放課後、いつもの場所で〜クラスの人気者と、なぜか放課後だけ一緒にいます

 強い風が頬に当たり、涙を乾かす。どれくらいの間そうしていたのか。
 僕はようやくそこで陸のコートを濡らしていることに気づいた。

「あの、ごめんなさい。コートが」
「いいよ、別に。コートより遥の方が大事だし」
「……ありがとう」

 ちゃんと陸の目を見つめてお礼をしたいのに、泣き腫らした顔を見られたくなくて下を向く。
 陸は「今のは格好つけすぎたか?」なんて言いながら僕の髪にそっと触れていた。その優しさにまた涙が出そうになる。

「自分でも、説明が難しくて」
「大丈夫。説明できないならそれでいい」
「うん。でも……」

 慰めてほしいわけでも、話を聞いてほしいわけでもない。でも陸に胸の内を伝えたいと思った。
 少しだけ勇気が欲しくて陸の手に触れる。熱いとか冷たいとか、もうわからなかった。

「あいつらといるの、しんどかった?」
「違う! それは違う」
「そうか」

 被せ気味に否定してしまった。皆いい人たちで、だから誰も悪くない。悪いのは僕だけだ。
 自分のせいでぐちゃぐちゃになった距離感に、勝手に傷ついてる。

「……楽しそうだったから」
「楽しそう?」
「あそこも陸の居場所なんだなって。前から見てきたのに、今さら」

 松下くんや梅原くんと話す陸は、僕に見せるものとは違う笑顔だった。

「俺の居場所は俺が決める。だから遥は気にしなくていい」

 嘘偽りのない、力強い声だ。引き寄せられるように顔を上げる。
 久しぶりに見た彼の表情は、どこか大人びていた。

「ありがとう」
 視界がぼやけて、また陸の表情を見失った。
「うん」
 彼が繊細な手つきで僕の涙を拭う。
「嘘つかせてごめんなさい」
 自然に口から溢れたのは、ずっと心の奥に秘めていたものだった。

「嘘?」
「僕が、隠したいって言ったせいで、嘘をつかせてるから。陸の大事な友達なのに」

 僕は外側からずっと見てた。陸は僕が好きだと言ってくれたけど、それでも彼らが大切なことに変わりないはずだ。

「俺がああいうの適当に流すのはいつもだし、遥のせいじゃない」
「陸は嫌にならないの?」
「ならない」

 一切迷いのない返事だった。反射的なものではない、堂々とした説得力がある声だ。

「話したいとか思わない?」
「思わない……というか、そうだな。遥が傷つく方が嫌だ。そもそも何で隠したいって思ったのか聞いていいか?」
「陸はいつも人に囲まれてるから、僕みたいなのが関わったら邪魔になると思って」

 学校の中にいる篠崎陸という人間が壊れてしまう気がして踏み込めなかった。
 それが嘘で塗り固めたものであっても、隠し通す方がいいと思ってた。

「邪魔とか、そんなこと考えるなら初めから告白してない。決めたのは俺だから」
「うん……」
「遥が話したいって決めたなら、俺もそうする。知り合いに放送部のやついるからさ、校内放送で発表してもいい」
「やりすぎだよ」

 陸らしい回答に、思わず笑ってしまった。上手く息ができないのは、笑いすぎたせいだ。

「また泣いてる」
「違う、これは」
「いいよ。俺が全部受け止めるから」

 いよいよ耐えられなくなり、僕は再び彼の胸に顔を埋めた。
 背中に回された手が温かい。その熱が全身を巡って、一つの塊になったみたいだ。

 寒空の下、寂れた公園で彼に抱きしめられながら、僕はあっけないほど簡単に決意した。

 変わりたい。陸の隣に立ちたい。

 頭の片隅にそれを置きながら、今はただ恋人の体温を感じていた。



 散々泣いて慰めてもらった翌日。腫れた目をどうにかしたくて粘っていたら、遅刻ギリギリになってしまった。

 教室は何人かが立っているだけで、ほとんどが席についていた。
 僕は自分の席ではなく、窓際の一番後ろにいる彼の元へ向かう。

「篠崎くん、おはよう」

 彼は驚いた顔で何回か瞬きして、それから柔らかく笑った。

「おはよう。宮宇地」

 僕が知ってる、僕が大好きな笑顔を教室で見れた。
 教室の隅で、僕たちのことは誰も気にしてない様子だ。それでも僕にとって大きな一歩だった。


 その日をきっかけに、僕は毎日陸に挨拶するようになった。
 さすがに何人かが僕と陸が教室で話すようになったことに気づいて事情を聞いてきたけど、友達になったからで押し通した。

 変化はあった。でも、まだ足りない。隠したくないという僕の覚悟を陸に示したい。

 バレンタイン前日、チョコレートを買った僕は、その足で美容室に行った。
 初めての美容室は薬剤とアロマっぽい匂いが混ざった空間で落ち着かなかった。
 会計を終えて外に出ると、すっかり暗くなっていた。少し開けた視界で街並みを歩く。なんだかいつもより胸を張って歩けた気がした。



