夕焼け電車の君と

 
 放課後、いつもと同じ電車を待った。
 さっきまでのざわめきが嘘のように、静かな時間。
 この時間にホームに居るのはいつも自分一人。
 眩しいぐらいの夕日に目を細めながらホームに到着した電車に乗り込むと、いつもの窓際の定位置へ座る。
 ふと見上げれば目の前に制服を着た学生がいた。
 初めて自分以外の学生をこの時間に見て少し戸惑う。
 揺れる座席、油の匂い、エンジンの微かな振動はいつも通り。夕日で照らされた車内は現実味がどこか無く、まるで時が止まったような時間に思えた。
 でも、視界の端には彼が見える。美しい横顔、肩のライン、髪の先がふわりと揺れる。
 視線が交わった時、彼はハッと目を見開いたような表情をした。
 まるで……見つかってはいけないものを見られたみたいに。

 その瞬間、運転手の声がする。
 それは降りる駅のアナウンスだった。
 降りる際に横目で彼を見るが、まだ降りる気配はない。少し後ろ髪を引かれながらもホームに降り立った。
「今まであんな奴見かけたことなかったけど一体、誰なんだろう……ま、いっか会う事ももうないだろうし」
 自然と出たその言葉は、夕方の風にそっと消えて行った。

 しかし次の日、またしても同じ席に彼は座っていた。
 夕日に照らされ変わらず美しく儚げな横顔。そして俺が降りる直前で目が合う。
 こんな日々を一週間程過ごしたある日、俺は勇気を出して初めて彼の隣に腰かけた。
「ねえ、その制服って青葉(あおば)学園の?」
 ここら辺では有名な制服を身にまとっている事を分かっていたので、小さく高校名を囁くと、彼は少し驚いた表情の後に頷いた。
「そっかー頭いいんだ。あ、俺は蒼井蓮(あおいれん)って言います。乗ってきた駅の公立に行ってるんだけど……」 
 変な奴に思われていたらどうしようかと心臓はバクバクだった。
 そんな俺をふっと見て彼は困ったように笑いながら『俺は橘瑛(たちばなえい)です』とスマホを出し、画面に文字を打ち込んだ。
 思っていなかった返答の仕方に少し驚く。
『僕、今は話せないんだ。ごめん、でも声かけてくれて嬉しい! よろしくね』
「そっか。じゃあ、俺もスマホで打つよ」
『ホント? ありがとう』
 こうして互いにスマホを出し、そっと画面を重ねる。
「よろしく橘君」
『瑛でいいよ、蒼井君。よろしくお願いします』
「あ、俺も何でも」
『オッケー。じゃあ蓮君、よろしくね』
 瑛から変なネコのスタンプと共に送られてきた文字に口角が上がる。
 その瞬間、車内のアナウンスが流れる。
 次は――終点から三つ前の駅。
 俺の降りる駅だ。
 慌てて鞄にスマホを入れると立ちあがり、電車から出る。すぐさま振り向くと閉まるドアの外から瑛にそっと手を振った。
 儚げに微笑む瑛を見送り、また明日も会えることを願いながらいつもと違う帰り道を歩いた。
 胸は自然と高鳴り、何かが変わる予感がしていた。

 連絡先を交換した夜、べッドに寝転びながら何度もスマホのメッセージ画面を開いた。
 丸い写真のアイコンは子犬を抱いた瑛。
 それを見ているだけで、胸がざわついた。
 「こんな時間に連絡するなんて流石にやばいよな」
 初恋の乙女のような高揚感でなかなか寝付けない。
 寝る瞬間まで何度も文字を打ち込んでは消しを繰り返し、結局寝落ちしてメールを送信できなかったので、遅刻しそうになりながらも朝の電車で「おはよう」の犬のスタンプを一つだけ送った。
 少し期待をしていたが朝の車内では瑛を見かけることはなかった。
 それもそのはず、瑛の通う青葉学園はこのあたりでは有名な進学校。朝夕問わず補習があるとクラスメイトが騒いでいた記憶がある。
「そのうち返信くるかな」
 ホームルームまでじっとスマホとにらめっこをしながら俺は過ごしていた。

