夕焼け電車の君と

 
 その夜、夢を見た。
 暗い倉庫、赤く光る街灯、遠くで光る猫の目。
 空気は湿って重く、かすかに瑛の匂いが漂う。
 瑛は静かにそこに立っている。
 まるで幽霊のように、光の中で揺れる輪郭。
 恐怖と切なさ、希望と絶望が交錯し、胸が締め付けられる。
 俺は声をかけようと必死になるが、その喉からは音が出なかった。

「ま、待って! 行くな! 瑛」

―― ピピピピピピ
 そこでスマホのアラームが鳴る。
 時刻は深夜三時前。
「夢……」
 身体は汗でぐっしょりと濡れていた。
 あの建物になにがあるのか。
 あれから一睡も出来なかった俺は、朝の揺れる車内でぼんやり考える。
 自販機、黒猫、終点……これは偶然なのかな。
 夕日が窓から眩しい。
 夜になるとうるさい。
 たまに黒猫がやってくる。
 雨が振りそうだ……
 そう言えば、あの時終点の方向は雨が降っていた。
 言葉の意味がつながり、瑛がいるかもしれないあの蔦の絡んだ建物の場所が鮮明になる。
 胸の奥に最初から分からなかった後悔と、恐怖が同時に押し寄せてくる。
「……でも、もしかしたら瑛は生きているかもしれない」
 
 そんな夢みたいな話があるのか。
 ―― 瑛は生きていると。

 その日の放課後、高田に休みの日を聞くと明後日が非番だと言っていたので、終点で待ち合わせる約束をして俺はとある場所を目指した。

◇◇◇◇


 高田との約束は昼だった。
 俺は初めて仮病を使って学校に休む連絡をすると、人が居ない終点の駅に降り立った。

「やあ、蒼井君待っていたよ」
「あ、高田さん。今日はありがとうございます。休みの日なのに」
「今日は学校じゃないの?」
「あ~仮病で」
「ふふふ。じゃあ行こうか」
「はい」
 こうして高田とたわいない話をしながら、以前来た終点の先までやってきた。
 今日は振り返っても、まだ日も上っているから怖くはない。
 しかし、さっきから誰一人とすれ違うことはなかった。
「ぜんぜん人居ないんですね」
「そうだね。このあたりに住んでいる人はほとんどいないし」
「高田さんは、あの建物によく行くんですか」
「ん~そうだね。そこの鍵を管理しているし。誰か居ないか確認するのも仕事だしね」
「そう、ですか……」
 もし、瑛が居たらわかるよな。
 少しの期待がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。
「眩しいね」
「はい……」
 夕日が照らす。
「結構、駅から離れてるんですね」
「そうだね。昔はあの建物の近くに駅があったけれど、もう利用する人も少なくて廃線になったんだよ」
「へえ……」
 高田の言う通り、人が住んでいないというのにも納得がいく。
「蒼井君の見たかった建物はこれだよね」
「はい。でも中に入っても……」
「僕が管理してるから問題ないよ」
「あ、ありがとうございます」
 蔦の絡む建物は昼間に見てもどこか不気味に思えたけれど、高田が扉の鍵を開けてくれる。

― ガチャン ― 

重厚な鍵が外され、ギギギと重い扉が開く。
古い埃と鉄の匂い。
思わず、手で前を払う。
「大丈夫かい」
「は、はい」
「随分埃っぽいからね」
「そうですね」
 入口は埃っぽかったが、部屋に上がると以前は駅員たちの宿舎として使用されていたようで小さなキッチンや二人掛けのテーブルやソファなんかも見えた。
 外からの印象と随分違い、そこに今も人が住んでいてもおかしくないと思う程綺麗だった。
「暑かっただろうし、今お茶を入れるね」
「ありがとうございます」
 高田は年季の入った冷蔵庫の中から冷たいお茶をコップに注いでくれた。
「どうぞ」
「はい」
 小さな机に二つコップが並べられ、一つを頂く。
 冷たくて美味しい。