「篠崎くん、おはよう」
 バレンタイン当日。教室の隅で、最近当たり前にやるようになった挨拶をする。でも今日の反応はちょっと違った。

「髪が……」
「切ってみたんだ。似合う?」
「うん、まあ」

 落ち着きない様子の彼に、気持ちが高まる。

「ねえ、放課後——」
「篠崎と宮宇地おはよー」
「あ、松下くんおはよう」

 陸に話しかけようとした矢先、松下くんに挨拶された。

「髪切った?」
「うん」
「おー、似合う似合う」
「はよー。何話してんの?」

 梅原くんも入ってきた。松下くんが僕を指差して話そうとした瞬間、陸が割り込んだ。

「梅原。宮宇地と目を合わすな」
「朝からひどくね!?」

 そこからは梅原くんの一方的な抗議と松下くんの笑い声が響く場になった。陸はしれっとした顔で受け流していた。

「おはよう。何してるの?」

 森川さんが来た瞬間、流れが変わった。みんなの視線が僕たちに集まって、笑いが途切れる。

「宮宇地が髪切ったって話」
「へー、いいと思う!」

 陸の言葉を受けて、森川さんがちらっと僕を見た。鈍い僕でもただの社交辞令ということがわかった。

「うわ、今日数学当たるじゃん。宮宇地課題やった?」
「やったけど見せないよ」

 拝み倒してくる松下くんをよそに、僕は陸と森川さんの会話に耳を傾けていた。

「りっくん、最近宮宇地くんと仲良いね?」
「普通だろ。同じクラスだし」
「ふーん。りっくんってああいうタイプとも仲良いんだ。なんか、びっくりした」
「関係ないだろ。それより課題やったか?」
「あ」
「頑張れ」

 森川さんは「ひどい!」と言いながら田山さんの席に向かった。
 陸と目が合う。彼に申し訳なさそうな顔をされ、軽く首を横に振った。

 陸は悪くない。森川さんも、悪意は感じなかった。彼女は純粋に思ったことを言っただけなのだろう。
 ああいうタイプ、か。外から見た僕の評価はそんなものだ。

 予鈴が鳴り、教室に気怠げな空気が流れる。僕は静かに教科書をめくりながら、放課後を待ち侘びていた。



 掃除の時間が終わり、放課後になった。教室には結構な人数が残っている。心なしか男子生徒が普段より多いような。

「篠崎今日もだめなん?」
「いや、前から言ってたし」
「例のもの何個もらった?」
「義理以外は断った」
「聞かなきゃよかった」

 松下くんは小声で話しているつもりかもしれないが、全部筒抜けだ。

 陸が席を立ち、松下くんが森川さんに話しかけに行った。彼が一人になった絶好のタイミングだ。

 心臓がバクバクと動いて息が乱れる。深呼吸してもそこまで変わらない。手が微かに震え、指先が冷える。それでも僕は、彼の席に向かった。

「宮宇地?」

 彼の前まで来たのに、唇が震えて何も言えない。もう一度、大きく息を吸う。

「え、何。どうし——」

 松下くんの声だ。今だけは、誰にも邪魔させない。頭がくらくらする中、口を開いた。

「これ! 陸に!」

 紙袋を陸に差し出す。彼はどうしていいかわからない様子で、僕を見つめている。

「名前?」

 女子の声。たぶん、森川さんの。あんなに騒がしかった教室が静かになり、視線が突き刺さる。
 水を差されないよう、強引に言葉を続ける。

「約束してたやつ。チョコ……恋人からの!」

 痛いくらいの静寂。誰かが息を呑む音が聞こえる。その時、紙袋が僕の手から離れた。

「……最高」

 陸は、僕が今まで見たことないくらい幸せそうな笑顔で紙袋を受け取っていた。宝物を扱うような、丁寧な手つきだった。
 それから彼は通学カバンを背負い、いきなり僕の手を力強く掴んだ。

「あの」
「逃げるぞ」

 手を引かれ、教室を飛び出す。初めて彼に話しかけられた日と重なる。

 背後からいつもと違う種類の騒がしさを感じ、さらに加速する。僕たちは校門を出てからもしばらくの間、夢中で走っていた。



 さすがに限界が来て足を止めたら、陸も一緒に止まった。二人とも最初は息を整えるのに必死だった。
 そして呼吸がやっと落ち着き顔を上げると、額に汗を滲ませている陸と目が合った。

 示し合わせたように、二人で大声で笑った。笑いすぎて腹筋が痛くなるまで、僕の目には陸しか映らなかった。

「あー、腹痛い」
「僕も」

 陸の指先が僕の頬を撫でる。吹き抜ける冷たい風は、今の僕たちにはちょうどよかった。

「ありがとう。人生で一番嬉しかった」
「そんなに?」
「そこ疑うのかよ」

 陸がまた笑って、それから口を開いた。

「今日は俺がどれだけ遥が好きか語り尽くしてやる」
「それなら僕も語りたいけど時間足りるかな」
「確かに長くなりそうだな……今日はどうする? カラオケか、それとも——」

 答えはもう決まってる。陸の手を掴み、駅に向かって走り出す。
 澄んだ冬の青空が眩しくて、僕は握り返してくる手をさらに強く握った。