人混みのざわめきがやけに遠く聞こえる。
休日の昼過ぎの駅前の大型施設は人で溢れていた。高校三年の最後からこの街に姉さんと引っ越してきて数年。随分と慣れてきたが、まだその人の多さには慣れなかった。
買い物袋を提げた家族連れや笑いながら歩く学生達。なにやら改札へ急ぐ会社員……
本来なら騒がしいはずの世界のはずなのに、僕には薄い膜を一枚隔てた向こう側の出来事のように感じられた。
「瑛、久しぶりだな」
「久しぶりだね。あ、ちょっと背が伸びた?」
「どうだろ。まあ、瑛は相変わらず可愛いね」
「うるさい」
僕は退院後、両親の大反対によって青葉には戻らなかった。
そのままここに引っ越し、近くの高校に転入をした。
だからもう数年会っていなかったが、久々に会う友人の大和は相変わらず元気だった。
「……瑛?」
「え?」
「聞いてた?」
「ん、聞いてなかった」
「おい! またそれかよ~」
呆れたように笑われる。大和は僕の事を何も聞かなかった。僕が知らない何かを知っているかも知れないが変わらず接して連絡をこまめにくれていた。
ある一定期間の事は思い出せなかったが、三年生の春と冬の記憶はあった。
だからこうして変わらない大和と会えることが嬉しかった。
でも、最近ずっと集中できない。 ぼんやりする……何か大切なものを忘れている感覚だけが消えない。
事故の後遺症だとお医者さんは言うけれど果たしてそれだけなんだろうか。 目覚めた時には、一部の記憶が失われていた。
高校時代、三年生の春~冬までの期間がごっそりと抜け落ちていた。 特にある時期だけが色濃く、綺麗に抜け落ちている。
姉さんも両親も深く聞かなかった。クラスメイトや友人達も何も言わない。
目の前の大和も……でもこれは単なる記憶喪失じゃないことは僕は気付いていた。
もっと大事な何かを置いてきている。
そんな感覚だから。
「最近また夢見るの?」
大和が言う。そういえばそんな話をメールしていた。
「……うん」
「病院行けって」
「行ったよ」
「で?」
「ストレスだってさ~」
「雑だな、そうなると病気全部ストレスじゃん」
苦笑されるがその通りだった。
大和には言わなかったが、夢は鮮明に記憶に残っていた。
夕焼けが眩しく差し込む古びたホーム。
電車の音。それに交じって泣きそうな誰かの声。
『瑛……よかった』
そこでいつも目が覚める。
でも顔だけが思い出せない……それが、異様に苦しかった。
「僕、もう逃げたくない」
「は?」
「大和、ホントの事を教えて欲しい」
「……」
言いにくそうな大和を見つめる。
「お願い、誰も教えてくれないんだ」
「……わかったよ」
そう言うと大和は記憶のない期間、僕は行方不明だったことを教えてくれた。
思ってもいなかった回答に動悸が激しくなり呼吸も苦しい。
正直、何があったのか思い出すのが怖くなった。
「瑛! 大丈夫か?」
「う、うん……」
「無理して思い出さなくていいんだぞ」
「でも、会わなきゃ……」
「俺は行方不明だったことしか知らない。でも、俺の彼女から……瑛を必死で探している他校の男前に友人と声をかけられた事があると聞いたことがある」
声が出なくなり息苦しかった……何かが呼んでいる気がした。
理由もなく、勝手に足が動く。
「おい、瑛? 病院行く?」
「大丈夫。ごめん大和、僕行かなきゃいけない」
「どこにだよ」
自分でもどこに行けばいいかなんてわからなかった。
その瞬間だった。
「……っ」
まるで呼吸が止まるみたいだった。人混みの向こに一人の同い年ぐらいの男性が立っていた。黒髪で細い身体。伏せられた睫毛。とても整った顔をしている。
知らない人、知らないはずなのに。
心臓が壊れそうなほど鳴り響く。
「……君は誰」
足が一歩、また一歩とその場に向かって勝手に動き出す。
男性がチラリと振り返りこちらを見て目が合った瞬間――
ひどく苦しそうな顔をされた。
「……っ」
胸が締め付けられる。
なんでそんな顔をするの? ずっと会いたかったのに。
「……瑛」
名前を呼ばれた気がした。
自分の名前を知っている、それだけで十分だった。
「あ、あの……もしかして入院してた時に来てくれた?」
男性は黙って視線を伏せた。
「人違いだと思いますよ」
「え?」
「……」
「嘘、だって」
