その日の空は、やけに高くて、やけに澄んでて。
高校二年――秋。
私こと、高橋結衣が最も苦手とする持久走大会が、この日開催されていた。
「一緒にゴールしようぜ!」
緑地公園の外周三キロを二周。計六キロのコースをスタートしてから序盤も序盤。
集団のかなり後方で、既に息を上げ始めている私にそう声をかけたのは、同じクラスメイトの速水隼だった。
速水隼――その素早そうな名の通り、当然のように陸上部。そして実力も折り紙付きだ。
あんまり関わりのない私にまで、「速水がまた大会優勝した」とかの噂が耳に届いたくらいなのだから。
そんな奴にそんな言葉をかけられたのだから、私の返した言葉は当然――
「うわ、でた!」
「なんだよ?」
「運動神経良いヤツの『一緒にゴールしよ』がこの世で一番信用ならんのよ!」
「あはは、なんだそれ」
なんだそれはこっちのセリフなんだが?
まさかこんな『足遅い奴なら誰もが聞いたことのあるテンプレ』を高校生にもなって信じるバカがどこにいるものか。
だいたいはそんなことを言っておきながら、ゴール直前で謎の猛ダッシュをし始め、結果足の遅い方――つまり言われた側は裏切られた気持ちになるというアレである。
ていうか、この言葉を守った人なんてこの世にいないだろ。
「だって、どうせ嘘じゃん」
「いや途中で置いて行ったりしないって!」
「信じませーん」
「え~」
え~、じゃないが?
とは言ったものの、速水はさっそく私の歩幅に合わせて来ている。
こうなってしまえば、私が嫌と言っても結局は足速い方の匙加減でしかない。
遅い側が速い側を抜くことなんてできないのだから。
はぁ、なんなのよ。
だったらもう好きにすればいいし、私も『一緒に走ってる』と思わなければいいだけだ。
適当に合わせるフリでもしておこう。
それなら仮に裏切られても傷つくことはない。
「わかった。じゃあ言ったからね! 途中で置いてかないでよ!」
「おう! 武士に二言は無い!」
武士ってなんじゃい。
そこは男に二言は無いとかじゃないんか。
別になんでもいいけどさ。
という訳で、何の因果か突然『チキチキ・速水が私をいつ裏切るか猛レース』が始まった。
で――次の瞬間。
「うぉぉおおおおおおおい!!」
一緒に走行スタートと同時に速水は私のみならず、他生徒をゴボウ抜きして遥か彼方に消えていった。
私が思わず叫ぶようにツッコミを入れた頃には、もう届かない距離。
いや裏切るのはっや!
ついでに足もはっや!
シュンソク履いてる!?
裏切るのはわかってたからいいけどさ、もう!
「なんだアイツ……途中で置いてったりしないとか言っといて!」
…………ん? いや、『途中』で置いてってはないか。
スタートと共に置き去りにしてったもんな。
いや……どちらにせよだよ。
「これだから運動神経良いヤツは! 武士でもなんでもないじゃん!!」
愚痴の叫びと共に、私の最悪な道のりは再スタートした。
――――十五分後。
ようやく一周目終盤に差し掛かったころ。
「っ、はぁッ……はぁッ……し、死ぬッ……」
既に私は、速水に裏切られたことなんてどうでもいいくらい疲弊しきっていた。
いやスタート地点どこ……まだ半分も終わってないんか!?
もう無理、超無理限界ギリ……。
脇腹痛い。喉も痛い。足も痛い。全部痛い。
もうどうでもいい。
早く終われ。この時間。
――と、この世の終わりみたいなことを思っていたそのとき。
「よっ」
「っ……!?」
横から突然、速水の声がした。
ていうか、私の隣を並走していた。
「……はや、み……?」
え、なにコイツ早ッ。
こっちが一周行かないうちに、コイツはもう二周目終わりかけなんかい。
しかも私は死にかけてる一方で、まるで爽やかなの意味わからん。
<i1132114|47365>
裏切り武士――とか罵ってやりたい気持ちはあるが、いかんせん肺に酸素が足りてなさ過ぎて何も言えない。
「一緒にゴールしようぜ!」
「いや無理ッ、にッ、決まってッ、んだろ! 私ッ、周回ッ……遅れだよッ!!」
「いけるって」
いけるわけあるか。
ゴボウ抜きしてったくせに。
「お前がゴール切っても私は『残念あと一周』だよ!」
「え? 女子は二周だけど、男子は三周だぞ?」
「……は?」
「え、聞いてなかったん?」
「あ……」
あえ……?
