冬休み最終日。僕は待ち合わせ場所であるショッピングモールを目指して歩いていた。
今でもクリスマスイブの出来事が夢のように感じる。でもちゃんと現実で、今から初めてのデートだ。僕の思い込みでなければ。
あれから篠崎くんのバイトや家族旅行、僕も家の用事があったりと予定が合わなくて、クリスマスイブから顔を合わせていない。
電話もしたしメッセージのやり取りはたくさんしたけど、実感という点ではまだまだだ。
篠崎くんの私服、楽しみだ。きっとモデルみたいにかっこよくてキラキラしてるに違いない。
「あの人かっこよくない? 声かけてみる?」
「結構前からいるし待ち合わせかもよ」
なんとなく気になって彼女たちの視線を追うと、篠崎くんがいた。
黒のダウンジャケットに黒のニット、グレーっぽいデニムは緩めのシルエットだ。首元にはシンプルなシルバーアクセサリーが光っている。
立ち姿に存在感がある。想像を超えることってあるんだ。
ロングコートにスラックスというシンプルな自分の服装が途端に申し訳なくなった。
だけどここでもたもたしていたら、篠崎くんが素敵な女性に声をかけられるかもしれない。
「お待たせ。待った?」
勇気を出して彼に駆け寄る。僕に気づいた瞬間、篠崎くんの顔がぱあっと明るくなった。
「全然待ってない」
本当かな? 今は待ち合わせ十分前で、さっきの子たちは結構前からそこにいたって言ってたけど。
追求するのも悪い気がして、僕は一瞬だけ彼の指先に触れた。
「冷たい」
「気のせいだろ」
「早く中入ろう」
「だな」
僕にしては自然に話せたと思っていたら、篠崎くんと視線が絡んだ。その表情はいつも以上に生き生きしていた。
横並びで歩くのも緊張するからゆっくり歩いていると、彼も速度を合わせてくれた。手を繋いだわけでもないのに、僕は今デートをしていると強く実感できた。
「まだ上映まで時間あるけど」
「ポップコーンとか買おうよ」
「いいね」
早めに来てしまったから時間が余ってしまった。
今日見る映画のフライヤーを一枚取り、かばんにしまう。クリアファイルを持っていけばよかったと後悔した。
「味どうしようか」
「宮宇地が好きなやつでいい」
「じゃあ塩とキャラメルのやつ」
「了解」
篠崎くんがポップコーンとドリンクを率先して注文してくれた。こういったさりげない行動に特別を感じてしまうのは、意識しすぎだろうか。
入場できる時間になったので、二人で移動する。
上映終了間近の映画だからか、場内は思ったより広くなかった。まだ明るい場内を、篠崎くんの後ろについて歩く。
「ここ。端の席でごめん。見にくいかも」
「気にしてないよ」
前日にもその話をしたのに。篠崎くんは席にこだわりでもあるのな。
中央ブロックから通路を挟んで四席並びになっている席の壁側に僕が座り、その隣に篠崎くんが座った。
ポップコーンが乗ったトレーを篠崎くんが二人の間に置いた。若干僕の方に寄ってる気がする。
「宮宇地がアクション映画好きって意外だった」
「ストーリーがわかりやすいから。篠崎くんはイメージ通り」
「俺恋愛映画も見るけど」
「えっ! 意外!」
「最近見始めた」
えっと、それはつまり篠崎くんも意識してくれてるってことでいいのかな。篠崎くんの言葉は、たまにどう受け取ればいいか迷う。
何組か場内に入ってきて席がぽつぽつ埋まる。誰もこちらに来る気配はない。
あと少ししたら宣伝が流れる。そうなるとしばらく話せない。僕は待ち合わせの時に言えなかった話を切り出すことにした。
「今日の服、その」
「何?」
短い返しの中に、期待と不安を感じた。緊張するけど素直に思ったことを言おう。
「かっこいいね。おしゃれでびっくりした」
「あ、ありがとう」
このタイミングで場内が薄暗くなった。篠崎くんの顔色がわからない。
「宮宇地も」
「も?」
僕の服に褒める要素はなさそうだけど。
「似合ってる。宮宇地っぽくて好きだよ」
「えっ、と。わ、あの、その」
「そろそろ始まる」
お礼、言えなかった。スクリーンには注意事項が流れ出す。
篠崎くんの顔が見れない。僕はスクリーンに目を向けたまま、ポップコーンを一つ食べた。すごく甘かった。
事件が起こった。色んな意味で。
スクリーンの中の主人公は事件に巻き込まれて敵と戦うことを決意した。
僕の右手は今、彼の左手に包まれている。ポップコーンを取ろうとした寸前の出来事だった。最初は指先だけの触れ合いだったが、今はしっかりと握られている。