 でも微かな違和感。
 ここには誰も住んでいないと言っていた。
 町の人も今は使われていないと言っていた。
 でも、この宿舎は誰かが住んでいる気配がある。
 それに電気も水道も通っているのは何のために。

「せっかくだから二階も見るかい」
「は、はい」
 そう促され、後ろを付いて歩く。
 さっきから自分の鼓動がやけにうるさい。
 階段を上がれば何個かのドアが見えた。
「あっちは寝室。バスルームやトイレもあるんだよ」
「そう、ですか……ありがとうございます」
「中も覗いてみてよ」
「は、はい」
 寝室と言われた部屋に通される。
 広くて何もないその部屋。奥にはベットらしきものが一つ。
 そしてそこには、かすかに動く影が見える。
 近付くと目が合う。
「瑛……」
「なんで、なんで蒼井君ここに」
「……生きてた」
 本当は半信半疑だった。
 瑛が生きている保障なんてどこにもなかった。でも目の前にいる瑛は確かに生きているし話せていた。
 言葉にならない安堵が広がり、俺は瑛の傍に駆け寄った。
「瑛っ!」
「あ……あおいくん、どうして」
 少年は弱々しく答えて目を閉じる、でも確かに呼吸をしていた。
 心臓が跳ねる。
 恐怖、怒り、喜び——すべてが同時に押し寄せる。
 でも、生きている——ただ、それだけで世界が光に包まれたように感じた。
「瑛! 生きてるんだな! よかった、今すぐ救急車呼ぼう」
「ふふふ、やっぱり蒼井君は瑛君と知り合いなんだね」
「はい、高田さん。救急車を……」
 そう言いかけて止まった。
 何故、ここに瑛がいる事を知っている?
 何故、鍵を持っていた?
 もしかしてこの人が……瑛を閉じ込めている。
 そんなことを考えた瞬間大きな声に驚く。
「どうやって二人は出会ったんだ! 俺はいつも瑛を見ていた。蒼井君と接点なんて無かったはずだ!」
 振り返れば先ほどまでの優しい雰囲気は消え失せ、口調も違っていた。
 そして、恐怖で俺の身体は震え、瑛の近くまでじりじりと追いやられる。
「瑛は蒼井君が好きなの? 答えてよ! 瑛!」
「っ、ちがう。だから……」
 小さく呟く瑛の言葉に、結構ショックを受ける。
「じゃあ、居なくなっても大丈夫だね」
 ニヤリと笑い近付いてくる高田の横をすり抜けて逃げようとするが、身体の力が入らない。
「なんで」
「ふふふ、無駄だよ。お茶にクスリ混ぜといて正解だったな」
「っ、くそっ」
 いつものように動かなくなった俺の身体を床に押し付けると高田は馬乗りになり、首に手をかけようとする。あまりの恐怖に、力の入れ方を忘れた俺は軽くパニックになっていた。
「ふふふ、怯えている蒼井君もいいね。二人とも一応お気に入りだからな~どうしよう」
 高田は震える俺を見てニヤリと笑う。
 吐き気がした。
「殺すなら僕にしていいから……」
 微かな声で瑛は高田に話しかけた。
「っ、なに言ってんだ瑛!」
 思わず叫ぶと楽しそうに高田が高笑いしていた。
「じゃあ、お望み通り瑛にしようか。二人を囲うのは流石にバレちゃうからなあ」
「やめろ! 瑛! 誰かっ、誰かっ」
「ふふふ、誰も来ないよ」
「蒼井君……ありがとう。僕を探してくれて」
「やめろ! 誰かっ! 誰か助けて!」
「瑛、この半年間楽しかったよ」
「……」
 高田が瑛に近付く。
 せっかく瑛と会えたのに、こんな形で終わるなんて絶対に嫌だ!
 渾身の力を出し、身体を起こして高田のズボンの裾を掴む。
「蒼井君は少し大人しくしていてね」
「やめろっ、殺すなら俺に……」
「じゃあ、やっぱり君にするね」
 振り向いた高田の手が俺の首にかかる。
 瑛の声が、遠くで聞こえてくる。

 もっと話したかったな、瑛……