そういえばそんなことを先生が以前言ってたかも?
やべ、持久走が嫌すぎてあんま聞いてなかった。
てことは何? コイツ裏切るようなフリして最初にぶっ飛ばしたのって、一周ハンデの私に追いつくためだったの!? なんだそれ!
普通「一緒に走ろう」って言われたら一周目から一緒に走ると思うだろうが!
逆にどんだけ私と一緒にゴールしたいんだよ!
「いや、今一位なんだからちゃんと走ればいいじゃん!」
「えー、だって別にタイムに興味ないし」
「だとしても、もっと他にいるでしょ。仲いい友達とか。なんで私なのよ」
「高橋と仲良くなりたいな~って思ったから。気になってたし」
「はぁ!?」
「ダメ?」
「ダメ……とかじゃないけど」
なんだこいつ! なんだこいつ!?
気になってたってなんだ!
爽やかな顔して、ほんと意味わかんない!
「うはは、顔真っ赤じゃん!」
「っ……! 走ってるからでしょ!!」
顔が熱くなったのは、走ってるせいだけじゃないなんて自分でも分かってる。
そりゃ気になってるなんて言われたの初めてなんだから、耐性なんてない。
「じゃあいーだろ? 一緒に走っても」
「いいけど……私めっちゃ遅いよ?」
「わかってるって。まだこんなとこにいんだから」
「うるさいな!」
意味わかんない。意味わかんない。
一番嫌いなイベントだったのに、なんでちょっと喜んじゃってるのよ私。
気づけば私と速水は、スタート地点を再び通過していた。
なんか、既にちょっとだけ足が軽い。
「よっしゃ! あと一周な! ほら、踏ん張れ踏ん張れ!」
「地獄ッ……!! ぅうう~~!!」
「うはははは! 死にそうな顔オモロ~!」
「殺すッ!!」
足が軽くなったとはいえ、ラスト一周はやっぱり地獄だった。
けれど、速水が最後までいてくれたおかげなのか、思ってたより早く走り切った。
たぶんメンタル的な問題だと思う。
武士が言った通り、途中で置いていくなんてことはなく、最後の一歩まで私に合わせてくれた。
思えば、この日から私の日々が少しずつ変化した。
高校二年――秋。
私こと、高橋結衣が最も苦手とする持久走大会が、この日開催されていた。
「一緒にゴールしようぜ!」
緑地公園の外周三キロを二周。計六キロのコースをスタートしてから序盤も序盤。
集団のかなり後方で、既に息を上げ始めている私にそう声をかけたのは、同じクラスメイトの速水隼だった。
速水隼――その素早そうな名の通り、当然のように陸上部。そして実力も折り紙付きだ。
あんまり関わりのない私にまで、「速水がまた大会優勝した」とかの噂が耳に届いたくらいなのだから。
そんな奴にそんな言葉をかけられたのだから、私の返した言葉は当然――
「うわ、でた!」
「なんだよ?」
「運動神経良いヤツの『一緒にゴールしよ』がこの世で一番信用ならんのよ!」
「あはは、なんだそれ」
なんだそれはこっちのセリフなんだが?
まさかこんな『足遅い奴なら誰もが聞いたことのあるテンプレ』を高校生にもなって信じるバカがどこにいるものか。
だいたいはそんなことを言っておきながら、ゴール直前で謎の猛ダッシュをし始め、結果足の遅い方――つまり言われた側は裏切られた気持ちになるというアレである。
ていうか、この言葉を守った人なんてこの世にいないだろ。
「だって、どうせ嘘じゃん」
「いや途中で置いて行ったりしないって!」
「信じませーん」
「え~」
え~、じゃないが?
とは言ったものの、速水はさっそく私の歩幅に合わせて来ている。
こうなってしまえば、私が嫌と言っても結局は足速い方の匙加減でしかない。
遅い側が速い側を抜くことなんてできないのだから。
はぁ、なんなのよ。
だったらもう好きにすればいいし、私も『一緒に走ってる』と思わなければいいだけだ。
適当に合わせるフリでもしておこう。
それなら仮に裏切られても傷つくことはない。
「わかった。じゃあ言ったからね! 途中で置いてかないでよ!」
「おう! 武士に二言は無い!」
武士ってなんじゃい。
そこは男に二言は無いとかじゃないんか。
別になんでもいいけどさ。
という訳で、何の因果か突然『チキチキ・速水が私をいつ裏切るか猛レース』が始まった。
で――次の瞬間。
「うぉぉおおおおおおおい!!」
一緒に走行スタートと同時に速水は私のみならず、他生徒をゴボウ抜きして遥か彼方に消えていった。
私が思わず叫ぶようにツッコミを入れた頃には、もう届かない距離。
いや裏切るのはっや!