篠崎くんの横顔を見つめたが、彼の目はスクリーンに向いたままだ。それでも口角だけはしっかり上がっていた。
どうしたらいいんだろう。繋いだ手を肘置きに置くにも、トレーが邪魔だし。そう思っていたら、篠崎くんがトレーを膝に乗せた。
徐々に手の位置が下がって、肘置きに乗る。僕の手の上に篠崎くんの手が重なっている状態だ。
彼の指の隙間から僕の手がどうにか見えるくらい、大きさに差があった。
篠崎くんの手は温かかった。そちらに意識が取られて、音が耳に入ってこない。
ふと、唇に何かが当たった。よく見るとそれはポップコーンだった。
顔を横に向けたら篠崎くんとばっちり目が合った。彼は空いている手で、僕の口にポップコーンを運んでいた。
意味ありげに細めた目が、見惚れるくらいかっこよかった。
唇をかすかに動かして塩味のポップコーンを口に入れる。彼の指先に唇が触れないよう動かすのに必死で、映画の内容はほとんど頭に入らなかった。
エンドロールが終わって場内が明るくなっても、僕たちはしばらく無言だった。
映画館を出てやっと、何か食べようという話になった。
久しぶりに来たフードコートは、ピークの時間ではないのにそこそこ混んでいた。
僕はクレープを、篠崎くんはハンバーガーのセットを受け取って席についた。
「それ美味いの?」
「美味しいよ。砂糖とバターの味がする」
「それはだいたいわかる」
そう言われても、クレープのシュガーバターの説明って難しい。
「食べてみる?」
「いいの?」
僕が頷いてクレープを差し出すと、篠崎くんが一口齧った。
「大きいね」
「ごめん。食べすぎた?」
「サイズ感の違いを感じただけだよ。怒ってない」
皮だけのクレープだからか、一口の大きさがわかりやすかった。
「ポテト食べるか?」
「もらう」
甘いものを食べた後のポテトは美味しい。さっき食べた塩味とキャラメル味のポップコーンを思い出す。そしたら急に恥ずかしくなって、僕は持っていたポテトを口に詰め込んだ。
「あのさ」
ほとんど食べ終わったタイミングで、篠崎くんが話し出した。
「どうしたの?」
「名前。付き合う前と同じだから、変えたいというか」
「呼び方をってこと?」
「そう。『篠崎くん』以外で呼ばれてみたくなった」
なるほど。たしかに、付き合う前と呼び名を変えるのも新鮮でいいかもしれない。
声に出そうとして、喉が締まった。水を飲んでからもう一度チャレンジする。
「……陸」
返事はない。彼は無言で僕を見つめたまま動きを止めていた。
彼が首を軽く振って動き出すまでの間、僕は水を二口飲んだ。
「まさか、そっちでくるとは」
「だめだった?」
「いや全然。むしろ嬉しい誤算というか、陸くんって呼ばれるかと思ってたから」
「だって、それだと」
「だって? 何?」
そこでやっと、自分が恥ずかしいことを言いかけていると気付いた。ごまかす方法が思い浮かばない不器用な頭を恨む。
言うしかない。あの映画の主人公のように、当たって砕けろだ。
「それだと『りっくん』と被るからやだ」
クラスの女子のほとんどが彼のことをりっくんと呼ぶ。だからどうしても陸くんと呼べなかった。僕は彼の恋人だから。
「ちょっと、待ってくれ」
突然彼が片手で顔を覆った。表情はほとんど見えない。隙間から覗く肌はうっすら赤くなっていた。
「大丈夫?」
「落ち着くまで時間がほしい。三分……いや、二十分」
「増えちゃった」
彼は本当に顔を覆ったまま全然動かなかった。その間に僕は水のおかわりを一回して、ポテトを三本食べた。
僕の言葉一つでいつもと様子が違う恋人を見て、何かが満たされた気がした。
ようやく彼が顔から手を離した。いつもと変わらない落ち着いた表情だ。
「ごめん。待たせて」
「別に、僕も嬉しかった」
「もう一回名前呼んで」
「陸」
陸は穏やかに微笑んで、それからさらっと僕の髪を撫でた。
「遥」
直接心臓を触られたような、甘い響きだった。
僕は思わず手で両耳を押さえた。視界がぼやけて、身体中の血液が顔に集まったように熱い。
耳を押さえていた両手が自然と顔を覆っていた。
「……四時間ちょうだい」
「閉店までいる気か?」
彼の軽口を返せる余裕はなく、しばらく動けなかった。
しかも陸が気まぐれに髪を撫でてくるから復旧まで相当時間がかかりそうだ。
手で覆ってるから見えないはずなのに、目の前の恋人が優しい顔をしているのが、気配でなんとなくわかった。
