薄暗い部屋の一室、僕はベッドに座り壁にもたれながら静かに息を整えていた。
どこからも逃げ出せない。窓からは見える夕日は眩しかったが、暗くなると見えていた光は差し込まない。
外の世界の気配は、まるで届かない。
―― ここから、出られない。
この頃から決まって思い出すのは一度だけ電車で見かけたあの格好いい高校生のことばかりだった。
もし、ここから逃げ出せたら一度話しかけてみようと毎日想像している。
それに、ずっと言えずにいたけど恋愛対象は決まって男性だったから、もし恋愛するならあんな男子がいいなあと思っていた。
恋人になりたいなんて高望みはしない。ただ、一度でいいから話して見て友達になってみたかった。
ふいに姉さんの声が蘇る。
夜更けの自室でベッドの縁に腰掛けた姉は、僕の手を握ってくれた。
「大丈夫。瑛は、瑛のままでいいのよ。どんな瑛も私は大好き」
その言葉に、僕は初めて自分の恋愛対象を打ち明け泣いた。
「姉さん会いたいよ……」
夕方、不思議な夢を見た。
僕は青葉の制服を着ていつもの電車に揺られ、何故か終点を目指している。
途中何人かの人が電車に乗ってくるが一人も僕を見ていない。
それか、僕が透明人間の様になったのか……窓際の席に座るが誰も気付かず、皆には見えていないみたいだった。
ただ、悲しかった。今の自分の様に誰にも気付いてもらえないことが……
そして、とある駅に着いた。その瞬間思わずドキリと心臓が鳴る。
あの時見かけた高校生が乗ってきたから。
僕はじっとその子を見ていた。でも、彼も皆と同じように僕に気付くこともなく終点の三駅前で降りていった。
「夢か……残念」
外を見ればもう夕日は沈みかかっていた。
明日も同じ夢を見れたらいいのに……そう思いながらまた目を閉じた。
日に日に体力が無くなっているのを感じる。
以前は朝日で目覚めたが、今ではほとんどの時間寝ていることが多かった。
また、同じ夢を見た。
眩しいぐらいの夕日が照りだす車内。僕は青葉の制服を着て電車に乗っていた。
そして、また彼も放課後同じ時間に乗ってきた。
悩ましい横顔も、あくびする顔も、何か真剣にスマホを見る顔もドキドキしながら見ていた。
そんなある日、彼が電車に乗り込む際に目が合ったような気がした。
僕は思わずハッと目を見開き驚いた。
「まさか……そんなはずはない」
小さく呟くが僕の声はもちろん誰にも聞こえていなかった。
まるで僕の願望が夢の中で形になったみたいで、同時に少し嬉しかった。
その瞬間、高田のアナウンスの声がして彼は降りていった。
「見つかってはいけない」
夢の中のはずなのに、気付けば高田という存在に怯えている自分がいた。
次の日も、その次の日も決まって同じ夢を見ていた。
この頃から彼が降りる直前、必ず僕の座っている座席を見て帰るので目が合うように感じていた。
そしてある日……彼は僕の隣に腰掛けた。
「ねえ、その制服って青葉の?」
僕に聞いているんだと、理解するのに数秒かかった。
驚きすぎて声がすぐには出なかったが、自分の見ている夢なのできっと彼の事を知りたいという願望がイメージを作り上げたと思っていた。
「うん」
頷きながら返事をすると、少しハニカミながら彼はこう続けた。
「そっかー頭いいんだ。あ、俺は蒼井蓮って言います。乗ってきた駅の公立に行ってるんだけど……」
蒼井連君って言うんだ。
「俺は橘瑛って言います」と声に出したが届いていない。どうやら、この夢の中では声は出せないらしい。
少し困ったが制服のポケットを探ると自分のスマホがあった。
現実世界では高田に取り上げられ電源も入っていなかったが夢の世界では使用できた。