「知らないですよ。きっと人違いだと思います」
男性はニコリと笑うと踵を返す。
「名前、聞いたら思い出すかもしれません。名前教えてくれませんか」
僕は負けじとその男性に近付いて尋ねる。
男性は苦しそうに目を細めて笑うと、「……忘れたほうがいいから」といって足早に去っていた。
「ま、まって」
その瞬間頭痛が走る。
「……なんだよ、これっ」
その瞬間――ガタン。
電車の音。古びた匂い。猫の声、眩しい夕日が脳裏に流れ込んできた。
『瑛!!』
誰かの叫び声。
『生きててよかった……』
「……っ!」
視界が揺れ、思わずその場にしゃがみこんだ。
「瑛!」
その時去ったはずの男性が支えてくれた。
「……なんで」
涙が自然と零れその男性の袖をギュッと握る。
「離してください」
「もう、離したくない」
男性が息を呑むのがわかった。
「……やめてください」
「嫌だ」
「……っ」
男性は微笑みながら、優しくゆっくり僕の手を外す。
「俺に関わらないでください、人違いですから」
「なんで……」
「瑛が苦しむ」
「でも、僕より貴方の方が苦しそうです」
その瞬間、男性は固まり泣きそうな顔になった。
「……俺のこと思い出したら、壊れる」
「それってどういう……」
「わからなくていいから。……忘れて生きて。幸せに」
「なんで、貴方が泣きそうなんですか」
「……」
「なんで……僕を置いていかないで、~君」
何て叫ぼうとした?
誰かの名前を今叫ぼうとしたはずなのに、声が出ない。
「それでいい」
今度こそその男性は僕を離すと、人ごみの中に紛れていった。
「えい、瑛! 大丈夫か?」
「う、うん。大和、僕記憶が無かった所を思い出したい」
「でも、それは瑛が苦しいんじゃ」
僕は首を振った。
思い出せない今が一番苦しいからだ。
きっと、いつか貴方に会いに行って、ちゃんと思い出して名前を呼ぶから。
僕はあの時からずっと怖くて開くことが出来ないメッセージの名前をじっと見つめていた。
こうして僕は姉さんに黙って、数年間記憶を取り戻為に専門の病院に通い、空いている時間に自分の記憶を戻すためにこっそり地元に何度か帰った。
休日の昼過ぎの駅前の大型施設は人で溢れていた。高校三年の最後からこの街に姉さんと引っ越してきて数年。随分と慣れてきたが、まだその人の多さには慣れなかった。
買い物袋を提げた家族連れや笑いながら歩く学生達。なにやら改札へ急ぐ会社員……
本来なら騒がしいはずの世界のはずなのに、僕には薄い膜を一枚隔てた向こう側の出来事のように感じられた。
「瑛、久しぶりだな」
「久しぶりだね。あ、ちょっと背が伸びた?」
「どうだろ。まあ、瑛は相変わらず可愛いね」
「うるさい」
僕は退院後、両親の大反対によって青葉には戻らなかった。
そのままここに引っ越し、近くの高校に転入をした。
だからもう数年会っていなかったが、久々に会う友人の大和は相変わらず元気だった。
「……瑛?」
「え?」
「聞いてた?」
「ん、聞いてなかった」
「おい! またそれかよ~」
呆れたように笑われる。大和は僕の事を何も聞かなかった。僕が知らない何かを知っているかも知れないが変わらず接して連絡をこまめにくれていた。
ある一定期間の事は思い出せなかったが、三年生の春と冬の記憶はあった。
だからこうして変わらない大和と会えることが嬉しかった。
でも、最近ずっと集中できない。 ぼんやりする……何か大切なものを忘れている感覚だけが消えない。
事故の後遺症だとお医者さんは言うけれど果たしてそれだけなんだろうか。 目覚めた時には、一部の記憶が失われていた。
高校時代、三年生の春~冬までの期間がごっそりと抜け落ちていた。 特にある時期だけが色濃く、綺麗に抜け落ちている。
姉さんも両親も深く聞かなかった。クラスメイトや友人達も何も言わない。
目の前の大和も……でもこれは単なる記憶喪失じゃないことは僕は気付いていた。
もっと大事な何かを置いてきている。
そんな感覚だから。
「最近また夢見るの?」
大和が言う。そういえばそんな話をメールしていた。
「……うん」
「病院行けって」
「行ったよ」
「で?」
「ストレスだってさ~」
「雑だな、そうなると病気全部ストレスじゃん」
苦笑されるがその通りだった。
