終点の先まで



「今日カラオケ行く人~?」
「はいはーい」
「他に誰か誘う?」
「え~暇なやつ一緒に行かない?」
 クラスの中心人物が教室にいる群衆に向かって大きな声を出す。何人かが名乗りを上げると先ほどより一層教室がざわめく。
 笑い声、椅子を引く音、誰かのスマホの通知音。
「あ、蒼井くんもいく?」
 さして仲良くもないクラスメイトが蒼井蓮(あおいれん)に声をかける。
 唐突に名前を呼ばれた蒼井の方に視線が集まる。
 蓮は顔を上げ、いつもの角度で笑った。
「あーごめん。今日はやめとく。また誘って」
「そっか、残念」
「ありがとう」
 当たり障りのない返答をするがそれだけで、空気がふわりと和らぐ。
 誰かが小さく「やっぱりかっこいい」と呟いた。
 蒼井蓮が参加するのであれば、ぜひ近付きたいと虎視眈々と獲物を狙っている女子たちはため息を付いていた。
 
 ――息が詰まる。
 
 自分が笑えば場が整う。
 それを蓮は知っていた。
 だからこそ他人と深くかかわらない。
 クラスメイトに声をかけると鞄を肩にかけ、蒼井はそっと教室を後にした。
 背後では、さっきまでの熱が何事もなかったように続いている。
 ただそこに蒼井蓮の居場所はなかった。


◇◇◇◇

 夕方のホームは、いつも同じ匂いがした。
 鉄と埃、どこか湿った風の匂い。踏切の警報音が遠くで鳴り、単線の線路は夕日を浴び橙色の光を反射している。
 蓮は、毎日この駅に立っている。高校生になっても部活には入らず、友達と寄り道することもない。帰れば静かな家と帰りの遅い両親。
 ――期待されている息子でいることは、難しくない。
 
 ただ一つ、言えないことを除けば。

 女子に告白されるたびに、胸の奥が燃えた。このまま付き合えたらいいのにと。
 でも視線が向くのはいつも別の方向だった。
 気付いたのは思春期の時。関心があったのは仲の良いクラスメイトの男子だった。
 その友達に彼女が出来たことをきっかけに、蓮は自分のマイノリティに気が付いた。

 そしてそれに気付いた日から蓮は誰とも以前の様に深く関わらなくなった。
 傷つく思いをするならば最初関わらければいいと思ったからだ。

 やがて、単線の各駅停車がゆっくりと滑り込んでくる。
 扉が開くと、乾いた音とともに、息苦しかった世界が少しだけ切り替わる。
 いつもと同じ車両。
 そして、いつもと同じ席。

 顔を上げるといつもの窓際に、彼は座っていた。
 制服姿の美しい少年。
 夕陽に照らされた横顔は、ガラス細工のように脆く、どこか現実味がない。

 彼の姿を見た途端、蓮の心臓がぎゅっと掴まれる。


 ——今日も、いる。


 蓮が視線を送ると、少年はゆっくりと顔を上げ、微かに微笑んだ。

「……また、会えた」
 蓮の声は、周囲の音にかき消される。
 それでもその少年は静かに頷いた。

 最初は偶然だと思った。
 でも、毎日、同じ時間、同じ車両、同じ席に彼はいる。

 蓮だけは、彼を“見ていた”。

 ある日からその彼の隣の席に座るのが蓮の日課になっていた。 
 しかし、蓮の降りる駅に近づくたび、彼の表情はほんの少しだけ陰るのだった。
 
——彼は、そこから終点に行く。

 蓮はまだ、その理由を知らない。
 だが、この出会いが彼の普遍的な人生を変え、静かに動き出そうとしていた。