今でもクリスマスイブの出来事が夢のように感じる。でもちゃんと現実で、今から初めてのデートだ。僕の思い込みでなければ。
あれから篠崎くんのバイトや家族旅行、僕も家の用事があったりと予定が合わなくて、クリスマスイブから顔を合わせていない。
電話もしたしメッセージのやり取りはたくさんしたけど、実感という点ではまだまだだ。
篠崎くんの私服、楽しみだ。きっとモデルみたいにかっこよくてキラキラしてるに違いない。
「あの人かっこよくない? 声かけてみる?」
「結構前からいるし待ち合わせかもよ」
なんとなく気になって彼女たちの視線を追うと、篠崎くんがいた。
黒のダウンジャケットに黒のニット、グレーっぽいデニムは緩めのシルエットだ。首元にはシンプルなシルバーアクセサリーが光っている。
立ち姿に存在感がある。想像を超えることってあるんだ。
ロングコートにスラックスというシンプルな自分の服装が途端に申し訳なくなった。
だけどここでもたもたしていたら、篠崎くんが素敵な女性に声をかけられるかもしれない。
「お待たせ。待った?」
勇気を出して彼に駆け寄る。僕に気づいた瞬間、篠崎くんの顔がぱあっと明るくなった。
「全然待ってない」
本当かな? 今は待ち合わせ十分前で、さっきの子たちは結構前からそこにいたって言ってたけど。
追求するのも悪い気がして、僕は一瞬だけ彼の指先に触れた。
「冷たい」
「気のせいだろ」
「早く中入ろう」
「だな」
僕にしては自然に話せたと思っていたら、篠崎くんと視線が絡んだ。その表情はいつも以上に生き生きしていた。
横並びで歩くのも緊張するからゆっくり歩いていると、彼も速度を合わせてくれた。手を繋いだわけでもないのに、僕は今デートをしていると強く実感できた。
「まだ上映まで時間あるけど」
「ポップコーンとか買おうよ」
「いいね」
早めに来てしまったから時間が余ってしまった。
今日見る映画のフライヤーを一枚取り、かばんにしまう。クリアファイルを持っていけばよかったと後悔した。
「味どうしようか」
「宮宇地が好きなやつでいい」
「じゃあ塩とキャラメルのやつ」
「了解」
篠崎くんがポップコーンとドリンクを率先して注文してくれた。こういったさりげない行動に特別を感じてしまうのは、意識しすぎだろうか。
入場できる時間になったので、二人で移動する。
上映終了間近の映画だからか、場内は思ったより広くなかった。まだ明るい場内を、篠崎くんの後ろについて歩く。
「ここ。端の席でごめん。見にくいかも」
「気にしてないよ」
前日にもその話をしたのに。篠崎くんは席にこだわりでもあるのな。
中央ブロックから通路を挟んで四席並びになっている席の壁側に僕が座り、その隣に篠崎くんが座った。
ポップコーンが乗ったトレーを篠崎くんが二人の間に置いた。若干僕の方に寄ってる気がする。
「宮宇地がアクション映画好きって意外だった」
「ストーリーがわかりやすいから。篠崎くんはイメージ通り」
「俺恋愛映画も見るけど」
「えっ! 意外!」
「最近見始めた」
えっと、それはつまり篠崎くんも意識してくれてるってことでいいのかな。篠崎くんの言葉は、たまにどう受け取ればいいか迷う。
何組か場内に入ってきて席がぽつぽつ埋まる。誰もこちらに来る気配はない。
あと少ししたら宣伝が流れる。そうなるとしばらく話せない。僕は待ち合わせの時に言えなかった話を切り出すことにした。
「今日の服、その」
「何?」
短い返しの中に、期待と不安を感じた。緊張するけど素直に思ったことを言おう。
「かっこいいね。おしゃれでびっくりした」
「あ、ありがとう」
このタイミングで場内が薄暗くなった。篠崎くんの顔色がわからない。
「宮宇地も」
「も?」
僕の服に褒める要素はなさそうだけど。
「似合ってる。宮宇地っぽくて好きだよ」
「えっ、と。わ、あの、その」
「そろそろ始まる」
お礼、言えなかった。スクリーンには注意事項が流れ出す。
篠崎くんの顔が見れない。僕はスクリーンに目を向けたまま、ポップコーンを一つ食べた。すごく甘かった。
事件が起こった。色んな意味で。
スクリーンの中の主人公は事件に巻き込まれて敵と戦うことを決意した。
僕の右手は今、彼の左手に包まれている。ポップコーンを取ろうとした寸前の出来事だった。最初は指先だけの触れ合いだったが、今はしっかりと握られている。
