完全下校時刻が過ぎ、生徒が一斉に校舎を出る。文化祭の準備期間は明日が最終日だ。
「あれ? 宮宇地くんはクラス会行かないの?」
「今日は用事があって。声かけてくれてありがとう」
佐藤くんとは文化祭準備をきっかけに話すようになった。彼はとても親切な人で、今も僕を気遣って声をかけてくれた。
最終日に向けて気合を入れるという名目で、クラス会をするらしい。クラスの半数が参加すると聞いた。僕も誘われたけど、先約があるから丁重に断った。
「えー! りっくん行かないの?」
「今日は用事あるから無理。打ち上げは参加する」
「絶対だよ? りっくんいないとつまらないもん。最近付き合い悪いから寂しい」
「そうか? ちょっと前にボウリング行っただろ。松下が三連続ガーターしたやつ」
「あったねー! 懐かしい!」
目の前にいるのは森川さんと篠崎くんだ。彼女の素直で明るい話し方は、純粋にすごいなと思う。
二人を追い越し、ひと足先に学校の最寄駅から電車に乗る。乗客のほとんどが上着を着ていて、秋の訪れを感じた。
駅の外にあるベンチに座ってから二十分後、篠崎くんが申し訳なさそうな顔でやって来た。
「ごめん。一本遅れた」
「そんなに待ってないから大丈夫」
立ち上がり、いつもの調子でファミレスに向かう。すっかり慣れきった無言の時間は、教室にいる時よりも息がしやすかった。
「十組待ちはエグいって」
「見事に満席だったね」
店を出て二人でのろのろと歩く。いつもの場所があそこまで混雑してるとは思わなかった。
「このまま帰るのもあれだし、別のとこ行くか」
「いいね。どこ行く?」
「カラオケは? 打ち上げの予行演習」
「焼肉じゃなかった?」
「それは一次会」
「二次会あるの確定なんだ」
二次会って一次会の後自然発生するものだと思ってた。カラオケかぁ……気乗りしないけど、篠崎くんならいいか。
いつもと反対側の改札口までひたすら歩く。気乗りしないのに、足は前に進んでいた。
テーブルの上にはウーロン茶が二つ並んでいる。
篠崎くんは機種を決めたり音量を調節してくれたりと慣れている様子で、僕はますます気が重くなった。
「宮宇地は何歌う?」
確認ついでか、篠崎くんがマイクを入れて話しかけてきた。
「先に歌っていいよ」
「了解」
マイク越しでも彼の声の印象は変わらない。耳をくすぐるような、低く落ち着いた声。
歌い出しからすでに敗北が決まった。リズム感と声の響きが特に上手い。僕なんかに評価されても嬉しくないと思うけど。
歌が終わり、篠崎くんがこちらに顔を向ける。歌の途中も視線を感じていたが、僕はずっと画面を見ていた。
「どうだった?」
「上手だと思うよ。初めて聞く曲だったけど」
「最近よく流れてるやつだけど」
「そうなんだ」
こういう時、話題を広げられないのが反省点だ。篠崎くんはそんなことを気にする様子もなく楽しげに笑っている。
「次、宮宇地な」
「僕は遠慮しておこうかな」
「ここまで来て何言ってんだよ」
「やっぱりそうなるよね」
僕は諦めて機械を操作し、知ってる曲を入れる。
「なんの曲?」
「好きなんだけど、篠崎くんは知らないかも」
「あー、なんか母さんが車で聞いてた気がする」
篠崎くんの時と違って、曲が始まっても話す余裕がある。前奏の長さだろうか。大発見だ。
現実逃避をしていても本番はやってくる。口が思ったより開かないことに内心驚きながら、僕は喉を震わせた。
僕なりに全力で歌いきった。一曲がこんなに長く感じるとは思わなかった。篠崎くんはニコニコと笑っている。
「うん、普通に音痴」
初めて彼の笑顔を憎らしいと思った。
「悪かったって! 機嫌直せよ」
「音痴って、笑顔で言われた。ちゃんと歌ったのに」
「それは宮宇地が可愛……じゃなくて、楽しくてつい」
「音楽選択の人は歌えない人の気持ちがわからないんだ……音程が合うのは当たり前で、コードとか難しい音楽用語も知ってて当然なんだ……」
「偏見がすぎる」
篠崎くんが「ほら、宮宇地」と僕の肩を優しく叩く。仕方なく顔を上げると、彼が長めのスプーンを差し出していた。
「何?」
「さっき来たやつ。宮宇地甘いの好きだろ」