ついでに足もはっや!
シュンソク履いてる!?
裏切るのはわかってたからいいけどさ、もう!
「なんだアイツ……途中で置いてったりしないとか言っといて!」
…………ん? いや、『途中』で置いてってはないか。
スタートと共に置き去りにしてったもんな。
いや……どちらにせよだよ。
「これだから運動神経良いヤツは! 武士でもなんでもないじゃん!!」
愚痴の叫びと共に、私の最悪な道のりは再スタートした。
――――十五分後。
ようやく一周目終盤に差し掛かったころ。
「っ、はぁッ……はぁッ……し、死ぬッ……」
既に私は、速水に裏切られたことなんてどうでもいいくらい疲弊しきっていた。
いやスタート地点どこ……まだ半分も終わってないんか!?
もう無理、超無理限界ギリ……。
脇腹痛い。喉も痛い。足も痛い。全部痛い。
もうどうでもいい。
早く終われ。この時間。
――と、この世の終わりみたいなことを思っていたそのとき。
「よっ」
「っ……!?」
横から突然、速水の声がした。
ていうか、私の隣を並走していた。
「……はや、み……?」
え、なにコイツ早ッ。
こっちが一周行かないうちに、コイツはもう二周目終わりかけなんかい。
しかも私は死にかけてる一方で、まるで爽やかなの意味わからん。
<i1132114|47365>
裏切り武士――とか罵ってやりたい気持ちはあるが、いかんせん肺に酸素が足りてなさ過ぎて何も言えない。
「一緒にゴールしようぜ!」
「いや無理ッ、にッ、決まってッ、んだろ! 私ッ、周回ッ……遅れだよッ!!」
「いけるって」
いけるわけあるか。
ゴボウ抜きしてったくせに。
「お前がゴール切っても私は『残念あと一周』だよ!」
「え? 女子は二周だけど、男子は三周だぞ?」
「……は?」
「え、聞いてなかったん?」
「あ……」
あえ……?
そういえばそんなことを先生が以前言ってたかも?
やべ、持久走が嫌すぎてあんま聞いてなかった。
てことは何? コイツ裏切るようなフリして最初にぶっ飛ばしたのって、一周ハンデの私に追いつくためだったの!? なんだそれ!
普通「一緒に走ろう」って言われたら一周目から一緒に走ると思うだろうが!
逆にどんだけ私と一緒にゴールしたいんだよ!
「いや、今一位なんだからちゃんと走ればいいじゃん!」
「えー、だって別にタイムに興味ないし」
「だとしても、もっと他にいるでしょ。仲いい友達とか。なんで私なのよ」
「高橋と仲良くなりたいな~って思ったから。気になってたし」
「はぁ!?」
「ダメ?」
「ダメ……とかじゃないけど」
なんだこいつ! なんだこいつ!?
気になってたってなんだ!
爽やかな顔して、ほんと意味わかんない!
「うはは、顔真っ赤じゃん!」
「っ……! 走ってるからでしょ!!」
顔が熱くなったのは、走ってるせいだけじゃないなんて自分でも分かってる。
そりゃ気になってるなんて言われたの初めてなんだから、耐性なんてない。
「じゃあいーだろ? 一緒に走っても」
「いいけど……私めっちゃ遅いよ?」
「わかってるって。まだこんなとこにいんだから」
「うるさいな!」
意味わかんない。意味わかんない。
一番嫌いなイベントだったのに、なんでちょっと喜んじゃってるのよ私。
気づけば私と速水は、スタート地点を再び通過していた。
なんか、既にちょっとだけ足が軽い。
「よっしゃ! あと一周な! ほら、踏ん張れ踏ん張れ!」
「地獄ッ……!! ぅうう~~!!」
「うはははは! 死にそうな顔オモロ~!」
「殺すッ!!」
足が軽くなったとはいえ、ラスト一周はやっぱり地獄だった。
けれど、速水が最後までいてくれたおかげなのか、思ってたより早く走り切った。
たぶんメンタル的な問題だと思う。
武士が言った通り、途中で置いていくなんてことはなく、最後の一歩まで私に合わせてくれた。
思えば、この日から私の日々が少しずつ変化した。