篠崎くんの横顔を見つめたが、彼の目はスクリーンに向いたままだ。それでも口角だけはしっかり上がっていた。
どうしたらいいんだろう。繋いだ手を肘置きに置くにも、トレーが邪魔だし。そう思っていたら、篠崎くんがトレーを膝に乗せた。
徐々に手の位置が下がって、肘置きに乗る。僕の手の上に篠崎くんの手が重なっている状態だ。
彼の指の隙間から僕の手がどうにか見えるくらい、大きさに差があった。
篠崎くんの手は温かかった。そちらに意識が取られて、音が耳に入ってこない。
ふと、唇に何かが当たった。よく見るとそれはポップコーンだった。
顔を横に向けたら篠崎くんとばっちり目が合った。彼は空いている手で、僕の口にポップコーンを運んでいた。
意味ありげに細めた目が、見惚れるくらいかっこよかった。
唇をかすかに動かして塩味のポップコーンを口に入れる。彼の指先に唇が触れないよう動かすのに必死で、映画の内容はほとんど頭に入らなかった。
エンドロールが終わって場内が明るくなっても、僕たちはしばらく無言だった。
映画館を出てやっと、何か食べようという話になった。
久しぶりに来たフードコートは、ピークの時間ではないのにそこそこ混んでいた。
僕はクレープを、篠崎くんはハンバーガーのセットを受け取って席についた。
「それ美味いの?」
「美味しいよ。砂糖とバターの味がする」
「それはだいたいわかる」
そう言われても、クレープのシュガーバターの説明って難しい。
「食べてみる?」
「いいの?」
僕が頷いてクレープを差し出すと、篠崎くんが一口齧った。
「大きいね」
「ごめん。食べすぎた?」
「サイズ感の違いを感じただけだよ。怒ってない」
皮だけのクレープだからか、一口の大きさがわかりやすかった。
「ポテト食べるか?」
「もらう」
甘いものを食べた後のポテトは美味しい。さっき食べた塩味とキャラメル味のポップコーンを思い出す。そしたら急に恥ずかしくなって、僕は持っていたポテトを口に詰め込んだ。
「あのさ」
ほとんど食べ終わったタイミングで、篠崎くんが話し出した。
「どうしたの?」
「名前。付き合う前と同じだから、変えたいというか」
「呼び方をってこと?」
「そう。『篠崎くん』以外で呼ばれてみたくなった」
なるほど。たしかに、付き合う前と呼び名を変えるのも新鮮でいいかもしれない。
声に出そうとして、喉が締まった。水を飲んでからもう一度チャレンジする。
「……陸」
返事はない。彼は無言で僕を見つめたまま動きを止めていた。
彼が首を軽く振って動き出すまでの間、僕は水を二口飲んだ。
「まさか、そっちでくるとは」
「だめだった?」
「いや全然。むしろ嬉しい誤算というか、陸くんって呼ばれるかと思ってたから」
「だって、それだと」
「だって? 何?」
そこでやっと、自分が恥ずかしいことを言いかけていると気付いた。ごまかす方法が思い浮かばない不器用な頭を恨む。
言うしかない。あの映画の主人公のように、当たって砕けろだ。
「それだと『りっくん』と被るからやだ」
クラスの女子のほとんどが彼のことをりっくんと呼ぶ。だからどうしても陸くんと呼べなかった。僕は彼の恋人だから。
「ちょっと、待ってくれ」
突然彼が片手で顔を覆った。表情はほとんど見えない。隙間から覗く肌はうっすら赤くなっていた。
「大丈夫?」
「落ち着くまで時間がほしい。三分……いや、二十分」
「増えちゃった」
彼は本当に顔を覆ったまま全然動かなかった。その間に僕は水のおかわりを一回して、ポテトを三本食べた。
僕の言葉一つでいつもと様子が違う恋人を見て、何かが満たされた気がした。
ようやく彼が顔から手を離した。いつもと変わらない落ち着いた表情だ。
「ごめん。待たせて」
「別に、僕も嬉しかった」
「もう一回名前呼んで」
「陸」
陸は穏やかに微笑んで、それからさらっと僕の髪を撫でた。
「遥」
直接心臓を触られたような、甘い響きだった。
僕は思わず手で両耳を押さえた。視界がぼやけて、身体中の血液が顔に集まったように熱い。
耳を押さえていた両手が自然と顔を覆っていた。
「……四時間ちょうだい」
「閉店までいる気か?」
彼の軽口を返せる余裕はなく、しばらく動けなかった。
しかも陸が気まぐれに髪を撫でてくるから復旧まで相当時間がかかりそうだ。
手で覆ってるから見えないはずなのに、目の前の恋人が優しい顔をしているのが、気配でなんとなくわかった。
