯子! 避けよ!』
「え?」

 体がふわりと宙を舞う。
 御霊府君が私の体に憑依して動かしている感覚だとわかった。
 が、その府君が操作する私の体は、近くの塀の上に着地する。ついでに倒れていた鬼壱さんも蹴とばしている。

(え? え?)

 先ほどまで走っていた道には、黒い影のような矢が何本も突き刺さっていた。
 それを見てぞっとする。

『灯子! 呆けるでない! 鬼じゃ!』

 御霊府君が私の体を使って鞘に納まったままの日月剣を構える。
 納刀状態の得物を軽々と振り、追撃の矢を弾きながら塀の上を素早く後退した。

 御霊府君が戦闘状態に入る中、私は自身の体の中から彼に援護の術をかけつつ、周囲を窺う。
 漆黒の矢は道行く人を撃ち抜いていた。通りは怪我を負った人たちの苦悶の声に満ちている。

(皇都には鬼が増えていると聞いたけど、こんな昼間から人間を襲うなんて)

 射抜かれた人々は傷口から侵食するように皮膚が黒ずんでいく。
 呪詛だと推測された。それもかなり強力な。

 姿が見えない敵の攻撃をせめて此方に引きつけようとする。戦えずにいる鬼壱さんの為にも囮になろうと思った。
 しかし、それは御霊府君によって阻止された。

「府君!」

 御霊府君によって意識を体の奥に押し込められているので、中から訴える事しか出来ない!

『たわけが! 目覚めぬ弟を救うという大義を忘れたのか⁉』
「も、申し訳ありません! でも……!」
『あっ! こら! 待たぬか灯子!』

 制止する声を振り切り、御霊府君から身体の主導権を取り戻す。
 そして走りながら鞘に納まったままの日月剣を振りかぶる。
 呪詛の矢が刀にぶつかって音をたてて弾ける中、何本かは手足をかすった。

 痛みはあったものの、私の体は既に強力な呪詛に汚染されている。この程度の鬼の呪いはあっという間に掻き消されていった。
 戦いは御霊府君に憑依された時に体で少しずつ学んだ。

(そんな付け焼刃が通じるかわからないけど……でも、やるしか……!)

 あやかしの呪詛で苦しむ人々と、喪った家族の姿が重なる。

 そう覚悟を決め、大きな角を頭部に生やした赤い鬼と相対した私の眼前に眩い光が走る。

(えっ……?)

 次の瞬間、生ぬるいものが周囲に降り注ぐ。
 続けて、細切れになった『何か』が、ぐしゃり、と湿った音をたてて水たまりに転がる。

 私の足元に血の池が広がり、その中央に、鬼の屍骸が、ぷかりと浮いていた。
 全ては一瞬の出来事だった。

「あ……」

 思わず、声が漏れる。

 私の目の前には、黒髪をなびかせた男が、漆黒の刀身を手に、背を向けて立っていたのだ。
 切っ先から滴る雫が血だまりに波紋を生み出す様が、恐ろしい程に美しく見えた。

 ゆっくりと振り返る黒髪の男に、私は息を飲む。

 彼は、目が治っているけれど、幼い日に別れた――道蓮様だった。