「篠崎くんが食べなよ」
「どうせなら二人で食べたくね?」
篠崎くんの手には、一番上にアイスが乗ったパフェが握られている。チョコレートソースがツヤツヤと輝き、溶けかけのアイスと混じり合う。
差し出されたスプーンの中もほとんどアイスで、今にも溶けそうだ。
「……甘くて美味しい」
「もう一口いくか?」
「食べる」
餌付けみたいに何度も口に運ばれる。食べていくうちに、何で怒っていたのか忘れてしまった。僕ってこんなに単純だったのか。
「ごめんな。馬鹿にするつもりはなかった」
「僕の方こそ、うだうだ言ってごめんね。パフェありがとう」
篠崎くんは満面の笑みで頷き、残りのパフェを食べ始めた。
その様子を見ていて、前々から疑問に思っていたことを思い出した。
「篠崎くんは、何で僕が甘いもの好きって知ってたの?」
彼と初めてファミレスに行った時、既に僕の好みを把握している口ぶりだった。それまでほとんど接点がなくて、まともに話したのはあれが初めてだったのに。
「見てたから」
「え?」
「菓子パンよく食べてたから、好きなんだろうなと思ってた」
「……よく見てるね」
全く気がつかなかった。篠崎くんは、どこまで僕のことを観察していたのだろう。
「宮宇地も俺のことよく見てるって思ったけど」
「それは……」
「俺は宮宇地が少しでも俺のこと意識してくれてたらすごく嬉しい」
クラスを仕切ってる時とも違う、大人びた表情。いつもより掠れた声がそれを際立たせる。
答えたいのに、歌った時以上に喉が締まるのを感じる。
「意識してるよ。ちゃんと」
「ならよかった」
やっとのことで絞り出した言葉はすごくシンプルで、思いの全てを伝えられた気がしなかった。
それでも僕の精一杯を優しく受け止めた篠崎くんは、安心したように息を吐いて笑うと、慣れた手つきで曲を入れ始めた。
それは教科書にも載っている有名な歌だった。ゆったりとした聞き心地のいい旋律が流れる。
流行に疎い僕のために篠崎くんが選んだのかもしれない。そんな自惚れを覚えてしまうほど、彼の言葉の一つ一つが頭から離れなかった。
「あれ? 宮宇地くんはクラス会行かないの?」
「今日は用事があって。声かけてくれてありがとう」
佐藤くんとは文化祭準備をきっかけに話すようになった。彼はとても親切な人で、今も僕を気遣って声をかけてくれた。
最終日に向けて気合を入れるという名目で、クラス会をするらしい。クラスの半数が参加すると聞いた。僕も誘われたけど、先約があるから丁重に断った。
「えー! りっくん行かないの?」
「今日は用事あるから無理。打ち上げは参加する」
「絶対だよ? りっくんいないとつまらないもん。最近付き合い悪いから寂しい」
「そうか? ちょっと前にボウリング行っただろ。松下が三連続ガーターしたやつ」
「あったねー! 懐かしい!」
目の前にいるのは森川さんと篠崎くんだ。彼女の素直で明るい話し方は、純粋にすごいなと思う。
二人を追い越し、ひと足先に学校の最寄駅から電車に乗る。乗客のほとんどが上着を着ていて、秋の訪れを感じた。
駅の外にあるベンチに座ってから二十分後、篠崎くんが申し訳なさそうな顔でやって来た。
「ごめん。一本遅れた」
「そんなに待ってないから大丈夫」
立ち上がり、いつもの調子でファミレスに向かう。すっかり慣れきった無言の時間は、教室にいる時よりも息がしやすかった。
「十組待ちはエグいって」
「見事に満席だったね」
店を出て二人でのろのろと歩く。いつもの場所があそこまで混雑してるとは思わなかった。
「このまま帰るのもあれだし、別のとこ行くか」
「いいね。どこ行く?」
「カラオケは? 打ち上げの予行演習」
「焼肉じゃなかった?」
「それは一次会」
「二次会あるの確定なんだ」
二次会って一次会の後自然発生するものだと思ってた。カラオケかぁ……気乗りしないけど、篠崎くんならいいか。
いつもと反対側の改札口までひたすら歩く。気乗りしないのに、足は前に進んでいた。
テーブルの上にはウーロン茶が二つ並んでいる。
篠崎くんは機種を決めたり音量を調節してくれたりと慣れている様子で、僕はますます気が重くなった。
