持久走の嘘代表「一緒にゴールしようぜ」と言ってきた男子が、そのまま私の人生全部の隣にいた話

「一緒にゴールしようぜ」

 ――またそれか。

 そう思ったのに、今回は今までみたいに即座にツッコめなかった。

 窓の向こうには、宝石をばら撒いたみたいな夜景が広がっている。
 見上げるような高層ビルの、その最上階。
 ドレスコード必須なんて、私の人生にそんな場所そうそう出てこないんですけど、みたいなレストランの窓際の席で。
 テーブルを挟んだ向こう側には、いつもみたいに笑ってる速水隼がいて。

 そして、私に差し出した手元には――小さな箱。

 開かれたそこに収まっているものを、私は知っている。
 知らないわけがない。
 だって、こんなのもう、ドラマか何かでしか見たことないやつじゃん。

 就活のあとも、いろいろあった。

 あの最悪な面接は、なぜか二人とも通っていて。
 社会人になってからも、隼は相変わらずで。
 朝からうるさくて、距離感がおかしくて、でも――気づけば、しんどい日ほど隣にいてほしいのはいつもこいつだった。

 だから、いつかこういう日が来てもおかしくないのかもしれないって、どこかで思っていたのかもしれない。
 ……思っていたとしても、心の準備ができるかは別問題なんだけど。

「結衣……」

 名前を呼ばれて、私はハッとして彼の顔を見上げる。

 その声が、昔より少しだけ低くなっていることも。
 スーツじゃなくて、きちんとしたジャケット姿の隼が、学生のころよりずっと大人に見えることも。
 なのに笑う顔だけは、あの頃とちっとも変わらないことも。

 全部、ずるい。

「もう、こんな時までそのセリフなの?」

 やっと言えたのは、それだけだった。
 私の声は、思っていたよりもずっと震えていた。

 隼は少しだけ困ったように笑って、それから、あの頃のままの顔でまっすぐ私を見る。

「だって、ずっとそうしてきただろ」

 ずるい。
 ほんと、ずるい。

 勝手に置き去りにして。
 勝手に追いついて。
 勝手に私の人生に入り込んできて。

 受験も。
 大学も。
 就活も。
 仕事も。

 何回も振り回されて。
 何回も悪態ついて。
 何回も呆れて。
 それでも結局、ここまで来てしまった。

 気づけば私は、あの日の持久走で置いていかれた女の子じゃなくて。
 この人となら、どこまででも一緒に行けるのかもしれないって。
 そんなふうに思ってしまう女になっていた。

「結衣」

 もう一度、私の名前を呼びながら、彼はゆっくりと箱を差し出した。

「ずっと一緒にいよう。絶対に幸せにする」

 だめだ。

 そんなの、泣くに決まってるじゃん。

 視界が滲む。
 せっかく今日はちゃんとしてきたのに。
 ドレスだって、靴だって、髪だって。
 こういう日のために頑張って整えたのに、全部台無しになるじゃん。

 なのに、涙は止まらなかった。

「……っ、ほんと……」

 笑いたいのか、泣きたいのか、自分でもわからない声が漏れる。

「ほんと、ゴール馬鹿……」

 あの頃から何も変わってない。
 大学受験でも、就活でも、そしてこんなときまで。

 人生で一番大事な場面くらい、もっと他に言い方あるでしょ。

 たとえば、もっとロマンチックにとか。
 もっとちゃんとしたプロポーズの言葉とか。
 ドラマとか映画とか、いくらでも参考にできるものあったでしょうが。

 なのにこの人は、結局これなんだ。

『一緒にゴールしよう』

 それは、一緒に走るってこと。
 置いていかないってこと。
 しんどくても、みっともなくても、情けなくても、ずっと隣にいるってこと。

 あの日、持久走で言われた言葉が。
 大学のパンフレットを差し出されながら言われた言葉が。
 面接会場の前で、呆れるほど無邪気に言われた言葉が。

 全部、全部ここに繋がっていた。

 隼が、少しだけ目を丸くして。
 それから、嬉しそうに笑った。

 ああもう、かなわない。
 最初から、ずっと。
 たぶん私は、この人にはかなわなかったんだ。

 一緒に走るのも、置いていくのも、全部コイツ次第だから。
 涙でぐしゃぐしゃのまま、それでも私は笑う。

 いや、最初からかなわないなんて、それは少し違うのかもしれない。
 だって私も、何度だってこの人の隣を選んできたんだから。

「しょーがないなぁ、もう」

 何年もかかって、ようやく。
 持久走で置いてけぼりにされたあの日の自分に、教えてやりたい。

 その“意味わかんない武士”と。
 その“ゴール馬鹿”と。

 これから先も、ずっと一緒にいたいと思う日が来るんだよって。

「じゃあ、一緒にゴールしよっか」

 そう言った瞬間、彼の顔が、信じられないくらい嬉しそうに崩れた。

 夜景が綺麗だとか。
 高層ビルの最上階だとか。
 そんなこと、もうどうでもよかった。

 ただ、この人と迎える未来だけが。
 今の私には、何よりも眩しく見えたから。