明治あやかし恋綺譚 ~式神に愛された男装令嬢~

「灯子(あかりこ)、僕の両目が治ったら、僕と夫婦になってほしい」

 凜とした声で告げられた言葉に私は思わず彼を見つめた。
 視界の先に佇むのは、艶やかな黒髪を持つ美しい少年。彼はまるで、まぶた越しに私を見つめるように立っている。

「道蓮(どうれん)様……」

 名を呼ぶと、彼は苦笑しながら続けた。

「……気が早いのは、わかっている。僕は土御門(つちみかど)の娘であるお前の夫としては相応しくない」
「そんなこと……」

 言いかけた私に道蓮様はそっと首を振り、穏やかな笑みを浮かべた。

「でも、生まれやこの世界に対して恨みしか持っていなかった僕を、認めてくれたのはお前だけだった。光の見えなかった僕の人生に、お前だけが希望の灯をともしてくれたんだ……。僕の心は、生涯、お前だけのものだ。お前以外の娘なんて、いらない」

 生まれて初めて受けた熱烈な愛の告白。
 耳の奥で自分の鼓動が跳ね回るのを感じる。
 突然の告白に戸惑っている私の空気を察したのか、道蓮様は口元をゆるめ、いたずらっぽく笑った。

「お前……。さては僕の言葉を疑っているな?」

 まるで心を読まれたようで驚いてしまう。道蓮様は小さな胸を張って、得意げに自分の胸を親指でトンと指した。

「灯子の好きな所なら、僕は幾らでも話せるぞ! たとえば……お前は、僕の傍でしょっちゅう転ぶ。騒がしくて危なっかしいし、夜中に一人で厠に行けなくて、毎晩、手を繋いでついてきて欲しいとねだる。山を元気に飛び回るし、料理は少ししょっぱいし……」
「道蓮様……それ、褒めていませんよね……?」

 短所の羅列にしか聞こえなくて思わず抗議すると、彼は明るい声で片手をひらひらと振った。

「いや、褒めてる! 僕はお前の料理、好きなんだ! それにお前が得意ではないというなら、僕が上手くなる! それだけじゃない――」

 道蓮様の手が宙を彷徨った。私の手を探すような仕草を見てそっと自分の手を重ねる。

「僕は、誰よりも強い陰陽師になって――お前を、全ての『こわいもの』から守る。どんな夜の闇も恐れずにいられるように、ずっと手を握って傍に居る。その為にも、僕は、この目を治して、お前の伴侶に相応しい男になって必ず戻ってくる。それまで、これを……」

 道蓮様は自身の髪を一本抜きとると、私の左手に触れて小指を探し当て、指の根元に器用に結んだ。
 指に結ばれた黒髪を見つめていると、道蓮様がそっと囁いた。
 それは道蓮様が出掛ける度にしてくださる、おまじないだった。

「旅先から手紙を出す。毎日書いて送るから」

 それから――手紙は途絶えてしまった。

   ◆◆◆

 幼き日の淡い夢が不意に黒い夜空と桜の花弁に塗りつぶされる。
 そして現れたのは、黒い衣を身に纏い、顔を隠した鬼。

(やめて……)

 鬼によって燃え上がる土御門の屋敷。呪詛によって血が溢れ、瀕死の私。

(やめて!)

 何かが、頬を濡らした。拭っても拭っても止まらない。

『灯子! 目を覚ませ灯子!』

 耳をつんざく低音に、はっとして目を開ける。
 寝台の傍には雪色の髪と衣の男の人が立っていた。

『どうした? うなされておったぞ』

 まるで霧が人型をとったように幻想的で、どこか儚い美しさを持つ青年。
 一瞬、まだ夢の続きを見ているのかと思って、私はぱちぱちと瞬きをしていた。
 けれど、そんな私の額に、容赦なく手刀がどすんと振り下ろされる。

「あいたっ」
『こら! 儂がいくら絶世の美男子とはいえ、いい加減に見慣れぬか!』

 彼の名は御霊府君(ごりょうふくん)。
 土御門の血統を守護する式神で、今は私に憑いて守ってくれている。
 ……とはいえ、どう見ても彼の方が主で、私の方が弟子か式神のような立場なのだけれど。

『寝起きの悪さは幼子の頃から変わらぬのう! 遅刻するぞ! さっさと支度せい! 怖い夢を見たのなら、後で儂が聞いてやる!』
「は、はいっ! 申し訳ありません!」

 ――そ、そうだった! 今日は入学式!

 私は跳ね起きて、慌てて身支度を始めた。
 昨日のうちに準備しておいたサラシを胸に巻き、姿見に映る自分を確認する。
 あの夜につけられた呪詛の紋様は、背中にしっかりと刻みこまれている。それを隠す意味でもサラシは必要だった。

「府君! どうでしょうか? おかしな所はありませんでしょうか?」

 御霊府君の前でくるりと回転してみる。御霊府君は不機嫌そうに言う。

『……やはり心配じゃ……。男の前で堂々と着換える危機感の無さで、飢えた野獣の如き雄の巣窟で暮らしていけるのかのう……』

 私が今日から通う陰陽學寮は陰陽師を育成するための学校だ。男子のみが通うことを許されており、そこでは身分を問わずに陰陽師を目指す者達が全国から集うという。

(その中で、頂点を目指す事で、陰陽頭への道が開ける……)

 私は眠り続ける弟の顔を思い浮かべ、家宝の日月剣を握り締めた。

(晴人の呪詛を解く為にも、私自身が未来を掴まねば!)

 もう、今の私には、将来を誓い合った道蓮様との絆も無いのだから。

 鏡の前で自分の両頬を叩き、気合いを入れた。
 今日は進路に関わる組分けの為の試験もある。上級の組に編制されれば、それだけ陰陽頭への道が近くなる。
 陰陽頭になれば、禁書の閲覧が許される。それを使えば私と晴人の呪詛も解けるかもしれない。

(晴人……! 姉様は貴方と御家の為に頑張るからね……!)

 赤い紐で固く封印された日月剣を掴み、鞄を抱えて部屋から出る。
 その時に、私は枕元に置かれた父母の写真に声をかけた。

「……行って参ります、お父様、お母様……」

 御霊府君は実体化を解いて、宙に浮きながらついてきてくれる。
 皇都を歩くのは初めてのことで、道行く人の洋装や建築様式の違いに驚いてしまう。
 そんな街並みの中で、同じ制服を身に着けた男性がチラホラと見えていた。

(学友であり、ライバルとなる人たち……)

 性別を隠したまま彼等と競わねばならないと思うと、途端に不安になる。
 そんな風にしていると、学園を目指す生徒の列から少し外れた位置で、しゃがみこんでいる人が目に入った。