 昼休みにスマホが震える。急いでメールを確認するが瑛の既読は付いていない。
 「はぁ……」
 画面を見て知らず知らずのうちにため息をついた。
 そこに追い打ちの連絡が来る。相手は姉からのメッセージだ。
「蓮? 元気にしてる? 今月末の金曜日は早く帰ってきなさいよ?」
「早いな」
「久々に帰る姉に対して何よ失礼ね」
「はいはい、楽しみにしていますお姉さま」
「分かればよろしい」
 苦笑いをしながら唯一の理解者である姉の帰省にめんどくさい気持ちもあるが、少し心が弾んでいた。
 にぎやかになる。
 姉の存在は蒼井家を照らす太陽みたいだった。そんな姉を誇りに思うと同時に好きなように生きている姉を羨ましく、少し劣等感を持っていた。

 放課後。 昨日と同じ単線をホームで待つ。
 錆びた鉄の匂い。生ぬるい風。いつもと変わらない光景だった。
 でも、昨日までと違うのはそこに瑛が座っている。電車のドアが開くと当然のように端に座っている瑛の横に腰をかける。
 瑛は顔を上げると微笑み、スマホに何かを打ち込んだ。
『朝はごめんね。返事出来なくて』
「大丈夫、きっと青葉なら忙しいだろ」
 肩が触れそうで、触れない。
 静かな車内が心地いい。
『うん、そうだね……あ、蒼井くんは学校どうだった?』
「普通」
『普通か~』
 小さく笑うその綺麗な横顔に夕日が差し込む。
「瑛は?」
『楽しいよ。昔は学校嫌だったけど』
 次の文字が少し遅れて現れる。
『でも、今は好き』
「なんで?」
『行けるってことが嬉しいから』
「そっか。学校好きとか珍しいな」
『そう? いいもんだよ』
 意味を掴めないまま頷いたが、俺が学校を楽しいと感じていたのは初恋をしていた中学までだった。
 失恋してからは自分の恋愛対象を自覚してしまい、行きたくない日々に変わっていた。                 だからこそ瑛が何をきっかけに学校へ行きたくなるのか不思議でたまらなかった。
『ないものねだりなのかもね』
「?」
『行けるうちに楽しもうってこと』
「うん」
 よく分かってないけれど、瑛もこれ以上踏み込んで欲しくなさそうに見えたから違う話題を話す。
「あ、そういえば今日理科の実験でさ……」
 クラスメイトがガスバーナーの中にアルコールひたひたの脱脂綿を落とした話をすると瑛はクスクスと笑ったていた。
『その人やばくないの?』
「ははははは、流石に先生キレてた」
『面白かっただろうな』
「見せたかったよ」
 さっきから胸がドキドキするのはきっと気のせいだと言い聞かせながら、たわいのない日常の会話をラリーする。
「あ、やばい。もうすぐ着く」
『楽しかった。ありがとう』
「俺も。あ、瑛はこの先まで?』
「うん。この先だよ……』
「そっか気をつけてな」
 どことなく暗い表情をしている瑛に浮かれていた俺は気付いていなかった。
『ありがとう』
 またしても変なネコのありがとうスタンプが文字と共にトーク画面にへばりつく。
 俺はクスッと笑うと身支度をしていつものように小さく瑛に手を振り電車を見送ると改札を通った。
「今日は何だか嬉しそうだね」
「え?」
「気をつけて帰るんだよ~」
「あ、はい! ありがとうございます。でもあれ? 運転は……」
「今日は別の人が運転だったけど気付かなかった?」
「あー、すみません。ちょっと見てなかったです」
「珍しいね」
「ま、まあ」
 運転手の高田に改札で声をかけられ驚いた。いつもなら運転席に座っていて、俺が降りる際に時折話す仲だったが、瑛とのやり取りが楽しすぎて運転手が違ったことにも気付けていなかったみたいだ。
「また明日ね」
「はい」
 ニコリと笑いながら挨拶をすると、帰路に就く。
 俺は瑛と出会い、以前より学校に行くのも悪くないと感じ始めていた。

 こうしてこの日を境に帰りの車内で必ず瑛の隣に座ると、降りる数駅前まで互いにメールでやり取りをして楽しんでいた。
 話すことができない瑛。そんな不便さも俺は楽しみの一つになっていた。