僕は急いで『僕は橘 瑛です』とスマホを出し、画面に文字を打ち込んだ。
蒼井君は少し驚いていた。
『僕今は話せないんだ。ごめん、でも声かけてくれて嬉しい! よろしくね』
本当は話したかったがこう打つのが精一杯だった。
「そっか。じゃあ、俺もスマホで打つよ」
てっきりめんどくさがられるのかと思っていたけれど、僕に合わせて文字でのやり取りをしてくれた。
そして蓮君は自分の駅に着くと電車の外からそっと手を振ってくれた。
僕は幸せな気分でスマホの画面を何度も見返し、試しに他の連絡先に送ってみようと思ったがどこにも返信が出来なかった。
それに終点に着くと決まって目が覚め現実に引き戻された。
「明日も会えるといいな……」
ぼそりと呟くと静かな室内で蓮君の事を考えていた。
次の日も同じ夢を見た。
車内でスマホを見れば蓮君から朝に「おはよう」と一言スタンプが来ていた。
返事を打ち込もうとしたが、メッセージは何故か打ち込めなかった。
そうこうしていると蓮君が電車に乗り込み隣の席に腰掛けた。
僕は急いで『朝はごめんね。返事出来なくて』とメッセージを打ち込むと、蓮君は青葉なら忙しいだろうと勘違いをしてくれた。
蓮君と居るときはどうやらメッセージが送れるみたいで、随分僕に都合がいい夢だと内心少し笑っていた。
監禁されていることや、犯人は高田であることを伝えようとしたがそのメッセージは他の人へのメッセージと同じように打つことさえ出来なかった。
それでもいい。
この蓮君と過ごす車内はとても楽しくて、まるで現実の出来事何じゃないかなんて思うほどだった。
そして、蓮君を知れば知る程……僕は蓮君に恋をしていた。
日常のたわいのない会話の中に、僕は自分を見つけて欲しくて抽象的だがヒントを伝えた。
この先まで行くことや夕日が眩しい窓、自販機、黒猫……夢の中なら僕を見つけてくれる王子様だって来てくれるんじゃないかと思っていたから。
また不思議なことに土日は全く夢を見なかった。
早く月曜日になってほしいなんて人生一度も来るはず無いと思っていたけれど、どうやらそれは間違いだったみたいだ。
早く蓮君と話したい。
それだけが僕の生きる希望だった。
数週間後のある日蓮君は僕に遊びに行かないかと誘われた。
思わず胸が高鳴った。もしかして蓮君も僕の事を気になってくれているかなんて妄想でドキドキした。
夢の中なら外出もできるかもと思い、思い切って約束をした。
約束は来週の土曜日……今から心がときめいていた。
メッセージのやり取りの際、僕が恋したいと言ったら蓮君は彼女はすぐできると言ってくれたが、少しモヤモヤする。
ああ、これが恋なのかなんて益々自覚をしながらも、とにかく今は楽しいことだけ考えようと切り替え、遊びの約束までの数日間も車内でメッセージのやり取りを楽しんだ。
だけど、あいつに……見つかってしまった。
蓮君が自分の駅で降りる時、運転手の高田とたわいもない話をしていたのが目に入った。
そして次の瞬間……高田と目が合い見つかったような気がした。
夢から目覚めて数時間すると高田がやってきた。
「瑛、今日電車に乗ってた? 制服着て誰かと話してないよね? 例えば蒼井君とか」
「あ、蒼井君なんて知らないよ! そんなはずないよ。僕はずっとここから出られない」
「それもそうか」
高田の口から蒼井君という言葉を聞いて思わず心臓が飛び出そうだった。
蒼井君……彼は本当に蒼井君って言うんだ。
あれはもしかして夢じゃない?
そんな夢物語あるはずないよね。
でもこの日を境に何度眠っても、蓮君の夢は見れなくなっていた。
神様、もう一度だけ蓮君に会ってみたい。
そんな願いも虚しく、最後に出会った日から数カ月経っていた。