大和には言わなかったが、夢は鮮明に記憶に残っていた。
夕焼けが眩しく差し込む古びたホーム。
電車の音。それに交じって泣きそうな誰かの声。
『瑛……よかった』
そこでいつも目が覚める。
でも顔だけが思い出せない……それが、異様に苦しかった。
「僕、もう逃げたくない」
「は?」
「大和、ホントの事を教えて欲しい」
「……」
言いにくそうな大和を見つめる。
「お願い、誰も教えてくれないんだ」
「……わかったよ」
そう言うと大和は記憶のない期間、僕は行方不明だったことを教えてくれた。
思ってもいなかった回答に動悸が激しくなり呼吸も苦しい。
正直、何があったのか思い出すのが怖くなった。
「瑛! 大丈夫か?」
「う、うん……」
「無理して思い出さなくていいんだぞ」
「でも、会わなきゃ……」
「俺は行方不明だったことしか知らない。でも、俺の彼女から……瑛を必死で探している他校の男前に友人と声をかけられた事があると聞いたことがある」
声が出なくなり息苦しかった……何かが呼んでいる気がした。
理由もなく、勝手に足が動く。
「おい、瑛? 病院行く?」
「大丈夫。ごめん大和、僕行かなきゃいけない」
「どこにだよ」
自分でもどこに行けばいいかなんてわからなかった。
その瞬間だった。
「……っ」
まるで呼吸が止まるみたいだった。人混みの向こに一人の同い年ぐらいの男性が立っていた。黒髪で細い身体。伏せられた睫毛。とても整った顔をしている。
知らない人、知らないはずなのに。
心臓が壊れそうなほど鳴り響く。
「……君は誰」
足が一歩、また一歩とその場に向かって勝手に動き出す。
男性がチラリと振り返りこちらを見て目が合った瞬間――
ひどく苦しそうな顔をされた。
「……っ」
胸が締め付けられる。
なんでそんな顔をするの? ずっと会いたかったのに。
「……瑛」
名前を呼ばれた気がした。
自分の名前を知っている、それだけで十分だった。
「あ、あの……もしかして入院してた時に来てくれた?」
男性は黙って視線を伏せた。
「人違いだと思いますよ」
「え?」
「……」
「嘘、だって」
「知らないですよ。きっと人違いだと思います」
男性はニコリと笑うと踵を返す。
「名前、聞いたら思い出すかもしれません。名前教えてくれませんか」
僕は負けじとその男性に近付いて尋ねる。
男性は苦しそうに目を細めて笑うと、「……忘れたほうがいいから」といって足早に去っていた。
「ま、まって」
その瞬間頭痛が走る。
「……なんだよ、これっ」
その瞬間――ガタン。
電車の音。古びた匂い。猫の声、眩しい夕日が脳裏に流れ込んできた。
『瑛!!』
誰かの叫び声。
『生きててよかった……』
「……っ!」
視界が揺れ、思わずその場にしゃがみこんだ。
「瑛!」
その時去ったはずの男性が支えてくれた。
「……なんで」
涙が自然と零れその男性の袖をギュッと握る。
「離してください」
「もう、離したくない」
男性が息を呑むのがわかった。
「……やめてください」
「嫌だ」
「……っ」
男性は微笑みながら、優しくゆっくり僕の手を外す。
「俺に関わらないでください、人違いですから」
「なんで……」
「瑛が苦しむ」
「でも、僕より貴方の方が苦しそうです」
その瞬間、男性は固まり泣きそうな顔になった。
「……俺のこと思い出したら、壊れる」
「それってどういう……」
「わからなくていいから。……忘れて生きて。幸せに」
「なんで、貴方が泣きそうなんですか」
「……」
「なんで……僕を置いていかないで、~君」
何て叫ぼうとした?
誰かの名前を今叫ぼうとしたはずなのに、声が出ない。
「それでいい」
今度こそその男性は僕を離すと、人ごみの中に紛れていった。
「えい、瑛! 大丈夫か?」
「う、うん。大和、僕記憶が無かった所を思い出したい」
「でも、それは瑛が苦しいんじゃ」
僕は首を振った。
思い出せない今が一番苦しいからだ。
きっと、いつか貴方に会いに行って、ちゃんと思い出して名前を呼ぶから。
僕はあの時からずっと怖くて開くことが出来ないメッセージの名前をじっと見つめていた。
こうして僕は姉さんに黙って、数年間記憶を取り戻為に専門の病院に通い、空いている時間に自分の記憶を戻すためにこっそり地元に何度か帰った。