「宮宇地は何歌う?」
確認ついでか、篠崎くんがマイクを入れて話しかけてきた。
「先に歌っていいよ」
「了解」
マイク越しでも彼の声の印象は変わらない。耳をくすぐるような、低く落ち着いた声。
歌い出しからすでに敗北が決まった。リズム感と声の響きが特に上手い。僕なんかに評価されても嬉しくないと思うけど。
歌が終わり、篠崎くんがこちらに顔を向ける。歌の途中も視線を感じていたが、僕はずっと画面を見ていた。
「どうだった?」
「上手だと思うよ。初めて聞く曲だったけど」
「最近よく流れてるやつだけど」
「そうなんだ」
こういう時、話題を広げられないのが反省点だ。篠崎くんはそんなことを気にする様子もなく楽しげに笑っている。
「次、宮宇地な」
「僕は遠慮しておこうかな」
「ここまで来て何言ってんだよ」
「やっぱりそうなるよね」
僕は諦めて機械を操作し、知ってる曲を入れる。
「なんの曲?」
「好きなんだけど、篠崎くんは知らないかも」
「あー、なんか母さんが車で聞いてた気がする」
篠崎くんの時と違って、曲が始まっても話す余裕がある。前奏の長さだろうか。大発見だ。
現実逃避をしていても本番はやってくる。口が思ったより開かないことに内心驚きながら、僕は喉を震わせた。
僕なりに全力で歌いきった。一曲がこんなに長く感じるとは思わなかった。篠崎くんはニコニコと笑っている。
「うん、普通に音痴」
初めて彼の笑顔を憎らしいと思った。
「悪かったって! 機嫌直せよ」
「音痴って、笑顔で言われた。ちゃんと歌ったのに」
「それは宮宇地が可愛……じゃなくて、楽しくてつい」
「音楽選択の人は歌えない人の気持ちがわからないんだ……音程が合うのは当たり前で、コードとか難しい音楽用語も知ってて当然なんだ……」
「偏見がすぎる」
篠崎くんが「ほら、宮宇地」と僕の肩を優しく叩く。仕方なく顔を上げると、彼が長めのスプーンを差し出していた。
「何?」
「さっき来たやつ。宮宇地甘いの好きだろ」
「篠崎くんが食べなよ」
「どうせなら二人で食べたくね?」
篠崎くんの手には、一番上にアイスが乗ったパフェが握られている。チョコレートソースがツヤツヤと輝き、溶けかけのアイスと混じり合う。
差し出されたスプーンの中もほとんどアイスで、今にも溶けそうだ。
「……甘くて美味しい」
「もう一口いくか?」
「食べる」
餌付けみたいに何度も口に運ばれる。食べていくうちに、何で怒っていたのか忘れてしまった。僕ってこんなに単純だったのか。
「ごめんな。馬鹿にするつもりはなかった」
「僕の方こそ、うだうだ言ってごめんね。パフェありがとう」
篠崎くんは満面の笑みで頷き、残りのパフェを食べ始めた。
その様子を見ていて、前々から疑問に思っていたことを思い出した。
「篠崎くんは、何で僕が甘いもの好きって知ってたの?」
彼と初めてファミレスに行った時、既に僕の好みを把握している口ぶりだった。それまでほとんど接点がなくて、まともに話したのはあれが初めてだったのに。
「見てたから」
「え?」
「菓子パンよく食べてたから、好きなんだろうなと思ってた」
「……よく見てるね」
全く気がつかなかった。篠崎くんは、どこまで僕のことを観察していたのだろう。
「宮宇地も俺のことよく見てるって思ったけど」
「それは……」
「俺は宮宇地が少しでも俺のこと意識してくれてたらすごく嬉しい」
クラスを仕切ってる時とも違う、大人びた表情。いつもより掠れた声がそれを際立たせる。
答えたいのに、歌った時以上に喉が締まるのを感じる。
「意識してるよ。ちゃんと」
「ならよかった」
やっとのことで絞り出した言葉はすごくシンプルで、思いの全てを伝えられた気がしなかった。
それでも僕の精一杯を優しく受け止めた篠崎くんは、安心したように息を吐いて笑うと、慣れた手つきで曲を入れ始めた。
それは教科書にも載っている有名な歌だった。ゆったりとした聞き心地のいい旋律が流れる。
流行に疎い僕のために篠崎くんが選んだのかもしれない。そんな自惚れを覚えてしまうほど、彼の言葉の一つ一つが頭から離れなかった。
